妹子、霜の中に散る……
霜華宮。
その空気は、刃よりも鋭く、氷よりも冷たかった。
秦河勝を退けた番人・霜花は、なおも悠然と立つ。
白き衣に、白き肌。
黒曜石の瞳は、何も映さず、何も語らない。
「私が出よう」
小野妹子が進み出た。
その声には静かな怒りがこもっている。
「河勝の借りを返すためでも、太子のためでもない。
――随というものが、いかなる深淵にあるのか、それを知りたいのだ」
霜花は小さく微笑した。
「いいわ。言葉で凍えさせるのも、拳で砕くのも、どちらでも」
戦いは静かに、始まった。
妹子の拳法は、知と理を核とした**「陰智流」**。
無駄のない動きで、最小の力を最大に活かす技巧の拳。
彼の掌が、霜花の影を裂く。
「見えている……!」
影の霧を読み切った妹子は、間合いを制していた。
だが、霜花の瞳が細くなる。
「……ほんとうに?」
瞬間――
空間が、歪んだ。
否、見ていた「空間」そのものが、偽の像だった。
妹子の拳は“存在しない”影に向かっていた。
刹那、背後から襲う凍気。
「うぐ……!」
腹部に、氷の爪が突き刺さる。
妹子はひざをついた。
口元から、血の泡がひとつ。
「これは……幻術か……?」
霜花がささやく。
「いいえ。“冷たさ”よ。
あなたたち東の拳は、情熱や理を拳に込める。
でも、私の拳には、何もない。“寒さ”しかない」
妹子は微笑んだ。
「……ならば、おまえの拳は……とても……哀しい……」
霜花の瞳が、わずかに揺れた。
だがその手は止まらない。
再び振るわれた氷の拳が、妹子を吹き飛ばした。
氷床に倒れる小野妹子。
その静かな目は、最後まで霜花を見ていた。
「――妹子!!」
太子が駆け寄る。
だが妹子はかすかに手を振る。
「……まだ……道は続いてる……行け、太子様……」
その声は、静かに霧の中に消えていった。