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柳は緑、花は紅  作者: カブトムシ
第一章 雨後の筍
3/23

3 惚れたの意味

 教室の窓の下は、校庭につながるコンクリートの通路であり、際に植え込みはなく芝生だった。そこへ落下した美和は、傷一つ、打撲一つなく無傷に芝生の上に寝転んでいた。

「これは怒るよ」

 心臓が痛いほど縮み上がり、美和は両手を広げて大地の感覚をしっかりと背に受け止めながら呟いた。

「ちゃんと受け止めてやったんだから、問題ないだろ」

 寝転ぶ美和を覗き込んだのは、あの灰色の髪をした男だった。男はまじまじと顔を見つめられ、美和は不快に手を目の上に乗せた。

「お前が私を落としたんでしょう。なのに受け止めてやったなんて言うのは――!」

 言い終わるよりも先に、突然胸に男の手が当てられ、美和はぎょっとして体を起こし、そのまま勢いに任せて男の横っ面を殴りつけた。

「いってぇ」

「何するのよ」

 美和にしては珍しく顔を赤らめると、胸を押さえた。だが男はにやにやと笑った。

「いや、本当に巫女なのか確認したくてさ。まあ、あるのかないのかわかんねえ程度だが、その様子じゃ女に間違いなさそうだ」

「巫女だか神輿だか知らないけど、人の体に勝手に触れないで」

 大きなため息をついて立ち上がると、折れたスカートを手ではたいた。どこにも痛みはない。落下した瞬間男が美和の体を抱いて、そのまま地面へ下りたのだ。見えないものが見れば、ただ美和が落下したようにしか見えないが、美和には無理やりさらわれたような感覚だった。

「女の中にまじってりゃ、男っぽく見えなくもないが」

 男はその場に胡坐をかいたまま、美和の姿を足先から頭のてっぺんまでじろじろと見まわした。

「やっぱ女だな」

「だからなに」

 美和は冷たい視線を投げかける。

 胸もなく女にしては肩幅も広い。さらに身長も高いために、昔から髪の毛を伸ばしていると、少し不思議そうな視線を受けた。だから小学校からずっとベリーショートだ。

 だが実態を持たない霊体にまで同じことを言われるのかと思うと、少し胸が痛む。

「女ってのは、男よりもずっと霊力が強い」

「ふぅん」

 どうでもいいと視線を逸らした。早くこの場から立ち去らなければ、面倒なことになってしまう。だが男は美和の腕をつかみ、立ち去ろうとした足を止めさせた。

「私はお前に用はないわ」

 振り返りざま腕を振り払おうとしたが、もう一方の腕で手をつかみ直し、美和を引き寄せた。膝をついて男の前に座り込む格好になった。

「お前良い女だよ。俺は惚れたね」

「は?」

 見上げて来る鈍色の瞳が、まっすぐ美和を見上げている。だが美和は鼻で笑った。

「幽霊が惚れたなんだっ言ったって、何にもなんないでしょ」

「俺は斯鬼しき。幽霊なんてもんとは違う、鬼だ」

 斯鬼は心外だと目を吊り上げた。

「みんなには見えないし、肉体もない、一緒と思っても間違いないよね」

「幽霊だって人が言うのは、死んでいる意識だろう。俺は違う。肉体を持たないが生きている存在だ」

 よくわからない話ではあったが、斯鬼にとっては大きな違いがあるらしく、強く訴えてきた。美和は面倒だと考えると、素直にわかったと頷いて見せた。

「その鬼が私に惚れて何の得があるっていうの?」

 途端、斯鬼は美和の顔を両手ではさみ、あまり感じのよくない笑みを浮かべた。

「いったい何だっていうの」

 美和の不満そうな声にもひるむことなく、斯鬼は爪の伸びた指先をゆっくりと下へとずらしてゆき、美和の首に触れてきた。

ひんやりとした指先、切れ長の整った瞳が美和をまっすぐに見つめ、思わず背筋が小さく震える。

 真正面からのぞき込む瞳は、美和の動揺を感じ取り、わずかな笑みを浮かべて奥へと押し入ろうとするようだ。息を飲んで、けれどもはっきりとした口調で問いただした。

「何って聞いてるの」

「お前は間違いなく巫女だ。俺たち精霊を目にして言葉を交わすことのできる巫女。さらに言えば男に触れたことのない乙女だ」

 斯鬼は目をそらそうとはせず、まじめな顔つきで伝えた。

 確かに男に見られ続けた美和は、男性と付き合ったことは一度もなかった。それどころか女子たちから人気が高く、女とわかっているのに何度も告白された経験があった。もちろん女性に興味はなく、美和はやんわりと断りを口にしてきた。

「だから何?」

 首に這わされた手の平がゆっくりと鎖骨に向かって滑り降りる。ぞわっとした悪寒に、美和はその腕を叩き落とした。斯鬼はそれすらも楽しむように笑った。

「穢れない巫女であるからこそ、体内に秘める霊力は大きいってことさ」

「気持ち悪い」

 はっきりと言い捨てて、にらみ返してやる。斯鬼はそれを嬉しそうに笑った。そして握っていた腕に力を込めて、さらに美和の体を自分の方へと寄せようとした。美和は前へ行くまいと抵抗を見せると、斯鬼は手を美和の後頭部へと回した。

 ぐいと力が籠められ、美和の面が斯鬼の顔と数センチの距離にまで近づいた。

「お前の霊力を食わせろ」

 斯鬼は呟きそのまま、薄いが形の良い美和の唇に口を重ねようとした。

 美和は反射的に斯鬼の唇に手を置いて、そのまま後ろへ押し込んだ。斯鬼の瞳が驚きに目を見開いた。そのまま斯鬼の体の上へのしかかるような体制になり、頭を芝生に抑えつけた。

「お前が何をしていたのか、見ていなかったとでも?」

 美和は勝ち誇った笑みを浮かべ、もう一方の手で肩を押さえて起き上がれないようにする。

「残念だけど、私は昔から霊が見えるの。霊に触れることもできる」

 言いながら口を押えていた手をゆっくりと胸元へとずらしていく。人間で言えば心臓の真上だ。霊もまた体の中央と思われる部分に何らかの核が存在するのか、ある場所を痛めつければ、相手は弱まり、時にはそのまま消え失せた。

「さすが俺が惚れた巫女だ」

 だが斯鬼はひるむことなく、満足そうに笑って美和を見上げて来る。

「お前の霊力がどうしても欲しくなった」

「人の形をしたモノと話をしたことがなかったけど、危ない存在なのね」

 心臓のあたりに手をおくと、わずかに力を込める。人型相手にしたことはなかったが、斯鬼が人間に対し口づけをすると、気を失う様をこの目で見た。放ってはおけない。

 人型であるために、わずかにためらいが生じる。

「戸隠!」

 その時、前方から美和が窓から落ちたのを見ていた先生が駆けつけて来た。すぐに斯鬼から体を離して、その場に立ち上がって見せた。

「岡部先生、どうしたんですか」

 体は何も悪くない。美和はいつものように穏やかな笑みを浮かべた。

 岡部先生は美和の肩をがっしりとつかむと、腕を上から下に掴み、スカートから伸びる形の良い足をしゃがみ込んでまじまじと見つめた。

「二階から転落したって聞いたけど、大丈夫なの!」

 女性である保険の先生が不安そうな岡部先生を引きはがして、美和の前に立った。一瞬、落ちてなどいないと言い張ろうとしたが、さすがにその瞬間を目撃されている。美和は困ったような笑みを浮かべた。

「私の不注意で先生方には心配をかけてすみません。確かに落ちてしまいましたが、どこにも怪我らしいものはなく済みました」

 手を広げて怪我のないことを伝える。だが岡部先生は青ざめた表情で首をふった。

「あり得ない、二階から落ちたのを見たのに」

 美和は大丈夫ですよともう一度告げたが、保険の先生は二階の教室の窓を見てから、首を振った。

「座りなさい。あの高さから落ちて無傷とは考えられないわ。今は興奮していて痛みを感じていないだけかもしれないでしょう」

 保険の先生が話している間、斯鬼が見えないことをいいことに、首筋に顔を近づけてくんくんと匂いを嗅いでいた。美和は座った姿勢のまま、斯鬼の足に手を伸ばして強く引いた。引っ張られた斯鬼が保険の先生を指さす。

「こいつはダメだな。歳食ってるし乙女じゃねぇし」

「すぐに救急車が来るから、キチンと調べるべきだわ。特に頭を打ってたりしたら、今は何でもなくても、後で症状が出ることだってあるんですからね」

「でも、本当に大丈夫――」

「だめです。特に他の生徒たちも過呼吸を起こしているんですよ。あなたにもその症状が怒って転落したのかもしれないでしょう。今すぐ安静にして救急車が来るのを待ちなさい」

 美和もまた自分が落ちてきた二階の窓を見上げた。三メートルはあるだろうか。確かに美和がもし、自分以外の誰かが落下したのを見たとすれば、病院に行けと言ったことだろう。

自分では斯鬼に抱きとめられたことで、なんの怪我もないことは分かっていたが、それを説明して信じてもらえるはずもない。

 しぶしぶとその場に座り込むと、保険の先生は持っていた携帯でどこかに連絡を入れたようだ。岡部先生とも話し合い、保険の先生は校内へと戻ってゆく。

「はっきり本当のこといやいいのに」

 斯鬼が横でおかしそうにやり取りを見つめて、嘲笑った。さすがに人が居るところで話す気にもならず、強くにらみつける。

「巫女ってのはみんなから崇め奉られるもんじゃねぇのか? 神が下りてきたとでも何とでもいえば済む話だろ」

 いったいいつの時代の話をしているのか。美和はあきれたと視線を逸らせた。

「戸隠、大丈夫か? すぐに救急車が来るからな」

「ありがとうございます、岡部先生。でも私って意外と丈夫なんですよ」

「丈夫ったって、限度があるだろう」

 疑うような眼差しだ。それも当然だと美和は肩をすくめた。

「でも、他にも倒れて意識がない人がいますし、そちらの人を優先したほうが良いと思うんですが、違いますか?」

「そんな心配は戸隠がしなくていい。救急隊員が優先順位をつけて行動してくれるよ」

 どうやら病院には行かねばならないらしい。美和は諦めて息をついた。

 そうしている間にも、遠くで聞こえていたサイレンが、どんどん近くなってくる。二台三台と複数の救急車の姿が見えた。

 そのうちの一台から降りた救急隊員が美和の元へと駆けつけて来る。

「なんだよ、男ばっかりかよ」

 救急隊員を見た斯鬼が、残念そうな声をあげている。美和は一瞥だけをして無視した。

救急隊員はてきぱきと名前等必要なことを問いかけ、状況を問診票のようなものに書き込んでいく。その間間に何度も大丈夫だと告げたが、後で難からの症状が出て来るからと言って、救急隊員にも拒否されてしまった。

 仕方なく担架にのり、運ばれていた最中、美和は目の前に上靴のまま玄関に立つ遥の姿を見つけた。

 遥も美和に気付き、ぐったりとした視線をこちらに向けると、ぽつりと名を呟いた。

「……美和」

「遥!」

 無事だったのかと、ホッとしたのもつかの間、遥の体を見た美和は反射的意身震いした。なぜなら美和の体には茶色をしたあの触手がまとわりついていたからだ。他の生徒たちにようになぜ気絶しないのかわからない。だがすぐにでも取り除かねば、最後は倒れるとわかっている。美和は救急隊員の腕を掴んで訴えた。

「すみません、少しだけ待ってください。友人と一言話をさせてください」

 続いて遥の名を呼んで、こちらへ来るようにと告げた。青ざめた面に重そうな体。気にしたことはないが、もしかすると遥も霊感が強いのだろうか。のろのろとこちらに来た遥の腕をつかむと、美和は即座に絡みついている触手を引きちぎった。

 救急隊員は美和がなにをしているのかと、怪しむ視線を投げかけていたが、遥の面に表情が戻り、目を見開いていく様子をまじまじと見つめているだけだった。

「遥、もう大丈夫だから。人の少ない場所に行かないようにして。わかった?」

「あたし、どうなってたの」

 不安に胸を押さえ、すがるような視線に胸が痛む。このまま一緒にいてあげたいと思ったが、本当のことを言っても誰も信じないに決まっている。それなら病院へ行ってさっさと済ませて戻るに限る。

「大丈夫。私は病院に行かなくちゃいけなくなっちゃったけど、またすぐ連絡するから、待っててくれる?」

「うん、もちろん待つよ! あのでも、落ちたの、大丈夫なの?」

 少しの安心を与えられたのか、遥は深く頷いた。

 そうして美和は救急車に乗せられたのだが、まるで付き添い人のように斯鬼が乗り込んだことに、美和は眉をひそめた。

「どうしてついてくるのよ」

 小さな声で呟いたために救急隊員には聞こえなかったようだが、聞きとめた斯鬼は付添人が据わる小さなスペースに、当たり前のように腰かけながら告げた。

「お前を食うためさ」


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