第三試練 言葉なき裁きの法廷
第三層。
階段をのぼった瞬間、太子は音の消えた世界に足を踏み入れた。
音が……ない。
風の音も、足音も、衣擦れも、すべてが沈黙の中にある。
まるで――この層には、“言葉”が存在していない。
石造りの法廷のような広間。中央には巨大な天秤があり、その前に、三人の「判事」とも「僧」ともつかぬ者たちが座している。
彼らは言葉を発さない。
だが、太子の頭の中に、直接“声”が響いた。
『われらは、言葉なき裁きの三柱。――真理・虚偽・中庸。お前は、ここで裁かれる。言葉を用いずして、お前の正義を示せ』
太子は、無言で頷いた。
そして、裁きは始まった。
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第一の幻影:逆賊・物部守屋の残像が現れる。
「太子よ、お前は正義の名のもとに、我を倒した。だが、我が民を守る気持ちは、偽りだったのか? 違うはずだ。ならばなぜ、我の首を刎ねた!」
太子は反論したかった。
だが、声が出せない。
言葉で語れないなら、どうする?
太子は、歩み寄り、膝をつき、土に手をあて、深く頭を垂れた。
“聴く”ではなく、“赦し”でもなく、受けとめる姿勢。
幻影は、静かに霧となって消えた。
『ひとつ、通過……』
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第二の幻影:倒れた兄弟子・秦河勝の怒り
「なぜ、俺を助けに来なかった!? お前がもっと早く、もっと強ければ、あんなふうにボコボコにされずにすんだ!」
太子は、眉間を寄せた。
悔しさがこみあげる。罪悪感に押し潰されそうになる。
彼は手を伸ばし、虚空に向かって手を重ねる仕草をした。
助けには行けなかった。だが、その心は常に共にあった――。
その姿に、幻影の秦は微笑み、消えた。
『ふたつ、通過……』
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そして最後の幻影:
額田皇女が現れた。
その姿は、気高く、美しく、だが――冷酷だった。
「なぜ、あなたは私を止めようとしたの? 私の目指す国作りが、そんなに気に食わなかった?」
太子は苦悩する。
彼女の理想も、また正義だった。
だが、太子の正義とは、決して交わらなかった。
そこで、太子は拳をといた。
構えを捨て、腕を下ろし、ただ静かに――彼女に背を向けた。
戦うことをやめる。
言葉で争わず、拳で裁かず、ただ、立ち去る。
その瞬間、幻影の額田皇女が一筋の涙を流し、霧散した。
『三つ、通過……最終審問、通過』
天秤が傾き、光が差す。
『言葉なき裁きの間、通過者:聖徳太子。心に言葉を持ち、沈黙で語る者なり』
階段が再び現れる。
だがその一段一段が、まるで太子の内面を映すように光と影に分かれていた。
「まだ……己の中にある“怒り”が残っている……」
太子は、拳を握り直した。
第四試練へと、彼はのぼってゆく。