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4.野良犬

 借りてきた猫のよう、という言葉があるのだが、今の私はまさにそれだ。


 まあ、何処から借りてくるのかと問われればなんか違う気もするのだが、とにかく、この立派なお屋敷の広間に居ながら、私は部屋の隅でなるべく存在感を消し、柄にもなく正座をしていた。用意された座布団にも座らずに。全身から汗が流れ、畳に染み込んでいる気がする。この臭いはきっとこの場にいる皆さんの鼻を大変不快にさせると思うのだが、自分では止められないので仕方ないと思うしかない。


 ごくりと唾を飲み込んで、向けられる視線にただひたすら耐えていると、広間の襖が急にがらりと開けられた。現れたその二つの姿を窺い、ちょっとだけホッとした。


 いつになく動きにくそうな恰好をしてお手伝いさんらしき女性の介助を受けながら歩く静海さんと、傷だらけの隼人。二人の顔が見えた途端、全身の緊張が解けていった。髭があったらぷるぷるしそうだ。瞳孔もさっきまで開きっぱなしだっただろう。


 静海さんは介助を受けながらゆっくりと歩き、暁のお頭の隣へと向かう。この場で唯一胡坐をかいている暁のお頭の横で美しく座る彼女は、この場で二番目に偉いということなのだろう。その他、たまにみかける野良犬のおっちゃんや初めて目にするおばちゃん、隼人の坊ちゃんなんかはきりっと身を正して頭領の言葉を待ちつつ、客人待遇でありながら全身に汗をかきながら肩身の狭いを思いを隠せない私を見つめている。


 と、そこへ別のお手伝いさんらしき女性――どうやらこの人も野良犬のようだ――が、氷でぎんぎんに冷えた麦茶を持ってきてくれた。氷と硝子が光を反射して綺麗だ。沖を渡ってすぐにたどり着けるという帝国風の柄。言葉の通じぬ異世界ではあるが、船を使った交易も盛んな今では、そう珍しくもない柄のコップである。

 飲みたいのは山々だが、手を伸ばすことさえも緊張する中、私はお預けされた犬っころのようにコップの綺麗な光を眺めていた。


 そうしているうちに、やっと暁のお頭は口を開いたのだった。


「さてと、明。気が散るかもしんねえが、勘弁してくれ。この部屋にいるもんが我が群れの面々だ。皆、十六夜町の時計台に忠義を尽くす犬どもよ。静海や隼人の坊主は以前から世話になっているようで、話しくれえは聞いたことがある者も多い。皆、お前を歓迎する。緊張せずに茶ァくらい飲め」


 人狼の牡丹とはまた違った野性味あふれる眼差しで促され、私は恐る恐るコップに手を伸ばした。すでに水滴があふれ、手を湿らせる。促されるままに口をつけて飲んでみるも、喉の渇きが潤うような気にはならなかった。緊張と居心地に悪さのせいだろう。時計台の檻に閉じ込められた時よりもずっと恐ろしい。

 だが、麦茶は美味しかった。飲んでいるうちに少しくらいは喉も癒され、しまいにはふうとため息が漏れるほど満足は出来た。コップを置くと、広間にいたうちの数名の野良犬が肩の力を抜いた気がした。


「ふん、どうやら一人前の夜人らしく肝は座っているようだ。さっそくだが、明。隼人の坊主の怪我の理由はよく聞いている。十四夜の慰霊の森で鬼灯様に勝負を挑まにゃならんこともね。時計台のお役人どもは困惑しているんだ。ミサゴ様の耳にはまだ届いておらんが、お前を任されていたチュウヒ様が困っていらっしゃる。十四夜を任されている番人もだな。なぜなら、十六町では未成年者に真剣を持たせてはならぬという決まりがあるからだ」


 うぐ、と息を飲みながら、私は膝に爪をたてた。


 熊手のおっちゃんは御上の決めた法を知っていながら、それを破る形で私に木天蓼を渡したのだ。夜人にゃ関係ないと主張したところで、役人どもにはそれを咎める権利があるということだろうか。しかし、成人するまであと数年。それを待っていれば、私はきっと女豹に殺されてしまう。喰われてたまるか。昼人や昼人ですらない人間たちの決めた掟なんて、守っていられるかというのが私の本音だった。


 正直なところ、それは野良犬の皆さんも同じらしい。

 それでも、暁のお頭は複雑そうな表情で言うのだ。


「それに、アヤカシの血の開花も本当はいけねえ事なんだ。昼人を怯えさせちまうからね。この地域は独立した町でもあり、花の国と天翔の国境の摩擦を誤魔化すための中立地区でもある。つまりは、町らしさを維持するためにゃ、人間様の決まりは重要ってことになっている。我ら夜人に許されているのは、影鬼を狩るために必要な範疇のことだというのが決まりなんだ。読み書き算盤ぐれえしか習ってないお前は知らぬのだろうがね」


 一人寛ぎながらそういう暁の言葉が耳に痛かった。

 読み書き算盤を学んだのだって、母がせめてそうしなければ駄目だと言っていたからだ。そうでなければ、それすら知らぬままただ影鬼狩りをするだけのケダモノとして暮らしていただろう。

 悔しいところだが、複雑なお役人の説教を言われれば、黙っていることしかできなかった。


「まあ、そりゃ別にいいんだ」


 暁のお頭は呟いて、体勢を少し変えた。


「御上はな、つまりこう言っているんだ。バレねー程度にやれと。お前が真剣を片手に鬼灯とかいう純血のアヤカシ相手に稽古しているとあっちゃあ、怖がる奴らもいるんだ。法に違反しているのではと誰かが言い出したら、役人も取り締まらにゃなんねえ。そうなりゃ木天蓼も没収だ。成人したときに取り戻せればいいが、下手したらそのまま行方知れずってこともあり得るからな。だから、お前にゃ保護者が必要だ。何か問題があったときに木天蓼を管理できる者がいると訴えにゃならねえ。つまり、それが――」

「もしかして、暁の旦那ってわけですか……?」


 弱々しくそう訊ねてみれば、暁のお頭はにやりと笑った。


「ああそうよ、俺と静海の二人がしばらくお前の父ちゃんと母ちゃんだ。分かったか? 分かったら父ちゃんと呼べ」


 頭を押さえつけて土下座でもさせようかっていうくらいの横暴なその声に、私はささやかながら反発心を抱いた。私の中に流れる化け猫の血のせいだろう。我々、野良猫は相手を尊重することはあっても、相手に服従しようという気持ちはさらさらない。尊敬と服従は全くの別物なのだ。尊厳を踏みにじられることは、屈辱でしかない。

 だから、私は思わず、自分の置かれた立場も忘れて、ついつい文句を漏らしてしまったのだ。


「ちっ……私の父ちゃんは父ちゃん、母ちゃんは母ちゃんだけに決まってら」


 すると、その声が聞こえたのかその場にいた野良犬の多くがぎょっとした。端で様子を窺うしかないらしい隼人も面白いほどに狼狽しながら私に目配せをしている。謝れってことだろうか。やなこった。

 だが、暁のお頭とその隣の静海さんは予想していたよりも冷静だった。静海さんはあまり本調子じゃないのだろう。少し疲れたような様子でもあった。静かにこの場を見つめ、呆れたようにため息を吐く。暁のお頭はというと、別に怒ってなんかはいないようだった。


「なるほど、これが野良猫ってやつか。よかろう、明。じゃあ、言葉を変えてやる。今日から俺と静海が、お前の飼い主だ」

「か、飼い主ぃ?」

「ああ、そしてお前は飼い猫だ。野良猫が誰かんちに居候するなら、そりゃ飼い猫だからな。父ちゃんは父ちゃん、母ちゃんは母ちゃんのままだぜ。これなら文句ねえだろう。つまり、そのくらいの気持ちでここに居座れっつーことだ」


 年頃の娘っ子を捕まえて今日から俺が飼い主だーなんていい趣味していやがる。

 でも、私はこれ以上の文句はぐっとこらえて素直に頷くことにした。分かってはいるのだ。この状況には従った方がいい。じゃないと、また時計台の檻の中に閉じ込められてしまう。あの生活はもう嫌だ。私にゃ歌鳥様の生活は似合わねえのだから仕方ない。

 とはいえ、悔しいのは変わらないので、頭を掻きながら、渋々頷いたのだった。


「しょーがないなあ。飼われてやってもいいですよ。静海さんや隼人も一緒ですしね」


 暁のご機嫌伺のおっちゃんおばちゃんの気遣いなんてせずに楽な態度でそう答えてみれば、暁のお頭は笑いもせずに肯いた。


「よし、それでいい。今日から俺のことはご主人様とでも呼ぶか、ン?」

「アンタ、悪ふざけはやめて」


 静海さんが妙に穏やかな口調で叱ると、暁のお頭は咳払いをして話を変えた。


「ま、とにかくそれはそれで。明よ、今日よりお前は静海の部屋に泊まれ。女部屋は他にもあるが、仮眠室でね。ここいらにいる野良犬どもは、俺と静海、そして未成年の隼人を除いたら、みんな仮眠にしか帰ってこないのよ。私物を置くには適さねえってことで、隼人が俺と同室になっているように、お前も静海と同室にする。分かんねーことは静海に聞くといい」

「よろしくね、明ちゃん」


 いつになく落ち着いた声で言われ、私は緊張気味に頷いた。鶴亀や月夜屋で会う時とはちょっと印象が違う気がした。女豹との戦いに負けて、弱っているせいだろうか。それとも、伴侶が隣にいるせいなのだろうか。ちょっと気になった。


「さて、あとは……なんだっけ? ああ、そうそう、さっきちらりとアヤカシの血の開花はいけねえって言ったよな。あれについて話しとかなきゃいけねえんだった」


 座りなおしてそう言うと、暁は手招いてきた。

 戸惑いつつもその手招きに応じて近づいてみる。野良犬たちが道を開けて前へと進むと、暁はぐっと前かがみになって私の目を覗いてきた。


「なるほどね、隼人の坊主が言っていたように、アヤカシの血の臭いが濃くなっている。瞳の大きさがころころ変わるのは以前からか?」

「それは前からよ」


 静海さんに付け加えられて、暁のお頭は顎を掻いた。


「ふうん、俺は野良猫の友人もあんまりいねえんで分からないのだが、これだけは確かだ。鬼灯様との稽古の成果か知らんが、お前はそろそろ獣化できるかもしれないな」

「獣化……!」


 いつか牡丹に聞いた話だ。この身を変じる力。私だってその気になれば猫になれる。きっとその力は戦いにはあまり向いていないだろうけれど、戦いの中で使いこなせば相手を翻弄することが出来るはず。木天蓼と変化をうまく使い分けて、どうにか女豹を追い詰めたい。


「だが、気を付けろ。俺らも犬神の力を引き出しすぎて破滅することがあるのだ。お前だって同じだ。お前に流れる化け猫の血は、昔は人間様の魂を食い荒らしていたアヤカシでもある。遠い昔に異世界より船でこの火山大島に渡って来た猫の中に紛れこみ、いつの間にか居ついたのがお前たちの先祖だ。化け猫の血が目覚めすぎれば、その時のアヤカシのように人々に恐れられる存在になり果てるかもしれん。そうなりゃ、次の女豹はお前だぞ」

「暁の旦那、私はそうならないように稽古をしているのです。御上が気にしているのなら、旦那の言いつけを守りながらこっそりと修行します。黒鯱――鬼灯様とやらだってそのつもりで相手してくれているのですから」

「ああ、鬼灯様な。だが、奴も所詮は余所者。それも、女神さまの御子孫だ。神の系譜のアヤカシっちゅうもんは、どうも世間知らずなようでね。能天気な奴も多いから信用ならん。いいか、明。気を付けられるのはお前自身だ。女豹と戦う前に、お前自身が狂っちゃ意味がねえ。それを忘れずにいろ。俺が一番言いてえのはそれだ。いいな?」


 素直に返事をするのも嫌な気持ちだったが、とりあえ肯かねばこの場の者たちの胃がハチの巣になってしまうってところだ。

 仕方ないから私は肯いた。まったく不本意ながらも、こうなってしまえば従わざるを得ない。これからの自由はこの暁とかいうお犬様にかかっているのだと思えば、賢い選択のはずだと自分を慰めた。


「よし、素直はいいことだ。静海、あと隼人、明の嬢ちゃんが居心地悪くなんねえように計らってやってくれ。いいな?」

「はいはい」

「はい、お頭!」


 適当な返事で微笑む静海さんと元気のいい返事の隼人はなかなか対照的だ。それと共に、少年だからとお頭に特別に扱われている隼人への、野良犬共の視線にも薄々ながら気づいた。

 これだから群れ成す生き物は面倒なのだと思ったものだが、思い返してみれば野良猫界隈も似たようなものだと気づいて、内心笑った。


「とまあ、そういうことだ。解散。各自仕事に戻れ」


 面倒臭そうな声が響き、威勢のいい返事があがる。

 一切の無駄もなく立ち去っていく厳ついおっさんやおばさんたちを見送りながら、私は野良犬の世界の中でぽつんと正座をして狼狽えていた。

 暁の言葉がまだないか待とうとしたものの、彼は彼で「よっこらしょっと」と起き上がり、静海さんにニ、三何かを言い残したっきり、部下たちと共に去ってしまった。

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