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8.目撃者

 シャミセンはまだ帰って来ない。


 時計台にいるらしいことは聞いている。

 隼人は仕事に関する事だと言ってあまり教えてはくれないけれど、それだけは私に伝えてくれた。シャミセンは時計台にて保護されている。この騒ぎが解決しない限りは解放されたりしないのだろうと。

 やっぱり囮にするのだろうか。様々な憶測で想像が膨らみ、不安になっていく。


 カギシッポから聞いた話は野良猫連中に拡散させた。

 黒鯱にも話したのできっとあらゆる所に広がってはいるだろう。でも、御上はきっと鵜呑みにはしない。黒鯱や女人狼の牡丹のことだって疑ったままだろう。たぶん、御上としては正しい姿勢なのだと思う。私ら下界の夜人連中では見落としてしまうような場所まで見つめるのだろうから。


 けれど、御上を頼ってばかりいてはいけない。だって彼らは夜人一人ひとりの安全を守ってはくれないのだ。そもそも、夜人は守られる存在じゃない。元々は個々の戦闘能力は昼人どころかただの人間に過ぎない御上よりも高いはずなのだから。

 私がもしも女豹に出会ってしまって、殺されたとしても、御上は事件の一つとしか受け止めないだろう。下手したら私の名前すらミサゴ様の耳には届かないかもしれない。


「はあ、しんどいなあ」


 溜め息混じりに私は月夜屋の机の上で頬杖をついていた。


 店はがらがらだった。女豹のせいだろう。夜人は皆恐れて影鬼狩り以外の行動を慎んでいるし、昼人もまたそんな夜人達の様子を不気味がって家に引きこもっている奴らばかりだ。

 まあ、それだけじゃない。

 今、月夜屋にいるのは私と、名も知らぬ化け狐の兄ちゃんと、蛙の大将くらいしかいない。そう、満月も、新月も、小夜さえもいないのだ。

 その理由をつい先ほど蛙の親父に聞いてしまって、憂鬱だった。


 小夜が時計台に連れて行かれる。


 保護らしい。没収と言った方がいいじゃないかとも思う。

 もちろん、蛙の親父や神兎の双子にそんなつもりはなかっただろうけれど、御上は違うのだ。全く人間っていう奴らは、と、自分も人間の血を引いているくせにやや差別的な事を考えてしまった。


 でも、小夜にとって悪い事ではないらしい。

 私は小夜の身の上をあまり知らなかったけれど、小夜には本当は主人がいるらしい。天翔の地方に住んでいた未亡人なのだが、ある日十六夜町に用事あって遠出した先で従者ごと行方不明になってしまった。小夜が此処に来たのは彼女を探すためだったのだ。屋敷の者たちには何も告げずに飛び出してしまった。

 しかし、右も左も分からない、その上、歌鳥であることが知られてしまい、薄汚い野良犬の連中に囚われそうになった所を蛙の親父が助けてくれたのだとか。


 これまで、聞いちゃいけないと思っていたから聞かなかった。小夜が教養があったのも、その主人のお陰だったのだろう。


 その主人は時計台にいたらしい。正しくはミサゴ様の膝元。その理由は決して穏便なものではない。今は亡き彼女の夫などが関わる人間らしいどろどろとした関係が絡んでいる。

 此処から先は厄介事だ。私が関わるべきではない事は勿論、あまり小耳に挟むべきでもなかっただろう。それに、小夜にしてみれば事情なんてどうだってよかったらしい。主人が生きて時計台に居る。それだけで十分だった。

 蛙の親父と話し合い、彼は快く送り出した。彼女にはもう此処「月夜屋」で働く理由なんてない。付き添ってくれる満月と新月の二人と最後の別れを惜しみながら時計台へと向かうだけ。


「寂しいなあ……」


 がらんとした店内を見つめれば、小夜が満月と新月と共に働いていた光景が目に浮かんだ。

 非常に短い間ではあったが、気立てのいい女の子だった。私なんかとは全然違う。私がどう頑張ってもああいう風にはなれないだろう。夜人や昼人にはない穏やかな雰囲気もまた、純粋な人間らしいものだったのかもしれない。

 小夜がいなくなっても、月夜屋には満月や新月がいる。二人は将来誰かと夫婦となっても一生此処で働くつもりだと言っていたから、そうするだろうし、そうさせてくれる人と結ばれるのだろう。

 でも、小夜は満月でも新月でもない。満月と新月が小夜でないように。寂しいという思いは変わらなかった。


「もっとお話すればよかった」


 呟く私の声はさほど響いたりはしなかった。

 それでも、蛙の親父も化け狐のお兄さんもだんまりだから、少しだけ恥ずかしくなった。二人とも多分、私と同じで寂しいのだろう。蛙の親父なんかは客に過ぎない私たち以上だったかもしれないけれど。ともかく、寂しいという気持ちは同じだ。

 なんとなく月夜屋の店内はある種の負の連帯感が出来ていた。


 そんな場所に突風のように異変は現れたのだった。


「大将! いるかい!?」


 慌ただしく駆け込んできたのは、名も知らぬ女狐の姐さん。

 確かそこで飲んでる化け狐の兄さんの妹か何かだったと思う。ついでに言えば、静海さんの友人の方だ。小奇麗に化粧した顔を真っ青にして、ただ事じゃない様子で親父を呼んだ。

 その騒ぎに驚いた親父が厨房から顔を出すと、女狐はけたたましく叫んだ。


「大将! 大変だよ! あたい、見ちまったんだ、見ちまったんだよ!」

「落ち着きなさいな、(あね)さん。いったい何を見ちまったんだい?」

「とにかく、急がないと! 急がないとまずいんだよ!」

「落ち着きなよ。それじゃ大将が困るだろう?」


 店の端から咎めるように化け狐の青年の声があがる。しかし、女狐はキッと彼を睨みつけた。


「落ち着いていられるかっての! あたいらじゃどうしようもないんだよ! 大将、とにかく今すぐ店を閉めとくれ!」

「さすがに店は閉められんな。一体、どうしたんだい?」

「殺人鬼だよ! 時計台の傍に現れたんだよ!」


 そこで店内の空気ががらりと変わった。


「静海たちが追っているけれど、あたいらの鼻でも追いつけないくらい忍んでしまっているんだ。あの女、狙っていた野良猫の小娘が手に入らないもんだから暴れ回ってるんだ。夜人なら誰でもいいのかもしれない。お願いだ、大将、あんたの力も貸しとくれ。このままじゃ静海だって――」

「――満月……新月……」


 女狐の慌ただしさを前に、蛙の親父は茫然とその名を呟く。

 外は静海さんでさえ危ない状況。それも、時計台の傍。何処までも優秀な狩人ならば敢えて力の強い者を狙ったりはしないだろう。確実に仕留められる獲物を見抜き、最低限の力で捕えてしまう。

 この場合、危険なのは静海さんじゃない。


「二人が……外に居るんだ……」


 蛙の言葉に、女狐も絶句する。


「戻って来るまで……待ってやらないと……」


 状況は最悪だ。戻って来るまでに殺人鬼に見つからなければいいけれど、見つかってしまったらどうなるだろう。神兎なんて絶好の獲物だろう。野良犬よりも容易く捕まえられるだろうから。

 恐怖でふらふらとしてしまっている親父の代わりに、私はすぐに木刀を握りしめて立ち上がった。


「ねえ、代わりに私が行くよ!」


 とっさの申し出に、女狐は眉をひそめる。


「あんたが? 駄目駄目。これは遊びじゃないんだよ!」

「でも、いないよりましでしょ! 私だって一人きりで暮らしているんだよ!?」

「いけないよ。未成年なんて連れてけないに決まっているだろう? それも、女の子ときた。あたしが怒られちまうよ!」


 当然の叱られように言い返せなくなった。


 未成年、未成年。そう、私はまだ成人じゃない。昔だったら成人だったけれど、今は違う。夜人だからその境は緩いものだと思ってきたけれど、非常事態にはさすがに未成年扱いされるものだ。相手は夜人を狙う異常者。それも、ただの狂人ではなく、それなりに能力のある人物。私が連れて行って貰えるわけもなかった。


 蛙の大将が茫然としている中、端に居た化け狐の兄さんが女狐に目配せをした。それに気付いた女狐は軽く頷くと、今一度、大将に向かって言った。


「無茶言って悪かったね、大将。此処で待ってれば二人ともきっと無事に戻って来るさ」

「お代は此処に置いておくよ」


 そう言って、化け狐の兄さんはじゃらりと銭を置くと、布に巻いた得物を抱えて女狐と共に店を出てしまった。きっと、時計台のある十六夜広場付近に向かうのだろう。

 取り残された私と蛙の親父は、ぼんやりとその二人の背中を見送った。


 ――きっと無事に。


 嫌な予感がどうしても消えてくれなかった。うずうずとした気持ちが抑えられず、木刀を握りしめたまま、私もまた机の上に銭を置いた。


「大将!」


 怒鳴るように言うと、蛙の大将の身体がびくりと震えた。

 不安と恐れで腑の抜けたようになってしまっている彼に、私は言った。


「私、二人を探してくるよ! 大将は此処で待っていて!」


 そうして、彼が何か咎めるような言葉を放つ前に、店を飛び出した。

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