2 封印の理由
再び自転車にまたがった美和は、当たり前のように荷台に立っている斯鬼を一瞥した。
いつもいる霊が居なくなったことに、気味の悪さを感じたが、今の優先順位は遥を探すことの方が先だ。
「根こそぎ食われたって、どういうこと?」
ブレーキをかけ速度が上がりすぎる坂を下りながら、美和は話の続きを問いかけた。
「どういうって言われてもそのままだろ。俺たち物の怪は霊力が原動力だからな。基本的にその辺に霊が居たら、俺だって食うよ」
「でも今まであんなごっそり何かが居なくなるなんてこと、なかったわけだし」
「腹減ってたんだろ」
簡単な答えだったが、そう言われてみれば納得できる気がする。だが同時に今までそのようなことはなかったはずだと、疑問も生じる。
「なんでそんなお腹が空いてたんだろ。もしかしてお前が食べた?」
「俺じゃねぇよ。俺は基本女しか食わねぇし」
「なんで?」
「そりゃ霊力が男よりも多いからさ。特に乙女ってのは未だ霊力を誰にも分け与えてねえ状態だから、うめえし量もあるしな」
病院でも若い女の子の死霊を選んでいた気がいする。とくに興味も見せずに、適当に相槌をうった。
「それはそうとさっきの話だけど、取り戻したいものの場所は分かってるの?」
「お前の通ってる学校」
さらりとした言葉に、美和は驚いて後ろを振り返った。少しバランスが崩れて、慌てて前を向く。
「学校のどこ?」
「校門入ってちょっと奥んとこ。クスノキの下敷きになってる」
「下敷き? 何だってそんなことになってるわけ?」
美和がおかしそうに笑うと、斯鬼は美和の肩に腕を乗せて、体に覆いかぶさってきた。
「笑い事じゃねぇんだよ。こっちは何百年とそこに封印されてたんだぞ。クスノキにゃ霊力吸われるわ、その場から動けないわで、散々だったんだからな」
「探し物? 封印? ちょっとまってよ。それってどういうこと?」
近い斯鬼の顔を片手で押し戻してから、遥は疑問を口にした。斯鬼は少し言いにくそうに顔を上げて肩をすくめたようだ。
「探し物ってのは、鬼核って宝石だよ。人間とはちっと違うが心臓みたいなもんで、そいつを人間に封印されちまったんだよ」
「そうなんだ。でもどうして封印なんてされたの?」
興味本位に尋ねてみると、強い後悔があるらしく重苦しい声で告げた。
「ものすごい美人の姫さんがいたんだよ。長い黒髪に少し色の薄い瞳、真っ白ですべすべの肌をしててな。その姿があんまり綺麗なんで、俺食っちゃったんだ」
ふぅんと気のない相槌を打ちかけた美和だったが、不安に眉を寄せた。
「その食っちゃったっていうのは?」
「文字通り霊力だけじゃなく、肉と血も全部美味しくいただいたってこと。でも、そしたら陰陽師につかまっちまって、そのままあの場所に封印されちまったんだ。こっちは腹いっぱいで気持ちよく寝てたってのに、不意打ちもいいところだよ」
不満だと語る斯鬼だったが、美和にとってみれば今荷台に乗せている男が、角の生えているままに鬼なのだと、改めて気が付いた。もともと鬼というもの自体が、あまり良いイメージではない。それどころか悪い者の代名詞ともいえる。
斯鬼は今、親し気で笑顔を見せてはいるが、いつ何時美和に対しても襲ってくるのかわかったものではないのだ。
「結局惚れるってのは、そういうことなのね」
ため息と共に言葉を漏らすと、斯鬼は美和の首をまた触ってきた。人間とは違って体温が低いのか、ひんやりとした感覚がする。
「嫌いじゃなきゃ食べようなんて思わねぇよ。俺なりの愛情表現ってやつだ」
「食べちゃう愛情表現なんて、人間にはわからないわよ」
美和は信号で止まると、あきれたように斯鬼を見上げた。
「俺は愛情深い生き物だよ。本当に惚れた相手しか食べない。他の誰にも渡したくない、俺だけのものにしたいから食うんだ」
斯鬼の鈍色の瞳が、心の隙間に入り込もうとするかのように、まっすぐに見つめてきた。屈折した愛情表現かもしれないが、最後は食べたいと言っているのだ。しょせん知れた愛情表現だと、顔をそむけた。
「とにかく、私はお前に食べられるつもりはないから。明日にでも工事の人に頼んでクスノキの下から掘り出してあげる」
「そりゃ助かる。と言いたいとこだが、悪いが学校にゃ近づかねぇほうが良いよ」
信号が青になり、進もうとした美和の自転車を、二台から降りた斯鬼がハンドルを握って止めさせた。
「なんで?」
左折してきた車が、横断歩道を渡るのだろうかとブレーキをかける。だが動かない美和を見てそのまま通り過ぎてゆく。
「なんでって、聞かなくてもだいたいわかるだろ」
「わからない。それに学校に近づかないというのは無理な話よ」
プイと顔を背けると美和は横断歩道を歩き出した。斯鬼はしぶしぶと隣を歩いてもう一度告げた。
「さっき、あの学校の雰囲気が分からないって言っただろ。その程度の霊力なら、近づかねえほうが良い」
「その程度って」
「霊力があっても、まともに力も使えねぇんだ。お前は唯のいいエサだよ」
誰よりも霊が見える。人に話すことはなかったが、一つの自分の取り柄のようなものだ。美和は眉を上げてにらみつけた。
「普通の物の怪に私がどうこうされるわけないでしょう。大体人間の霊力をエサにするような物の怪なんて、あんた以外のほかに――」
突然はっとした。自転車を押して歩く足を止め、隣を歩く斯鬼の顔をまじまじと見つめた。
「どうして、今まで気づかなかったんだろう」
クラスメイトにしても、病院で死霊から霊力をもらうにしても、斯鬼はすべて口から吸い取っていた。
そこに触手があった。触手もまた、クラスメイトから霊力を奪っていた。
「もう一体、あの場に居たんじゃない?」
「ああ、いたよ」
斯鬼の肯定に、背筋がぞっとした。
もう一体の姿を美和は確かに見ていた。見ていたのに、今の今まで気づかなかったことに愕然とした。
「あの、触手のこと?」
斯鬼は頷いた。
「あいつはクスノキ。俺の霊力を奪い、俺を抑え込んでいた土地神だ」
「土地、神」
美和は嫌な言葉だと、表情を曇らせた。
霊が見えるからと言って、その方面の力を伸ばそうとしてきたことは、今までに一度もない。基本的にはただ見えるだけであり、美和や友人に対して悪さを仕掛けて来るような霊、物の怪に対しては、引っぺがして捨てるか、潰してしまうかといった対応で事足りていたのだ。
そんな美和であっても、神と名がつくものがどんな存在なのか、嫌でも想像がつく。不安に面を曇らせていると、斯鬼が笑って美和の肩を叩いた。
「だからこそお前には今すぐ引き返してほしいんだよ。長くて一週間、早けりゃ三日後にも決着はつくだろうしな」
「なぜ?」
話をしている間にも学校の校門が見えて来る。言われてみれば、どこか空気がねっとりと絡みつくような気持の悪さを感じる気がした。
「あいつはもうすぐ死ぬからさ」
「どういうこと?」
驚き問い直すと、斯鬼のほうが驚いた様子だった。
「本当にわかってなかったのか?」
「わからないよ。確かにこの高校の周囲は昔からとても空気が澄んでいたことは分かるけど。お前の言う土地神の存在は気付いたことはないし」
悔しさに眉をひそめたが、本当のことだと仕方なく話した。
「ほかの地域じゃ少し気味の悪い霊や、物の怪が端っこにたむろしていたり、人に憑りついていたりしているのを視てはいたけれど、この場所は本当にそいうことがなかったよ。無駄に物の怪はいないからか、学校にいるだけで心が落ち着くし、体も疲れにくい気がする」
「確かに、昨日まではそうだったかもな」
校門はすでに閉じられていた。
閉められた門の前で、斯鬼は桜の木々が生い茂る坂を見上げた。生徒からは辛坂と呼ばれる桜坂。そこは桜坂と呼ばれないもう一つの理由があった。
「この桜並木、花が一つもつかないんだよね」
坂の両端に植えられている桜。入学式の季節になっても蕾一つつかなかった。木の種類かと考えられ、一度は植え替えまでされたが、それでも花は咲かなかった。
けれども桜の木は元気そうに、枝葉を青々と茂らせた。道に枝を広げて、また明るい時間帯ではあったが、葉に光が遮られて坂はどこか薄暗い。
「いいや、十二年前までは普通に桜は咲いてた」
「そうなの?」
思いがけない話に驚いた目を向けると、斯鬼は坂の上を見上げた。
「さっきはクスノキを土地神だとか言ったけど、今はそうじゃない」
「今は?」
「この学校を建てるときに人間どもがクスノキを切ろうとしたんだ。まあ土地神だけあって簡単には切らさなかったわけで、結局木は残されることになった」
「じゃあ今でもそのクスノキは残ってるわけ?」
「樹齢何年のクスノキだったと思ってるんだ? 九百年近く生きてたはずだ。今でも生えてりゃ頭一個飛びぬけてただろうが、あの時点ですでに洞はできて朽ちかけてるような状態だったからな。さらにそこに人間と力任せのやり取りがかさなって、あいつは力を失っちまったのさ」
「そんな、大きな木を学校建てるからって、切っちゃったんだ」
胸が痛む。美和の目には木の精霊らしきものが見えることがあった。小さなタンポポにも人が丹精込めた植木にも、精霊を見る。どんなものでも生きていることを、美和は知っていた。
「だが土地神と呼ばれるだけあって、あいつはまだ生きてる」
「でも枯れたって?」
「ちょっと言い方としちゃ間違ってたかな。上部が枯れちまっても、幹は生きてたんだ。人間は切り株にしちまったが、あれはまだ生きてた。根を伸ばしてこの周囲の木々の生命力を奪い取って、まだしぶとく生きてたのさ」
斯鬼の言葉を聞いたとき、突然頭の中に今日見たあの触手をはっきりと思い出した。ざらざらとした肌触りに、触手という割にはまっすぐではなく、所々に身近な枝のようなものが生えていた。
「根っこ、そっか。あの触手は根っこだったんだ」
床から伸びてきた茶色い触手。言われてみれば根だった。
「でもどうしてもうすぐ死ぬわけ? 周りの木々から命を得てるなら、ずっと生きてられるんじゃないの?」
「今工事してるじゃねぇか。切り株もろとも抜こうとしてるのを知らないのか?」
「そう、だったんだ」
美和も斯鬼と同じように坂の向こうを見つめた。全く知らない話だった。坂の部分を造成してグラウンドを拡張するとしか、学校では聞かなかった。
「ただでさえ、枯れかけてる状態で死にたくないって呟き続けてたからな。切り株に手をかけられた時、ぷっちりタガが外れたんだろうよ。ま、おかげで俺は外へでれたわけだけどな」
斯鬼が嬉しそうな笑顔を美和に向けていた。なるほどとうなずきながら、もうすぐ死ぬのなら、なぜわざわざ人間を襲って霊力を奪い取ったのだろうかと首を傾げた。
「切り株なくなっても、生きるってわけはないよね?」
「そりゃ切り株まで引き抜かれたら死ぬだろ。精霊ってのは実体があるからな。でもまあ霊力を奪うことで、多少の延命はできんだろうけど」
閉められた校門のひんやりとした柵に手を触れて、斯鬼は周囲を見回した。学校内は静かでポツンとついた街灯が、寂しげに灯っている。
「延命。それで霊力を抜かれた人間って、どうなるわけ? 今回はさほど問題にはなってなかったみたいだけど、やっぱり危険だったりするわけ?」
美和も斯鬼と並んで校門の中を眺めながら、今日あった出来事を思い出して問いかけた。
「当たり前だろ。霊力がなきゃ生き物は生きてけねぇんだぞ。どんな小さな生き物だってこの世に存在してりゃ霊力を持ってるんだからな」
「でも、皆無事だったって話だけど」
「それは人数が居たからだよ。一人の霊力を底がつくまで吸い取るよりも、うわべだけ浅く吸い取っちまった方が楽だからな。ま、それでも一度でも吸われりゃ体調が悪くなるだろうな。必要不可欠の霊力を奪われるんだから、支障がでねぇほうがおかしいってもんさ」
そばにある守衛用の小さな部屋にも誰もいないらしい。美和はそっかとうなづきながら、門が開かないものかと左右に力を込めてみる。だが鍵が閉められているらしく、びくともしなかった。
「クスノキは、今ここに居るんだよね」
「ちっと気配は弱いが、それでもいるのを感じる。なあここで帰ろうぜ。いくら弱ってるって言ったって、仮にも土地神だった奴なんだぞ」
「私って霊力が強いと思うの。その辺の幽霊なんて見えてても私に触ろうともできないみたいだけど」
今までの経験上、霊力の強さからか、霊が美和にあえて手をかけて来るようなことはなかった。
「俺で十分お前に触れられるだろ」
斯鬼は言いながら美和の頬に手を触れてきた。すぐに肌に触れる癖でもあるのかと、美和は手で押し返す。
「それでも私にはかなわないって、自分で言ってたでしょう」
「まあ、確かにお前の霊力は強い。そんじゃそこらの物の怪じゃお前を食おうなんて奴はいないだろうさ。だが相手は荒魂に傾いた元土地神だった奴だ。お前であっても本当に身を守れるかどうかはわかったもんじゃねぇ。何より、巫女としての修業なんてものも積んでねぇだろ」
美和は黙り込んだ。確かに霊力があってもそれをどうにかしようなどと考えたこともなかった。相手が美和を食おうとしてきたとき、本当に防げるかは確証がない。自分の身を守るためにも、斯鬼の言う通りこの坂を上って行かないほうが良いのだろうか。
「おい、美和」
斯鬼が改まって美和の名を呼び、そして手を掴んできた。顔をそちらに向けると、瞳に力のこもった真剣な目が見つめていた。
「俺は、お前を他の奴に食わしたくねぇんだ」
「その目、私をたぶらかそうとしてるよね?」
「ただ心配してやってんじゃねぇか」
不満に斯鬼は頬を膨らませて見せる。その姿があざとく感じられて美和は冷ややかに見返した。
「俺が食う前に、他のに食われるから止めなきゃって感じにしか聞こえないし。そんなことで遥を探しに行くのはやめられないよ」
「それで間違ってねぇよ! 荒魂に傾く精霊ってのはなかなかねぇんだ。本当に危ないって言ってんだよ!」
苛立ちに言葉を荒げた斯鬼に、さすがに美和も面に不安を登らせた。
「確かに、私には何にも知識ないけど」
言いかけた時、携帯の着信音が突然聞こえて美和は顔を上げた。
「私の、携帯じゃない」
ポケットの上から携帯を触れてみるが、バイブレーション機能は動いていない。それに音は坂の上から響いてくる。
「あそこ! 落ちてる」
坂を上った少し先に、着信ランプがついている携帯が落ちているのが見えた。美和は自転車をその場に留めると、門に手をかけて器用に登った。
「おいっ。行くなっつっただろ」
斯鬼は門をすり抜けて美和に追いつくと、美和が携帯を取ろうと手を伸ばしたところだった。だが携帯は美和の手に入らなかった。
生白い指先が目に飛び込んできたかと思うと、美和よりも先に遥の携帯を奪い取って行った。
「なにっ?」
驚き顔を上げると、そこにいたのはまた見知らぬ男だった。
斯鬼と同じく水干を着ているが、腕を抜いたりはしておらず、生地も糊がついたようにシワ一つない。袴も足首まであるものを付けており、身だしなみは整っている。だが一つに結んだ長い髪の色は、赤茶色をしており、瞳は薄暗い夜にもはっきりと映る琥珀色をしていた。
何より印象的なのは、髪の毛からひょっこりと除く大きな三角形の耳だった。斯鬼に角が生えているように、こちらは犬のような耳が生えている。さらに後ろには尾らしいものが三つふらふらと揺れていた。
男は手にした携帯を鼻へ近づけると、クンクンと犬のように匂いを嗅いだ。
「樟脳の匂い」
「誰なの」
人間ではないことは即座に理解できた。だが見たことのない物の怪だ。遥が例のクスノキかと体をこわばらせた横で、斯鬼がこりゃ珍しいと笑った。
「サグジじゃねえか」