宿敵!?弓削道鏡の出現!?唸る戒拳!?
傷だらけの聖徳太子と秦河勝が家に帰ろうと森の中を彷徨っていると、古い建物がぼんやりと視界に入ってくる。それを一目見て、太子は
「あっ」
と声をあげてしまった。これは、たんなる建物ではない。妖気が立ち込めている。
森の奥、深い谷間に佇む古びた寺院――
そこは、かつて誰もが恐れ敬った禁域。
いま、そこに一人の“黒き僧”が立っていた。
弓削道鏡。
五拳聖のひとりにして、
ただ一人、天聖心を否定した男。
彼の拳は、**戒拳**と呼ばれる異形の拳法。
天聖心を否とし、肉体と欲望のみに基づいた修行を積んだ。
その肉体は、僧とは思えぬほど分厚く、
黒衣の下には修羅のような筋肉が蠢いていた。
•
その寺院の前に、太子は立っていた。
息が荒い。
背中に巻かれた包帯から、じわりと血が滲んでいる。
賀茂明との死闘、阿佐との精神戦――
そして、未だ癒えぬ守屋との戦いの傷。
太子の天聖心は、まるで割れかけた杯のように不安定だった。
•
寺院の扉が軋んで開き、道鏡が現れる。
「……来ましたか、聖なる者よ。
血に濡れ、傷に喘ぎながら、なお拳を振るうとは。
あなたは、まこと“滑稽”です」
「おまえが……弓削道鏡か」
「かつて、そう呼ばれていました。
だが今は――ただ“真理を知った者”。
私は、この拳で、人の心を戒める。
弱き者どもを“欲”で縛り、支配し、導くために」
道鏡が両手を広げる。
その姿はまるで教主のように荘厳で、同時に禍々しかった。
•
太子は拳を構える。
が――その姿勢が、ふらついた。
「……!」
膝に、力が入らない。
天聖心の流れが、乱れている。
道鏡が笑う。
「あなたの天聖心は、もう機能していない。
割れた器に、水は注げぬ。
それでも戦うのですか? この“現実”に抗って」
太子は顔を上げた。
その目は、血走り、額には汗が滲んでいる。
「……ああ、抗うさ。
たとえ、この命が燃え尽きようと。
俺は、諦めない――おまえのような“歪んだ教え”には屈しない!」
•
拳と拳がぶつかる!
だが――
太子の拳は、重く遅い。
明らかに、道鏡の戒拳に押されていた。
打たれるたびに、古傷が開く。
呼吸が荒くなり、視界が滲む。
•
「このままでは……」
心の中に、誰かの声が響いた。
それは、河勝だったか、厩戸王だったか。
あるいは、幼き日、夢中で読みふけった法典の中の桐比等の言葉か。
『おまえの拳に、条理はあるか?』
(条理……?)
『拳が“法”であるならば、それは誰のためにある?
己を守るためか? 正義の証明のためか?
違う――“救うため”だ』
•
太子の背後に、まるで後光のように浮かぶ――
“十七条の拳法”。
そのうちの一つ――第十六条が、脳裏に響く。
「義を見てせざるは、勇なきなり」
「……そうだ、俺は……ここで倒れるわけにはいかない」
太子の天聖心が、かすかに光を取り戻す。
「道鏡……おまえは、俺の拳が終わったと思っている。
だがな――俺の拳は、一人じゃない!」
仲間の拳が、魂が、背中を押す。
「この次の一撃――
“第十七条の拳法”の真髄を込めて叩き込む!」
道鏡が不快そうに眉をひそめる。
「滑稽な……命を燃やし尽くす気か」
•
太子の構えが変わる。
それは、これまで誰も見たことのない型――
魂が震えるような、聖なる拳の始まりだった。
続く――
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第十六話予告:「最後の律――第十七条の拳、解放」
傷だらけの太子が、最後に解き放つ“律”の拳。
それは、ただ倒すための拳ではない。
“救う”ための、魂の一撃――
弓削道鏡の戒拳と、“聖なる条理”の拳が、遂に激突!