司法試験に落ちるということ
司法試験に落ちた。
合格発表の時間はバイトをしていた。
パートのおば……お姉さんたちから「裏行って見てきていいよ」という優しい言葉をもらって有難くスマホを取り出した。
電源を入れてネットを開いて、合格者の番号がずらりと並ぶpdfを開く。
一度見て、
ああ、ないな。
と、どこかわかっていたことのように受け止めた。
もう一度見て、
やっぱりないな。
と、ああまさかそんな、いや、ワンチャンあったんじゃ、なんてぐるぐる考えて、
深呼吸して、
そっとスマホの電源を落とした。
「あと一年お世話になります」と周りに報告すると、
残念だったね、
来年は受かるよ、
などと声をかけてもらい、
上司からは「よかった! 助かる!」と、もう少し言いようがあったのではないかという反応をもらった。
夜に父から「君の番号はどこにあるんだ」と聞かれ、
「ないよ」と答え、謝罪した。
母が「私が不甲斐ないばっかりに」と泣きそうになっているのを見て、胸が痛んだ。
自分はとんだ親不孝者だ。
落ちてすぐは「まあそうだろうな」「あと八か月頑張るか」「予備校申込みに行かなきゃ」と達観と前向きが併存して、
徹夜明けのハイテンションのようだった。
数日たって、色んな人に落ちた報告をするたびにじわじわと毒が回り、
受かった同期が合格祝賀会やイベントへ行くのを見送るほどに、どんどん、どんどん、どす黒い気持ちが増えていった。
なぜ受からなかったのか。
努力が足りないのは客観的に分かっていた。
それでも主観的にはできることはやったつもりだった。
受かりたかった。
無能の烙印を押された気がした。
接客バイトをしていなければ病んでいたと思う。
働いて、人とふれあって、「ありがとう」を言い合って、それによって承認欲求が満たされているのは明らかだった。
落ちた同期が「泣きすぎて頭が痛い」と連絡してきた。
少しだけ、羨ましかった。
彼はまだ泣き方を覚えている。
ちゃんと人間なんだ、と。
この「あと4階コンティニューできるドン! ~司法試験2016~」は次の記事でおしまいです。
短答の成績と一緒に論文の成績を載せる予定です。