2.アネモネ
「ここか。」
僕は一駅離れたとある場所に来ていた。その場所は、窮屈な住宅街を抜けた所に在った。周りは手入れされているのか、草すら生えていない、何も無い空き地が広がっており、ところどころ売地の看板が立っている。そこにぽつんとその建物は建っていた。見るからに使っていない保育園を改装した様な、一階建てで横に長く伸びた古い鉄筋コンクリート造りの建物だった。
スマートフォンをポケットから取り出し、地図アプリを開いて場所を確認する。この建物で間違いない。なんだか異様な感じがして、僕は来た道を引き返したくなった。
建物はコンクリートの壁に周りをぐるりと囲まれていて、中が見えない様になっている。敷地内への入口らしき所には、横に引くと動く鉄製の黒い柵門があった。柵門の取っ手には、”○○法人心理療法研究施設(仮)入口 御用のある方は左のインターフォンを押して下さい”と、黒マジックで書かれた木のプレートが架かっている。左の方を見ると、コンクリートの壁に、銀色の四角い郵便受けと、カメラが付いたインターフォンが取り付けられていた。
僕は緊張しながら、インターフォンをゆっくりと押した。ピンポーンとインターフォンは小さな音で鳴り、暫くすると建物から一人の女性が出てきた。清楚な格好をした女性はこちらへ駆け寄ると、「こんにちは~」と笑顔で微笑んだ。とても優しそうな、感じの良い女性だった。
「こんにちは。」
と僕も返し、
「今日、施設見学の予約を入れた海原と申しますが。」
と女性に言った。
「海原様ですね、遠い所からお越し下さいまして有難う御座います。担当の荒井です。宜しくお願いいたします。どうぞお入り下さい。」
と荒井さんは言い、柵門を開き僕を敷地内に入れた。
荒井さんは柵門を閉めると、建物の入口に向かって歩き出した。僕も後に付いて行く。
「~~~~~~♪」
合唱している様な声がかすかに聞こえてきた。荒井さんは振り向き、
「今、音楽の授業をしているんですよ。」
と言った。授業って・・・。
3日前、僕は思い切って心理療法研究施設(仮)の施設見学に電話を掛けた。なぜ、そう思い立ったのか、自分でも理由はわからない。紙に書かれていた”あの頃に戻ってみませんか?”というフレーズが、何故か頭から離れなかった。
電話を掛けた時、出たのは荒井さんではなく、もう一人の担当の新山さんという方だった。その人も、優しい声の落ち着いた話し方をする人だった。
電話で説明を聞くより、実際見た方がわかりやすいとの事だったので予約を入れる事にした。その時、話し声から伝わってくる新山さんの優しさで、知らない内に乗せられてしまっていたのかもしれない。
通話を切った後、僕は少しばかり後悔した。何でこんな意味不明な所に電話をしてしまったのだろうか、と。けれど、もう一度電話を掛け、予約キャンセルするのも気が引けた。なるようになれ!、と僕は考えるのを止めた。
そして今日、その意味不明な所に足を運んだのだった。
ガラスでできた扉を引き、玄関内に入った。さっきよりも合唱の声が、はっきりと聞こえる。
壁際に靴が並んでいる棚が左右に設置されていた。
靴を脱ぎ、茶色の床タイルの上に敷いてある簀子に上がる。荒井さんの言うがまま、脱いだ靴を目の前の棚に入れ、用意してあった黒いスリッパを履いた。
僕が靴を入れた棚には数足しか靴が並んでおらず、もう一つ設置されている棚にはたくさんの靴が入れられていた。女性物のサンダルや男性物の革靴・・・様々な靴が並んでいる。その棚の上段には、踵に黒マジックで大きく名前が書かれた内履きの様な白い靴が、何足かばらばらに置かれていた。
棚の横の壁には、”履き間違い注意!廊下は走らない!”と赤ででかでかと書いてある張り紙がしてあった。本当に学校の様な雰囲気だった。
玄関から左手に、フローリングの廊下を歩く。内壁は木の板で出来ていて、外観と内観では印象が違った。横一列に続いている窓からは眩しい太陽の光が差し込み、照明が付いてなくても十分明るかった。
荒井さんは、玄関横にある部屋の扉の前に立ち止まり、引き戸を引いた。扉の上部に事務室と書かれたプレートが付いている。
荒井さんの後に続き、僕も中に入った。室内は廊下と同じフローリングの床で、周りは白い壁に囲まれていた。手前に焦げ茶色のテーブルが置かれていて、それを挟む様にしてパイプ椅子が2脚、向かい合わせて置いてある。室内の奥は、薄ピンクのカーテンで目隠しされていて見えないが、人の気配は無さそうだった。
「どうぞ。」
と、荒井さんはパイプ椅子を引いてくれて、僕はそこに座った。反対側の椅子に荒井さんも座り、話し始めた。
「改めまして、荒井です。本日は宜しくお願いします。まずは、施設の説明から・・・」
この施設は、○○法人というボランティア活動を行ったり支援したりする団体が所有者で、ここでは精神障害者や発達障害など、生きる事に苦痛を感じている人の為に心理療法の一環として活動を行っている。
約半年前から活動を始め、今は30人ほどの参加者がいて、中には同じ様な悩みを持った人と触れ合い、引き籠りから社会復帰出来た人もいる。
施設が休みの日以外、開いている時間内であればいつでも参加出来て、日常生活に負担がかからない。もし参加を止めたくなったら、何も言わなくても勝手に止めれるとの事だった。
施設で何をするのかというと、保育園組と小学校組と2つのクラスに分かれ、実際の保育園や小学校で行っている幼少期の授業や遊びを体験するらしい。保育園組だったらお絵かきや童謡を歌ったり、小学校組は道徳や家庭科などの授業を受けたりと、大人でも出来る様な事だ。
授業を担当する先生は、講師を目指している方や引退された方などがボランティアで行っている。
参加費は、この施設で着用する物の代金と調理実習時の材料費のみだった。教科書や机・椅子など、授業を受けるのに必要な物は、使わなくなったのを無償で譲って貰ったりしている。
荒井さんから一通り説明され、次は施設見学をする事になった。
本当にそんな活動で心理療法になっているのか謎だったが、これに参加して、同じ悩みを持つ仲間が出来るのは大切な事なのかもしれないと思った。そして、そんな仲間達と一緒に集い、同じ活動を行うというのはとても楽しい事なのかもしれない。いつの間にか、毎日生きるのが楽しくなっていって、辛い事も耐えられるようになり、社会復帰も出来るという感じなのだろう。
荒井さんと共に事務室から出て、また玄関の方へ向かった。こちら側は事務室しか無く、玄関から入って右手側に教室が固まっていた。
玄関の前を通り過ぎると、”保育園組”と書かれたプレートが扉上部に付いている教室が見えた。その教室の廊下を挟んだ向かい側には、男・女それぞれのトイレがあり、その横には手洗い場が奥の部屋の入口までずらっと並んでいた。
「後ろの扉から覗いてみましょう。」
と荒井さんに言われ、後部扉に向かう。
前の扉はガラス窓が付いておらず、覗く事は出来なかった。
教室の廊下側の壁も、上部に太陽の光を取り入れる細長い窓が付いてはいるが、人の目は届かない高さにある。その窓の下には掲示物を飾る板があり、その下も木の壁で中の様子をうかがう事は出来なかった。
後ろの扉には小さなガラス窓が付いており、緊張しながらそっと中を覗いた。事務室と同じ様な造りの室内は、普通の学校の様な教室で、前に黒板、後ろには掲示板があった。
掲示板には、動物をテーマにしたらしい絵がたくさん無造作に貼られていた。外側の壁には横一列に窓が付けられており、外から見えない様に薄ピンクのカーテンが全て引かれている。
今はお絵描きタイムなのか、10人くらいの参加者が周りの人と机をくっつけ合い、一生懸命、机上の白い画用紙にクレヨンで何か描いていた。僕より年上そうな男性や女性、高校生くらいに見える若い子など参加者の年齢層は様々だった。
その人達は皆、体操服の様な同じ服を着ていて、なんだか異様な雰囲気を醸し出していた。幼くも無い人達が学校の様な教室で、他の人とかたまってクレヨンでお絵描きしているという光景は、僕にショックを与えた。
「一人だけ、違う服装の方がいらっしゃいますよね?あの方が、今日のこの組担当の先生です。何年か前まで保育園で働いていらっしゃった、ベテランなんですよ。」
と、 集団の中に一人だけ違う服を着た年配の女性を見て、荒井さんは言った。
その人は、他の参加者と同じ様に楽しそうに絵を描いている。優しそうな人だ。
この教室にはその人より年上の人はいなさそうだったが、担当は日によって変わるらしいので、自分より年下の人が担当になる事だって有り得る。つまり、自分より年下の人に、子供を相手に指導する様な感じで接せられるという事だ。それって凄い屈辱だ・・・僕は不安を感じた。
「次の教室は、小学校組です。」
荒井さんに促され、保育園組隣の教室に視線を移す。扉の上部に”小学校組”のプレートがあった。
こちらも後部扉のガラス窓から中を覗いた。
教室の造りは保育園組と同じだった。後ろの掲示板には、絵ではなく、習字で半紙に一文字書いたものが、綺麗に並べて貼られていた。書かれた文字は「夢」や「星」などよく目にする様なものから、「酸」など何故それを選んだのか、変なものまであった。
参加者達は一人一人並べられた机に向かい、黒板前の教壇に立つ先生の話を静かに聞いていた。そして、たまに机に広げられたノートに何か記入していた。
こちらの参加者達も様々な年代の人がいて、保育園組と同じ服を着ていた。
担当の先生は僕の父親と同じくらいの年代の人で、刈り上げた髪に服はポロシャツ、ジャージと熱血体育教師の様な人だった。
「今はメンタルトレーニングに関する授業をしていますね。あの先生は、大学で講師もなされてる方です。凄く、勉強になりますよ。」
と、荒井さんは言った。メンタルトレーニングという言葉に、少し興味を惹かれた。
小学校組の教室の隣には、図書室があった。図書室といっても物置くらいの広さで、小規模だ。
一つしかない扉に付いている窓から中を見ると、何人か床に座ってそれぞれ本を読んでいた。その人達も、教室で授業をしていた参加者達と同じ服を着ている。
この部屋には机も椅子も無い為、皆地べたで読むのしかないのだろう。座布団みたいな物も用意されているが、使っている人はいなかった。
四面本棚に囲まれていて、窓も無いせいか、少し圧迫感を感じた。本棚は、上から下まで本が敷き詰められていて種類が豊富そうだった。
「ここの本達も、中古本など無償で戴いている物で色んな本がありますよ。授業を受けなくても、ここで本読んでいるだけでも構わないです。」
荒井さんが言った。
授業に参加せずここで本読んでいるのは、きっと他人とコミュニケーションが取れないか、それが面倒くさい人達なんだろうな・・・。その気持ちに少しだけ、僕は共感していた。
廊下を挟んだ図書室の向かい側には、調理室があった。調理室を使う授業を今日はしていなかった為、荒井さんは鍵を開け、中に僕を入れてくれた。油の匂いが微かに残っていた。
部屋の中には、白色の四角い大きな調理台が4つあり、それぞれに洗い場とコンロ2つが備え付けられていた。
前方には黒板があり、黒板の前には先生用の大きな長方形の調理台がある。
左側のカーテンが引かれていない窓の方からは、眩しい太陽の光が差し込み、白いコンクリートの床に反射していた。窓とは逆の位置にある壁には食器棚が並べてあり、その横の何も無いスペースには今まで作った料理の写真が貼られていた。どれも美味しそうだった。
「調理実習を受けるには、事前に食材等の費用が必要になりますので注意して下さいね。保育園組、小学校組合同で行われますが、大人気で参加者も多いので材料費はそんな高額にはなりませんよ。」
と荒井さんは説明してくれた。
料理かぁ・・・。ずっと実家暮らしの僕は母の手料理か外食がほとんどで、自分で作った事なんて学生時代の調理実習だけだった。
現在、スーパーの惣菜製造場でアルバイトをしているが、掃除や売り物の値引き作業が主で今だ調理には関わっていない。そういえば、店長が繁忙期には僕にも調理を手伝ってもらうって言ってたなぁ・・・と思い出しながら、次の教室へと向かった。
調理室の隣、図書室の隣でもあるのだが、突き当りには体育館があった。こちらも小規模で、10人くらいでドッジボールなどするにはちょうどいい広さだった。
入学式や全校集会時などに校長先生が立つステージも、バスケットコートも無く、公民館の室内広場みたいな感じだった。
「これで施設見学は以上となりますが、質問は御座いますか?」
と荒井さんが聞いてきた。
「いえ・・・思っていたより学校っぽくて、びっくりしました。」
僕の返事に荒井さんは微笑みながら、一枚の紙を差し出した。
「もし、参加希望であればこちらの紙を郵送でもいいので送って下さいね。海原さんのご参加をお待ちしております。」
僕がその紙を受け取ると、荒井さんは深々とお辞儀をしてくれた。僕もお礼を言った。
その日の夜、僕はベッドに仰向けになりながら、昼の事を思い出していた。今日と明日はバイトを休みにしてあるので、ゆっくり出来る。
事務員の荒井さん、良い人だった。参加者達も生き生きしてるという訳では無かったが、楽しそうにしていたように思う。
気持ちが揺らいだ。参加してみようかなという、気持ちが湧いてきた。
けれど参加者達は皆、色んな悩みや精神病を抱えている。対して僕は、軽度の発達障害。
生き辛さは凄く感じてはいるが、参加してもいいのだろうか・・・。
いや、だからこそだ。これから進む道のヒントを得る為に、参加してもいいんじゃないか。事務員さんもお待ちしておりますと言っていた。
よしっ!と僕は決意をして、机に置いてあったボールペンを取った。