天より来たりし男、桐比等の正体?!
夜の静寂が戻った。だが空気は、雷鳴よりも重く、法隆寺の再生以上に不気味だった。
額田皇女が動こうとした瞬間――再び、風が裂けた。
「やめよ」
その声は、剣よりも鋭く、鐘よりも深く、神託のように響いた。
割って入ったのは、またも桐比等。
だがその気配は先ほどと違っていた。
剣を帯びずとも武威があり、笑みを見せずとも慈悲があり。
その男の輪郭には、何か人ではない「深さ」が刻まれていた。
太子が問う。
「……桐比等。お前は一体……何者なのだ?」
額田皇女も、冷笑を止め、微かに眉を寄せた。
桐比等は、静かに語り始めた。
「私は……遥か遠くの大陸から来た」
風が止まり、世界が耳を傾けた。
「中華の国よりさらに奥深く。天竺よりも遠い。
山脈を越え、砂漠を越え、いくつもの時間の層を越えてやってきた。
私がこの地を終焉の地と定めたのは……この国が“選ばれし場所”であると知っていたからだ」
太子の瞳が揺れる。
それはただの歴史ではなかった。
この地には、何か**“起源”**が眠っている。
「……桐比等よ、それは……仏教でも道教でもない、“もっと古いもの”の話か」
「そうだ、太子。君にはそれが見えてきている」
桐比等は続ける。
「だからこそ、争ってはならんのだ。この国はまもなく、巨大な“外圧”に晒される。
それが――随だ」
額田皇女が目を細める。
「隋が……動く?」
「そうだ。外の世界では、すでに巨大な統一王朝が立ち上がった。
数百万の軍を持ち、鉄の法をもって進む国だ。
そやつらが、日ノ本を睨んでいる」
太子は拳を握る。
「それでも、なぜ今ここでそれを語る……?」
桐比等は、風のように微笑んだ。
「この国にはまだ、未来の扉を開く者がいる。
そしてそれが、貴様ら二人なのだ」
額田皇女も太子も、言葉を失った。
桐比等の声が重なるように響く。
「君たちには、道がある。どちらの道を進んでも、未来は開ける。
だが、今は……戦う時ではない。
選べ、争うか、進むか――」
その瞬間、天空を裂いてまた稲妻が走った。
まるで神々が頷いたようだった。
太子の拳が、そっと解けた。
額田皇女が、一歩引いた。
桐比等は、夜空を見上げる。
「夜は、深まる。そして、夜明け前がいちばん暗い。
だが、太子よ――その拳が導く光を、私は信じている」