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8.野良猫

 十四夜じゅうしやという場所はそこまで栄えてはいない。

 昼人たちの間では待ち合わせ場所として有名な広場があるらしく、ここから栄えている十夜や十三夜、さらには十五夜や十六夜などに向かうのだとか。

 彼らにとって十四夜とは通り道に過ぎないのだろう。

 しかし、私たち野良猫の多くにとっては此処は重要な場所だった。


 十四夜の外れ。そこには静かで厳かな雰囲気に包まれている林があり、その奥へと進めば古びた祠と錆びた刀が刺さっている。絶対に触ってはいけないと教えられているので、むやみに触れたがる者はあまりいない。下手に触れればすぐさま刀を守る亡霊が現れ、不届き者に罰を成すのだと言われているので、不気味がっているのだ。もちろん、それだけではなく、触れることは御上が禁じているのでばれたら大変だ。面倒ごとが嫌いな野良猫ならば、特に触りたがらない。


 刀が刺さった祠は墓でもあり、遠くから来た蛇神の子孫とその片割れである人間の女が眠っているらしい。蛇神というのは、月夜の親父のご先祖を追い出した件の女神さまだ。伝説によれば、彼女たちがここに訪れたことにより、影鬼が発生するようになったらしい。どうして追われていたのかは生憎覚えちゃいないけれど、影鬼たちはここに来た際に、例の花神と対立する悪鬼に捕まってしまったのだとか。

 そのあとはこの町に伝わる雌狼の伝説と同じだ。

 この墓に眠る二人が来たのは三百年以上前の話。その頃はまだ昼人と夜人は分かれていなかったのだとも聞いているが、後に夜人に分けられるものはどうやって生活していたのだろう。

 疑問だけが解消されないまま渦巻いた。

 なんにせよ、三百年ほどの時を越えて遺されてきたこの神聖な場所。壊したり、害したりしない限りは屯していても咎められないのは有り難いことだ。

 何故なら、ここは月に一度、私たち野良猫のための集会場となっているのだから。


「あれぇ、明ちゃん。もう来てたのねぇ」


 その声に振り向いてみれば、そこには馴染みの顔が二つあった。

 少年と少女。真っ黒な髪の少年の名前はトラトラ。どう見ても虎の血は混じっていないし、私から見ればヒグマだとかの名前が合っているような気がするけれど、彼がそう名乗るのだから仕方ない。そして隣に居る赤毛やら黒毛やら白毛などが混じった髪の和装少女の名前はシャミセン。実際に野良猫が急に行方不明になったあと霊妙な三味線にされて売り出されるとかいう怪談があるものだから、なんて不吉な名前なんだと思わなくもないが、こちらも彼女がそう名乗るのだから仕方ない。


「やあ、トラトラにシャミセン。しばらくぶりだね」

「あれ、そうだっけ? つい一昨日会ったような気がするけれど」


 トラトラが透かさず突っ込みを入れてくる。

 相変わらず細かい奴だ。私ら夜人にとっちゃ一日会わないだけで久しぶりだっていうのに。


「そんなことより聞いたよ、明ちゃん!」


 シャミセンがかかり気味に食い込んできた。


「旅人拾ったんだって? なかなかの美青年だそうじゃないかぁ!」

「黒鯱のことかい?」

「黒鯱だってぇ! なんか親しげじゃない!」


 からかい気味に言うシャミセン。

 正直、噂になっているのは前もって覚悟していたことなのだけれど、こうも堂々と言われるとさすがに面倒なものだ。

 しかし、まあ気にしたら負けだ。

 シャミセンは噂が好きでお喋りな女の子。おまけに人懐こくて野良猫以外の夜人はもちろん、昼人の知人も恐ろしく多くて行く先々で噂話をばらまいて行ってしまう。拡散させたい情報があるのなら大いに便利な人材だが、うまく付き合わねば大変なことになるだろう。


「なんだい、シャミセン。興味あんのかい?」


 こっちもからかい気味に訊ねてみれば、シャミセンは分かり易いくらいに赤面した。

 相変わらずの面食いだ。そうやってあちらこちらの御兄さんに現を抜かして隣にいるトラトラがあまりよく思っていないことを分かっているのだろうか。

 トラトラとシャミセンは幼馴染らしい。いつも一緒にいるせいか、シャミセンときたらトラトラの想いにも全く気付いてはいない。思わず柄にもないお節介をしてしまいそうになるけれど、その度に私は自分に言い聞かせる。


 ――私は野良猫。彼らも野良猫。


 お節介は迷惑でしかない。


「べ、別に、最近話題もなかったから気になっているだけだし! 明ちゃんこそどうなのよう。隼人くんはどうするのよ!」

「待て待て、なんか勘違いしてない? 黒鯱はただ拾っただけだよ。それに、なーんで隼人の奴が出てくんのさぁ」


 別に隼人のことが嫌いってわけではないけれど、変に勘ぐられて有る事無い事ぺらぺら喋られるのは実に不愉快なことだ。


「黒鯱に関しちゃ興味はないね。確かにいい顔しているけれどさ、私の好みは隼人でも黒鯱でもなくて、同じ年頃の野良猫男児さ!」


 はっきりとそう申したところ、思っていたよりも自分の声がよく響いたことに気づいてたじろいだ。

 どうやらこんなにも遠慮なくぺちゃくちゃ喋っていたのは私とシャミセンだけであったらしく、他の野良猫たちはまどろみながら月を眺めたり、祠に刺さる錆びた刀を眺めてごく小さな声で談話をしていたらしい。数名が私の方をちらりと見つめ、ひそひそ喋っていることに気づいて、改めて気恥ずかしさでぐっしょりと汗をかいてしまった。

 シャミセンめ……今度、銭湯代と焼鳥代を要求しよう。


「ひゅー、はっきり言うねえ明ちゃん。じゃ、トラトラとかどうなのよ」

「やめろよ――」


 眉を顰めてシャミセンを諌めているトラトラ。彼には同情してしまう。それでもなおシャミセンに対するお熱は冷めそうにないのだから恋っちゅうもんは実に厄介なものだ。

 っていうか、シャミセンよ。君は本当に気づいていないのだろうか。


「生憎、恋とか今はどうでもいいのさ」


 そう言い残して私はさっさと離れてしまった。

 こういう反応をしたとき、シャミセンは深追いしてきたりしない。そこはまあ彼女もやっぱり野良猫少女ということなのだろう。逆にシャミセンの方が話しかけてもらいたくない空気を出していることもあるくらいだ。普段は犬のように人懐こい彼女だからこそ、昼人やほかの夜人の仲には距離を見誤ってしまうことがあるけれど、私は間違えたりしない。

 シャミセンときたら話し足りなさそうだったけれど、心配せずとも彼女の相手はトラトラがしてくれるだろうし、好都合だ。


「よお、明」


 独り離れて月を眺めていると、さり気なく隣に現れたのは年上の野良猫の青年だった。

 彼の名前は熊手くまで。元々名前は無かったらしいのだが、私くらいの年齢の時に昼人や旅人に危害を加える狂った夜人を素手で黙らせたことがあると噂されている。その時についた名前が熊手。それが本当ならば相当の実力者だろうけれど、彼もまた私と変わらないような野良猫生活をしているらしい。

 見た感じだけならば、非常に穏やかそうな人物にしか思えない。


「さっきも小耳にはさんだが、風来坊を拾ったらしいじゃないか」

「なんだい、もう皆知ってるんだね」

「夜人の噂好きを舐めちゃいけねえ。十六夜町に住まう輩ならほとんどが知っているだろうよ。異国から怪しい奴が来たってな」

「怪しい奴? 黒鯱が、かい?」


 訊ね返すと熊手は逆に意外そうな視線を私に向けた。


「おや、とっくにあんたも気づいているかと思っていたが……」


 何の事だろう。

 心配せずとも黒鯱はどう見たって無力な旅人だ。髭も生えていない美青年。ここらじゃあまり見かけない類の顔だちだが、危険人物だなんて到底思えない。

 しかし、熊手の感じているらしい不信感は本物のようだ。


「ともかく、あんたが分かっていないのなら言わせてもらうよ。黒鯱……だったかな、そいつにゃ気を付けた方がいい。幾つもの仮面を被っている胡散臭い男だ。夜人の一部はすでに奴を監視し始めているからね」

「何だって? 黒鯱をかい?」

「ああ、だから悪いことは言わねえ、あんたも奴にはあまり関わらない方がいい」

「うーん……」


 曖昧な返事に留まってしまった。

 そもそも熊手のような男が他人にここまで説教染みたことを言うのも珍しいだろう。これまでだって世間話をすることはあっても、ここまで忠言らしきものを述べることなんてなかったように思う。

 じゃあ、やっぱり黒鯱は大人連中から見てまずい奴なのだろうか。

 しかしどうも解せない。拾ってしまった手前、いきなり関わらないなんてこと出来るだろうか。相手は人懐こい旅人の青年だ。今日みたいに私が話しかけなくてもあっちから来ることだろう。そうなったときに、無視できるのか否か。

 ああ、面倒臭い。話しかけてくる奴を無下にするっていうのも面倒臭いじゃねえか。どう考えても野良猫に出来る行動じゃねえ。


「まあ、仕方ねえか。何だかんだいって野良猫だもんな。だがよ明、そろそろあんたも他人を適当にあしらう術も学ぶべきだ。何も喧嘩をしろってわけでも、嫌がらせしろってわけじゃない。うまく距離を取って面倒事に巻き込まれない生き方をしろってことさ」


 そんな生き方なら私にだって出来ているはずなのに、なんでこんなこと言われなきゃならんのだろう。

 シャミセンといい熊手といい何だか不満しかたまらない。ああ、これだから集会なんてなくたっていいって思っちまうんだ。猫なら猫らしく一人気ままにさせておくれよ。

 ……とはいえ、やっぱり人恋しくなるからこうして律儀に出席するし、月夜屋や萬屋を始めとした店の数々で世間話なんてしちゃうんだけれどね。


「さて、口煩いかもしれんが、もう一つ」


 なんだってんだろう。

 正直うんざりとするのだが、一応は先輩である熊手。住まいも縄張りも若干かぶっていることだし、此処は黙っているのが一番だ。

 そんな私の心などたぶん見透かしているのだろう熊手は、苦笑を浮かべながら言った。


「あんたの御屋敷の近くに女人狼が住みついたらしいぞ」

「ええ?」


 その途端、煩わしさなんて吹っ飛んだ。御屋敷だなんて心にもない嫌味はともかく、人狼といったら静海さんが散々警戒していたあれじゃないか。


「なんだいそれ、初耳だよ?」

「だと思った。まあ、今は心配せずとも目立った動きを見せちゃいねえようだ。だが、相手は人狼だ。人間はもちろん、昼人も食っちまうかもしれない。ともすれば、弱っちい夜人をも食い殺してしまうかもしれんなあ」

「ちょ、ちょっと、やめとくれよ……」


 一応、私は野良猫の中でも平均以上くらいの強さはあるって信じてはいる。

 だが、相手が人狼となるとどうだろう。なんだってまあ、よりによって私の城の傍に住みつくなんて。


「そうじゃなくとも、しばらくは野良犬どもが人狼を監視するためにうろちょろするだろうよ。念のため、あんたも貴重品の管理は気を付けたほうがいいぜ。まあ、今出回っている情報はこのくらいだ。言わねばあんた聞かないと思ったから聞かせたわけだが、お節介だったかね」

「うんにゃ、わざわざ有難うよ……」


 素直に礼を言うと、熊手は満足げにその場を離れていった。


 ――なんてこった。


 その大きな背中をしばらく見つめ、飽きてからは再び月を眺めた。

 黒鯱に人狼。ここしばらく十六夜町を騒がしている連中が寄りによって私に嫌でも絡んできそうな臭いをぷんぷんさせているなんて。

 結局、集会が終わるまでずっと私は気重なまま過ごす羽目になった。

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