襲来!?賀茂明!?未来を視る拳!?
森は、ただ静かだった。
朝の霧がまだ木々の根元を這っている。
風はゆるやかで、葉のこすれ合う音さえ、拳の呼吸に聞こえた。
太子は、苔むす岩の上で構えていた。
両腕は自然と腰に収まり、呼吸は長く、静かに。
まだ遠い。
十七条の拳法――今はまだ、そのわずかな“端”に触れただけだ。
己の拳は未だ、整ってはいない。
その背に、ふと気配が立った。
足音ではない。
風が運ぶ、静かな律動。
「……兄さん」
そこにいたのは、かつての兄弟子、秦河勝。
長い黒髪を結い、簡素な法衣をまとったその姿は、まるで僧のようでもあった。
だが、彼の歩き方一つひとつが、まるで“舞”。
拳であり、気であり、音だった。
「迷ってるな、太子」
「わかるのか?」
「迷っている拳は、風にたゆたう。重さがない。だが軽すぎてもいけない。拳とは、己の言葉と同じだ。魂がなければ、ただの衝突になる」
太子は目を伏せる。
「俺には……守屋の拳が重く感じられた。あの力に、もし信念があったら――って、今でも思ってる」
河勝は、木の枝を一つ拾って投げた。
枝は風に乗り、太子の肩を掠める。
「だったら、その重さに耐えられるだけの“律”を、身につけるんだ。師匠(桐比等)の言葉を、拳に変える。そうすれば、お前は必ず“導ける”」
太子は頷き、再び拳を構える。
その姿に、河勝はうっすらと微笑みを見せる。
だが――その刹那だった。
森が、息を止めた。
鳥の鳴き声がぴたりと止み、風の音すらも凪いだ。
「……来たか」
河勝が一歩、前に出た。
森の奥から、光が差す。
だがそれは朝日ではない。
天から降るように、ひとつの人影が、地に舞い降りる。
白き装束、澄んだ瞳。
その拳士は、宙を歩むかのように滑らかに着地した。
「空に太陽がある限り、我はこの拳を下ろさない」
その言葉とともに、周囲の気圧が変わった。
まるで、森の一角だけが“未来”に閉じ込められたようだった。
「賀茂明……!」
太子が息を呑む。
目の前にいるのは、五拳聖の一人。
《未来を視る拳》の異名を持つ男――賀茂明。
「よくぞ整えているな、この空間。さすがは桐比等の門下。だが……未来に選ばれるのは、一人だけだ」
河勝が一歩、太子の前に立った。
「太子の拳はまだ未完成だ。ここは、俺がやる」
「兄さん――」
「安心しろ。あいつの拳は“未来を読む”。なら、俺は“今”だけを使う。読み切れぬほどの“今”を叩き込むまでさ」
賀茂明がゆるやかに拳を掲げた。
その動きは、まるで星の軌道をなぞるかのように静かだった。
「君の未来は、すでに見えている」
次の瞬間、光が走った。
拳と拳が衝突する。
河勝の拳は、しなやかで、撓るように強い。
まるで柳が風を受け流すように、賀茂の拳をいなしていく。
だが――
「次の四秒後、お前の肋骨は二本折れる」
その言葉とともに、賀茂の拳が沈み、河勝の右脇腹に突き上げられた。
衝撃とともに、河勝の身体が弾け飛ぶ。クルクルと回った五体は地面に激突する。
「あぐは……五拳聖の力……これほどまでだったとは……太子……逃げろ……」
太子が駆け寄ろうとした瞬間、賀茂の拳がぴたりと止まった。
「動かない方がいい。次の君の一歩は、僕の拳に届く」
太子は立ち止まり、拳を握る。
「兄さんを、これ以上やらせねえ」
「君の拳に、信があるなら――証明してみせろ」
太子の拳が構えを取った。
それは、十七条の第一。
和を以て貴しと為すべし――その“律”を宿す拳
光が、拳に宿る。
空が震え、太陽が太子の背を照らす。
「未来を読む拳……なら、その未来ごと、俺の“和”で覆してやる!」