遭遇
第三皇子ルクス率いるドワーフ救援軍は最低限の休息のみで駆けて、駆けて、駆け続けた。
道中で中立派や内建派の貴族が治める領土を抜けたがほとんどが派兵しているようで二千に及ぶ軍に立ち塞がる余裕のある領地も無く抵抗らしい抵抗もなかった。
オルコリア共和国東南部国境への到着は当初の見込みでは十二日以上かかるとされていたが、彼らの必死の行軍と一切の障害に見舞われなかったことが功を奏し、十日で目的であったオルコリア共和国と北方諸国連合との国境に辿り着いた。
しかし、将兵はもちろん体力自慢のドワーフですら疲労に喘いでいる。
そんな彼らが走り続けることができた理由は時節隊列へやってくる一人の青年の鼓舞であった。
「奮い立てっ! 今走れば無事に国へ帰れる! 倒れそうな者には肩を貸して助けろ!」
この九日にも及ぶ強行軍の最中、ルクスは昼夜問わず声を掛けて回った。
実際に第三皇子ルクスを見た者たちは総じて頼りなさそうという印象を持つ。
だがそんな彼が寝る間も惜しんで兵を、将を、ドワーフを見舞う。
足を止めてしまいたいと、負けそうになる心を叱咤してくれる姿はまさに兄のユリアスのようだった。
「殿下っ!」
「そのままでいい! 報告を!」
「はっ! 東南部国境沿いに結界はなし! 繰り返します! 結界は確認できずっ! また待ち伏せもありません!」
「わかった。最低限の直衛を残して他の白鳳騎士は先行して退路の制空権と道中の安全確保を!」
「了解しました!」
馬で駆けながら偵察に出ていた白鳳騎士の報告を聞き、矢継ぎ早に次の命令を出す。
睡眠不足と極度の疲労は俺の頭に鈍い痛みを生み出しているが今はまだ無視するしかない。
国境を抜けて北方諸国連合に駆け込めればゆっくり休める。
仮に俺の読みが外れて宰相が何も手を回していないにしても北方諸国としても身に降りかかる火の粉は払わねばならないので何とかなるはずだ。
だから、今は振り絞って走るのみ。
『アウリー』
『なに?』
『白鳳騎士を護衛しつつ一緒に先行してプラールと連絡をつけてくれ』
俺の予想が外れていて宰相が手回しをしていなかった場合、俺たちを出迎えるのは北方諸国連合の精鋭たちとなる。
そうなった時に備えて早めにレイン経由で宰相に連絡をつけておきたい。
何より共和国内の状況をいち早く伝えなければならない。
『…私にルクスの元を離れろってこと?』
『非常時だから仕方ないだろ。国境沿いはきっと念話妨害の影響範囲だ。少し北方諸国連合の内側に行けば通じるだろう』
『でも…!』
『連絡が付いたら帰ってくればいい。アウリーならすぐに帰って来れるだろ?』
『…私がいない間、ルクスは魔法を使えなくなる。そこに悪魔が来たらどうするの』
『逃げるさ。アウリーがいなければ俺の技量は精々魔術師団長以上レイン未満、勝てるわけが無いからな。だから早く連絡をつけて帰ってきてくれ』
命を預かり率いる者として保険は巡らせておかなければならない。
北方諸国連合と戦闘になりそうなら即時降伏で事情を話すがすんなり通るかも分からない。
ドワーフには怪我人も多いし、いち早く治療を受けさせるにはこれが最善のはずだ。
『頼むよアウリー』
『……わかった。絶対に無事でいて。不測の事態が、起きても絶対に前に出ないで周りを犠牲にしてでも生き残って』
『当然だろ。死んだら本も読めないしな』
間もなくして白鳳騎士は追い風と共に国境へ向かった。
俺は空を見上げながら地上の部隊を率いて後を追った。
◇
二刻後、オルコリア共和国と北方諸国連合との国境線である山岳地帯に入った。
この先にある北方諸国の国境要塞にたどり着ければそこからは北方諸国側の領土となる。
つまりあとは走るだけ。
やがて山路を駆け足で抜けた俺たちの目の前には石造りの砦壁が現れた。
北方諸国連合の国境要塞である。
「見えた! あと少しだけ走るぞっ」
この瞬間全ての人間の意識が国境要塞に向けられた。
幾重もの困難を乗り越え、張り詰めていた彼らの心にも密かな安心が芽生えた。
決死の覚悟で目指した場所が目前に迫れば人の視野は狭まり見たいものだけを見てしまう。
これは当然の心理。
そして、その瞬間を人ではない奴らは逃さない。
「っ!? 総員止まれっ!!!」
唐突に魔力探知が警鐘を鳴らし俺は停止を命じる。
だが遅すぎた。
数発の魔弾が着弾と同時に爆ぜ、先頭を走っていた北部貴族軍が吹き飛ぶ。
弾道から素早く位置を割り出して視線を向けると一人の男が空中から見下ろしていた。
「妙に騒がしいと思えば鼠が紛れ込んでいたか」
「何者だっ。我らをアルニア皇国軍と知ってのことか!」
「ほう。皇国の者であったか。てっきり滅亡し損ねた寄せ集め国家の斥候あたりかと思ったが予想が外れたようだ」
プラウム卿が問えば男は顎に手を当てて呟いた。
そのわざとらしい動作とゆったりとした口調が違和感でしかない。
奴は俺たちを蹂躙することもできるはずだがそれをしない。
自分の力をあまり見せたくないのか、あるいは存在自体を隠したいのか。
だとすると悠長にも話し始めた理由は時間稼ぎか?
ここは北方諸国連合との国境。
情報を周辺諸国に与えたくないのだとすれば奴にとっての悪手は…。
「総員全速力で国境まで走れっ! 追撃に構うな!」
幸いにも疲労に喘ぐ兵たちだったがすぐに反応してくれた。
一斉に国境要塞に向けて走り出す。
だが男もただ指をくわえて見逃してくれるわけがない。
面倒くさそうな顔をした男は魔力弾を展開して殲滅を開始する。
威力は十分、狙いは正確。
誰かが防がなければ一人たりとも国境へ辿り着くことはできないだろう。
迎撃が可能な魔術師団は疲労の色が濃くその余裕はない。故に構うなと言って走らせた。
俺がやるしかないのだ。
「…なに?」
上空から雨のように降り注ぐ魔弾を風の障壁で防ぐがそれでも八割程度。
残りの二割は俺の展開する障壁の範囲外を走る兵たちに容赦なく襲いかかる。
悲鳴と断末魔が耳朶に響くがこれ以上は…。
…本当に救えないのか?
確かに無数の弾幕から身を守るには障壁を展開するのが最も確実で魔力の消費も少ない。
だがもうひとつ、方法は存在する。
それは物量には物量で対抗するという方法だ。
俺は馬の背から男を注視する。
魔力探知も全開にして集中。
障壁へ回していた魔力を術式構築に送って魔弾へと風刃を放ち続ける。
男もしばらく続けていたがやがて魔弾の射出を止めて進行方向の地面を大きく穿ち、部隊の足を止めると軍全体を眺めた。
そして、
「お前か」
俺と男の目が合った。
互いに相手の力量が相当なことを理解し、同時に魔力探知の結果から俺は確信した。
「…悪魔」
「このような児戯だけで見抜くか。さては我以外とも会ったことがあるな」
呟いた言葉を正確に聞き取ってみせた男は興味深そうに俺を見る。
「鼠駆除程度の雑事と思っていたが、わざわざ出張った甲斐があった。上手く隠しているが我の目は誤魔化せん。矮小な人の身には余る魔力量と卓越した魔力操作。その歳で至ったお前は危険と我の感も言っている。故に」
俺たちと国境要塞の間に無数の魔法陣が出現し門が開かれる。
無数の魔物と魔獣が次々と飛び出しては産声を上げた。
飢えた獣たちのギラつく視線は疲労困憊な獲物へ向けられた。
兵たちの士気と希望が地の底に沈んでいくのを感じる。
俺の額からも汗が流れ落ちる。
そして男が右手を振りかぶった。
「ここで、確実にその芽を摘もう」
「来るぞッ! カシアン、銅鑼を鳴らせ! 衝軛の陣だ!」
「…っ! はっ!」
振り下ろされると同時に雄叫びを上げて俺たちへ走り出した魔物と魔獣の数は目算でも二千を超えるが穿たれている穴のおかげで衝突まではまだ時間がある。
万全ならばまだしも今の皇国軍にあれを凌ぐ余力などない。
加えて地形も悪い。
両側を山肌に囲まれたこの場所では前進か後退しかできない。後退すればあてもなく共和国領内を逃げ回ることになるし背を追っていた敵軍の存在もある。
となれば取れる選択肢は一つ。
「全軍突撃態勢っ!! 血路は前にしかない! 死力を尽くして生き残れっ!」
この絶望的な状況下でも総大将であるルクスの声に真っ先に応え吠えたのは金虎隊と銀狼隊、そしてギドレム王率いるドワーフ戦士団だった。
しかし、カシアンはここで恩を返すと言わんばかりに最後方から最前へ走り出そうとする彼らを止めた。
「何故止める! あの心優しき聡明な皇子をここで散らすのは惜しい。それに儂らが巻き込んだ以上、皇子だけは必ず生かして返す! そのために儂らは…」
「落ち着いてください。やや開けているとはいえここは山々の間に位置する街道です。最後方からほど近い部隊が最前へ無理やり飛び込めば前方の部隊の形が崩れます。それに更なる難事が起こるかも分かりません。ドワーフと獣人たちの突破力は温存すべきです」
「じゃがそれでは…」
「大丈夫です。北部の精兵はこの程度の絶望に負けるほど弱くはありませんから」
カシアンは最前線へ視線を移しながらそう言った。
◆
真っ先に戦端を開いたのはドーレア子爵とホフマン騎士爵の部隊だった。
強行軍を続けすぐにでも倒れそうだった兵たちの顔つきは今、戦士のそれへと変化している。
彼らは正面から迫る津波の如き魔物や魔獣から己の獲物を定めて自ら濁流へ飛び込んだ。
一太刀、一突きで魔石を砕き次なる獲物を仕留め、また仕留める。
傷を負っても動きを鈍らせずにただ愚直に前へ進んだ。
彼らの心にあるのは一つの共通認識。
魔人戦争はもっと辛く厳しい戦いであったというもの。
この程度では絶望しないという確固たる意思だった。
そして出兵を経て芽生えたもうひとつの思い。
「怯むな!! この程度の荒波、泳ぎきって見せようぞ! 我らが道を切り開いた分だけ殿下が無事に帰国できる可能性が高まるのだっ! さぁ、我がドーレア家の精鋭たちよ!進めぇっ!!!」
「「「「おおぉぉぉぉぉぉぉっ!!!!」」」」
「ドーレア卿は元気じゃな。さて、若者にばかり働かせるというのは儂らの性に合わん。気張れぇ! 魔人戦争を戦い抜いた老兵共ぉ!!! あの苦境に比べれば可愛いものよなぁ!」
「おうさ! ちと堪えはするがの!」
「儂らを止めるにはぬるすぎるわい」
この従軍期間を経て遠征に参加した北部貴族も兵たちも読書家皇子と呼ばれるルクスに魅入られ、彼に未来を見た。
彼がいればアルニア皇国は安泰であると信じられた。
思いとは時に大きな力となる。
頂点を超えた疲労を打ち消し戦う彼らはまさに無敵。
次々に魔物を斬り伏せ魔獣を地に這わせる二家の勢いに後続の兵たちも感化され全力を奮い続けた。
B級相当の魔獣が現れた左翼と右翼にはそれぞれ金虎隊と銀狼隊が加わりこれを撃破。
唯一のA級であり最後の関門であった魔鋼人形の元には航空支援で戦場各地へ散っていた白鳳騎士とドワーフ戦士団が向かい激戦の末に脚部を破壊し動きを封じ突破した。
倒れた無数の戦友たちの屍を乗り越えた皇国軍はやがて魔物と魔獣の防壁を突き抜けた。
一息入れたいところだがそんな暇は無い。
今はいち早くこの場を離脱し北方諸国連合領へ逃げ延びなければ。
見れば国境要塞正面にまだ僅かではあるものの兵が展開されている。
「殿下! 北方諸国連合が兵を展開しております」
「この状況で魔物に襲われている俺たちを見捨てることは国際社会を考えれば愚策もいいところだ。必ず救援に入ってくれるはずだ」
そうなれば何とか逃れられる。
思考を巡らせていると改めて男が俺を見据えていた。
「吹けば飛ぶような弱者かと思っていたが、よもや魔物の壁を突破してみせるとはな。少々認識が甘かったようだ。だが…」
男は表情を変えることなく無慈悲に告げた。
「時間切れだ」
強烈な魔力波がすぐ目の前で発生し始めた。
原因を瞬時に理解した俺は拡声魔術を使い叫んでいた。
「走れぇ!!!!!」
恐らくほぼ全員が怒号にも聞こえたであろう俺の声に反応はしたが、その足取りは遅い。
このままでは間違いなく間に合わない。
俺は魔力を込めて強風を吹き起こした。
人が軽々飛ぶような風を後方から東へ向けて。
狙い通り最前から中列後方までの部隊の者たちと非戦闘員のドワーフたちが国境要塞目掛けて文字通り飛んでいった。
なるべく優しく飛ばしたつもりだが間違いなく怪我人は出るだろう。
新雪に突っ込んでくれることを祈ろう。
これしかなかったのだ、彼らの命を守るためには。
それとほぼ同時に国境要塞と俺たちの間に巨大な不可視の壁が築かれたのを俺は感じた。
共和国側に残されたのは俺と黒鳳騎士たちと数人の白鳳騎士、金狼隊と銀狼隊。
そして風の範囲外で戦っていたレクラム騎士爵の部隊と数十人ほどの兵士たち。
背後から迫っていた魔獣は動きを止めてこちらを睨みつけているがすぐにでも襲ってくる構えだ。
恐らくあの男が命令しているのだろうが今はありがたかった。
「殿下…?」
険しい顔つきで俺へと問うカシアン。
未だ事態を把握できていない騎士や兵たちには動揺を与えたくないが彼には言わねばならないだろう。
「…今、皇国国境と同じ大結界が張られた」
「っ…! それでは」
「ああ。退路を完全に失った。…詰みだ」
俺が送り出してしまったこの状況を打破する切り札たる風は、吹くことすらも封じられた。




