下は向けない
ドワーフを保護し撤退を始めてから四日が経過した。
相手が大軍という点を逆手に取って細道や林道を駆使して逃げ惑っているアルニア皇国軍であったが魔獣との遭遇回数が増加したことで足取りが遅くなってしまった。
その結果、外征派の斥候とたびたび戦闘となっている。
遭遇した斥候は徹底的に潰しているので逃がしてはいないがこれによって大まかな位置は特定されていることだろう。
だが、こちらも広範囲の索敵をおこなっていることが功を奏し、皇国軍の陣容や部隊規模についてはまだ気付かれていないようだ。
俺たちの兵力が二千に及ばないと悟られれば数万の兵力を持つ相手は細かく兵を分けて包囲を するように追ってくるだろう。
そうなれば俺たちに逃げ場はないし、それだけは避けねばならないが。
「殿下。先ほどの魔獣との交戦によってレクラム卿の隊の傷兵が三割を超えました」
「わかった。ドーレア卿の隊と差し替えてくれ。怪我人は中央列に運べ」
「はっ」
騎士が離れたのを確認してからはぁと息を吐く。
状況は悪くなる一方ではあるがあと半日もすれば往路で立ち寄ったエルチェの街の傍を通る。
エルチェを通過できれば国境まではあと少し。
現在の距離を維持できれば逃げ切れるはずだ。
気がかりと言えば先んじて白鳳騎士をエルチェへ送って外征派の大軍が迫っていることを伝えたはずなのだが未だに何の連絡もないことが少々気にかかる。
『ルクス』
「どうした?」
『南の方で大規模な魔力波が起きた』
「なに…?」
アウリーの報告に眉をひそめていると遅れて俺も魔力波を感知した。
戦略級の魔術でもここまで大きな波は起こらないはずだ。
「アウリー探れるか?」
『さっきから探ってるんだけど小さな魔力波が邪魔をしてて』
「…先にその小さな魔力波を調べてくれ」
どうにも胸騒ぎがする。
スオウで魔獣津波が起きた時よりも、ケトゥスが迫ったあの時よりも、そしてレシュッツで悪魔が現れた瞬間よりも。
アウリーの返答よりも先に空から翼の羽ばたきが聞こえた。
見上げるとエルチェに連絡員として待機させた俺のよく知る白鳳騎士の一人がいた。
「遅かったな、ターニャ……」
俺の傍らに降り立った騎士は束ねていたはずの美しい金色の長髪は顔の左側を隠すように垂れ下がっており、見える肌は蒼白な表情で苦しげに息を吐いていた。
白鳳の誇りである純白の鎧は泥や血で赤黒く染まっていた。
隊列に停止を合図し今にも倒れそうな彼女の前に立ってその肩を支える。
ここで初めて彼女の左目が見えた。
「…ご、報告…です。エルチェ…は、陥落し…ま…た。……民の、こと、ごとく、死に…絶え……敵は…食屍鬼…不死者の、大軍……ジェシカ…ライラ……ムレーナ…は……わた、しを…逃がす…ために……奴らに…」
「…そうか。よく知らせてくれた。ターニャの情報のおかげで俺たちは更なる窮地に飛び込まなくて済む。今日までの我が国への献身に感謝する。娘のことは俺が面倒を見る。…ゆっくり休んでくれターニャ」
「あり、がたき……おこ…と…ば…」
がくりと倒れ込む寸前、彼女の言葉が聞こえた。
俺は一瞬顔を顰めながらも風の魔術でターニャの首を落とした。
その行動に見守っていたプラウム卿や兵士たちは愕然とした。
騒ぎを聞きつけたのかドワーフ王の姿もみえる。
「遺体はここで燃やしていく」
思ったより冷たい声が出たな。
俺の言葉を聞いた数名の白鳳騎士がターニャだったものへ駆け寄った。
その憎悪を含んだ視線が皇族である俺へと向けられる。
「なぜですか…!ターニャ先輩は国のために死力を尽くしたのに。手当てをすれば助かった傷です! 」
「こんなに傷だらけで国のために尽くした方をどうして…!!」
そういう彼女たちの目元には涙が光っている。
チラリと所属を表すスカーフを見ればターニャと同じものが付けられていた。
ターニャの部隊の後輩たちか。
「我が国に忠誠を誓う騎士の身分にある者が皇族である俺へそんな目を向けるな。アンジーナがいれば君らは厳罰だぞ」
「お言葉ですが私たちは騎士である前に一人の人間です。尊敬する人を無意味に殺されることは許容できかねます。ターニャ先輩の尊厳のためにも」
彼女たちは総じて若い。
恐らくは騎士に任じられたのも去年のことだろう。
それにターニャの部隊は基本的に皇城付近の警備任務が多い。
仲間を失う経験も少なかったのだろう。
だから気づけない。
…先輩と慕う癖に彼女の異変にも気づけていないことが本当に腹立たしかった。
「俺は彼女に最大級の敬意を評し、その尊厳を守った。お前たちが騒げば騒ぐほど彼女に、ターニャを辱めていることに気づけ。外野で見ている者たちもだ」
そこに殿を任せていたカシアンがやってくる。
彼は視線を巡らせてすぐに事態を把握したようで溜息と共に俺の前までやってくる。
「申し訳ありません。騎士の監督不行き届きは私の責任でもあります。不遜な視線を向けた全ての騎士の罪は私が負います」
「カシアン様! 何故ですか!」
まだ納得のいかない若い白鳳騎士たちはカシアンにも食ってかかる。
正直ここまで反応を示すとは思わなかった。
それほどターニャが慕われていたという証左でもあるのだが。
「何故? 例え、のっぴきならない理由があろうとも我々騎士は皇族の方へ意見し噛み付くことなどあってはならない。国に忠誠を誓う我々は自身の感情よりも国の安寧を優先する。そして、ルクス殿下は何も間違ったことをしていない」
カシアンが俺へ話して良いかと伺う視線を向けてきた。
ここまで大騒ぎになってしまった以上、理由を提示しなければ逆に士気に関わるだろう。
頷くとカシアンは深く一礼してから口を開いた。
「ターニャの腕を見なさい。どうなっていますか」
「…傷だらけです。裂傷や切り傷に…これは」
「そのひときわ目立つ傷は歯型です。つまり誰かに噛み付かれたことを示しています。聞きますが食屍鬼に噛み付かれた者がどうなるか知っていますか?」
「確か……時間経過とともに噛まれた者も…っ!」
「そうです。故に冒険者の間でも食屍鬼討伐の依頼は敬遠されがちで我々騎士に任務として下令されるのです。…ターニャの顔を見てみなさい」
「…ひっ!」
俺が落としたターニャの首。
その左半分はひどく爛れていてもはや誰だったのかという判別すらつかない。
「ターニャは交戦する中で食屍鬼に噛まれたのでしょう。そして完全に食屍鬼になる前にここに辿り着き、敬愛するルクス殿下の手で騎士として殉死した。…ルクス殿下が間違っていたことがありましたか?」
「…いえ」
「貴女たちがいたずらに騒ぎを大きくしたことでターニャの名誉を守ることも、彼女が安らかに眠ることすらも妨害しているとわかりましたか?」
「…はい。申し訳ありませんでした」
「罰は私が受けますが謝罪をするのなら殿下にしなさい」
「別に謝罪はいらない。そんな暇があったらターニャの遺体を燃やして見送ってこい。半刻後、ここを発つ」
今は俺がいない方がいいだろう。
俺は馬に乗り先頭の方へと駆け出した。
ある程度進み誰もいない木陰へ腰を下ろす。
首を斬る直前にターニャは確かに言った。
願わくば、殿下のお子を抱きたかったと。
彼女との付き合いは長かった。それにターニャを逃がすべく懸命に戦ったであろうジェシカ、ライラ、ムレーナの三名にも幼少期からよく世話になった。
「よく頑張ったよ。ルクス」
「…ああ」
後ろからそっと抱擁してくれた契約精霊の腕はすぐに濡れていった。
◆
ルクスが去ったあとでカシアンはもう一度溜息を吐いて周囲の注目を集めた。
「一部始終を見ていた者たちの中には殿下が冷たい方だと感じた人もいるだろうがそれは違う。この場の誰よりもあの方は悲しんでいた」
「そんな素振り…」
「出せるわけないだろうっ! この絶望的な状況で軍を預かる立場の殿下が悲しめば士気を下げる。あの方は一人でも多くを生かすために考えて行動しているのだから」
カシアンはそれにと続ける。
「…ターニャはルクス殿下が幼少の頃からスオウに行かれるまでの間、専属護衛として常に付いていた。ルクス殿下にとって彼女はアンジーナ団長よりも親しく信頼する白鳳騎士だったはずだ。そんな相手の首を自らの手で落とすことが君たちにできるか? 辛くないと思うか?」
誰も声を上げなかった。
古参の白鳳騎士たちがルクスの行動を止めずに非難しなかったのはこのことを知っていたから。
もっと言えば、犠牲になった白鳳騎士三名もルクスの護衛を長期間務めた経験のある者たちだった。
「あの方は皇族らしくない。末端の兵士一人が死ぬだけで深い悲しみを感じる心優しきお方だ。貧富の差も人種の差も気にしない。ここにいる全員が目にしたはずだ。殿下の治めるアングレームの街を。殿下は瞬く間に各地で虐げられる獣人たちがあんなにも自由で楽しそうに笑って暮らせる都市を築きあげられた。きっとこれからもより素晴らしい都市にされていくことだろう」
アングレームの評判は既に皇国中に知れ渡っているし、他国からの注目も集めつつある。
獣人と人間が手を取り合って暮らす活気溢れる都市。
これまで誰も成し遂げられなかった理想が確かに形になっている。
「敵地で退路を断たれ、二十倍以上の大軍に追われ、疲労も積み重なる一方の厳しい状況。それでも思考を放棄せず足掻く殿下は親しき者の名誉と尊厳を守るために自らの手で介錯された。まだこの世に生を受けて二十年にも満たない殿下がだ。そんな殿下の苦悩と覚悟を無駄にするな。この先どのような困難があろうと常に殿下を信じるんだ」
それは命令でもあり願いでもあった。
アングレームでの日々を経て皇子ではなく心優しき少年のとしての姿を知ったカシアンからこの場に集う全員への。
古くからの友が逝った。
この先自分がどこまであのお方のお供をできるか分からない。
だから、皇子である前に彼が一人の少年であると知って欲しかった。
少しでも殿下の思いが報われるように。
一人でも殿下を慮ってくれるようにと。
事切れた友の亡骸に近づき腰にある長剣を拾い上げる。
そして抜剣し地面へと突き刺した。
「…ターニャ、お前に代わってあの御方は俺が必ずお守りする。だから安らかに眠れ」
語りかけるその声はとても優しいものだった。
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