3.隠れ家
昼人にとって家というものは壁と壁に囲まれていたり、柱によって支えられていたりするものなのだという。しっかりとした屋根があって、床もあって、暑さ寒さ雨風から身を守れるような場所。それが家であるのだと主張する彼らは、よく夜人の一部を家無と呼んだりもする。
確かに家無と呼ばれるような暮らしをしている夜人はいる。御座を敷いて通りの途中で寝ているような夜人は野良猫に多い。御座では雨風を防げないし、確かに彼らは家無だろう。
しかし、私もまた自宅を知る者から家無と呼ばれることがある。
待ってほしい。何故、私が家無なのだろう。確かにこの場所は大工に作ってもらったような家ではないかもしれないが、大工の知識のあるものが自分で小屋を作ることだってあるじゃないか。
ならば、私が寝泊まりするこの場所だって家のはず。
私の隠れ家も萬屋と同じように路地裏にある。
十六夜町で一番でかい十五夜という通りを北の方角へと歩き、その通りの終わりに差し掛かるころに日の沈む西側へとひっそりと存在する路地へと入り、三番目の角を右、その次を左、さらにその次を左、そして最後もまた左へと曲がると、急に開けた場所に出る。
煉瓦造りの建物と石垣に囲まれたその場所。西側にある煉瓦造りの建物は、こちらに面した壁には一切窓がない。東側にある石垣の家は木々しか見えず、あちらからもおそらくこちらは見えない。
さらに、北側、南側の建物にはどれも小窓しかなくて、誰かがこちらを覗くようなことはない。ここを常に見守ってくれるのはせいぜい、石垣の向こうの木々。そのほかは、空ばかり。
ここは昼人たちに忘れられた場所なのだ。
そういえば、そこに至る道も、本来は道ではなく建物と建物の隙間であるのだと言われてみてやっと気づいた。そのせいもあるのだろうか。このひっそりとした場所に佇む我が家は、度々、ここを訪れた隼人からこれは家ではないという理不尽な認定を受けてきた。
確かに隼人が住む場所と比べれば、ここはあまりにも粗末だろう。
それでも、私は言いたい。これは家だ。
御座やビニール、古い絨毯で敷き詰められた床に、それを囲むように大量の机が柱として重なっている。一つ一つ崩れないように私が積んだものだ。さらにその脇には鉄板やトタン、薄い布や傘などで屋根と壁を作っている。
これのどこが家じゃないというのだ。
中は意外と広いし、様々なものを隠す場所もある。寝台となる空間は常に清潔な布を買ってきているから蚤なんて何処にもいない。また、気になるのが厠であるが、これもきちんとある。本拠地となるこの場所から十歩ほど南西に行った場所。
そこに屋根と壁を作っている。私一人のものだし、剥きだしの土や草花のおかげで臭いなんて酷くならない。まあ、銭湯などでトイレなどと持て囃されているものを利用すると、やっぱり便利さには負けると思うものではあるのだが……。
――ま、他人の言うことなんざ気にするもんじゃねえ。
隼人が住んでいる場所は彼の群れの頭が所有する立派な集合住宅の割とお高い部屋であるようだ。中には入ったことはない。野良犬だらけの室内に入る気なんてしない。それに、私から見れば、ここだって何処からどう見ても立派なお屋敷だ。奴が何と言おうと、ここは私の城なのだ。
ちなみにこの土地は行方不明の私の父が母に残した財産の一つである。母は昼人だったため、今まで住んでいた場所に住まい、父の血を継いで夜人として生まれた私にせめてもの贐として与えてくれたものである。父母が私に与えられたのはそれだけ。母にはほかに昼人として生まれた弟妹がいるから仕方ない。ある程度成長した私は、本格的に夜人として生きることを決め、自らの意志で母の元を去った。母は悲しんだが、仕方ない。母の元で食わせてもらっても、夜人である私は一向に腹が満たされないのだから。
独り立ちついでに私は、ある日突然行方不明となった父を探してみた。父の知人友人は当たってみたが、何処でどうしているのか、その生死すらも分からないままだ。生きているのならば説教して母の元へ行かせ、死んでいるのならばせめて我が父として骨を拾ってやりたい。けれど、父がどこでどうしているのか、全く分からない。
こうして父の残した土地で暮らしながら、私はたびたび空の星に父の行方を尋ねていた。
それにしても、更地とは聞いていたが、まさかこんなにも入り組んだ場所にあったとは思いもしなかった。何かを建てるような金は工面できなかったらしい。
母の実家はそこそこ金のある家だが、夜人として生まれた孫の私よりも、娘である母自身の生活か昼人として生まれた弟妹にいい教育を受けさせるためにしか金は出してくれない。
まあそこはいい。始めから祖父母など当てにするつもりはない。彼らだって生粋の昼人なのだから仕方ない。
父方の祖父母なんて生きているのかどうかすら分からない。母も会ったことはないし、父もまた自分の両親が何処で隠れ住んでいるか知らないと言っていたらしい。
そういうものなのだ、夜人なんて。この先の未来、もしも私が子を産んだとしても、ある程度成長して旅立ってしまえば後はもうこの手を離れてどこかへ行ってしまう。それでも夜人ならば心配ない。
問題は、私が産んだ子が昼人であった時くらいのものだが、そこもきちんと受け皿がある。夜人生まれの昼人は寺に預けられ、成人するまで昼人としての教養を授けられるらしい。そこならば昼人でも飢えはしない。昼人として幸せになってもらいたいならば、いい寺を見抜き、しっかりと養育してもらうのが一番である。
とはいえ、私はまだ成人もしていない。そんな未来が訪れるとしても、ずっと先の事だろう。
独り立ちしたとは言っても、私はまだまだ娘気分が抜けていない。
何もかも一人ではあるし、父母には物理的に頼れない状況でもあるけれど、それでも、私自身が誰かの親になるなんてことは全く想像出来ない事だ。
今のところ、私はまだ誰かの娘でしかない。
「父ちゃん、何処で何をしてるんだろうなぁ」
明けゆく空に訊ねてみても、返事なんてこない。
仕方なしに私は先程得た新品の木刀と折れてしまった木刀とをしまう為に我が家へと足を踏み入れたその直後だった。
「だ、誰!?」
入ってすぐの気付きに、心臓が止まるかと思った。
我が家の居間として使っている空間に知らぬ人がいたのだ。
薄暗くて人の気配にすら気付けなかったのは夜人としても非常に恥ずかしいことではあるが、何よりも驚きと恐れの方がまだ大きい。
「誰だい、ここは私の家だよ!」
「君の家……?」
すぐに返答が来た。
会話を交わせる類のものでよかったと安心したのも束の間、その声の調子が女性ではなく男性であることに嫌な予感を覚えた。
知らぬ男。不審な男。そんな者に我が家を知られるなんて恐ろしいったらない。
しかし、その青年は私が思っているような野蛮人ではなかった。
「そりゃあ、失礼。空家かと思って――」
「あんた、余所者か? この町でこういう場所があったら、夜人の誰かの家って決まっているんだ」
「夜人……ああ、君のような人はそう呼ばれているのかい?」
「夜人も知らない……って。あんた、何処から来た?」
驚く私を他所に、その青年はぬっと外へと這い出ていった。
明るくなってきた空を見上げると、少しだけ溜め息混じりに眉を顰め、髭一つ生えていない顎を掻く。その横顔はびっくりするくらい美しかった。
少なくとも、この町にはいない類の顔だ。この町どころかこの辺りにはいない顔立ちだ。
「周辺国の者でもないね? あんた、何者なんだい?」
「黒鯱」
あっさりと彼はそう答えた。
「黒鯱? 変わった名前だね。何処の国の名前なんだ?」
「何処だろうね。自分の名前は自分でつけたんだ。旅先で知り合った男からヒントを得てね。一応身元を明かせば、近所である花の国から流れてきた」
花の国。七花の国とも言う隣国。此処、十六夜町より北西へと少し進めば辿り着ける広大な国だ。七つの聖域と花の神々、そして巫女たちに守られているという神秘的な場所。
華やかな国ではある。でも、その国から来た他の旅人を何人も見てきたことがあるけれど、誰もが彼と決定的に何かが違った。その何かは何だろう。そこさえ分かればこんなにももどかしくないのに。
「まあいいや、黒鯱……だったね。すまないけれど、ここは私の家でね。土地の権利だって私にある。宿なら他を当たっておくれよ」
「そうさせて貰うよ。ただ、よかったら一つ教えていただきたい。この近くに格安で泊まれる宿などを知らないかな? あと、水と食料を得られる店と、風呂屋も教えて欲しいのだけれど」
「ははーん、あんた、さては道に迷ったな? 案内人もなしにこの町に入りこんだんだろ?」
「実を言うと……そうなんだよね」
恥ずかしそうに黒鯱は目を逸らした。
初めて此処に来る余所者はだいたい昼人か夜人の案内人を用意しているものだ。
というもの、この町はどうやら複雑に入り組んでいる上に、現地人である昼人や夜人の説明もあやふやであったり、うろ覚えであったりもする為、目的地に一向に辿りつけないということがあるのだ。
看板すらも当てにならないらしい。らしいというのも、私たちのような者は看板なんて最初から見ていないからだ。
おかげで、案内人なしの初心者旅人は宿一つ見つからずに路地裏に迷い込み、下手をしたら行き倒れてしまうことだってあるらしい。
この黒鯱と言う青年。きっと彼も此処に迷い込んで途方に暮れていたのだろう。
いやでも、迷い込んだにしても迷い込み過ぎなのだけれど。
「しっかたねえな。案内してあげるよ。どれもこれも夜人向けのものだがいいかい?」
「ああ……勿論、十分有難い。世話になります。お礼は後できちんと」
「ふふん。この町で使える銭だと有難いんだけどな。ま、いいや、しばらくそっちで待ってておくれよ」
こうして、私はしばらく厄介者を抱えることとなった。
しかしまあ、どうせ影鬼の魂を喰らうだけの毎日なのだ。こういった生活の刺激もあったって悪くはない。
そう考えることとして、私はさっさと旧新の木刀を居間に置いた。




