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柳は緑、花は紅  作者: カブトムシ
第一章 雨後の筍
4/23

4 お腹が空いた

 学校に残された遥だったが、八人もの生徒が次々に倒れさらに三十名の生徒が気分の悪さを訴えたことで、その日は臨時休校となってしまった。

 いつもなら部活などで騒がしい校内が、シンと静まり返っている。

 救急車で運ばれた生徒たちの鞄一式は校内に残されていたため、美和が病院帰りによるのではないかと、こっそり教室で時間をつぶしていた。だが、昼を過ぎて三時を回ると、読んでいた本を閉じて机の上に寝そべった。

「なんか、また気分悪くなってきちゃった」

 重い吐息を吐き出して、遥は腕を軽くさすった。

 美和と話を交わしてから、気分はとてもよかった。だがあの美和と話をする前、自分の意識はまるでどこか遠くに追いやられたような、そんな気持ちがしていた。体も重くて自由に動かない。なのに学校の正面玄関にまで、歩いていたことに気付いたときは驚いた。

「もしかして、他の皆もあんな風に気分が悪かったのかな」

 倒れたクラスメイト達のことを考えて、自分も一歩間違えれば倒れていたのかもしれないと、体を軽く抱きしめた。

「それはそれで救急車に乗るチャンスを逃したのかもしれないけど」

 不謹慎かなと、一人で笑う。カバンの中からスマホを取り出すと、美和から連絡は来てないものかと、画面を軽くタップする。幾人かの友人から連絡が入っていたが、肝心の美和からはまだ入ってきていない。

「連絡するって言ったのになあ」

 いっそ病院までついて行けばよかったと、遥は深いため息をついた。

共働きの遥の家は、帰っても誰もいない。それなら病院から帰ってきた美和の家へ、直接押しかけてやろうと考えていたのだが、そろそろ時間をつぶすのも限界になってきた。

「しょーがない。一回家へ帰ろ」

 大きな吐息を吐き出すと、美和はすでに荷物を詰め込んである鞄を持って立ち上がった。教室を出て廊下を歩く。いつもの騒がしさが嘘のように静かだ。開いたままの窓からは、少し冷たい空気が流れ込んでくる。

 その空気の中に爽やかな香りが混じっており、遥は外を眺めた。学校で騒動があったためか、工事も取りやめになって重機の音一つしていない。

 ローファーに履き替えた自分の歩く音が、必要以上に頭に響いている気がする。余りの静けさに陽が高いにもかかわらず、背筋がぞくっと泡立った。

 遥が玄関を出ると、高校は低い丘の上に建っているため、正門までうねった坂道が見えていた。

両側には桜の木が植えられており、桜坂と名付けられていた。だが、不思議なことに坂の両側に植えられた桜の木は、入学式の季節にも花を一行に付けることはなく。今ではただの辛坂と呼ばれていた。

 その辛坂の少し奥まった場所には、銀色の防音シートが張り巡らされている。斜めになった斜面を埋め立てて、新たにグラウンドを広げるそうだ。

 遥は腕をさすりながら一瞥すると、そのまま坂を通り過ぎようとした。その時、ふいに背後から人の気配を感じて振り返った。

 同じく学校に残っていた生徒の二人が、突然振り返った遥に目を向けながら、通り過ぎてゆこうとする。

 さわやかな樟脳しょうのうの香りが、ふっとかすめた。

「きゃあっ」

 遥と女生徒の間に、突然茶色い触手が地面から生えてきた。驚きのあまり自転車を倒してしまう。だが倒れた音に驚いた生徒は、何事かと遥を見た。目の前に触手が生えているというのに、まったく気づいていないように見える。

「なに? どうしたの」

 不思議そうに眉をよせ、セミロングのほうが言葉をかけてきた。

「あ、あッ、手が、手……」

 手でもないが、触手という言葉が出て来ずに、遥は口元を押さえて言葉をどもらせた。だがその言葉に二人は怪しむように顔を見合わせた。

「ちょっと、先生呼んだ方がいいんじゃない?」

「そう、だよね」

 一人が踵を返そうとしたとき、遥は違うと叫んだ。

「見えないの! そこにあるのが見えないの!」

 途端二人は恐ろしそうにまた顔を見合わせた。二人の視界には自転車を倒して怯える遥の姿しか映っていないのだ。

「だめだめ、きゃあっ!」

 だが遥は後退りしながら悲鳴を上げた。

 触手がうねったかと思うと、セミロングの生徒に向かって勢いよく伸びた。触手が足に絡みついた。とたんセミロングの生徒の足が止まる。

「えっえっ? なんなのこれ」

 恐怖に顔が強張る。遥は手を口に当てて震えて見つめるしかできなかった。

「ちょっとどうしたのよ」

 ポニーテールにした生徒がおびえたように見つめ、更に遥を見た。

「あんたがなにかしてるんじゃないの」

「違う、私じゃない」

 どちらの声も震えていた。

「たすけ、て」

 セミロングの生徒は胸を押さえてその場に膝をついたかと思うと、そのまま地面にうっつぶしてしまった。すぐに走り寄った生徒は体を支えにかかる。

「だめだって!」

 遥の声は無視された。ポニーテールの生徒が抱き留めた途端、触手はそちらへ向いた。体に巻き付き、あっという間に身動きが取れなくなり、恐怖に目を見開くと悲鳴を上げようとした。だが悲鳴は発せられることなく、そのまま首から力が抜けるように落ちたかと思うと、セミロングの生徒の上に覆いかぶさるように崩れ落ちた。

 遥は自分の体をさすった。

 あんなに激しく震えていたのに、不思議と震えが止まっている。体が熱く、腕を握る手に力を込めると、遥は大きく息をついた。

 目の前で触手が生徒から離れてうねる。

 すぐさま遥は倒れている自転車を起こしてまたがった。辛坂では自転車に乗るのを禁止されているが、それどころではない。勢いに任せるまま坂を下り下り、遥は校門を飛び出した。

 三時を過ぎたあたりで、まだ周囲は明るい。時折人とすれ違うが、女性は日傘をさして紫外線対策に余念がない。

 ふいに目元に白い幕が張ったような感覚に襲われて、遥は瞼をこすった。だがいくらこすっても白いぼんやりとした膜が張っている感覚がする。

「なんか、へん」

 このあたりは山だったところを切り開いた新興住宅地であり、住宅地はブロック状に整頓されたように並んでいる。さらに町は直線、直角にナイフで切り取ったかのように、太い幹線道路が通されている。

 車の行き交いは多く、エンジン音に風を起こしながら、遥の横を通り抜けていく。

 そんないつもの光景だったが、目には白い膜のようなものが張ったかとおもうと、耳は小さな虫の飛び交う羽音が聞こえてきた。

「あれ?」

 わずかな音が耳に入り、遥は辺りを見回した。

 だが周りには誰もおらず、ただ小さなカナブンが急上昇するように飛んでゆくのが見えた。

『いそがなきゃ』

 今度ははっきりと聞こえた。だが普通に聞こえる声とは少しばかり違う気がする。頭の中に響くような声だ。

「きのせい、だよね」

 遥は息を飲んで、聞こえてなどないと首を振った。

だがその時、突然目の前に人の影が映った。

「あっ! すみません」

紺のスカートをした女性と、ぶつかったと思うほどの至近距離だったが、ぎりぎり交わすことができたらしい。ぶつかった感覚もなく、相手からも文句はなかった。遥はホッとしてペダルに力を込めた。

『いそがなきゃ』

 声が聞こえたと思うと、だがすぐまた人がぶつかりそうになる。美和は紺のスカートを見て、びくっと肩を震わせて顔を上げた。

 自転車を止め、振り返る。

 ぶつかったと思った人がいない。

「な、なに」

 それに一度目にぶつかりかけた人も、同じ紺のスカートをはいていなかっただろうか。美和は頭を小さく振って、引きつった笑みを浮かべた。

 まだ陽が完全に落ちていない時間、紫外線を気にした女性たちは、紺などの濃い色を好む。どれぐらいの割合かわからないが、同じ色のスカートをはいている人間に遭遇することもあるだろう。

 頭の中に、不安がよぎる。

 同じ形、色のスカートをはいた女性。これほど短期間で本当に目にするだろうか。

「ぐ、偶然よ」

 前をあまり見もせずに自転車で走っていたのが悪い。きっと自分が見間違えたのだろう。三つ点があれば顔に見えるというぐらいだ。怯えた心が見せた幻覚だと前を向いて、自転車をこぎ出そうとした。

 考えるそばから、前から人が歩いてくる。

『いそがなきゃ』

 またあの声。頭の中に響いてはっきりと聞こえる。体が強張った。

 同じ女性だ。紺のスカートをはいている。顔はうつむいてはっきりと見えないが、肩までの黒髪が揺れている。

 冷汗が流れ落ちた。相手はまっすぐ進み、遥がいることも目に見えていないのか、ぶつかるコースで歩いてくる。

遥は恐ろしさに足がすくんだ。それだけでなく相手がよけてくれることを願って、足を止めた。普通の人間なら事前に気付いてよけるはずだ。

女性はよけなかった。それどころか遥に体当たりするコースを進んで来て、遥の方が反射的に避けていた。

一言文句を言おうかとも、頭をよぎったが。血の気のない青い顔をした女性ののっぺりとした横顔を見た途端、声をかけるなどできなくなった。ただ目で追う。

女性は遥とすれ違った途端、何かにぶつかるように体が横にへしゃげて吹き飛んだ。

「ひっ!」

 遥は口を押えた。見たことはないが、車に跳ね飛ばされたかのような動きに見えたからだ。瞬きをすると、女性はいなくなっていた。

 代わりに目に飛び込んできたのは、低い街路樹の間に備えられた花束。お供え物のペットボトルやお菓子まである。

心臓が痛いほど跳ねて、脈打つ音が頭に響く。

遥は自分が向かおうとする方向へ顔を向けたとき、またぎくりと体を引きつらせた。前方から、再びあの紺のスカートをはいた女性が歩いてくる。

『いそがなきゃ』

 女性は遥に向かってまっすぐ歩いてくるようにも感じる。体が激しく震えて、足が思うように進まない。ただ恐ろしさに視線を外すことができず、女性を凝視していた。

 女性は遥の視線に気づいたのか、ずっと俯いていた顔が少しばかり持ち上げられた。

「ひぃ」

 声も出ずに息を飲み込んだ。

 紺色のスカートの女性は、どんよりとした光のないまなざしで遥を見ている。見つめながら前へと進んでくる。そして、歩みながら手を遥の方へ差し出してきた。まるで遥を掴もうとするように。

『たすけて』

 遥は体をこわばらせた。引きずられてしまいそうな気がしたのだ。女性が近づいてくると同時に、車道を走る車のヘッドライトがなぜか上を向いて、遥は目がくらんだ。

 タイヤと路面がこすれ合う、スキール音が辺りに響く。

 死んだ霊に引きずられる。

テレビの言葉が頭の中に浮かぶ。今のこの状態が、引きずられているというのではないだろうか。紺色のスカートの女性は自分を同じ死に方に合わせようとしているのかもしれない。

強く目を閉じて、何もできずに自転車のハンドルを強く握った。体がカっと熱くなる。

急ブレーキに激しいスキール音。だが遥の体には何の衝撃も加わることなく、さわやかな樟脳の香りを含んだ風が吹き抜けた。

恐る恐る顔を上げると、そこに誰もいなかった。前を見ても再び紺色のスカートの女性が歩いてくるようなこともない。

 訳が分からなかったが、興奮からか体が熱い。とにかく逃げるべきだと考えると、遥は一刻も早くこの場から立ち去ろうと自転車を走らせた。

 幹線道路わきを抜けて、住宅街の中に入るとようやくホッと息がつけた。

 周囲に電気のついた住宅が並んでいれば、何かがあれば叫んで助けてもらえるという安心感がある。

 ふと遥は意識が遠のきそうな気分の悪さに胸を抑え込んだ。視界にはわずかに膜が張っているようで、耳は遠くの子供の声を拾う。

「なんだか、疲れてきた」

 体が熱くて意識はふわふわとして、今ここが家なら即座に意識を手放して、床に倒れ込みたいほどだ。

 住宅街にたくさんの子供たちの笑い声が聞こえる。うるさいほどはっきりと聞こえて来る。

 前方から一人の子供がかけて来る。いまどき珍しく頭を丸めて、紺の着物を着ていた。自転車から降りて、のろのろと押しながら遥は、何気なく視線を向けた。

『あはははは』

 子供は一人たのしそうに笑う。

『あははははは』

「あっ」

 自分の前方に、あの茶色い触手が突然生えてきた。恐ろしさに足を止めた。前方からくる坊主頭の子供は、笑いながらかけて来る。触手がさらに数本生えたかと思うと、網のように重なり男の子に覆いかぶさった。

『あはははは』

 男の子は笑った。そして、目を見開いて恐ろしげに見つめる遥の前で、触手にからめとられて消え失せた。

 遥の体がさらに熱くなる。

「あれ、なんだったんだろう」

 恐ろしさに声を上げてもいい場面だった。だがなぜか叫ぶことができなかった。ただハンドルを持つ手に力がこもっただけだ。

いや違う。恐ろしさが心の中から引き抜かれた気がした。

「あれ? 怖く、ない?」

 首をかしげながら、周囲に目を向けた。すると電柱の陰、車の陰に人の気配がする。普段なら見えないのに、膜がかかった視界の中で、普段見えないものが浮き彫りになるように見ていた。

「お腹、空いたなあ」

 遥の意思気がぐらりと揺れる。乾いた唇をなめた。

 目の前に電柱の陰にいる男、車の下に隠れた女、地面に首だけ生えた子供がみえる。明らかに生きていない存在だとわかっていた。触手はそれらに向かって伸びる。触手が 触れると、あっという間に見えていた存在が消え失せた。

「足りない、全然足りない」

 お腹がすいてならない。もっともっと食べたい。

 遥は押していた自転車から手を放した。ガシャンと音がして自転車が倒れると、車輪が乾いた音を立てて回る。

「もっと、食べなくちゃ」


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