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1.夜人

※この作品の内容は2015年6月16日以降に書き直したものです。

 正直、驚いた。

 木刀っていうのは結構しっかりしてるものだ。相当固いものに当たらなきゃ折れたりなんかしないだろう。

 ただ、酷使してきた我が愛刀は、ひょんなことからぽきりと折れてしまったのだ。

 これまで力任せに扱ってきた私が悪いのか、はたまた今しがた木刀で殴られた相手の頭蓋骨がダイヤモンドで出来ているのか。

 さて、理由と原因の推測は大事なことかもしれないけれど、今この場でやることではないということだけは確かだ。

 当たり前のことだとは思うけれど、それでも私はやっぱり暫く呆然と二つに折れた木刀の裂け目を眺めていた。


「なにしてんだ、(あかり)!」


 きゃんきゃん吠えるような少年の叫びで我に返る。

 私の名を呼ぶ少年――名前は隼人はやと。私のものよりも傷も汚れも少ない木刀を構え、鳶色の目でこちらを睨み付けている。

 素材も買った店もおそらく値段も同じはずなのだが、同じ敵を相手にしてもあの木刀は折れなかった。だからといって、彼が私よりも大事に武器を使っているというわけではなくて、彼の仲間の姐さんがつい昨日買い与えてくれたものなのだと知ったのは、今より一、二時間前の話だ。


 ――いいなあ、新しい木刀買ってもらえて。


「おい、ぼけっとしとる場合か! 負けたら夜人(よるひと)失格だぞ!」

「うるさいな。分かってるさ」


 正直、折れた木刀なんかで戦いたくない。

 ここは出来れば隼人一人に任せたいくらいのものなのだけれど、それは酷というものだ。何しろ、共に戦おうと言い出したのは隼人である。私は一人で戦う気だったのだけれど、断る理由もなくつい安くで引き受けてしまっただけだ。

 別に隼人が弱いというわけではない。私と生き方が異なるせいで、一人では戦えないというだけだ。


「他に武器はないのか? ずいぶんと楽観的な生き方してんな」

「ほっとけ。それよりまだやるのかい? こちとらもう腹一杯なんだけどよ」


 ここで切り上げられたら儲けもの。

 昼間に受けた施しでさっさと新しい木刀でも買いに行こう。そう、一人ならばそんなことも出来るわけなのだが……。


「あほか! こいつら放っておいたら街に行っちまうだろ! 昼人(ひるひと)に危害でもくわえたらどうする!」


 ばかめ、夜中にふらふらうろつく方が悪いのさ。

 なんて言いたいところだったが、そんなことを言えばきっと非常に面倒くさい状況となるだろう。面倒事を自ら増やすことはない。責めるなら、さきほどこの隼人の誘いを断らなかった自分を責めるべきなのだ。


「仕方ない。昼人様のためにもやらねばねえ」

「お前なぁ、施しで生活してるくせに少しは――」


 まずい、言ってるそばからいらぬ発言をしてしまった。

 こうなりゃ、このきゃんきゃん口煩い犬っころより先に動いて黙らせてやるしかない。


「説教はあとで聞くよ!」


 そう言い残して、私は敵陣に再び突っ込んだ。


 折れた木刀じゃ不服だが不備というわけではない。

 どうせ”こいつら”に負ける未来なんて見えやしない。どんな奇跡が起こったところで、こいつらは私らに殺され、魂を食われる運命なのだから。


 それがこの世界の(ことわり)

 どんな抗いかたをしようと”影鬼”という化け物どもは私たち”夜人”には敵わない。


「消し飛べっ!」


 折れた木刀は鋭い武器となって攻撃性が増したかもしれない。

 むしろ、軽くなっただけ動きやすくもなった気がする。

 蜘蛛の子を散らすように影鬼どもを薙ぎ倒し、私は遠慮なくその命を奪っていった。仲間を殺された影鬼たちは次第に闘志を失い、焦りを強めていっている。

 そこへ、容赦なく隼人の木刀が刺さっていく。


 影鬼の断末魔は人間の子供の泣きわめく声にも似ている。だが、そんな特徴にびびっていてはいけない。なぜなら、こいつらはアヤカシといって、人間ではない魔性の類のものである。その上、放っておけば本物の人間の子供にも手を出してしまうかもしれないのだ。

 我ら夜人が影鬼を食らうように、影鬼もまた先ほど隼人が口走っていた”昼人”という存在を食ってしまうのだ。


 それが、この町――十六夜町の食物連鎖である。


 十六夜町は十六の通りからなっている。それぞれに一夜、二夜などと名前が付き、全部で十六ということで十六夜町である。だが、他所では黄昏町たそがれまちだとか野良町のらまちなどとも呼ばれているらしい。


 どうして黄昏町なのか。

 それは、夕焼け色に染まる町の象徴――十六夜町の時計塔の姿が非常に美しいからだ。

 しかし、その姿に見惚れていてはいけない。時計塔のある広場は日が落ちる頃に影の世界へと変わり行く。すると、なんということだろう。光の満ちた昼の時間にはいなかった影鬼どもが地面より這い出し、人々を襲って食べてしまうのだ。

 こんなこと我々にとっては日常でしかないのだが、どうやら他所は違うらしくて時折何も知らない旅人が犠牲になってしまうらしい。美しい黄昏時に忍び寄る危険。余所者ならば十六の通りよりも何よりも頭に入れて置かねばならぬからこその名称なのかも知れない。


 では、どうして野良町なのか。

 それは、私たちの存在のせいだ。

 私――明と、共に戦っている隼人は、どちらも人間に間違いないはずだ。しかし、この町の人間のなかにはどうやら人間ではなくアヤカシの一種である「魂喰(たまく)い獣」の血が混じっているらしい。その血が濃く出た者は、私たちのように影鬼を殺してその魂を食らわねば生きていけなくなってしまう。


 一方、同じ血を引く人間であっても、「魂喰い獣」の血が薄く出た者はそんな特性も持たず、むしろ気を付けねば影鬼に喰い殺されてしまいかねない。

 その為、わが町の先人は十六夜町に生まれ落ちた人間たちを二つに分けた。「魂喰い獣」の血が濃い者を夜人、そうでない凡人を昼人。夜人は昼人を守り、昼人は夜人を支えて共に生き抜くべしと定めたのだ。


 それが、およそ三百年ほど前の話である。

 以来、いつの間にか夜人は夜人と昼人は昼人とくっつくのが風習として残り、ますます「魂喰い獣」の特性を持つものと持たぬものには差が出てしまった。過去の夜人よりも我らの平均的な力は増し、また昼人の技能や知識も向上しているらしい。

 今、十六夜町は近隣の国や地域と比べても、なかなか発展した都でもある。


 そんな場所だからこそ、旅人の多くはこの町を異文化を学ぶ目的で訪れる。

 そして、彼らは初めて私らのような夜人という存在を目にするのだ。

 昼間は物乞いのように昼人に施しを受けながら過ごし、夜は食欲の赴くままに影鬼を狩る。

 いつの時代だったかわが町に訪れた旅人達が、そんな我らを見て、野良犬や野良猫のようだと思ったらしく、それで野良町だなんて呼ばれているのだとか。


 野良犬や野良猫。

 実はあまり間違ってはいない。むしろ、昼人に何か吹き込まれてそう呼び始めたのかと思うくらいだ。

 と言うのも、私らもまた自らをそう呼んでいたからだ。


 我らの始祖でもある「魂喰い獣」は、多種多様なアヤカシである。

 時代と共に少しずつさまざまな形態のものの血が混ざり、今に至っているわけだ。

 始めが何だったのかは諸説あるのだが、犬や猫にはじまり、狐や狸、熊、鼬、さらには鼠や兎と様々な姿をした「魂喰い獣」が人間に化けて、少しずつ我らのなかに血を溶かし込んでいったらしい。


 噂によれば、今でも知らないうちに「魂喰い獣」の新たな血を持つものが混ざりに来ているそうなのだが、実際に純粋なる「魂喰い獣」なんて見たことがない。

 たとえ昼人同士のはずの子供に夜人が出たとしても、先祖帰りと思われて終わりであるのだから、新しい化け猫の血が入り込んだとしても誰も気づかないだろう。

 もしもはっきりと分かるときが来るならば、それはここ十年、二十年の間で発見されなかった新しい形態と特徴を持つ異質な夜人が誕生するときであろう。


 とにかく、隼人と私はそれぞれその血を強く継ぐこととなった「魂喰い獣」の先祖がいる。

 隼人は犬であり、私は猫だ。

 恐らく、隼人だって少なからず犬以外の血も引いているはずだし、私だって同じようなものだろう。だが、強く出たのがそれぞれ犬であり、猫であった以上、我らはそれぞれ野良犬と野良猫と名乗ることとなる。

 そのため同じ夜人でも暮らし方はまるで違うのだ。


 隼人のような野良犬どもは群れを作る。安定した秩序を守って昼人と寄り添い、絶大な忠誠心のために昼人に施されてもされなくても影鬼狩りに徹するらしい。統制のとれた集団で狩りをすればその仕事ぶりは立派なもので、昼人からの信頼も厚く、大人であれば用心棒として雇われる者も多い。

 きっと隼人もそのうちそうなるだろうし、隼人の本来の仲間は既にそうして暮らしている者ばかりだ。


 一方、私のような野良猫は個人主義だ。気の向くままに寝食し、昼人と付かず離れずの距離を守る。もしも仕事として対価と引き換えに協力を要請されればそれを守るが、契約以上のことは絶対にしない。死んでもしない。殺されてもしたくない。それが我ら野良猫の特性である。一人立ちしていても、生活にゆとりのある風変わりな昼人がしてくれる施しで勝手気ままに暮らしている者ばかり。

 私もまた親元を離れて以来、そんな生活をしている。今日、ぽきりと折ってしまった木刀だって、以前、受けた施しの金で買ったものだ。施しがなくとも影鬼が消えない限り飢えることはないけれど、着る服や風呂、便利な武器やその他町での楽しみを考えればお金はあった方がいい。だから、施しをくれる昼人の存在は私にとっても貴重なものであるのは確かなことであるし、そんな昼人たちを守るために戦うことに疑問など決してないのだけれど――。


 それにしても、野良犬と組むのはどうも面倒くさい。


「やれやれ、これで終わりかね」


 静まり返った闇夜をいくら眺めても、さっきまでうじゃうじゃとあった影鬼どもの姿は見当たらない。涼しげな夜風もまた、犬ほどはないが昼人よりは鋭い私の鼻に、この辺りを流れる汚い川からの何かが腐ったような臭いしか運んでこない。


 ここ数年、十六夜町は汚くなった気がする。子供の頃はそんなことなかったのに、町を横切る川からは特に生き物の死んだような臭いがしょっちゅう漂っている。本当に何か死んでいるのだとしても不思議ではないが、それにしても不快な空気だ。


 鼻が曲がりそうなのは私だけではない。

 野良犬である隼人なんかはもっと鼻がいいわけで、私らほど目と耳が優れていない分を鼻の良さで埋め合わせているわけだが、それが完全に裏目に出ている。特に、影鬼がすべて塵となって消え、緊張の解けた今は、意識の外にあった臭さが一気に襲いかかってくるものだ。

 そんな条件が揃って、隼人が苦しまないわけがない。


「は、鼻が……」


 木刀を支えに膝から崩れ落ちる隼人を見つつ、私は折れた木刀の先を拾いながらぼんやりと彼を憐れんだ。


 全く可哀想なものだ。

 もともと隼人の予定では私を誘うつもりなんて一切なく、昨日までと同様、仲間と共に狩りをするはずだった。ところが、彼の仲間である大人の野良犬たちは、今宵、昼人のお偉方の宴会に招かれているとかで唯一の未成年である隼人一人を残して行ってしまったのだ。可哀想なのは、それを直前まで隼人が知らなかったこと。意地悪でもなんでもなく、普通に伝え忘れていたらしい。

 困ったのは隼人。野良犬という特性も手伝って、誰か仲間がいなければ途端に弱気になってしまう。大人であれば一匹狼よろしく影鬼狩りへいけるものだが、隼人にはまだ早かったらしい。そこにたまたま出くわしたが私。気ままに一人、狩りへと勤しむべく動き出したばかりの野良猫であった。

 この際、野良猫でもいいやと思ったのだろう。隼人は迷うことなく私を誘い、私もよくよく考えることなくあっさり承諾してしまった。

 それがこの状況を生み出すこととなった始まりだ。


「今日はこのくらいでいいんじゃない?」


 悪臭に悶える隼人と共に繁華街へと戻る間、私はそれとなしに言ってみた。


 多分、隼人と共に狩りをするなんて最初で最後のこととなるだろう。

 そのくらい、私たちは合わなかった。

 事あるごとに、隼人は私の野良猫特性に嫌悪し、私は私で隼人の野良犬特性を疎んだのだ。お互いにわざわざ口に出して言うことはなかったが、おそらくあちらも感づいたことだろう。


 同じ夜人でも、男女の仲などにおいて、犬は犬、猫は猫、狐は狐といった具合にくっつくものらしい。分かる気がする。将来もしも家族ができたとしても、野良犬とはくっつきたくない。友達止まりで十分だ。常日頃、そう悪くない会話をする仲である隼人でさえも嫌だ。

 きっと、隼人もそう思ったことだろう。


「ああ、ありがとう。帰りたきゃ帰っていいよ。俺は別の相棒探すからよ」

「まだやるの? 喰いすぎは身体によくないよ?」

「今夜はおかしらたちが動けないからね。お前らみたいな身勝手な猫どもの分も働かにゃならんしよ」

「そりゃ悪かったなぁ。だが、背負(しょ)いこみすぎじゃない? あんたのお頭だって、静海(しずみ)さんだって、あんたの年齢のときゃ、もっと胃を休めてたってよ?」


 静海さんとは、隼人の仲間である野良犬の姐さんのことだ。隼人の持つ新品の木刀を買ってくれた人物でもあり、隼人のお頭の伴侶でもある。

 若いときから数え切れないほど昼人たちのために影鬼狩りをし、さらには依頼してきた要人の命を何度も守ってきた女傑で、野良犬の女性のなかでも一番有名といっていいだろう人物だ。隼人とは一人立ちしたばかりの頃からの仲だが、そのときは何処の群れにも入っていなかったこともあって、野良犬の中でも特に名高い群れの一員となると決まったときは驚いた。


 ちなみに静海さんは私の事を隼人の友達として覚えているらしく、銭湯ぜにゆなどで会ったときに話しかけてくれることがある。少し嬉しかったりもする。


「お頭や静海姐さんと俺を比べんな。俺はしたっぱなんだぞ? 倍以上は修行しないと駄目に決まってんだろ!」

「ばかめ、そうして無理をして体を壊したらどうする? 結局、お頭や静海さんを困らせるだけじゃないか」

「ああもう、猫とは話が合わんな。この話はおしまいだ」


 逃げられたか。


 しかし、我ら野良猫の常識が種を超えて通用するわけではない。野良犬には野良犬の常識があり、理念があり、人情があるのだろうが、私には想像もできない。生まれつき違うものなのだから、尊重は出来たとしても真に理解し合うなんて難しいに決まっている。

 私がどんな言葉で何を言ったって、隼人の更なる狩りに出ようという意思は変わらない。仕方ないことだ。仕方ないわけだし、隼人が野良犬としての生き方に従うのなら、私もまた野良猫としての生き方に従うことにしよう。


「あまり役に立てず、すまんな隼人。いい気分転換にはなったよ」


 とりあえずはそんな言葉で丸め込んでみた。

 隼人も幼子ではない。未成年であるとはいっても、一昔前ならば大人であったほどの年齢。感情的にぶつかり合って牙を剥きあうのは、言葉を持たぬ獣の手段。むろん、私らは生粋の獣ではない。


「……いや、こっちこそ無理に誘って悪かったよ」


 思っていた以上に素直な言葉が返ってきて安心した。


「いいってことさ。また狩りにいくなら頑張って。様子のおかしい夜人には気を付けろよ」

「お前もな」


 ぼそりと返し、隼人は木刀を背負いなおす。

 川からの悪臭も鼻が曲がらぬほど薄れてきたが、今度は繁華街特有の決してよくはない臭いが漂い出す。しかし、こちらは毎度の事であるし、まだましなものだ。

 鼻のいい隼人もまた悶えることはない。


「んじゃ、俺、そろそろ行くわ。またな、明」

「おうとも」


 わざわざ目付きを悪くして隼人は繁華街に消えていく。

 相棒を探すのだとか言っていたが、もう二度と野良猫は誘わないのだろうなあと思いつつ、私はその背を見送った。結局、群れにも入っていないような野良犬でも捕まえるつもりだろうか。


 まあしかし、隼人の今後なんてどうでもいい。

 今宵はもうお腹一杯だ。木刀を買ってのんびり過ごそう。

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