炸裂!!十七条の拳法!!
夜が明けぬまま、戦いは続いていた。草原には風すら吹かず、月も星も、まるで呼吸を止めて見守っているかのようだった。
太子の拳が、また打たれた。だが、蘇我馬子の動きは鈍らない。
むしろ、太子の技の「柔」が、あの男の「剛」に絡めとられ、崩され、叩き返される。
「信仰の拳など、無力だ。神は拳を差し伸べてはくれぬ」
そう呟く馬子の目には、どこか遠くを見つめるような諦念があった。
太子はふと、それを感じ取った。
この男は、かつて信じていた。人を。神を。
その果てに何かを失い、捨て去り、そして今の“蘇我馬子”になったのだと——。
太子は拳を止めた。そして、小さく目を閉じる。
「私には、まだ教えがある」
馬子の目が細くなる。
「なんのつもりだ。祈りか? もう遅い。拳で決着をつけねば——おまえも、秦河勝も、死ぬ」
太子は一歩、前に出た。そして、左手を胸に、右拳を地に向けて構えた。
「第一条、和をもって貴しとなす」
風が吹いた。いや、「気」が吹いたのだ。
「第二条、篤く三宝を敬うこと」
拳が、光を帯びていく。赤でも青でもない、金色のような、目に見えない光だ。
「第三条、詔を承りては必ず従うこと」
ひとつひとつ、太子は条文を唱えながら、構えを変えていく。それは型であり、詩であり、祈りであり——そして拳だった。
「十七条の拳だと……?しかし、あれは、伝説の拳士しか使えぬ秘技と聞く……そうか。あの桐比等から伝授されたのか」
馬子が低く唸った。
太子は頷く。
「桐比等は言った。言葉は心を導き、拳は身を律する。私は、この拳で、正しさと優しさを両立させると決めた」
馬子の顔が引きつった。それは恐怖ではない。
ただ、忘れていたものを見せつけられた時の、あるいは、かつての己を思い出す時の顔だった。
「馬子……あなたも、かつて“救いたかった”のではないのか」
太子の声が、夜の草原に響く。
馬子は、一歩後ずさった。
そして次の瞬間、太子の拳が走る。
「第十七条、非道を改めて善を行うこと」
その拳は、剣のようにまっすぐだった。
地を裂かず、風も巻き起こさず、ただまっすぐに、馬子の胸へと——届いた。
音はなかった。
馬子の体が、ゆっくりと後ろへ倒れた。
だがその顔には、奇妙な穏やかさが浮かんでいた。
憎しみでも、怒りでもない。もっとずっと前に、どこかに置き忘れた何かを思い出したような顔だった。
「……おまえは、本当に……愚かだな」
そう言って、馬子は草の上に横たわる。
太子は、そっと拳を解いた。
「それでも、私は愚かでいたい」
夜明けの気配が、ようやく東の空に浮かび始めていた。
倒れた馬子の背に、微かな光が差す。
(次回「馬子、涙す」へつづく)