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サクラソウ  作者: 納豆樹
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3.プリムラ


 二週間後、僕はまた心理療法研究所(仮)の施設に来ていた。施設は午後三時から開いているが、授業等は一時間後の四時からだ。今日から活動に参加する事にした僕は、準備の為に授業の始まる40分前に来るように言われたのだった。

 前回同様にインターフォンを押し、担当の荒井さんが出てくる。荒井さんはにこやかに微笑みながら、僕を出迎えてくれた。玄関に行くと、内履き用の白いゴムで出来た靴を渡された。踵には黒マジックで僕の名前が書いてある。外靴を脱ぎ、それを履くと

「履き心地どうですか?」

と荒井さんが聞いてきた。

「ちょうどいいです。」

僕は床につま先をとんとん当てながら答えた。

 前回は左手の靴置き棚に外靴を入れたが、そちらは来客・先生・事務員用と決まっていて、今回は参加者用の右手の棚に片付けた。左手の棚には、もう先生等は来ているのか外靴がたくさんあったが、右手の棚には外靴は二、三足しかなく、内履きがたくさん並んでいた。参加者はこれからぞくぞく登校?してくるのだろうか。

 僕は緊張しながら中に上がった。

 

 まだ誰もいない静かな教室の横を通り、体育館に向かった。奥に男女に分かれた更衣室があった。

 荒井さんはノックして、誰もいない事を確認してから、男子更衣室の扉を開けた。

 少し埃っぽい室内は、照明無しでは薄暗く何かが出そうな雰囲気だった。荒井さんは、入り口横にある照明のスイッチを押し、中に入った。ちかっちかっと、何回か付いたり消えたりしながら、照明は室内を明るく照らした。幅2メートルほどしかない細長い室内には窓が無く、両脇にたくさんのロッカーが二段になって置かれていた。

「ここが海原さん用のロッカーです。」

海原と名前が書かれたシールが貼ってあるロッカーを荒井さんが開けた。ロッカーの中には参加者が着ていた服が入っていた。

「必ず来たら、ここでこの服に着替えて下さい。帰りは忘れずに、ちゃんと私服に着替えて帰宅して下さいね。」

荒井さんは冗談っぽく言って、はにかんだ。

「あと、ロッカーは鍵がかからないので貴重品は入れない様に。着替えのみ入れて下さい。手荷物はそのまま教室に持って行って、肌身離さないようにして下さいね。」

そう言うと、荒井さんは更衣室から出、扉を閉めた。

 僕は、用意された服に手を伸ばす。ロッカーの中には、ジャージに似た紺色の上下長袖の服と、体操服の様な白い半袖Tシャツが入っていた。とりあえず、全て着てみる。が、夏が近い今日、少しばかり暑いので、上の長袖の服は脱いでおく事にした。

 服のサイズは参加希望の紙に書いていたので、ぴったりだった。

 ロッカーの中は狭く、ハンガーにTシャツを掛けて入れれたが、ズボンは畳まないといけなかった。私服を入れ、ロッカーの扉を閉める。

  奥の壁に、全身が映る鏡が立てかけてあった。ぴかぴかの新しい半袖と長ズボンを着用した僕が映る。高校生に戻ったみたいだ、となんだか可笑しくて笑いそうになるのを必死で堪えた。

 照明を消し、更衣室から出る。荒井さんにこの姿を見せるのが少し恥ずかしかったが、荒井さんは僕を見て、

「サイズぴったりですね。」

と優しく微笑んだだけだった。この姿には慣れているんだろうなと思いながら、荒井さんと共に教室に向かった。

 

 僕は、小学校組のクラスを選んだ。保育園組はプライドが、崩れ去ってしまいそうな気がしたからだ。

 教室に入ると、二人参加者が来ていて、席に座っていた。

「海原さんの席はこちらですね。」

荒井さんに言われ、席に座る。机の横にフックがあり、そこに鞄を掛けた。

「机の中に必要な筆記用具は入っていますが、無くなったら先生か事務員に伝えて下さいね。では、わからない事がありましたら、事務室までお願いします。」

荒井さんはそう言うと、教室から出て行った。

 教室の時計を見ると、授業までまだ20分くらいあった。机の中を見てみると、プラスティックの四角いケースの中に鉛筆が数本と消しゴムが二つ入っている物と、下敷き、ノート、少し汚れている教科書が入っていた。僕は、学生だった頃を思い出し懐かしいなぁと思った。

「新入り?」

 いきなり声を掛けられ顔を向けると、二つ隣の席に座っている青年がこちらをにこにこしながら見ていた。

「あ、はいっ!海原です。よろしくお願いします。」

「海原君ね、僕は二階堂。よろしく。」

 二階堂は肩までありそうな金髪の髪をゴムで一つに纏めていて、端から見ると不良っぽかった。でも、喋り方はしっかりとしていて、穏やかな雰囲気を出している。目は見えているのかわからないほど細いが、端正な顔立ちをしていた。モテそうだなと僕は思った。

「窓際に座っているのが、永山さんね。」

 二階堂に言われ窓の方の席を見ると、長髪の黒髪の女性が座っていた。その女性は、机のノートに向ってぶつぶつ呟きながら何かを書いていた。少し暑いのに長袖のジャージを羽織っている。

「人見知りでヒステリックな所があるけど、いい人だよ。だけど、今は話しかけない方が良いね。」

と二階堂は小声で言った。

 授業が始まるまで、二階堂とずっと話していた。二階堂は意外にも僕より年上だった。僕と同じでフリーターをしているらしい。とても感じの良い人で、僕はホッとした。


 授業が始まる10分前になるとぞくぞくと参加者が教室に入ってきた。二階堂は一人一人に挨拶と僕の紹介をしてくれた。

 僕より、一ヶ月前に参加したばかりなのに皆とコミュニケーションを取れている二階堂を見て、思わず凄いなぁと口に出していた。二階堂は?な顔をしてから言葉の意味を察して、

「ずっと接客業していたおかげかなぁ。」

と笑った。

 気さくで皆から人気のありそうな二階堂。だが、何か抱えているからこれに参加しているんだろう。僕はその何かが気になったが、聞く事は止めた。

 

 もうすぐ授業が始まる。壁に貼ってある時間割を見た。一時間目は、国語4となっていた。小学生レベルの国語をするんだろうか?と思いながら、国語4と書かれたテープが貼ってある教科書を机の上に出した。その教科書の横のタイトルには、国語小学校四年生と書いてあるのが見えた。

 

 まだ時間があるので周りの参加者を見ると、年配の男性や女性、僕と同じくらいか若い様々な年代の人が授業が始まるのを待っていた。優しそうな、暗そうな、気難しそうな・・・。だけど、怖そうな人はいない。ほっとしながら、時計を見る。後、二分ー。

 僕と二階堂との間の席の人はまだ来ておらず、所々席が空いていた。席は15人分あるが、今いるのは10人くらいだろうか。この後の授業から来るのかもしれない。

 二階堂のおかげで今いる人達との挨拶はすんなり出来、緊張も解れていたが授業開始時間が近付くにすれ、また心臓の鼓動が早くなっていた。大丈夫、大丈夫と震える手を擦りながら、また時計を見た。

 ガラッと勢いよく、教室の扉が開いた。淡いピンク色のワンピースを着た、長身のスレンダーな女性が教室に入ってきた。僕が机に出しているのと同じ教科書を教壇に置くと、軽く一礼して挨拶した。

「皆さん、こんにちわ。今から国語4の授業を始めます。担当の西塚です。よろしくお願いします!」

女性らしい高い声が教室に響いた。淡々とした喋り方からして、サバサバしている性格の様だ。

「こんにちわ。よろしくお願いします。」

と参加者も一斉に言った。僕も遅れて、ちわっと軽く挨拶した。

「まず、初めに教科書23ページの音読をしましょう。開いて下さい。」

西塚さんは皆の顔を見ながら言い、その後教科書を開いた。僕も教科書を開く。小学生の頃に習った、懐かしい童話がそのページには載っていた。

「最初は黙読しましょう。」

西塚さんがそう言うと、皆教科書を凝視し始めた。

 何分か経ち皆が顔を上げると、

「では次は皆と合わせる様に、音読しましょう。  さん、はい。」

と西塚さんは参加者達に言った。皆、声を出して読み始める。

 全て読み終えると、

「では次はバラバラで個々好きなスピードで音読して下さい。 さん、はい。」

と言い、皆バラバラに音読し始めた。早口の人、ゆっくりな人・・・。皆の声に気が向いていると、僕がどこを読んでいたのかわからなくなってしまった。

 皆が読み終えた頃に、西塚さんは

「ひっかかってしまった所や読みにくかった所には線を引きましょう。その線の部分がスラスラ読める様になったら、消しゴムで消して下さいね。」

と言った。

 僕はケースから先が尖がっている鉛筆と定規を取り出し、読みにくかった所に線を引こうとした。しかし、薄らとその部分に線の跡が付いているのに気が付いた。

 この教科書、リサイクルって言ってたな。何回もここで使っているんだろうか。同じ所が読みにくかった人がいるんだ。とその人に勝手に親近感を持ちつつ、その跡をなぞる様に線を引いた。

 その後は同じページの音読を何回かし、漢字の問題を解いたり、字を綺麗に書く練習をしたり・・・。材料は小学校低学年レベルだが、小学校の授業とは内容が違う変わった授業を受けた。

 

 夜7時まで、間間に数分の休憩を挟みながら、国語に算数に音楽と、約三時間授業を受けた。

 どれも小学生レベルだが、大人でも勉強になる授業の仕方をしていた。相手は皆大人だし、社会復帰や心理療法を目的にしているので小学生と同じ授業じゃ意味は無いのだが。授業で使う物も本格的ではない物ばっかりだったが、思っていたより楽しんで受ける事が出来た。


「10分くらいになったら、着替えに行くといいよ。保育園組の人達が先に着替える決まりなんだ。」

 二階堂が、筆記用具を机の中に片付けながら僕に言った。

そういえば廊下から、話し声や足音が聞こえる。

 同じ教室の参加者を見ると、じっと座って順番を待っている者や、仲良い人と話している者、ウロウロ教室を歩き回っている者など・・・個々好きな様に時間を潰していた。

 

 何分か経つと一人、二人と教室から出て行き、

「もうそろそろ行こっか。」

と二階堂に言われ一緒に更衣室へと向かった。

 二階堂と話しながら体育館に入ると、誰かに見られている気がし、周りを見渡した。

 男子更衣室の前に、着替えを済ませた若い男の子がヤンキー座りをしていた。

 その子は、粋がった中学生が着る様な服を着ていて、黒の短髪で背も低そうだったからか、随分幼く見えた。何故だかわからないが、物凄い迫力で僕を睨んでくる。

「僕の事、凄く睨んでいるんだけど・・・。」

僕が二階堂に耳打ちすると、

「あの子、講師や事務員の方でも、新しい人が来るといつもああなんだ。保育園組の子なんだけどね。ええっと・・・、名前は確か・・・あの子と一緒に行動している女の子が”カズくん”って呼んでたなぁ。まぁ

、気にしなくていいと思うよ。」

と苦笑いしながら言った。僕はなるべく目を合わせない様に、足早に更衣室へと向かった。


 更衣室に入ると、数人が黙々と着替えていた。室内はとても狭いので邪魔にならない様に、端っこで僕は着替えた。

 二階堂のロッカーは下部の並びにあったが、僕のすぐ近くにあった。二階堂も僕の近くで、服を脱ぎ始める。

 ロッカーの順は参加順なのかな?と僕は、ふと思った。だとしたら、入り口近くのロッカーを使っている人は古参だ。だが、今はそれらしき人物はいなかった。


 着替えを終え、更衣室から出ると、先程の男の子はいなくなっていた。さっきは誰かを待っていたのだろうか。

 柵門がある所まで二階堂と行き、そこで別れた。二階堂はこの付近に住んでいるらしい。僕は一人で駅へと向かった。

 外はもう暗闇に包まれている。ぽつぽつ立っている外灯の光で、ぼんやり周囲が見える。参加者らしき人も何人か、同じ方向に歩いていた。

 静寂の中、歩く音と遠くを走る電車の音だけが聞こえる。

 次は来週参加する事にしているが、その日二階堂はいないみたいだった。今日は二階堂のおかげで、すんなりと上手く過ごす事が出来たが・・・。

 男相手に寂しいなんて気持ち悪いよな、と僕は思いながら薄暗い道を歩いた。


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