5.ムスカリ
ボーっとしながら家に帰ると、リビングで晩酌をしている父親に呼ばれた。
「話がある。こっちへこい。」
きっと、仕事の話だ。何でよりにもよって今・・・。
僕は会話する気分じゃなかったが、断ると面倒くさい事になるので、しぶしぶ父親の前に座った。
リビング横に備え付けられているキッチンで、母親が食器を洗いながら、「おかえりなさい。」と無表情で言った。
「就活はどうだ?上手くいっているのか?」
父親は酒臭い息を吐きながら、僕に聞いてきた。
「うん・・・ぼちぼち・・・。」
僕は曖昧な返事をした。あの活動に参加してから、求職活動はしなくなっていた。だが、そんな事言えない。
「そうか。」
意外にもあっさりと父親は言った。もっと色々言われると思っていたので、良かったと胸を撫で下ろした。
「どんな仕事を探しているんだ?」
父親は、また僕に質問をしてきた。
「どういう職種で探しているんだ?」
どういうって・・・僕は返事に困り、また曖昧な言葉を返した。
「色々だよ・・・。」
「そうか。」
またあっさりと父親は言った。
話を早く終わらせたかった僕は、以前星野から聞いた話をする事にした。
「今、バイトしているスーパーで、正社員にならないかって言われてるから・・・。」
まだ主任から直接言われてはいないが、父親を安心させればこの場から解放されると思い、言う事にした。
父親は一瞬、ホッとした顔を見せたが、すぐ険しい顔になって言った。
「スーパーかぁ!大変だと聞くが、大丈夫か?残業も多いし、休日出勤もあると聞くぞ。しかもお前、経験ないしなぁ。前職と同じ職業の方がいいんじゃないのか?慣れているんだし。スーパーなんて、お前には続かないだろう!」
・・・またか。僕はそう思った。いつだって父親は僕を否定する。そう思うと、僕のイライラが限界に達してしまった。
「っ!高校の就活の時もそうだった!僕にはやりたい仕事があったのに、色々難癖付けてきて諦めさせた!結局、無理やりデスクワークの仕事に就かされて・・・父さんの言いなりはもう嫌だ!」
今迄、胸中に秘めていた父親に対しての怒りを、初めてぶちまけた。
父親はそんな僕を見てビックリしていたが、机をバァン!と叩き、眉間に皺を寄せ怒鳴りだした。
「言いなりだって?俺は、お前を心配して言ってやっているんだ!!!なのに、なんだその言い方は!!!」
掌でまた机を強く叩くと、
「お前、今日どこに行っていた!?バイトじゃないだろう!?」
と父親は興奮しながら聞いてきた。
いきなりの質問に僕は、真っ青になってしまった。活動の事は両親には隠していた。知られたくもなかった。まさか、ばれてしまったのだろうか?
僕が沈黙していると、
「隣の駅がある地域に、母さんの妹が住んでいるのはお前も知っているだろう?」
と少し落ち着いた声で父親が言った。
「お前からしたら、叔母さんか。その人が言っていたんだよ、今日お前が歩いているのを見たって。精神障害者とかを集めている怪しい施設に、お前が入って行くのを見たって!!!」
僕の額から冷や汗が流れるのを感じた。やっぱり、ばれてる・・・!!!
心臓をバクバクさせながら、どう返事をしようか考えた。
「一体お前は、そこで何をしているんだ!?」
父親はまた机を叩き、怒鳴った。
活動の事、話してしまおうかー。納得してくれるだろうか。
僕は悩んだが、すぐにそんな考えは消し去った。命令しかしない父親が、あの活動の事理解してくれるはずが無い。そうに決まっている。
話すだけ無駄だ。僕はそう思い、リビングから飛び出して自分の部屋へと逃げた。
「話はまだ、終わっていない!」と叫ぶ、父親の声が後ろから聞こえてきたが無視した。
ベッドに横になると、ぐぅ~っとお腹の音が鳴った。そういえば今日は、ご飯用意されていなかったな。コンビニに行こうと思ったが、両親と顔を合わせたくなかったので我慢した。
「まったく、今日は散々な日だ・・・。」
僕はボーっとしながら、天井を見た。
二階堂といい、相原さんの事といい、立て続けに知ってはいけなかったような話を聞いてしまった。僕はこれから、どうしたらいいんだろう・・・?
今日はなんだか、凄く疲れた。僕はゆっくり目を閉じると、そのまま深い眠りへと入っていった。
次の日目覚めると、もうお昼を過ぎていた。
だるい体を起こし、背筋を伸ばす。お風呂に入ろうと思い、床に捨てられている着替えの服を持って、部屋を出た。
両親は仕事に行っていて、家は僕一人だけだった。
頭がボーっとしたまま、階段を下り、洗面所に入った。
壁に付いている機械の時計を見ると、13時と表示されていた。微妙な時間だ。バイトの時間まで、まだまだある。
服を脱ぎながら、昨日の事を考えていた。今日は元々、活動には参加しない予定だったが、次回の参加をどうするか迷っていた。
父親には活動の事ばれているし、二階堂には興味無いと言われるし、森本には近付くなと言われているし、相原さんは深い悩みを抱えているみたいだし・・・。
昨日一日で色んな事が起こり過ぎて、僕は思わず笑ってしまった。皆、僕にどうしろと言うんだ。
父親は一先ず無視しよう、二階堂とは今迄と同じ様に接しよう、森本は・・・相原さんは・・・。二人の事は、考えてもどうすればいいかわからなかった。森本の言う様に、近付かない方が良いのだろうか。その方が、相原さんの為になるのだろうか。
だけど、相原さんは自分の病を克服しようと活動に参加しているのに、それでいいのだろうか。
僕の思い込みかもしれないが、相原さんは積極的に僕と関わろうとしてくれている気がした。男性が怖くて堪らないはずなのに、体を震わせながら見ず知らずの僕に接してくれた。必死に、一生懸命に、頑張って話を続けてくれた。
それなのに、いきなり僕が冷たくなったら・・・。相原さんの気持ちを考えると、心苦しくなった。僕にはそんな事出来ない。
森本と一度話し合った方がいいかな。あいつの事だ、話し合ってくれるか不安だが・・・。
夕方になり、僕はまだ色んな気持ちを引き摺ったままバイトへ向かった。
仕事中も、ずっと悩んでいた。
いっその事、星野に相談してみようか。僕は考えるのに疲れてしまい、誰かに洗いざらい話し、すっきりさせたくなった。
星野は信用出来る奴だし、話をちゃんと親身に聞いてくれそうだった。父親みたいに、自分の意見ばっかり押し付けたりしない。
休憩時間になり、休憩室に入ると、中にいたレジ担当のおばちゃんと目が合った。
おばちゃんは「お疲れ~」と僕に言うと、すぐテレビに視線を戻した。僕も挨拶を返して、冷蔵庫の中の買って置いたご飯を取り出し、おばちゃんとは少し離れた席に座った。
休憩室の時計を見ると、もうそろそろ星野が来る時間だった。
だが、いくら待っても星野は来なかった。そういえば、最近星野と会っていない気がした。本気で星野に相談しようと思っていたわけではなかったが、今日も来ないのかと残念に思った。
おばちゃんとは話した事は無かったのだが、思い切って聞いてみた。
「星野君、今日もいないんすね~。」
いきなり話しかけられたからか、おばちゃんは驚いた表情で僕を見た。だが、そういう訳でビックリしたのでは無かった。
「あんた、星野君と仲良かったのに知らないの!?」
と目を見開いたままおばちゃんは言った。
僕は何の事かわからず、え?と口にすると、おばちゃんはテレビを消して
「星野君、辞めたのよ。」
と言った。
星野が辞めたのは、三週間前だった。
星野は子供の時から動物が好きで、動物と接する仕事に就きたいと、高校も専門へと入った。だが、急に動物に対してアレルギーが発症し、夢を諦めるしかなかった。
その後、親の言うがまま普通の大学に入るが、やりたい事も見付からず、大学にも行かなくなった。
色んなバイトやボランティアをしながら、流れのままに過ごしていたある日、星野は水族館へ行った。そこで星野は魅了され、やりたい事を見付ける事が出来た。
今度こそ夢を叶える為、勉強に打ち込もうとバイトを辞めたみたいという話をおばちゃんは教えてくれた。
僕は全然知らなくて、あ然としながら聞いていた。
何故?
星野は何故、僕に辞める事を伝えなかったのか。何故急にいなくなってしまったのか?そんな疑問が、ぐるぐると頭の中を巡った。
ここでは誰よりも仲良かった。なのに星野は、僕には辞めるなんて一言も言ってくれなかった。しかも、星野が辞めてからもう三週間も経っている。他の人は星野の退職を知っているのに、その理由も知っているのに、僕は今迄何も知らなかった!!!
ショックよりも、裏切られた気がして段々と腹が立ってきた。
おばちゃんはそれに気付いたのか、
「大丈夫?」
と心配そうに聞いてきた。きっと溢れ出る感情が、顔に出てしまっていたんだろう。
「はい・・・。」
怒りを必死に抑えながら、僕はなんとか返事をした。
「仲良かったから・・・、言いにくかったのかもね。」
おばちゃんが励ます様に言ってくれた。僕はおばちゃんに申し訳なくなり、お礼を言って休憩室から出た。
作業に戻り集中しようとするが、まだ星野への怒りで頭がいっぱいだった。
いくらなんでも、非常識過ぎないだろうか?もしかして馬鹿にされていたのか?だいたい、最近こんな事ばかり僕に起きている。二階堂と言い、森本と言い、相原さんも・・・。僕は何も知らずに、一人勝手に舞い上がって嬉しそうにして、・・・本当恥ずかしい。もう嫌だ、何もかも。消えてしまいたい。
・・・・・・・・・・・・。
僕はある事に気付き、作業している手を止めた。
「なんだ僕も同じだ・・・。」
僕だって二階堂や森本、相原さん、星野や家族に自分の事を話していなかった。なのに自分が同じ事されたら裏切られたと、他人を責めるばかりだった。
自分の事は自分にしかわからない。他の人に知って貰いたいなら、言わなきゃ伝わらない。当たり前の事だ。
それを知って欲しくないと何も話さない僕に、自分自身の事を話せるわけがない。特にプライベートな事は、言えるはずがない。仲が良いなら、なおさら言いにくいだろう・・・。
自分の情けなさに自然と涙が零れそうになり、そっと腕で拭った。
僕は何もわかっていなかった。わかろうとしていなかった。いつだって自分の事ばかりだ。
星野が何故何も言わずにいなくなってしまったのか、なんとなくだが理解出来た。言いたくなかった訳では無いと思う。何か事情があったんだ。
二階堂も森本も、僕に言いにくい事ちゃんと話してくれた。とてつもない勇気が、必要だったと思う。
相原さんも、頑張って僕と仲良くしてくれていた。笑ってくれた。
父親も、僕が心配で怒っていたんだ。
どうすればいいかなんて、答えは簡単だった。
バイトが終わり家に帰ると、父親がまたリビングで晩酌をしていた。僕がリビングの扉を開けても、テレビの方をしかめっ面で見ていたままだった。
「父さん、僕にはまだどんな仕事に就きたいかわからないけど、絶対に就職して、二人に心配はかけないから、もう少し待っていて欲しい・・・。」
そう父親に告げ、僕は自分の部屋へと向かった。父親の反応は無かった。
母親が、僕の部屋の前で本を抱えて立っていた。
「・・・おかえり。ほら、これ。」
母親は僕を待っていたみたいで、持っていた本を僕に見せた。本には発達障害と書かれていて、
「父さんだってあなたの事、ちゃんと思っているんだからね。それだけは、わかって。」
と言い、その本を持って階段を下りて行った。
「・・・・・・。」
父さんも僕の事、わかろうとしてくれたんだ。自然と笑みがこぼれた。僕の父親は、そんな事する様な人では無いと思っていたから。
素直に嬉しかった。