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8.練習

 隼人は面白いほどにうろたえている。

 なぜ、そんな反応をするのかはじめはわからなかった。しかし、だんだんと私が今しがた放った言葉をかみしめていき、顔から火が出そうになった。

 隼人の奴、そわそわしやがって。


「ち、違うんだ! 付き合ってって言うのはだな――!」

「お、おお! わ、わわ分かってらぁ! 俺をあんまり馬鹿にすんじゃねえ!」


 それにしては怒りすぎだ。

 まあそれはいい。それは重要ではない。


「そりゃ何よりだ。あんたが賢いワンちゃんでよかったってものよ。そんなら戦ってくれるね?」


 気恥ずかしさに目を瞑って訊ねてみると、隼人は首を傾げた。


「戦うのはいいが、お前が期待しているほど俺は動けんぞ? 怪我はよくなったっていってもよ」

「いいんだ。本格的にお手合わせしたいわけじゃねえ。動ける範囲でいいんだ。隼人、あんたにゃ追いかけっこしてもらいてえ」

「はあ? 追いかけっこ?」

「そ。追いかけっこだ。とにかく、私を捕まえてみてくれないか?」


 そう言って変身を解いてみれば、体が妙に重たく感じた。なるほど、この感覚にも慣れないといけない。まあ、それはいい。とにかく、今は隼人の協力が重要だ。


「なんだか知らねえけど、それで特訓になるのか?」

「もちろんさ。これは、一人じゃ出来ねえ。だから、協力してほしいんだ」


 珍しく懇願する姿勢となったためだろう。隼人は深刻そうな顔をした。

 別にそんな顔をするほどの事はないが、でもまあ、この特訓が明日の生死を別つことになるかもしれないのだと思うと、隼人の姿勢ももっともなことだ。


「分かった。なんだか知らねえが、やってみる」


 そうして、追いかけっこは始まった。

 もちろん、隼人がうまく動けないことを頭に入れての追いかけっこだ。この追いかけっこで重要なことは、単に逃げ切ることではない。隼人の手が人間姿の私へと掴みかかってくるギリギリまで待つのも、そういう理由だった。手がかすめるかかすめないかで、先程の感覚を思い出す。

 本来の自分。無理のない自分の姿。かっこつけるわけでもなく、いい子ぶるわけでもない。気づいたばかりの私の本当の姿を思い出し、身にまとう。


 木天蓼を手にするに相応しい姿へ。


「おおっ!」


 隼人の間抜けな声があがった。頭上高くでのことだ。

 私の方は四つ足で地面へと着地し、そのまま隼人の足元から背後へと回る。今の私は隼人がさきほど言ったような姿なのだろう。自分で確認できるのは手足くらいのものだが、それだけでも今の自分がおよそ人間とは呼べない体になっていることは分かる。猫の姿だ。三毛猫といったっけな。せいぜい可愛い姿だといいのだが。

 

 我に返った隼人が振り返り、私めがけて手を伸ばしてくる。そこへ自ら飛び掛かり、そのまま隼人の右肩から後ろへと飛び乗っていった。

 ただ猫姿で逃げ回るだけじゃ意味がない。隼人の背中を蹴って着地した後が問題だ。瞬時に人間へと姿を変えるのは、まだぎこちない。隼人を十分に翻弄しなければ負けてしまうだろう。それでも、手負いの彼相手ならば、どうにかなった。

 着地と同時に木天蓼を置いたままの地面へと滑り込み、人間の姿に変わって妖刀を手にする。だが、抜いて突き付ける前に、隼人は振り返った。


「なるほどね」


 そして両手をあげる。


「でもよ、その戦い方じゃ、敵に武器を奪われかねんぞ」

「ああ、味方が居てこそだろうな。私のような野良猫の戦い方じゃないが」

「海を越えた異世界には獅子という生き物がいるそうな。そいつらは化け猫みたいなものだが、群れで狩りをするらしい。そういう『ちーむわーく』っていうのが大事なんだって。こちら風に言えば、仲間との連携ってやつだな」

「はあ、また異世界語かよ。勘弁しろよな」


 とはいえ、異世界語も次第に溶け込んできているのも事実だ。

 このまま浸透していけば、きっと異世界も異世界ではなくなる日が来るのだろう。そう思うと、不思議な期待と不安を抱いたものだし、そういう未来を体験してみたいと思うものだった。

 そのためにも、まずは女豹との生存競争に勝たねばなるまい。気を引き締めながら、私は隼人に言った。


「ともあれ、今のが私なりに考えた緊急回避だ。思っていたように動けそうだな」


 我ながら得意顔だっただろう。しかし、隼人の奴はどこか思うところがあるらしい。


「そうだな。でも、もう一度やってみねえか?」

「なんで?」

「さっきは不意打ちだっただろう。しかし、女豹の奴との戦いが一度で済むとは限らねえ。何度もぶつかり合う可能性だってあるものだし、お前の策を知った者との戦いも練習しておくべきだろう」

「……うーん、確かに」


 納得がいったので、さっそくやってみることにした。同じ手に乗るわけがないと聞くと、木天蓼を持ったまま向き合うしかなかった。もちろん、この状態で抜いて突き付けたって練習にならない。ならばどうするべきか考え、そして結論に至った。

 隼人の手が伸びてくる。その動きを見切って、素早く彼の後方へと木天蓼を投げ、ほぼ同時に猫の姿へと変わった。そして彼の真横を通り抜け、一目散に木天蓼の落ちた場所へ駆けつける――はずだったのだが、私の計画は「真横を通り抜ける」ところで狂ってしまった。


「ほおれ、捕まえた」

「えええ……!?」


 暴れるも、猫の力ではどうしようもない。

 相手もまた半妖なのだから当然だろう。一度捕まってしまえば、この猫の姿は不便なものだった。


「落ち着け落ち着け。よーしよしよし」

「やーめーろー! んもう、分かった、私の負けだ!」


 本物の三毛猫ではなく友人であることを思い出してもらい、解放してもらったところで私は人間の姿へと戻った。とぼとぼと木天蓼を投げた場所へと向かい、拾ってやるとがっくりと項垂れた。

 いい案だと思ったのだがなあ。


「そうがっかりするなよ。勝った俺の心が痛むだろう? 次勝てばいいじゃないか」

「がっかりせずに居られるかっての。だいたい、これが女豹だったら次なんてねえんだぞ?」

「そりゃあ……そうだけどよ。そのための訓練だろう?」


 隼人の慰めを聴きながら、何がいけなかったのか自分なりに考えてみた。

 やはり、一回戦と同じように手の届く場所を通ろうとしたのがいけなかったのだろうか。型にはまった動きに囚われてしまっては、自らの敗北を引き寄せるだけだ。

 それではいけないのだ。だが、意識して何とかなるものではないだろう。しかし、だからといって、何がいいかなんてまだまだ瞬時に判断できていない。変身という習得したての小技を絡ませているのだから仕方ないかもしれない。


 とにかく、練習が必要なのだ。場数を踏んで、マシな動きを目指さなくてはならないだろう。

 そして、黒鯱を唸らせるような化け猫になってみせようじゃないか。


 一度、目をつけられた私は、女豹にとっちゃいい餌なのかもしれない。十六夜町のお偉方も、ひょっとしたらそんな私をシャミセンのように都合のいい生餌と判断している可能性だってある。

 可哀想にシャミセンの奴、それを分かった上で囚われて、日々危ない目に遭わされているんだろう。納得済みとはいっても、友人がそんなことしていると思うと居ても立っても居られないのが本心だ。野良猫は個人主義だが、愛情だってあるものだ。

 だが、今のまま飛び込んだとて足手まといになるだけというのも痛いほど分かる。守られるのはシャミセンだけでいいし、その方が確実だ。今のままだと、シャミセンまで危ない目に遭わせることになりかねない。


 だから、強くなってから生餌になってやろう。彼女が捕獲機に取り付けられる撒き餌だとすれば、私は自ら相手を苦しめる毒餌になってやるのだ。


 ――よし、頑張ろう!


 と、強く意気込んだところで、くらりと立ち眩みを感じてしまった。

 その場にしゃがみ込むと、今までにない貧血のようなものを感じてしまった。慣れない感覚に戸惑っていると、隼人が歩み寄ってきた。


「大丈夫か? ちょっと無茶しすぎだろう。今日はもう帰ろう」


 まだまだ、と言いたいところだったが、確かにもう限界だ。

 黒鯱と戦い、猫姿になれるようになり、それからだったのだから当然だ。無限の体力と妖力があればいいのに。そんなことを思いながら、木天蓼をそっと抱え込む。

 明日、明後日とは言わない。だが、近いうちに、納得のいく動きが出来るようになればいいのだが。


 何処か後ろ向きな思いが生まれたところで、私たちは野良犬集団の待つお屋敷へと帰った。

 泥だらけの私たちの姿に、お屋敷のお手伝いさんなんかは顔をしかめたものだったが、銭湯とはまた違うのびのびとした風呂に入れて貰い、どっと疲れが取れた。

 夕食は野良犬集団の大人と一緒だった。暁の旦那や静海姐さん、数名の部下も一緒だ。野良犬ばかりに囲まれて食べるのはやや緊張したが、その緊張を察しているのか、野良犬の大人たちはいずれも優しく話しかけてくれた。くだらない話や世間話ばかりだったが、共に笑い合うにはちょうどいい。温かく和やかなその雰囲気は、野良猫生活をしてから先、縁のないものだったし、苦手で自分からは飛び込めないものではあったが、こうして引き込まれてみると、あまり悪い気はしない。


 野良犬と一緒に暮らす、か。

 もちろん、強くなった後は一人で生きていくつもりだ。いつまでも此処に匿ってもらうつもりはないし、何より私には窮屈すぎる。

 だが、猫であっても犬と共に暮らすこともあるという事が、何度も頭をよぎった。隼人たちとわいわい夕食をとりながら、気付けば私は何度も何度も未来について考えていた。


 寄りかかるのではなく、互いの特徴を活かし、協力しながら生きていく。そういう暮らし方も、案外悪くないのかもしれない。

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