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4.十六夜町

 十六夜町の歴史は複雑だ。

 かつては隣国である花の国の一部だったこともあるらしいし、逆方向の隣国である天翔(てんしょう)という国の権力者に支配されていた時代もあったらしい。

 その名残もあるのか、十六夜町を取り纏めるのは、十六夜町育ちよりも、花の国か天翔国出身の流れ者が多いらしい。


 いまも天翔出身の御偉いさんが中心となって取り纏めている。名前は確かミサゴ様。こちらじゃあまりない風の名前だから、すぐに覚えてしまった。

 名前は知っているものの、もちろん、私らのような民間人が触れられるような旦那様じゃあない。十六夜町の中心に位置する十六夜広場のど真ん中にそびえ立つ時計塔の中で、今も私らにゃ一生分からないだろう問題と向き合っているのだとか。

 たった一人でこの広い地域を纏めきれるわけもない。ミサゴ様を支えている右腕、そしてその下に更に十六人の御偉いさんが仕えていて、この広い十六夜町をそれぞれ分けて管理している。


 私の住んでいる場所は十五夜じゅうごやという通り。十六夜町一番の繁華街がある賑やかな場所だ。他にも十三夜、十夜とおや、そして時計塔のある十六夜いざよいも栄えている部類に入るけれど、どれも十五夜には及ばない。


 旅人の中には十六夜町に行くのなら十五夜の繁華街を歩けば十分という輩もいるらしい。生まれてこの方ずっと十六夜町に住んでいる私もそれには納得する。十六夜町という場所を知りたいのなら、十五夜で十分だろう。それ以外の場所へと向かうのは、よっぽどの風変わりか、定番に飽きてしまった贅沢人だ。


 黒鯱もどうやら十五夜を通って町を出るつもりだったらしい。

 十五夜をとりあえず見学し、ここ十六夜町というものがどういう場所なのか知りたかったのだとか。風変わりなうえに、ずいぶんと呑気なものだ。ここには影鬼がたくさん出るというのに。


 そう、十五夜はほかの通りに比べて影鬼の数が多い。

 単純に人が多いせいだろう。そして、宿の主人の忠告を無視してのこのこ夜闇に出掛けてしまうような無謀な昼人や旅人も少なくはない。だから、腹を空かせた影鬼たちは十五夜に集まるのだ。そして、その影鬼たちを求めて、腹を空かせた夜人たちは集まる。

 夜人の数に困らないから、十五夜の御偉いさんはミサゴ様と同じ天翔てんしょうの剣豪だ。ミサゴ様ともども、昔、天翔で内乱が起こった時にどうにか生き延びた女剣士の血縁の子孫であるとか聞いたことがあるが、生憎、その鳥のような名は私ら他国の底辺ども――それも、夜人にはピンとこない。


 ちなみに一夜から五夜までは住宅が立ち並んだ地域である。多くは昼人か、呑気で争いを好まない夜人が住んでいるそうだ。私の母も三夜という場所に住んでいる。あの辺りは影鬼の出現もさほどないらしいから心配はない。それにあの辺りを治めているお偉いさんは、影鬼からも恐れられている夜人の猛者だ。彼は確か、その先祖は猫でもなければ犬でもなく、虎だった。どうりで強いはずだ。その上、虎や獅子というものも野良猫と喋れるのだから、なんだかずるい。


「しかしまあ、虎や獅子というものはその血を引かない者からの不信感も強まるものだからね。君たちのような猫よりも生き辛いはずだよ」


 十五夜を歩きながら私の他愛のない愚痴を聞いて、黒鯱はそんなことをのたまう。


「そんなん分かってるさ。でも、思うだけは自由だろ? それに、虎や獅子なんかになりたいってわけじゃあないよ。猫は猫で狭い場所に入れるし、他人とも付き合いやすいしね。猫の血が強く出たことを怨んだこたあないよ」

「そっか。そりゃあいいことだ。生まれつきの自分を受け入れられるというのは大事なことだからね。……でも、君は少し自分の事をまだ分かっていないように見えるね」

「はぁ? 会って一時間も経たないあんたに何が分かるのさ」


 どうしてそんなことを言われるのか、意味が分からない。

 会った時から思っていたことなのだけれど、この黒鯱とかいう男、なかなか馴れ馴れしいしふてぶてしい奴だ。だが、私が舐められているせいというわけではないだろう。たぶん、この怖いもの知らずはこの町で一番偉いミサゴ様が相手でも同じような態度をとるだろう。


「あんた、そういう性格なのかもしんねえけど、行く先々で問題起こすのだけはやめてくれよ」

「問題? おや、僕の態度なにかまずかっただろうか。申し訳ない」

「……やりづらい奴だな。まあいいや。もう少しで飯屋だ。『月夜』っつう店でね。一応宿もやってる。空いているか分かんないけど、たぶん、大丈夫だろ」


 月夜――正式名称「月夜屋」は十五夜の端っこに位置する店である。

 亭主は夜人の蛙のおっさん。身寄りのない夜人の双子姉妹――満月と新月という――と一緒に店を切り盛りし、温かい料理を提供してくれる。夜人はもちろん、昼人の一部や旅人にも人気の高い店であるのだが、宿に泊まりたいという人はさほど多くはない。


「空いてなかったら自分でしっかり探すよ」

「遠慮すんなよ。道に迷ってあたしんち来ちまうくらいなんだからさ。万が一、そこが空いてなくても、他にも数件は知ってるから」


 もちろん、その分の手数料は戴くつもりなのだが。


「有難う。明はいい人だなあ。夜人っていうのはもっと怖い人なのだと思っていたよ」

「はは、いい人だなんてくすぐったいよ。もちろん、忘れちゃいないだろうが、お駄賃あってのことよ」

「それは分かっているよ。それは別として、ですよ。何しろ、ここに入って以来、僕を迎えてくれたのはガラの悪い夜人さんたちだったからね」

「おや、そうなのかい。そりゃ災難だったね」


 ガラの悪い夜人と言えば、大人だろう。多くは野良犬の男だが、他種族である場合もあるし、女である場合もある。縄張り意識が高くなるというのは、およそ中年くらいの者に多いだなんてことを萬屋の親父が言っていた気がする。……いや、猫の誰かだっただろうか。

 まあ、それはともかく、怪しい旅人なんてそういった輩に目を付けられることは避けられないだろう。道に迷っていて挙動不審だったのなら尚更のこと。


「じゃあ、『月夜』で他の夜人とも仲良くするといいよ。旅人つっても、この町では顔見知りが増えた方が何かと有利だからね」

「そうするよ。明が一緒なら安心だね」

「はあ、調子のいいやつ。まあ、その様子なら心配はなさそうだねえ」


 それにしても、この男から伝わってくる余裕はいったい何だろうか。

 他国の人間なんて昼人以下の力しか持っていないものだ。影鬼にとっては爪も牙も持たない絶好の獲物。旅人なんて向こう見ずでないとなれないもので、影鬼に食い殺されたと聞いたとしても、私ら夜人は何ら驚きもしないものなのだ。

 だが、この男は何か違う。余裕ある態度が全く滑稽ではないのは何故だろう。


 一応、言っておくが、別にこの美男子に惚れたわけではない。私の好みは私と同じ化け猫の血を引いているという最低条件をクリアしている同じ年頃の男子だけだ。


 ちなみに、私の知り合いに野良猫型の夜人は結構いる。というのも、野良猫として生まれたものは月に数回行われる集会に参加するのが暗黙の掟であるからだ。無駄なトラブルを避けるためでもあるし、噂を耳にするためでもある大切な会合である……と、野良猫の先輩に念を押されたことがある。

 しかし、わざわざ影鬼狩りを放り出して参加するまでもないと思っている者も意外と多い。特に私の周辺の野良猫の若者たちはその傾向にある。実を言うと私もだ。その理由は、今向かっている月夜屋にもある。

 ここは約束しなくても夜人に高確率で会える場所でもあるのだ。わざわざ会合に行かずとも、ここで挨拶を交わせるものだし、個人主義な野良猫連中がいちいち他人の夜会の参加の有無に目くじらを立てるなんてことは滅多にないのだから仕方がないだろう。


「ほらよ、ここが『月夜』こと『月夜屋(つくよや)』だ。でかくて古いだろー?」

「へえ、立派な店だ。創業何年なんだろうか」

「さあねえ、そんなこと考えたこともなかったよ」


 きっと大昔も大昔だろう。

 この店を切り盛りしている親父は化け蛙の子孫だ。その化け蛙はかつて此処からそれなりに遠い蛇神の治める土地の近辺で粗相をしてしまったとかで、蛇神の怒りを買ってしまい、命からがら此処まで逃げてきたのだという。その後、この十六夜町の人間に混ざって子孫を残し、その血は今も夜人として開花するというわけだ。その昔話にはすでに「月夜屋」の名前が出ることだけは確かである。そして、ここの親父の曽祖父の代にはすでに化け蛙の血が混ざり込んで久しい状況だったのだとか小耳に挟んだ気もする。

 まあどちらにせよ、その真偽など野良猫風情の私が知るわけもない。


 ところで、かの蛙様かわずさまは蛇神の許しを得ぬまま当り前の獣のように死んでしまったらしい。蛇神は嫉妬深いことで有名な女神である。たぶん、今も許してはくれないだろう。子孫である月夜屋の親父は幼い頃からその話を聞かされすぎたせいで、いまだに蛇が苦手であるのだとか。ごつい見た目のくせに繊細な男だ。


「よお、大将。邪魔するよ」


 黒鯱を引き連れて暖簾のれんを潜るなりそう言うと、厨房の出入り口に突っ立って野狐の男と何やら話していた小太りの壮年男がすぐさまこちらを見た。


「おう、明じゃねえか。邪魔すんなら帰れ」

「蛙だけにかい?」

「うっせえ!」


 軽口をたたくなり、小気味のいい親父の声が返ってくる。

 そんな彼の姿を、黒鯱は不思議そうに見つめていた。


「おや、そのお方は誰かな? 新顔がいるなら早く言っとくれよ」

「ああ、悪いね。黒鯱っていうんだ。旅人らしくてね」


 紹介すると、黒鯱は我に返ったように一歩踏み出し、丁寧に蛙の親父に頭を下げた。


「初めまして、僕の名前は黒鯱。花の国から流れてきた旅人です」

「花の国……七花か……ううむ……」


 紳士的な黒鯱の態度だというのに、何故だか蛙の親父は一瞬だけ眉を顰めた。近くにいた野狐の男もまた、じっと黒鯱の姿を見つめ、何かを考えている。


「どうしたんだい? 難しい顔をして」


 思わず訊いてみれば、蛙の親父は慌てて首を振った。


「いや、なんでもないんだ。たぶん、気のせいだろう。すまんね、旅人さん――黒鯱さんだったかな?」

「いえ。お気になさらず。ところで、ここは宿もやっていると明から聞いたのですが……」

「おお、確かにそうだよ。泊まりなさるかね?」

「都合がよければ」


 どうやら私の役目も終わりのようだ。

 ここから先は私なんかよりも旅人の案内に慣れている蛙親父の出番だろう。そう思うとなんだか解放されたような、寂しいような、複雑な気分になる。


 ――まあ、私は所詮、食って寝るだけの猫だからな。


 何とも言えないつまらなさを胸に、傍の椅子に座り、品書きをぼうっと眺めていると、厨房の奥から女中をしている兎の双子が湯呑を運んできた。

 満月と新月。どちらがどちらか覚えるのにはしばらくかかった。今では紛らわしさを考慮してか、満月は紅、新月は蒼の羽織を身に纏っている。


「いらっしゃい、明ちゃん。珍しいね、こんな時間にさ」


 喋るのはいつも満月の方。新月は非常に口数が少ない。二人とも美少女でよく似ているのに、性格は正反対だ。名前をつけたのは蛙の親父。だが、親戚などではなく、身寄りもなく雨風防げる場所を持っていなかった二人を引き取ったのがきっかけだった。

 今ではここ「月夜屋」の看板娘。彼女たち目当てに来る寂しい人間も多いのだとか。


「道案内したからね。もうお役目解放みたいだから軽く菓子でも食べたら銭湯に行ってくるよ」

「あら、残念。今日の影鬼の調子とか詳しく聞きたかったのにな」


 満月も新月も、蛙の親父と同じく夜人である。

 つまり、どんなに昼人向けの料理を食っても真に腹は満たされず、どうしても影鬼を殺さなくては飢えてしまうのは私と変わらない。


 この可愛らしい双子には神兎しんとと呼ばれる伝説的な兎神の子孫の血が流れている。普段はただの兎のふりをしているが、人間の見ていないところで人語を喋り、二足で歩き、棒術や弓術を嗜むのだとか。時に、困難に見舞われた旅人を助けるのだとかで、十六夜町の外では神として崇めている地域もあるらしいが、一方で魂を食う習性から人を襲い、恐れられている場合もある。

 そんな神兎の一派がここに流れてきたのは、実はそう昔の事ではないらしい。具体的にいつ頃なのかなんてきっと誰にも分からないだろうけれど、私の祖父母の代が私くらいの年齢の頃にはいなかったであろう種族のものだ。今ではこの双子を含め、あらゆる野兎がこの町にもいるけれど、どうしても新参者扱いは避けられないらしい。


 だからだろう。この双子は捨て子となってしまった。

 きっと昼人の家庭に生まれ、知らぬ間に神兎の血が混ざり込んだのだろう。古くより流れを組む野良犬や野良猫であったならばこうはならなかったかもしれない。だが、得体の知れない新たな種類の気配をまとった赤子の誕生に、きっとこの二人の生家の者たちは戸惑ったのだろう。しかしその結果が、幼い二人の孤児の誕生だ。蛙の親父が出会っていなければ今頃どうなっていたのか考えるだけでも恐ろしい。

 それでも、親父のお陰かはたまた元来の性格ゆえか、満月と新月はとてもいい娘に育った。よく働き、朗らかで、老若男女問わず多くの夜人の心を掴めるような人物である。


「手短に言うと、今日も昨日と変わらず、だよ。川の傍は昨日よりも更に酷い臭いがするから違う場所がいいかも」

「そっか。うん、あたし達はおやっさんと十六夜の広場の裏辺りに行くから川の臭いは大丈夫かな」

「あの辺に? ガラの悪い兄ちゃんばっかりって友達が言ってたけど」

「その柄の悪い方々にも用があるの……」


 か細い声で新月が教えてくれた。

 いったい何事なのだろうと首を傾げていると、満月が手招き誰かを呼ぶ。反応したのは、見馴れぬ顔立ちの娘だ。夜人でもなければ、昼人でもないが、この店の羽織を着ている。


「紹介するね。この子は小夜ちゃん。お隣の天翔から来た新入りなの」


 小夜。満月の紹介を聞きつつ、私は茫然とその娘を見つめた。天翔から来たのならば、昼人でもないし、夜人でもないのは当たり前だ。だが、天翔の権力者たちのような人間らしさもまたこの娘にはない。

 何故だろう。でも、こんな雰囲気の者は見たことがある。多くは天翔出身の御偉いさんの傍らに突っ立っているような役職の者だ。男であれ、女であれ、皆、不可思議な雰囲気をまとっている。


 と、そこへ、蛙親父と話終えた黒鯱がやってきた。


「おや? 君はもしかして――」

「え? 知り合いなの?」

「いや、そうではなく。気のせいだったら申し訳ないのだけれど……もしかして、君は変わった血を引いているね?」


 何やら意味ありげな物言いだが、そんな黒鯱に対して、小夜とかいうその少女は丁寧に頭を下げたのだった。


「お察しの通りです、旅人さん。私はただの人間。蛙の旦那さんに拾われた、運のいい歌鳥です」

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