獣人の到来
カーペンター辺境伯家による突然の来訪から一週間が経過した。
季節は本格的に秋へと移り変わり外套を羽織らなければ肌寒く感じるまでになっていた。
この一週間でアングレームにはいくつかの変化が訪れていた。
まず第四宮廷魔術師団が到着し、都市の周囲を囲む城壁の建造に取り掛かった。
作業が始まってまだ数日ではあるが尋常でない速度で壁を築き上げている。
「これが新たなる土属性魔術の可能性ですな…! 地味でハズレ属性といわれた土属性魔術が世界を見返す物語が今! 始まるのですぞ!」
などと言いながら師団長であるジョラン・フォン・ノーフォークは小躍りして築城に臨んでいる。
宮廷魔術師団の中でも最弱などと陰口を叩かれていたらしく、今はそんな奴らを見返せると師団所属の土属性魔術師たちはやる気に満ち溢れている。
そのおかげで予定よりも早く壁の工事が完成しそうだ。
次に内政面。
第四宮廷魔術師団の到着前に城壁の下地を作っていた作業員が各区画の建設に合流したことで作業の効率も上がった。
また噂を聞きつけた出稼ぎ目的の者がさらに百名近く増えたことでさらに建設速度が上がっている。
北側区画郊外は仮設住居の建設が進んでおり既に五百名ほどを収容できる程度には仕上がっている。
商業区画にも行商人たちが出店を広げ始めておりそれに日当を受け取った労働者たちが買い物をするといった光景がよく見られるようになった。
そして忘れてはならないのが生産区の進展だ。
元々は皇王直轄領だったため生産体制は整っていたのだが、年々減っていく織り手の不足により量産が難しい状態にあった。
この織り手の減少には理由がある。
そもそもアングレームで作られる絹はその軽さと滑らかさ、そしてその防刃性から精霊の羽衣と呼ばれておりアルニア皇家がまず目をつけ、各国王族や高位貴族がそれに続いて取引を願ったという背景がある。
皇王直轄領になったことで一種のブランドと化してしまったために安易に高貴な者以外に売り出すことができなくなり、技術的に未熟な者が絹を織れなくなってしまっていた。
技術の漏洩を防ぐためにごく少数の織り手が今日まで仕事をおこなっていたが、今回俺が直轄領を領地として受け取ったことで閉鎖的だった環境を変えることができた。
少数の織り手一族のみが精霊の羽衣を織っていたことを知った俺は織り手の長老に話を聞きに行った。
てっきり新たな織り手などいらないと言われると思っていたが長老は今後移住して来る者でも織り手になるという意思さえあれば受け入れたいと語った。
ただ、未成熟な織り手の織った織物の使い道がないことを憂いていた。
そこで俺は一つの提案をした。
これまで皇族や各国王族を中心に取引していた精霊の羽衣の名を精霊王の羽衣とし、未熟な若手の織ったものを精霊の羽衣と呼ぶのはどうかと。
ブランド化している精霊の羽衣をさらに上位の元とすることで若手の織ったものを精霊の羽衣を一般向けにも売り出そうというのが狙いだ。
現状、高額になってしまっている精霊の羽衣を安価に売り出すことが可能になり、若手の織り手にも修行の場と収入の機会を与えることができるという寸法だ。
当然父上や宰相にも許可を得た上での行動だが、精霊王の名を使って大丈夫かという声もあった。
しかし、これは初代光の精霊王であるプラールと現光の精霊王であるサキに文面での許可をもらった。
これによって世界初の精霊王公認の織物が誕生した。
結果、噂を聞きつけた者たちが職人になろうと詰めかけて相当忙しいことになっているようだ。
他人事になのは生産区に関してをロミエルに一任したので俺の元には報告のみが届いている状況だからで当のロミエルからは、
「ちょ! ルクス殿下! これどう考えても僕と数人の文官で担当できる案件じゃないと思うのですが!?」
という気合に満ち満ちた声が届いている。がんばれ。
当然だが虐めたくて彼に生産区を任せているわけではない。
自家を盛り立てた政治的手腕を試しているというのもあるが一番はこれをもって彼の功績とするためだ。
ただでさえ大きな収入源となっていた精霊の羽衣をさらに莫大な財源とするための下地はできている。
あとはロミエルが上手く回せれば彼の陞爵も見えてくる。
そう、これは全て彼を思ってのことだ。うんうん。
仮に彼が上手くやれなくとも商機に聡い商人たちならばこの儲け話を見逃さないだろうしな。
商人といえば商業区にガレリア商会の店が開店した。
これだけ早く店を開けることができたのは俺が事前に話をつけていたこともあるが、会頭であるメッドランの思い切った行動が一因だ。
元々皇国南部のレシュッツを本拠に活動する商会で俺の御用商人となったガレリア商会は今回、俺がアングレームを領地として治めることを知った。
メッドランは元々本店だったレシュッツの店を支店として残し、新たな本店をこのアングレームに置くことを決めたのだ。
これには俺も驚いたがアングレームにやってきたメッドランは一世一代の商機を逃さぬためだったと笑いながら語っていた。
俺は彼を見くびっていたのかも知れない。
さて、もう一つ大きな変化がある。
それはというと……。
「ルクス様、西側の開発進捗と住人からの陳情を私の方で処理できるものは処理しておきました。あとはこの二件だけです」
「まだ任せて数十分だぞ? 早すぎないか」
「事務や書類仕事は父の元でも手伝っていましたので。それにルクス様のためなら気合いも入るというものです!」
「そ、そうか…。ありがとう」
渡したはずの書類の山を数枚にしてみせたセレナ・フォン・カーペンターはにこりと笑い菫色の髪を揺らした。
セレナが引き起こした婚約騒動に対しての俺の返答は皇子である以上、俺の一存で婚約を決めるわけにはいかないため俺から父上と宰相に改めて婚約の打診があったと伝えた。
その答えが返って来るまでの間、セレナはアングレームに残ってもらう事となった。
当然これは表向きの理由である。
俺がアウリーやプラールと契約していることをセレナが言いふらす可能性はまずない。どこかに漏らす意思があったならばこれまでいくらでもできたし、俺と語り合った彼女の言葉からも現状漏洩の気が無いとわかった。
しかし、予想外にもアウリーがセレナをひどく気に入ってしまったのだ。
是非とも彼女を俺とくっつけたいという意志を感じるが俺は気付かないふりをしている。
とにかくアングレームに残る事となったセレナは何か手伝いたいと申し出てきたため俺の書類仕事の補佐をお願いしてみたのだが、これがまた優秀すぎた。
速読の特技がある俺よりも仕事が早いのだから驚いた。
本人曰く、最も伝えたいことを先に確認してから他を補足情報として目を通すようにしているらしくこれが秘訣らしい。
まあ自家でもやっていたことで経験が豊富ということである程度はよくあるパターンとして処理できてしまうらしい。
「やっぱり一緒になっちゃうべきだと思うんだよね。私、セレナなら許せるし」
ふわりと飛んできたアウリーが俺の首元へ手を回し抱きついてくる。
「何がそこまでアウリーを惹きつけるのかは分からないけどそれは俺の決められることじゃ無いって言ってるだろう」
「いやいや、そこは愛しいあの子と一緒に地位も名誉も捨て去って隣の大陸へ…」
「絶対昨日読んでた恋愛小説の影響だろ」
「でもルクスくんがセレナちゃんと婚約しちゃうとサキが泣いちゃうと思うから私は反対しておくわねぇ」
「プラール様。アルニア皇国の皇族は一夫多妻制ですのでその心配は無用です。それに私は第二夫人でも気にしませんので」
「あらあら。なら私も応援しちゃおうかしらねぇ」
「ありがとうございます。いつかサキさんともゆっくりお話ししたいものです」
セレナが来てからというものアウリーとプラールは当然の如く執務室で話をしている。
セレナを気に入ったという理由もあるだろうが、執務室にやって来るほとんどの人間が精霊を認識できないことがわかったようで純粋に会話を楽しんでいる節がある。
余談だが、セレナによって外堀を埋められているようで領主館で働くメイドたちまでもが俺とセレナの恋話を囁いているらしい。
「ルクス殿下、紅茶が入りました」
「ありがとうレイン。ん、今日のも美味しいな」
「お口にあったようでよかったです。本日の茶葉は私が一番好んでいる茶葉ですので」
セレナが来てからのレインの様子はというと至って普通に見える。
彼女が婚約の話を持ってきた時は何やら物々しい雰囲気が二人の間に流れていたが、最近では穏やかな空気が二人の間にも感じられる程度にはなった。
アウリーの話ではとある晩に二人で語りあっていたらしい。
内容を聞いたが野暮なことはしないと言って拒まれた。
「セレナさんもどうぞ」
「ありがとうございます! わたくし紅茶を淹れるのはあまり得意では無いので今度教えていただけますか?」
「ええ、もちろん。…私たちの未来のためにも」
…二人の笑顔に若干の悪寒を感じながらも紅茶を楽しんでいるとノックの音が執務室に響いた。
一礼して入ってきたのはカシアンだった。
「失礼します。北方街道を見回っていた衛兵隊より早馬が届きました」
「内容は?」
「北方街道沿いで氷白狼の群れと遭遇し戦闘になりましたが、獣人の一団の助力により撃退に成功したとのことです」
「獣人? 死傷者の有無は?」
「報告になかったため皆無と思われます」
「そうか。氷白狼の群れならB級上位の脅威だが怪我人無しとはな。よほどその獣人たちが強かったのだな」
「恐らくは」
「獣人の一団は今どこに?」
「衛兵隊がアングレームへ案内する手筈になっておりますのでまもなく到着するかと」
「わかった。到着次第、来客室へ案内してくれ」
「かしこまりました」
ついに獣人たちがやってきたようだ。
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