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銀月の一族  作者: せらひかり
幕間 夏間のうるい
47/47

序、第一章 輪転


 まだ、時間はある。

 いや、ない。

 ざわざわと、室内を、室外を、何かが揺らす。

 どうする?

 どうもこうも。

 やがてぴたりと、声達は口をつぐんだ。

 ほとんど聞こえない足音が、廊下を通り過ぎると、またひそひそと話し始める。

 内容は、口さがない噂話のようなものだ。

 あちらこちら、時代と場所を移動して、思い出話も紛れ込む。

 さても、さても。

 神去りし地に、神を呼び戻すべきか。如何せん。



第一章


 キセとシズクがいなければ、どうにもならない。

 身に染みた裄夜は、練習を強化することにした。

 術が使えるようになると、戦力扱いされる。それはそのまま怪異問題を丸投げされる恐れを意味するが、戦力扱いされていなくても、冷羽の件で、キセとシズクがいるからと丸投げされることがよく分かった。前から知っていたつもりだが、逃げ場のなさが堪えたのだ。

 次に出くわす怪異が、裄夜が「無関係の通りすがりです」と言って何とかなる相手ではないかもしれない。

(というか、既に出くわしてるのにスルーしてる可能性もあるし。たまたま相手にその気がなくて、無事でいられるだけとか)

 考えてしまうと不安になる。不安は、下手な文字での写経で落ち着かせる。通常の勉強の合間に、浩太が最低限だと言った幾つかの祭文を書き取っている。ノートの端、端末の画面、コンビニで買った書道用の半紙などに、ボールペン、筆ペン、サインペンで書いていく。いろいろな道具でいつでも対応できるように、頭を柔らかくしておくといいらしい。

「神や諸々の相手に対しては精進潔斎して臨むのが良いんだけど、真面目な修行だと学生には時間がかかりすぎるんだよね。君達みたいな突発的に発生する実戦までには、もう間に合わないかもしれないから」

 と、祭文を教えた浩太は、やや後ろ向きなことを言っていた。

 浩太本人とは、休日以外に出会うことはほとんどない。出会えば、一族の管理地にある山裾で、薪割りや田畑を耕すなど、迂遠なことをやらされながら、古代から近代までの歴史のような話を聞かされる。

 浩太のいない時には、「面白い祭礼だから見ておいてよ」と言われた動画や本を見て、何の役に立つのか分からないまま半ば聞き流してしまっている。

 キセに聞くと、さらに迂遠だ。術の使い方や習得方法が言語化されていないから、ひたすら山を登ったりおりたりする。

 おかげで少し体力がついていれば良いのだが、そうでもない気がする。

 一方、日向は、学生生活を謳歌していた。何かあっても、シズクが何とかするから、別に何もしないのだという。それはそうだが、不安ではないのだろうか。

 不安だから、見ないふりをしているのかもしれないが。

 ともあれ、そんな日向だが、たまに山裾の畑から夏野菜を収穫する手伝いはしてくれるので、裄夜もあまり文句は言わなかった。

「やった! つやっつやの、とうもろこし!」

「喜んでくれてるところ悪いけど、あんまり数がないから。半分はそこの祭壇にあげて」

「え~」

「後でお下がりがもらえるから」

 この畑や屋敷に祀られている何かは、ほとんど姿を見せない。けれど収穫物を供えるとその後の収穫がうまくいくこともあって、安全祈願を兼ねてお供えを続けている。

 昼ごはんに茹でとうもろこしを食べ、縁側で足をぶらつかせる。

 梅雨は明けて、そろそろ夏休みだ。

「中津川さんは、受験どうするの?」

「私、今の設定上は裄夜の一学年下になってるんだよね。自習するのも大変だし、この先どうなるか分かんないし、二年生を続けてまーす」

「そっか」

「裄夜もあんまり、受験生とか、そういう普通のことができるとも限らないんだし、無理しすぎないようにね」

「まぁ、やった方が落ち込まなくて済むことは、やろうと思うよ」

 塾の費用は、一族から出る。一族というか、キセやシズクの請けてきた仕事の対価が、一応残っているという。

 戦時や戦後に没収もされず。

「それと、高度成長期とかバブルの頃とかに、金融とかでうまいことやったひとが一族の中にいるんだって。だから中城の軍資金はあるよって、たすくくんに気を遣われた」

「相場とかって、占いとか当たればすごそうだよね」

「占いっていうか、確率論とか心理学だって言ってる人はいたよね」

「手に職はすごいよね」

「でもこの話、行き着く先は、資金……ではあるよね」

 資金は大事だな。学生二人は、ぼんやりと空を見上げる。資金、土地。それらの維持管理能力。

 ただの学生の頃には、そこまで思わなかった。生活できて、学校に通えて、就職できればそれでよくて。

 今は、過去の自分達のゆかりだからと、衣食住をあてがわれている。過去の人々のせいで迷惑を被ったのは事実だが、慰謝料にしても、享受ばかりでは居心地はわるい。

「何々~? 生活の話? 真面目な若者達だよね君達って! その調子で善良さに目をつけられて悪い大人に騙されてヤバい企業でこき使われたりしないようにね」

 いつの間にか家の中から現れた菅浩太が、二人の顔を覗き込む。日向が驚いて、縁側から庭に飛び降りた。

 フシャー、と猫のように警戒する日向をよそに、裄夜は今日はあいてるんですか、と訊ねる。

 夕方までならね、と浩太が片目をつぶってみせた。

「浩太さんこそ、真っ黒な勤務で過労死しないように気をつけてくださいよね」

「えぇ~そんなに黒くないよお」

「茅野さんが、連絡つかないってこの間めちゃくちゃ怒ってましたよ。浩太さんに術とか基本を教えてもらえるのはありがたいんですけど。茅野さんのことも大事に……」

 裄夜は尻すぼみになる。浩太は笑顔だが殺気のような雰囲気があって、それ以上、裄夜は何も言えなくなる。

 代わりに、

「茅野さんの言うこと聞かないと、捨てられても知りませんからね」

 かなり離れたところから、日向が叫ぶ。裄夜達が振り向く前に、庭の横の道を駆けて、近くの畑に行ってしまった。逃げたな。


「今日は錫杖なしですか?」

「杖がほしいの?」

 山を登るのに体を預けるには、その辺の木切れは、ちょっと小さすぎる。杖代わりなら使ってもいいけど、と浩太が言うので、裄夜は急いで否定した。

「杖じゃなくて……武器というか」

「武器。武器ね」

 考えるそぶりで、浩太が見回した。あったあった、と手にしたそれを、裄夜に差し出す。

「はい、これ」

「これ……椿?」

「榊です」

 枝には、つやつやした濃緑色の葉がついている。

 常緑の枝なら何でもいいんだろうけど、と浩太は言った。

 自身も一枝手折り、さらさらと葉を鳴らして振る。

 それだけで、場の空気が少し軽くなった気がする。

「揺れるモノ。移り変わり、とどまらないモノ。清水のように流れ去るモノ。神霊の類は、そのように解釈されることもあるね」

 それらは、ゆらゆらと振るわれるものに宿り来る。大きな、動かないいわおや、積み上げた俵に宿り来ることもあるが。

「揺れるものなら、猫じゃらしでも良いんですか?」

「うーん、ちょっと卑近すぎるかなそれは。まぁでもいざとなったら、目の前のエノコログサで試したらいいよ、それでも許される時があるのかもしれない。こういうものは、様式が肝心でね。常緑の枝ならいいけれど、外しすぎると発動しない。設定範囲があって、それを脈々と口伝えしているのが、民間信仰と、やしろかな」

 洋画の魔法使いみたいに、浩太が枝を振るう。葉が、さらりさらりと音を立てた。

「神霊を指定の場所まで連れて行く乗り物にする機能。それを応用して、祓い清めること」

「今日の練習内容ですか?」

「そう。集中する時に見つめるのは、自分のことじゃないよ。自分の内側を辿るのではなくて、外側ね。風が木々の梢を鳴らすのをぼんやりと見て。木々の梢に何かが通り過ぎるのを感じて」

「うーん」

 裄夜はうなる。ちょうど実物のカラスが通り過ぎたので、そういうイメージになる。

 カァカァ。つやつやした黒い羽を、わざと鳴らして、カラスは澄まして飛んでいった。帰ってこない。

「まぁ本来なら精進潔斎して、これだけ集中したのだっていう自信を持って周辺の感覚を感じてトランスしてから祭りをする、っていうのが好きな人達もいるし、今やってるのが簡易的なやり方ではあるんだよね。潔斎しなくても、社の祭りとかで、人々が何となく普段と違うような、その気になるような状態に持っていければ、似たような状態は作れるんだけど」

 急にはね。と、浩太は笑う。

「ってことで、山の頂上まで登ってきて! めちゃくちゃ疲れてこの世とあの世の境目がよく分かんなくなるまで。自他境界崩すの」

「さらっと鬼みたいなこと言いますよね」

「鬼はもっとややこしそうだけどね、何を指すのかにもよるけど」

 一つの名前が、一つだけのもの、一つだけの状態を指すのではないから、と浩太は教える。

「いくつかの事象を引っくるめて、土地土地で違うものを伝聞で同じ名前でくくったりしていることもある。人や小鳥に方言があるように、各地の似たモノには別々の名前がある。それぞれが別のモノ達にも、お互いに似た名前もある」

「うーん?」

 混乱してきた裄夜を、浩太は、考えるとかいう考えが吹き飛ぶまで駆け足、と山頂に送り出した。低い山だが、多少の装備がないと気になるので、お茶と飴やタオル、携帯端末などは持っていく。迷った時のためだ。

「準備が無駄になるくらい安全に帰って来られたらいいんですけど、念のため」

「うんうん、裄夜君もよく分かるようになってきたねえ」

 それフラグって言うんだって、と浩太がにこやかに言って手を振っていた。


「フラグだった」

 山中、少し枯れ葉などをよけて、窪みを作り、木切れを組んで、明かりを作る。火はライターでつけた。ライターのプラスチックケースには、どこかの店名広告が載っている。古びたそれは、山裾の家の祭壇脇の、仏壇に添えてあったものだ。家自体は一族のものだが、具体的には誰の家なのか、裄夜と日向はよく分からないまま借りていて、たまに線香をあげている。その一式を、ポケットに入れて持ってきていた。

「ここ、どこなんだろうな……」

 長く戻らなければ、探してもらえるだろう、とは思う。思うが、浩太のことだから、夕方イコール他の用件があるので、誰か他に任せてもう帰ってしまっているかもしれない。というか山登りについてきてくれないのもどうなのか。

 キセは面倒なのか、全く姿を見せなかった。

 最近、慣れつつあるので、裄夜もそれほど慌てない。時々携帯端末を見やる。通信は回復したり途切れたりと安定しない。完全な異界というわけではなく、アンテナ基地局のカバー範囲から逸れているだけだろう。

 一瞬繋がった隙に、位置情報を確認する。

「このまま獣道をくだれば、着くはずなんだけどな」

 裄夜は、元々踏み分け道を逸れていない。何かに化かされているか、自分の感覚がおかしくなっている。

 登山の山として有名な場所などでは、登山途中で幻覚を見て遭難するという話もある。先日登山関連の書籍を借りて読んだから、その恐れを思うとゾッとするが、この辺りの山は低く、麓には生活する農家の人もいて、割と手入れされている。自然の領域が強すぎる山ではない。しかし、そう思うこと自体が、遭難の前振りのようでもある。

「あーダメだ。寝よう」

 幸い、天気は良い。空には星が散らばって、木々の間からきらきらと光っている。

 一眼レフカメラであれば、もっと綺麗に撮れるだろうか。などと考えつつ、裄夜は木に寄りかかって目を閉じた。


「何ですぐ諦めちゃうわけ」

 暗がりで、ハッハッと激しい息遣いが響く。鼻先を押しつけて、顔を舐められた。

「え、犬?」

 裄夜は慌てて犬を掴む。

「マル?」

 鼻先が丸いからマルと名付けられた、麓で飼われている猟犬は、そこそこ愛想のよい、小柄な芝犬だった。マルが嬉しそうに吠える。その後ろで、見慣れた人が仁王立ちしていた。

「あれ、浩太さん?」

「マルがめちゃくちゃ吠えるから、山に誰か入ったままじゃないかって、近所の人が心配して夕方来たの。一緒に探しに登ってもらったけど、全然出会えなくて、おかしいね沢に落ちたのかねって言っててね。君、めちゃくちゃ普通に寝てるし」

「すみません……?」

「無意識だろうけど、虫除けを兼ねて魔除けみたいなやつ、やったね?」

 やった気がする。これまで、山に登っておりる間にいろいろありすぎるので、付き合う気力がなさそうな時は、そうした術を使うと良いことを先日習った。

「術が上手にかかりすぎて、マルも初めは見つけられなかったんだよ」

「浩太さんも?」

「俺もね」

「そんなに上手に隠れたんですか、僕」

 教わっていても、術者的な腕がついてきているのか、全く分からなかったのだが、これでも成長しているようだ。どうやら、隠形おんぎょうは使えるようになっていた。

「加減を覚えようねほんとにね。日向ちゃん泣いてたよ」

「えっ、中津川さんが?」

 そういえば、犬と飼い主の人と浩太しかいない。日向は留守番だろうか。

 浩太が裄夜に怪我がないことを確認して、やれやれと言った。

「日向ちゃんは、ご飯食べてお風呂入って布団敷いてテレビ見てる」

「いつも通りですね」

「いつも通りにしてるのが一番だよ。いつも通りだから、いつも通りの日常以外は起こらない、って、人は思う。思いたがる。類感呪術みたいなものだよ」

 山を降りていくと、すぐに明かりが見えた。街路灯に、少し遠くの、近所の家の明かり。どうしてあんなに山の中は暗いのだろう。すぐ近くに人の手による明かりがあったのに。山中では、全く見えなかった。

 マルと飼い主にお礼を言って、家の前で別れる。浩太が、買い置いていたのか、ビールとお菓子をマルの飼い主に渡していた。

「今回、キセは何か役立たなかったかい?」

「特には。危険性が低いと、全く留守みたいな感じですね」

「危険性が低いわけじゃなかったと思うよ俺は。山で一晩明かすことは、キャンプじゃないんだからいきなりやることじゃない。これはキセの怠慢だしひいては君の怠慢だよね」

「僕?」

「裄夜君、君は知っているはずなんだよね。キセが君であるというなら、あるいは君ではなかったとしても、相手から交渉で引き出すのでなくて、無理矢理にでも、情報倉庫みたいにキセを扱って、技術と知識の上前をはねることは、できるんじゃないかと思うんだよね」

「浩太さん、最近ちょっと息切れしてないです?」

 浩太が早口で生き急いでいる感は変わらないが、以前より、聞き取りやすい気がする。若干、早さが、遅いような。

「うーん、まぁ君達の成長に合わせているというか、考えるラグがあるというかだね。若者は何て言ったら分かってくれるのかね? 説明を考えなくて反射でよければもっと早いんだけど。意味分かる?」

「早くなくていいので、分かるように説明してください」

 浩太なりの親切で、彼は裄夜の成長を、待ってくれているようだ。

 それはどうかな。

 心中に、ぽつりと、波紋が広がる。

 裄夜自身の声ではなくて、それは、もう少し奥の方だ。どこか、心中に、水源があるような。

(キセ? 言いたいことがあるのなら、言ってよ)

 姿を見せない間は、キセはあまり教えてくれないようだ。思案なのか、言い逃れを考えているのか、説明が何も思いつかなくて諦めたのか、キセの返事はない。表情が見られないので、今の裄夜には区別が分からない沈黙だった。

 日々は過ぎて、試験期間は終わり、夏休みに突入した。暑さが増して、息がしづらいくらいだ。

 幸い、数年前に図書室と教室に空調機器がついた。以前はなかったのだ、ここを卒業した現在の父兄が危機感を持ち、寄付を集めて一台ずつつけてくれたらしい。

 教師が恩着せがましく感謝するよう言って、今日も空調のスイッチを入れる。

 進学する面々は、学校で行われる夏期講習参加者と、自費の塾通いに分かれている。両方兼ねて昼間は学校の、夜間に塾の講習に行く者もいる。

 自分の目的に合わせて調整しつつ、裄夜も教科書と参考書を辿った。

 太陽が中天を超える頃、校庭や体育館での部活動の声も静かになる。

 教室で昼食をとる者も多いが、裄夜は外へ出た。コンビニで買い物して、また校内に戻る。

 うだる暑さで、通り抜ける中庭も、かなりの湿度だ。というか植え込みに、植えられた覚えのなさそうな雑草達が、元気に勢力を伸ばしている。

 見ているだけで蒸し暑い。

 うんざりして日陰を探しながら歩くと、突然、何かが飛びかかってきた。

 叫んで、思わずバランスを崩す。転んだ裄夜に、大きめの声がかけられた。

「悪い悪い、そんなに驚くとは思わなかったぜ!」

久賀くが!」

 半袖の同級生が、日に焼けた顔をこちらに向けていた。手には水道から繋いだホースが二つ。

「こんな時間に水やりしたら、まずいんじゃない?」

 今水を撒いても、煮える。早朝と夕方にすべきものだ。

「だってあっついんだもんよ」

 久賀は自分で水を被ったのだろう、シャツも黒髪もずぶ濡れだ。髪は先日短くしたばかりなのに、また少し伸びかけたように見える。

 あの水しぶきの一部を、裄夜は被ってしまったわけだ。尻もちを着いた場所は濡れていなかったので、制服の被害は少なく済んだ。

「久賀も夏期講習?」

「そうそう」

「その割には顔を見なかったけど」

「実は遅刻した。道で猫を拾って」

「嘘だろ」

「本当だって。遅れて教室に入りづらかったので、準備室に詰めてた先生を質問攻めにしてきた。それから部活に顔出して鬱陶しがられてきた。昼休み過ぎたら教室に戻るつもり!」

 三年生なので本来なら部活もほぼなく、夏休みは夏期講習でひたすら試験問題を解き続ける練習をするわけだが、昼休みはある。息抜きくらいしようぜと、久賀は水を撒き続けた。

「で、水瀬、土日はどうする? 先生達は休みたがってるから、みんな塾だの自習室だのに行くわけだけど」

「うーん、家の手伝いかな」

「また畑かよ、勤勉だな」

 親が長期出張でおらず、親戚の家に間借りしている設定だ。休みの日は若い人手として田舎で畑をやっていることになっている。限りなく、嘘は言っていない。

「たまには息抜きに遊びに行かんか~」

「話をしながら水をかけるのやめてほしい」

「はいはい。レイトショーの映画を観てこようと思ってんの。金曜」

「今日」

「そう。明日用事があるなら、今晩誘うのは悪いなと思って」

「行くんだ?」

 久賀の後ろに、いつの間にか他の同級生達が現れていて、にやりと笑う。

「行くよ~せっかく夏休みだし息抜きしようよ~」

「息抜きは大事だけどさ」

 裄夜は久賀の水撒きを避けながら聞く。

「何の映画?」

「これこれ!」

 用意のいい連中が、端末画面を突きつけてくる。

 深夜帯のホラー、恋愛物など、画面の表示は様々だ。

「えっ、これみんな違うの観るつもり?」

「そう。現地集合してそれぞれのスクリーンに消え、そしてまた合流してすぐ解散します! 健全!」

「健全なのかなぁ」

 集合場所と時間だけ確認し、即答を避けた裄夜は、昼食を食べに教室に戻ることにした。喋るうちに制服は乾いたし、外は暑すぎる。

「そうだ、土日はほんとに畑か?」

「畑と山かな。しいたけも取ってこないといけないらしくて。原木のやつ」

「おーおー、そりゃ気をつけて行ってこいよー」

 久賀が軽やかに手を振った。

「つうかマジで気をつけてな」

「何で念を押す」

「言霊っていうだろ。気をつけてねって言われたら事故に遭いにくいとか」

「そうなの?」

 だとしても、今晩映画館で会うのだから、週末の安全祈願をするのはその後で良い気がするが。

 いーんだよ、と、久賀は笑った。友達からの命綱ってやつだよ、と。

「成程、フラグってやつ。これも一種の言霊なのかな」

「何言ってるの、裄夜」

 日向に文句を言われ、裄夜は回想を打ち切った。

 さっきから映画館に辿り着かない。塾がある通りから繁華街はそれほど離れていないので、中高生だからとてすぐ補導されるわけではないが、なぜか風体の良くない人に追われたり、話しかけられやすい。ぐるぐると回っては、塾の学生に紛れてみるが、何度やっても映画館が併設された建物に近づけなかった。

 昼間の話を聞いた日向が、じゃあ自分も何か観たいと言い出して着いてきたところからがイレギュラーだったのかもしれない、と責任転嫁していると、日向がもう何本目か分からない飲み物を自販機で買って飲み始めた。

「中津川さんめちゃくちゃ飲んでるけど大丈夫?」

「分かんない……端的にカロリーがあるものがこれしかないって感じの体の動き」

「シズク?」

 術者や怪異絡みの出来事にしてはあまりに地味な「迷子」ぶりだが、何か起きてはいるし、それにシズクが反応しているのなら、やっぱり怪異なのかもしれない。

 何かを警戒して、神経を使っているから、エネルギー補給で食べたいらしい。食べることと警戒とでは、真逆の体の使い方ではあろうが、日向の体ではシズクの動きに追いつかないから仕方ないのだろう。

「今のところ、シズクは警戒していても、キセは出てこないんだよね。そこまで危険はないと考えてもいいのかな」

「何か思いつくことってないの? こういうときにどうしたらいいのか。裄夜が知らなくても、キセが知ってるかもしれないし」

「うーん。僕としては、簡易な札も書けるけど、何が原因か分からないから、どういう種類の札がいいのか思いつかない。追い払うのがいいのか、その辺に縛りつけておいて自分達が通り過ぎたらいいのか、自分達が隠されていればやり過ごせるのか……」

 浩太にも、キセが出てこなくても、キセが持っているはずの知識だけ抜き出せるのではないかと言われたが、それこそ当てのない気がする。触れようとすると、静かな湖面を見つめているような心地になる。綺麗な水鏡。手を沈めても、押し返される。

「とりあえず、試しに隠れてみようか」

 裄夜は日向に一枚、自分用に一枚、白い紙に隠形の依頼を書く。

 これで、街で声を掛けてくる者は居なくなった。

「ねぇ裄夜、友達と合流するために映画館の前で札を破ったら、一斉にやばい人達に見つかって、乱闘にならない?」

「そうかもしれない。結果を先延ばししただけだよね、もうちょっと調べて行こうか」

 二人で、隠形したまま、怪しげな風体の連中を確認して歩く。元々普通の怪しげな人達のようだが、日向が、彼らの着崩れたスーツの袖に、光るものを見つけた。

「これって蜘蛛の糸かな?」

「操られてるのか、養分でも吸われてるのか、何だろうね」

 怪しげな人達は、よくよく見れば一様に、目の下にクマが出て、剣呑な顔つきである。

 探せ、探せ、紛れているものを探せ、と口々に呟いている。

「誰に、何を探せって言われてるんだろう?」

「糸、切ってみてもいい?」

「接触したら、こっちの隠形が途切れるかもしれない」

「もう切っちゃった」

 いい? と聞いた時点で実行に移したらしい。

「中津川さーん!」

「ごめん、許可じゃなくて、やるねっていう予告だったの」

 ふつりと切れた糸を、日向は捕まえたままだ。見知らぬ怪しげな人は、ぼんやりと立ち止まっていたが、やがて見る間に目に光が戻った。自分の格好に気づき、首を傾げながら上着を脱ぐ。

「あのっ、さっき私とぶつかったんですけど、具合悪いんです?」

 日向が裄夜に札を押しつけ、相手に言いがかりをつけて呼びとめた。

 相手はしどろもどろに謝ってくれる。この人物は、元々はただの学生だったらしい。大学生で、アルバイトに出かけた後、途中から記憶がないという。

 気をつけて帰ってねと、日向が見送ると、相手は訳が分からない顔のまま、ぼんやりと帰っていった。

「中津川さん、言霊が上手いのかもしれない」

「え、何で?」

「気をつけてねって言われたら、大丈夫なんだって……そう言ってた奴がいてね」

 しかし、その人物から気をつけてと言われた矢先に、これである。言霊の扱いはちょっと難しい。

「言霊の大変さって、ウタウタイで分かってたはずなんだけどな……」

「よく分かんないけど、糸を切ればいいのは分かったから、切るね」

 札を手放した日向に、怪しげな連中が押しかける。日向は次々に倒していく。裄夜は、糸の元凶の何かに目をつけられないうちに逃げなくては、と逃走ルートを考えたが、日向を誘導するより先に、怒号が降ってきた。

 声の主は、くたびれたスーツ姿の男だ。酔っ払いのようで呂律が回らず、何を言っているのかはっきりしない。

「私が糸を切って邪魔をしたから、怒られてるみたい?」

「そもそも絡んできてたのは向こうの方なんだけど」

 二人で言い合って、切れた糸の先が怒鳴り散らしている男に繋がっていることを確かめる。

「このひとが犯人みたいだけど、探してるのは私達じゃなくて、他の人みたい。邪魔って言われてるみたい」

「うん、何かめちゃくちゃ怒られてるけど、子どもはさっさと帰れって言われてる気がする。これから何かが起きるんですか?」

 裄夜が日向に相槌を打ってから、札を破り、流れるように男に質問を投げかける。

 何か説明してくれているようだが、やはりよく分からない。

「これから映画館に行くんですけど、そこも危ないですか?」

 再び糸を繋がれた人々が、ぬっと立ち上がった。わらわらと集まって襲いかかってくる、かと思いきや、左右に避けた。映画館方面は大丈夫らしい。

 礼を言って、二人は集合場所に向かった。


 集合場所には、数人がたどり着いて立ち話をしながら待っていた。まだ来ていない者もいて、連絡はついたり、ついていなかったりするらしい。

 裄夜達が絡まれたように、あのルートを使おうとした者は通れないでいるのかもしれなかった。

「さっきあっちから来たんだけど、何かあったのか混雑してて抜けにくかったんだよね」

 という話にしてみると、同級生達はそれぞれ他の友人や何かのツテで噂話を集めてくれる。

「裏通りのコンビニで立てこもりがあったんだって」

「何か怪しい男達が仲間割れして、刃物を持った奴が逃走したらしいよ」

 糸を繋がれた人々のことだろうか。刃物を持った者はいなかったが。

「犯人と仲違いした人が、事情聴取されてるんだって」

「犯人は西通りに追い込まれて、そろそろ確保されるらしいよ」

 真偽の程は定かでないが、噂話に真実がわずかなり含まれているとしたら、あの蜘蛛の糸を持つ怪異のような何かが、何かを探していて、そろそろ確保されるのだろう。仲違いした蜘蛛の、仲間。きっとたぶん、裏切り者。


 路地をぐるぐる回りながら、久賀は悩んでいた。このままでは、集合時間に遅れてしまう。

 今晩、この辺りで捕物があるらしいとは聞いていた。塾の帰りに、学生達が噂していたのだ。とある露店に、合格祈願や恋が叶う運命の糸とやらが売られていて、数人はうまくいったが、数人は廃人になったとか。その露天商はこれまで、一度出会った者には二度と会わず、なかなか苦情も届かなかったらしいが、ついに今日、警察が踏み込むという。

 本当に、さっさと捕まえてくれたら良いのだが。そんな露天商が実在するなら。

「しかし、捕まえるにしろ、捕物に一般市民を巻き込まなくてもいいと思うんだが」

 露天商が怪しげな噂に巣食うなら、それを捕まえる連中も怪しげなのかもしれない。さっきから接触する大人は皆どこかおかしいし、おかげで路地をなかなか出られない。

 路地の外で捕物があるのか、路地の中で行うから部外者には出ないで隠れていてほしいのかどうか、よく分からない。規制線を用意するなり、もっときちんとしてほしいものだ。

 次に絡まれたら文句を言おう、と久賀が決めた頃、路地が行き止まりになっていた。

 怪しげな帽子の男が、突き当たりの地面に座っている。

「あっ、お前が露天商か!」

 うんざりした気持ちが、大きな声で出てしまった。久賀が剣呑な言い方をしたせいか、売り物の説明をしようとした男は、バツの悪い顔をして立ち上がった。

「ええい、今日は商売はしない、帰れ帰れ!」

 しわがれた声で脅される。普通なら、逃げ出しただろう。何しろ、男の背中からは、見たこともない程大きな、三対の、節くれた腕が突き出している。その鋭い爪先が、宙をかいた。

 久賀は小さく悪態をつく。

「悲鳴もあげてやれなくて、悪かったな」

 いざとなれば、紙のテキスト等を詰めた鞄で殴ろう、と身構える。受験生の勢いを舐めるな。気迫で押し負けるなど、あるわけがない。強い気持ちが大切だ。映画も観なくてはならない、早く仕留めてやる。

「若者を誑かす悪い輩は、どうしてくれようか……」

 久賀は、何の変哲もない、ただの学生だ。だというのに、露天商を騙る怪異の足が、じりじりと後ろに下がっていく。

 なぜ、と、怪異が自問しているうちに、ビルの壁面まで追い詰められた。元々突き当たりに出店を広げているからだが、こういう詰められ方は想定外だった。

 怪異は、咄嗟に壁を這い上がっていく。人間には、ついて来られまい。ただの人間から逃れられてほっとする思いを、怪異は予想外のことが起きたから仕方ない、と慰めた。

 一方地上で、久賀は鞄を一旦おろした。

「あれは蜘蛛か? 蜘蛛は益虫だから殺すなというし、縁もある、が」

 つつ、と、怪異から久賀の足元に、白くて細い繋がりが浮かぶ。少し手足が引っ張られる感触がした。遭遇当初にやられたのか。操ろうとでもしたのだろうか? 吹けば飛ぶような細さの糸で、けれど、久賀が指で触れてもびくともしない。何かに使えそうな丈夫さだ。思案して指でなぞるうちに、蜘蛛の縦糸のようなそれを、誰かが切った。

「危ないですよ」

 と、制服姿の女子高生が久賀に声を掛けてくる。

 久賀は少し引きつった笑みを浮かべた。

「俺には、そっちの方が危なそうに見えるけどな」

 女子高生は、久賀の視線の先にある、片手に握ったカッターナイフを、軽く振った。

「これは、工作用ですから。ところで、アレなんですけど」

 ビルの屋上まで這い上がった怪異だが、ばさり、と広げられた網によって捕獲された。待ち伏せされていたらしい。網は、普通の、ただの防犯対策用品のようだ。化け物相手だろうに、札だの呪術など関係なさそうに見える、何の変哲もない捕物だった。

 実際、背中の腕と、壁を素手で登っていったこと以外は、ただの違法な露天商と、その捕物である。

 女子高生が、カッターナイフの刃を出し入れして小刻みに音を立てた。

「貴方は、変なものは見なかった、知らなかった。いいですね?」

「いいよ。俺は一般市民だから、見なかったことにした方がいいものは口外しないよう気をつける。あ、でも、アレがここに出た理由くらいはそっちで確認してから、処分なり、山に放すなりした方がいいとは思う。今後同じような事件を起こすのはどうかと思うので」

「余計なことです」

「一般市民なので。そういう設定で暮らしているので、よく分かんないけどちゃんとしてほしいなと思っちゃうのは仕方ない」

「……はぁ。本当に気をつけてくださいね? 向こうは貴方を知らないようです。何かあってからでは遅いので」

 女子高生がいくらか優しげな口調になるが、久賀は無視して路地を出た。一般人なので、怪異と触れ合うような人とは、知り合いではない。そういう設定で暮らしている。


「遅くなってすまん! ちょっといろいろあって!」

「久賀、大丈夫だったか?」

 映画館前で、学生達は合流する。まだ来ていない者もいたが、皆、既に連絡はついていた。

「向こうの通りで変な事件があったらしいけど」

 と、話しかけられたので、久賀は鞄を抱え直して頷いた。

「あったあった、何か露天商が違法営業してるからって、追い回されてた。やっと捕まったって」

 変なものを見たことは黙っていろと言われたが、露天商の話は口止めされなかった。適当に話してしまうことにする。

 騒ぎながら、映画の上映時間が迫ってきたので建物に入る。

 怪異はあって、何事かの気配は蠢いていたけれど、平和ではあった。

 いても、いない。

 そんな日もある。

 神事かみごとにもさまざまあって、当然ながら、土地土地、時代時代で、言い伝えは揺らぎ、変わっていく。

 あったことも、なかったことも、皆、ゆるゆると話し合われ、なかったことになり、あったことになり、一世代二世代前からの聴いた話でしか伝わらなくなる。

 仕様のないことであると、歳を経たものは知っている。もはや先々々代の意向は分からぬ。

 残された神事は省略され、元の形を留めない。

 それは仕方のないことだ。

 人手もなく、伝えもなく、よって多くの祭事は手短かにされ、意味の分かりにくいものは省略され、大ぶりで見映えがよく、持て囃される祭事が生き残る。

 若い者は今しばし悩む。

 さて、これは、この神事は、この言い伝えは、本当にあったことだろうか。本当にやらなくてはならないことか、これほどまでに逃れ得ないものであろうか、強固であろうか。と、若い者達は考える。

 若く、土地を逃れようとする者は考える。

 魂さえも歳ふりて、世俗にのまれがちな中で、ふと気づいてしまう日がある。

 怪異さえ生き残りのために己が存在を言いかえて、言いかえして、するりするりと変わっていくのを、観測して捉え直すのは大変だ。一つの名や場所にはとらわれきらず、さまざまな伝承は容易に混ざる。

 ではなぜ、この土地では、あれを祀ったままなのか。

 もうすぐ忘れ去られてしまうかもしれない場所で、古来そうであると言われている何かのことは、本当に、祀り続けなくてはならぬものなのか。

 我々は、犠牲に、ならなくてもよいのではないか、と。

 いや、ならぬ。

 ざわざわと、歳ふりた声がこれ見よがしに言う。

 ならぬ、ならぬ。残さねばならぬ。解き放ってはならぬ。失ってはならぬ。

 幸いを与えるものは、厄災にもつながっている。

 祀り続けなくては、あるいは、この先に、それは。


 どこから来て、どこへゆく習俗であったのか。

 もう少し、もう少しと先延ばしする。

 それを積み重ねて生き延びる。

 他に手立てはないか。

 じわじわと広がるのは、虚無か諦めか。

 諦めるのはいやだな、と、思った。

 誰も諦めなかったから、ここにいる。

序が短すぎて、なろうの下限にひっかかりましたので、第一章とくっつけました。

とりあえず走り切るキャンペーンです。大幅に改稿されるかもしれません。

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