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柳は緑、花は紅  作者: カブトムシ
第一章 雨後の筍
1/23

1 物の怪を見る目

 緑色をした水干の袖を抜き、膝の高さで膨らませた袴姿に草鞋。さらに、片足には何かが巻き付いたような刺青が入っていた。

 シャーペンの頭を何度かノックして、高校二年生の戸隠美和は、二列横の窓のサッシに腰かけている男を見ていた。

(幽霊、かな)

 髪と瞳は鈍色をしており、アッシュカラーのように見えたが、にらみつけるように見ても地毛に見える。顔立ちは整っており、外人に近い気もするが、少し堀の深い日本人と言っても違いがない気がする。

 だが英語の授業中だというのに、誰も男の方を見ない。おそらく美和意外に誰にも、この男の姿は見えていないのだろう。

 それも当然かもしれない。サッシに座って教室内を見つめる男の額、ちょうど生え際のあたりに、一本の角のようなものが飛び出していた。

(もしくは鬼、というやつか)

 初めて見たなと、角をまじまじと見つめているうちに、林先生が教壇で教科書をパタンと閉じた音が響いた。

「明日は小テストをするので、そのつもりで」

 授業の最後に告げられた言葉に、生徒たちは不満の声を上げたが、気にする様子もなく、林先生はさっさと教室を出て行ってしまった。

 それと同時に授業の終わりを知らせるチャイムが鳴り、日直は黒板を消すために前に立った。その時になって、ようやく自分が黒板の内容を書き写していないことに気付いた。だが今更言うのは、自分にも日直にとっても面倒なことだ。

吐息をつくと、シャーペンをノートの上に投げ出して、背もたれに深くもたれかかった。

 視線を男に向けると、男はゆっくりと辺りを見回すばかりで、特に動きは見られない。ただそこにいるだけのモノかと息をつくと、疲れたと上を向いて瞼を閉じた。

「美和」

 そこへ来たのは背が低く、大きな目をしたかわいらしい少女と呼べる高野遥だ。

「ぼんやりしてどうしたの?」

「いや、別に」

 美和が肩をすくめると、隣の席の真鈴まりんがノートを差し出して来た。

「黒板、まだ写してなかったでしょう」

「じゃあ、あたしの貸してあげるよ、美和」

 まるで邪魔だと言わんばかりに、美和が真鈴の間を塞ぐように立って告げた。露骨なやり方に美和は遥の手を握って、横へとずらさせた。

「真鈴ごめんね。遥はただの子供なのよ。気を悪くしないでくれたらうれしいな」

 にこりと笑いかけると、真鈴は見るからに頬を赤らめた。

「い、いいの。そんな気分を悪くなんてしないわ。だって、遥は美和の妹みたいなものなんでしょう」

「よく知ってるね。ありがとう。ノートは後でコピーしたら返させてもらうから」

 差し出されたノートを真鈴の手を握るようにして受け取ろうとすると、真鈴はさらに顔を赤らめてノートを奪い取った。

「えっと、あたしがコピーしてきてあげるわ」

「そう、うれしいよ」

 まっすぐ真鈴の目を見つめて言葉をかけると、真鈴は嬉しそうに笑って購買部へと向かった。途中クラスメイトの女子と顔を合わせると、嬉しそうに黄色い声を上げていた。

「この、女ったらし」

 遥は空いた真鈴の席の椅子を引っ張ると、頬をこれでもかと膨らませた。

 美和は立ち上がると足が長く、すらりとしたモデルのような体型をしている。さらに胸もお尻もあまり出ておらず、髪も短くしていることから、スカートをはいていなければ美少年で通る容姿をしていた。

「私は女だってことわかってるでしょう」

「でもわかってやってるよね」

 遥のねめつけるような視線を、肩をすくませてかわす。美和は机の上に出しっ放しになっている教科書を片づけようとすると、遥が手を上に置いて邪魔をした。

「遥。次の時間の準備ができないんだけど」

「そうよ遥。一人で美和を独占しないでくれる?」

 そこへ現れたのは、同じクラスの穂香と沙由だ。二人は美和の前に立つと、楽しげに話しかけた。

「ねえ美和。今週末遊びに行こうって話になってるんだけど、美和もどう?」

「真鈴に七未も来るの。ぜひ美和にも来てほしいんだけど」

「どこ行くの?」

 特に用事はなかったなと考えて、場所を問いかけた途端、遥が舌を出して威嚇した。

「残念でした。今週末は遥と美和はデートするんだから」

「デート?」

 鋭い穂香の声に遥の膨らんだ頬。美和は困ったように笑った。

「残念ながらデートじゃないよ。ねえ穂香、沙由」

 美和は形の良い手のひらを二人の前に差し出して見せた。つられるように穂香と沙由が手の上に手を重ねる。その手をやさしく力を込めて握り、美和は二重のはっきりとした瞳でまっすぐに見つめた。

「断るなんて本当にごめんね。でも今週末は用事があるから。埋め合わせで悪いんだけど、後日一緒に喫茶店でもどう?」

 二人は頬を赤くすると、嬉しそうに顔を見合わせる。遥は隣で肘をつきながら、ふてくされた声で付け足した。

「その喫茶店、一体何人で行く気よ」

「穂香に沙由、真鈴も合わせたら、ちょうど十人かな。みんなと一緒じゃダメ?」

 遥の声にもたじろぐことなく、美和は二人を交互に見つめて微笑みかけた。二人は一瞬悩んだようだったが、それでも嬉しそうに首を振った。

「みんなと一緒でいいですっ」

「じゃあ、また連絡を回すから、その時は楽しい時間を一緒に過ごそうね」

「は、はい、待ってます」

「一緒に時間を過ごせるの、楽しみにしてます」

 穂香も沙由も気分を害した様子なく嬉しそうに答えたのを見ると、遥がうんざりとした様子で二人を追い払った。その行動に不満そうだったが、美和が笑って手を振ると、顔を柔らかくさせて笑い返して手を振った。

 美和のそばに残った遥は、冷たいまなざしを向けた。

「やっぱ女たらしじゃないの。だから女子高なんか止めたらよかったのに」

 美和は声を上げて笑うと、そのまま遥の頭をやさしくなでてやった。

「遥かわいいなあ。もしかして妬いてる?」

「うん、妬いてる。美和はみんなに優しすぎるよ」

 素直な遥に美和は楽しそうに額をコツンと当てた。遥の顔があっという間に種に染まり、恥ずかしそうな瞳で見上げて来る。

「あたしにだけ、優しくしてくれればいいのに」

「うん。遥は特別だよ。私の大事な親友だからね」

 心を込めて小学校から付き合いのある遥に告げた。だが遥はどこか物足りなさそうに見つめ返し、そしてすねたように口を尖らして頷いた。

「あたしのこと大事だよね」

 美和は答える代わりに、遥の頭をまた撫でてやった。遥はしばらく口をとがらせていたが、なでられることに気持ちよさそうに、机にうつ伏すように頭を垂れた。

「きゃああっ!」

 突然背後で悲鳴が上がり、美和も遥も驚いて振り返る。

 教室の後ろに配置されているロッカーの前で、沙由が気を失っているのが見えた。そばに居た穂香が悲鳴を上げている。

 美和はすぐさま立ち上がると、沙由の元へ駆けつけて、皆がどうしていいのかわからないでいる中、体を抱き起した。

 途端、周りにいる女子たちが黄色いを声を上げた。少しばかりうんざりしつつも美和は、腕の中で気を失ったままの沙由の頬を軽くたたいた。

 反応がない。

「沙由を保健室に運ぶから、岡部先生に連絡して」

 担任に連絡を付けるように指示すると、クラスメイトの一人が飛んで出て行った。ここで沙由をお姫様抱っこして運べば、女子たちは喜ぶだろうが、ほぼ同じ体重の人間を抱き上げるのは無理だった。

「遥」

 声をかけると、遥は分かっているとばかりに沙由の体を支えにかかった。だがその時、再び悲鳴が上がった。

 今度は加奈子だ。心配そうに沙由を見ていた加奈子が、皆の見ている前で膝が崩れ落ちるようにして、その場で気を失ったのだった。

「どういうこと?」

 なぜ急に二人も倒れたのだろう。

疑問に眉をひそめた時、美和の視線の先に、茶色く鱗のようなごわごわとした肌を持つ何かが地面から生えてきた。

 美和は息を飲む。辺りをうかがう蛇のような動きをして、先端がとがった奇妙な物体。それは他の誰にも見えていないようだ。

 ゆるゆると床からさらに伸びると、遥の足に触れるそばにまで来た。反射的に足で踏みつけた。人の腕ほどの太さがあり、長さは床に埋もれていてはっきりとしない。だがどんどん伸びてきているようにも感じる。

「美和、どうかしたの?」

「何でもないよ」

 床を踏みつける音に驚いた遥が美和を見た。何でもないようににこりと笑いながら、美和は足を左右に動かしながら、それを床に押しつぶすようにした。それは観念したのか床に潜り込んで姿を消す。

「ちょっと、凛もおかしいよ」

 ホッとしたのもつかの間、美和の怯えたような視線と言葉に、後ろを振り向いた。そこで美和が見たのは、重いもがけないものだった。

 おそらく遥やほかの人たちには、ポニーテールをした凛がわずかに上を向いて、わずかに上がっていた腕が落ち、そしてゆっくりと膝をついて倒れて行ったように見えただろう。

 だが美和の視界では違った。

 先ほど窓際でぼんやりと座っていたはずの、時代錯誤もいいところの水干を着た男が、凛のポニーテールを掴んで顔をのけぞらせ、その唇に唇を重ねていたのだった。さらに凛の足元には、先ほど見た奇妙な触手のようなものが足首に絡みついている。

「凛っ」

美和は凛に向かって駆けだしていた。床を蹴って倒れる前に凛の体の下に滑り込むようにして入ると、がっしりと抱きとめた。だが凛の体には力が入っておらず、すでに意識もない。

 だが触手は足に絡みつき、細い管を皮膚に伸ばして食い込んでいる。慌てて触手を引き抜くと、ずるっと引きずり出す重い感触を覚えた。

「美和?」

 奇妙な動きをした美和を遥が心配そうに言葉をかけた。美和は一呼吸すると、心配をかけるまいと、いつものように優しく笑って見せた。

「何でもない大丈夫。それより皆を教室から出したほうがいいね」

「教室から?」

 なぜと理由を問う瞳だったが、美和は返事よりも先に凛を床に寝かして、立ち上がって皆に向かって告げた。

「みんな落ち着いて。パニックはみんなに伝染しやすいの、更に被害が出ることだってある。いい。何ともない人はすぐに廊下に出て!」

 怯えた皆は美和の言葉にすがり、言葉に従って廊下へと向かう。

 そうしている間にも、床には短いながらに、先ほどと同じような触手が一本、また一本と顔を覗かせている。

 さらに水干をきた男は教室から逃げていく女子生徒を捕まえたのが見えた。

「この男!」

 美和は小さくつぶやくと、男に向かって床を踏み鳴らすように進む。だが自分の姿が見えていると思っていない男は、体が動かなくなり不安に青ざめるカンナの顎を持ち上げた。男の足元にあの触手が見える。カンナの足首に絡みついたのが見えた。美和は即座に触手を引っこ抜き、そのままカンナの体を自分の方へ引っ張りよせた。

 すでに唇は重なっていたが、触手をすぐに放したからか、それとも唇を放させたからなのか、カンナは気を失っていなかった。それどころか強く美和に抱きしめられ、顔を真っ赤にしながら、体を離した。

「ああ、あの」

「大丈夫ならいいよ。廊下へ出て」

 カンナは何が起こったのかわからない様子に見えたが、唇に一瞬手を当てたのが見えた。相手は肉体を持っていないにしても、感覚として何か感じるのかもしれない。

「何があった!」

 そこへ学年主任であり、担任の岡部先生がようやく駆けつけた。倒れている女子生徒たちを見た途端、慌てて職員室に戻ってゆく。続いて他の先生たちが現れて、何が起こったのか、廊下に出ている生徒たちに気分の悪さはないのかと細かく聞き取り、救急車がすぐに来るから落ち着くようにと声を張り上げていた。

「体調の悪くないものは、いったん講堂へ移動しろ」

 生徒たちは不安げに話し合い、頼りにするように美和の方を振り返る。

更に水干姿の男の視線もこちらを向いた。自分の狙っていた獲物をなぜ美和に奪われたのかわからないのか、ぼんやりと見つめ返してくる。

「美和も一緒に講堂に行こうよ」

 遥が廊下側の窓から顔を覗かせて、そっと話しかけた。

 だがそれが男の目に留まり、男は遥の腕をとって引っ張った。遥が驚いた顔を見せる。突然引っ張られたのに、そこには何もない。誰もいないのだ。驚いて当然だ。

 美和は男を突き飛ばすと、すぐさま遥の手を強く握って見せた。

「ありがとう。でも遥を倒れさせたくない。大丈夫、私に任せておいて」

 力強い手に、遥は嬉しそうに顔を赤くする。

 男は何の表情もなく、じっと美和を見つめた。男の足元辺りから伸びているらしい触手が美和を追いかけるように伸びた。腕を捕えるように伸びてきた触手を、とっさに美和は掴むと、両手で引きちぎった。

 意外にも簡単にちぎれたことで、美和は慌てたように次々と触手を床から引っこ抜いて行った。

「やめろ」

 冷たく響く声を発すが、男は体が不自由でもあるのか、ゆっくりとした動きで美和に向き直った。ただ触手は違う。素早く美和に向かってもう一本伸びてきた。

 足を上げて触手を踏みつけると、そのまま両手で握って引きちぎる。ちぎられた方はのたうち消え、反対側は床へ戻ってゆく。

「戸隠、お前何してるんだ?」

 担任の岡部が奇妙な動きをしている美和に首を傾げた。美和は近くの触手を力任せに引っ張り切ると、その破片を手にしたまま、担任に笑いかけた。

「先生には見えないでしょうけど、ここに霊が居るんです。その霊がみんなに憑いて、気を失わせたんです。すぐにみんなを外には出しましたけど、その原因が今ここにまだあるんですよ」

 さらに触手が見え、遥は飛びついて両手で引きちぎってゆく。その中に細い一本の触手があり、力を入れてなかなか切れないものがあった。だが美和は勢いに任せて引きずり出し、引っ張るのではなく両手に力を込めた。

「おのれ」

 男がうめき声をあげると同時に、その一本はじゅっと溶けるように、美和の手の中で消えた。触手が解けて消えたとき、一瞬ふわっと上がる蒸気が視界に入り、美和は顔を上げた。

 すると男の足に入っていた刺青が、薄くなって消えてゆくのを目にした。

「どういうこと?」

 何が起こったのかわからず、美和が眉を寄せる。そばに居た岡部が自分に話しかけられたとでも思ったのか、びくっと体を揺らした。

「どうって、あ? そ、うなのか? いやまあ、お前でも、冗談言うんだな」

 もしかすると心霊系は苦手なのかもしれない。岡部は真っ青な面で美和が冗談を言っていに違いないと、自分で話に整合性を付けたようだった。

 美和は岡部から視線をそらせると、手に握っていた触手を見た。生き物のようにしばらくのたくっていたが、今では力なくしおれてしまっている。手にしたものを見つめながら、どこかで見たことがあると思った。だが確証を持つ前に、それは手の中で解けるように消え失せた。

「まああれだ、さっさとお前も行動に行きなさい」

「そうしたいところなんですけど、原因がここにまだあるって言いましたよね?」

 美和は何もない場所を見つめて、隠すことなく告げた。だがますます岡部は訳が分からないと目をぱちくりとさせて、気味悪げに美和を見つめていた。

「さてと。一体いつまでここに居る気なの」

 見つめている先に居るのはもちろん、あの水干姿の男だ。男はうつむいたままその場で動きを止めてしまっていた。

「いったい何のつもり?」

 だが男は口を開かない。苛立った美和は男の腕をつかむと窓の方へと引きずり始めた。美和よりも頭一つ分近く背の高い男だったが、相手は肉体を持っていない存在だ。気合の入れようで重さはなんとでもなる。

 窓へと男を押しやって、鍵を開けて窓を開け放つ。

 空気にはわずかに青臭い匂いと土の匂いが混ざっていた。すぐそこではグラウンドを拡張する工事が行われており、銀色の防音シートが張り巡らされていた。

「二度とこういういたずらしないでよ」

 遠くでは救急車のサイレンが鳴っている。一瞥をくれてから、美和は男を窓の外へやろうと、肩をぐいと押した。何の身動きもしない男は、そのまま窓から落ちると思われた。

 だが、落ちる寸前、男の大きな手が動き、窓枠をがっしりとつかんだ。そのまま反動をつけて体を起こすと、今までぼんやりと力のない表情をしていたというのに、突然明るい光が差すような笑顔を浮かべて、鈍色の瞳で美和を見つめた。

「へえ! お前巫女か!」

「なんのこと?」

 美和がいぶかしげに眉を寄せ、再び男の体を窓の外へ押し出そうとしたとき、男は思わぬ行動に出た。

 美和の体を両手で抱きしめると、共に窓の外へと落ちて行った。


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