聖者、血を吐く
激突。
刹那、空気が千切れ、赤き炎が真横に流れる。羅刹殿の壁が剥がれ、石床が波のようにうねった。
――鳴ったのは、拳と拳がぶつかる音ではない。
それは、思想と思想がぶつかった衝突音だった。
「この拳……ただの体術ではない……!」
太子は呻く。口元から血が流れている。
煬帝の拳には、力以上の「重み」があった。まるで、千年分の帝国の矛盾と哀しみが、拳に宿っているかのように。
「ふふ……感じたか、皇子よ。これが“帝拳”――」
煬帝が仮面の奥で嗤う。
「この拳は、ただ敵を砕くだけではない。
諸国を屈服させ、民の心を縛り、天命すら黙らせる……それが、王の拳だ」
その言葉に、太子の眉が震える。
「民を縛ることが王の務めか……!」
立ち上がる。
鎧がひび割れている。肩は脱臼しかけ、肋骨に走る痛み。だが、太子はその目を閉じ、つぶやいた。
「“義を見てせざるは勇なきなり”。それが俺の拳の根だ……」
言葉と共に、拳に光が宿る。
紫電が指先から立ち上がる。それはまるで、空海の経文を拳に宿したかのように、静かで、荘厳だった。
「やはり……あの拳か」
煬帝の声がわずかに低くなる。
「“十七条拳法”――仏と法と心の拳。
かつて我が弟・楊俊を倒した、あの忌まわしき拳を……!」
煬帝が、一歩、踏み出す。
重い。羅刹殿が揺れる。まるで帝国の大地そのものが、主の意志に反応しているかのように。
そして、拳を構える。
「いいだろう。次の拳――受け止めてみせよ、聖者よ。
この拳に耐えられれば、貴様を“王”と認めてやる……!」
次の瞬間、煬帝の全身が炎の中に消えた。
それは拳ではない。紅蓮の奔流だった。神すら焼き尽くすと言われた「赤帝破軍撃」が、太子を呑み込もうとしていた。
「十七条拳法――第十一条、『忿ることなかれ』……!」
太子が、静かに手を合わせ、
そのまま、両の掌で空を斬った。
「――“慈風・天心崩”!!」
瞬間。
風が吹いた。炎が止まり、殿の空間が凍った。
煬帝の拳が空を裂くも、太子の掌はすでに――そのすべてを受け止めていた。
「何……だと……?」
煬帝の瞳が揺れる。
太子の足元が崩れ、血が滲む。
「おまえの拳は、強い。だが――孤独すぎる」