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9.化け蛙

 集会の終盤というものは実に曖昧なものだ。

 おそらく、人恋しいシャミセンのような類の奴は最後の最後まで残るのだろうけれど、私は違う。早くも人の集まる雰囲気に嫌気がさして、影鬼狩りがまだだという言い訳を盾に先輩方にこそこそ挨拶をしてさっさとお暇することを許してもらった。

 私が知るべきことは熊手が教えてくれたことで全てだったらしい。黒鯱に人狼。しかしまあ、深く考えるのは後にしよう。熊手の忠告にあった貴重品管理だってそこは大丈夫だろう。私にしか分からない倉庫があるし、生活に困らない程度なら持ち歩いているのだから。

 何よりも大事な貴重品と言えば命。だが、まさか人狼が私を獲物と見るようなことなんて――。

 やめておこう。なんだか嫌な予感がしてきた。


 それにしても、かつて朝顔様に取り憑いた悪鬼を静めてくれたのが人狼だったと言われているのに対照的なものだ。静海さんを始めとした野良犬連中は急に居ついた女人狼を敵視し続けているらしい。まだ何もしていないというのに、もう人を二、三人喰ったかのような扱いだ。けれど、十六夜町の外では人狼の被害も酷いものらしい。全部が全部そうだというわけではないが、狼に食われて死ぬ人間がいる限り、そういった扱いを受けるのも仕方がないというわけだ。

 なんて他人事のように言ったが、私ら夜人だって、十六夜町を一歩出れば同じようなものだ。影鬼以外を獲物として見たことがないから何とも言えないのだけれど、「魂食い獣」というものは人間の魂も好物としている怪物であったらしい。しかし、人間の懇願と憐み、さらには他の美味しい魂を持つ者の存在もあったので今のような形に収まっているだけのこと。


 もしも影鬼が存在していなかったらどうなっていただろうか。きっと萬屋の親父と親しげに語らうことなんてなかっただろうし、そもそも昼人の一族出身である母より私は生まれてこなかったことだろう。

 そう思うと、やっぱり伝説の人狼は別格なのだろうなあ。彼女がいたからこそ影鬼がうろついている。もっと言えば、集会場の祠に眠る異国の者たちも同じ。経緯はよく分からないのだけれど、彼女たちのお陰で影鬼はやってきたのだし。


「よお、集会は終わったのかい?」


 考え事をしながら暖簾をくぐる私に真っ先に蛙の親父が話しかけてきた。

 そう、ここは「月夜」である。集会が終わり、ひと狩りしてきたところでまたやってきた。「鶴亀」の銭湯で一汗流す前に新鮮な水と握り飯でも貰いたかったのだ。


「うん、ついでにひと狩りしてきたよ。今宵も大量だったね。しかも、血の気の多い奴らばっかだ。一匹食ったら一斉に怒り出した。まるで御玉杓子おたまじゃくしがわんさか集まっているかのようだったよ」


 その光景はぎょっとするものだった。

 本当は御玉杓子なんて可愛いものじゃない。奴らは本来昼人を食い殺すくらいの力があるものだ。誰かに使役されていれば勝手な行動は出来ないらしいが、従う者を持たない影鬼なんて猛獣と同じ。己の欲だけのために人を殺す。体を鍛えていなければ夜人だって苦戦するだろう。

 少々たまった疲労をため息と共に逃がしつつ椅子に座ってみて、そこでやっと私は先客に気づかされた。


「あんれえ、隼人じゃねえか!」

「よお、明。いつ気付くんだかと思っちょったよ」


 薄汚れた姿で隼人はそこにいた。

 他の仲間はいない。一人のようだ。


「静海さんたちは? あんたまた子犬扱いかい?」

「言うな。俺だってそろそろ頼りにしてほしいんだよ。でもなあ、今回は人狼だしなあ」

「あー、その話か」


 そういえば熊手が言っていた。

 野良犬たちが警戒しているのだって。昨日の静海さんだってそうだった。野良犬連中から見てそんなにやばい奴なのだろうか。

 私の内心の憂鬱を察してか、隼人もまた眉を顰め、ついでに声も潜める。


「聞いたか? どうやらお前んちの結構近くに――」

「うん、さっき先輩からね」

「ああ、集会もあったんだっけな。さっき兄貴たちが言ってたが、いくつか路地を挟んではいるらしい。でも、奴の潜んでいる辺りでは悪臭が酷いらしくてね。もしやとは思うが、旅人や身寄りのない昼人なんかを食っているんじゃないかって――」

「そいつは本当かい……?」


 そういえば起きた時に悪臭が漂っていたのだった。近くでネズミでも死んでいたら嫌だと水を飲まなかったのだけれど、まさかあの臭いの原因が人狼にあるというのだとしたら結構近いうえに物騒極まりない。

 ますます帰りたくなくなるではないか。しかし、路上で適当に寝るよりも自分の家に帰るのが安全なのは言うまでもない。此処は自分の幸運度合いを信じて寝に行くしかないのか……。


「ほらよ、ご注文の手羽先だ」


 蛙の親父が隼人に運んできた。

 うわあ、うまそうな肉だなあ……ってそれ鶏肉じゃないの。よくもまあ、歌鳥様の働いているところで注文できるものだな。

 といいつつ、どうしようもなく美味そうで涎がでる。店内をみたところ、今は小夜もいないみたいだし、私も同じの頼もうかなあ。


「まあ、まさか夜人を食うなんてこたあねえとは思うんだけれどよ、野良犬の兄貴たちと何だかやばい雰囲気なんだ。お前も巻き込まれんように気を付けた方がいいよ」


 まさに他人事といった感じで隼人はそんなことを言って、蛙の親父が運んできた手羽先に食らいつく。私の不安を煽るだけ煽っておいていい気なもんだ。

 内心むくれていると、蛙の親父に水を手渡された。受け取ってさっそく飲むと、ふと蛙の親父の意外と円らな瞳がじっと私の顔を見つめているのに気付いた。


「なんだい、大将。注文ならもうちょっと待っておくれよ」


 コップを置いてそう言うと、蛙の親父は「いや」と、何処となく周囲を気にしてからそっと小声で話しかけてきたのだった。


「なあ、明。お前さん、今日も黒鯱の旦那と一緒だったのかい?」

「なんだぁ大将まで。集会でもそのことで仲間にからかわれたってのによ」


 冗談かと思ってそう返したものの、蛙の親父の表情は優れない。

 その雰囲気に気付いて、私は肩をすくめた。何だろう。深刻というか、物騒というか……。蛙の親父にしちゃあ珍しいじゃないか。


「どうしたんだい、大将。黒鯱がどうかしたの? 貴重なお客じゃないか」

「誰だい、その黒鯱の旦那って?」


 隼人がもごもごと肉を頬張りながら口を挟んできた。その相手もおろそかに、蛙の大将はうーんと頭を抱えだした。どうやら言葉を選んでいるらしい。


「なんて言えばいいんかねえ。確かに貴重なお客だし、態度も丁寧だしよ、悪い人じゃねえようなんだが……」

「ならいいじゃん。どうしたってのさ」

「おい、無視すんな。黒鯱の旦那って誰よ?」

「うーん、そうなんだが……なんつうかねえ、彼の目に見られるとなんだか落ち着かなくてね。なんて説明すればいいかね。まるで昔、柿を毎回盗んで叱られてばっかだった近所の爺さんに再会しちまったような気持ち……もしくは、ものすごく迷惑をかけてろくに謝りもしなかった相手に会っちまったような……」

「なんだいそりゃ」


 相手されずに放置されたせいだろうか。

 隼人はすっかりふて腐れて黙って手羽先を食べていた。だが、そんな彼への罪悪感よりも今はずっと蛙の親父の様子が気になって仕方ない。

 なんだろう。熊手といい親父といい。黒鯱から何を感じ取っているのだろう。私から見たら女かと思うくらいの美形な男って以外は、余所からくる無力で無知な旅人にしか見えないのだけれど。


 ――……でも、君は少し自分の事をまだ分かっていないように見えるね。


 嫌な言葉を思い出した。黒鯱が初対面のくせに言ってきたあの言葉。

 ああ、やだやだ。どいつもこいつも何なんだ一体。


「まあ、ともかくよ」


 蛙の親父は目をぎょろりと私に向ける。


「黒鯱の旦那には注意した方がいいぜ。それが、ちょっとばっか長く生きてこの世界を見てきた老いぼれかわずからの忠告よ」


 妙に説得力があるものだから面倒臭いったらありゃしない。

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