セレナの秘密
セレナから放たれた爆弾発言《婚約申請》に場の空気が凍りついた。
何故かレインの握っていたティーカップも物理的に凍りついているが見なかったこととする。
「えっと……マジ?」
「はい。まじです」
「…自分で言うのもあれだが俺は婚約相手としては皇族の中でおすすめできない相手だぞ。そこらの貴族の子弟たちにも劣る。皇族の責務を果たさず、民を思っての行動などない。皇城の図書館に引きこもって本を読み続けるだけの皇子。読書家皇子なんて言われているが引きこもり皇子と呼ばれても否定できない。それが俺だ。取り消しておいた方がセレナのためだと俺は思う」
これは俺の偽りない気持ちである。
俺にとっては本が恋人なのだ。
誰かを好きになるとか幸せにするなんてとても考えられない。
「やはりルクス殿下はお優しいですね。僭越ながらわたくしも反論させていただきます。皇族の責務とは国に住まう民草が健やかに平和に生きられるように国主の一族として行動することと私は考えます。今年に入ってからルクス殿下は既に三度も責務を果たされているではありませんか。帝国侵攻時には自らも戦場に立ちその知謀で敵軍を撃退し、スオウでは使節団を率いて文化交流をし海魔異変という国家存亡の危機に立たされたスオウへ助力し我が国の智勇を見せつけました。南部では暗躍する魔人の一団を見事討ち果たし大陸中に希望を与えています。今や殿下は才を隠していた英雄とまで呼ばれるのですから。そんなルクス殿下が他の貴族の子弟に劣るわけがありません」
俺の目を見て真摯に語る彼女の姿はとても美しいと思うし好ましくも思う。
だが、俺としても簡単に引く訳にはいかない類の事柄だ。
何せ俺の将来がかかっている。
自由恋愛を推奨する父上ではあるが俺も皇族である以上は政略結婚は避けられないだろう。
それに今は時期が悪い。
「確かに今セレナが言ったことは事実だ。だが言わせてもらう。そもそもとして俺は君に好意を寄せているわけでもないし君と話すのだって今日が初めてのはずだ。 最近では俺が功績を挙げたからだと思うが父上の元に少なくない数の婚約話がきている。打算や野心を隠そうとしない貴族たちからな。こうは思いたくないが、カーペンター辺境伯もそういった心算があるんじゃないかと疑いたくもなる。不本意だが俺は今忙しい身の上だし腹の探り合いは好きじゃないんだ。単刀直入に聞こう…君が俺に婚約を申し込む理由はなんだ?」
面倒になってきたので直接的に聞いてしまおう。
客観的に見て今の俺は無限に金の湧く泉のような状態だ。
スオウとの外交窓口を持ち、悪魔を討伐することのできる力もある。
加えて今はアングレームの領主にもなっている。
有力な婚約者候補もいないのだから貴族たちもこぞって申し込んでくる。
そこらの貴族たちと一緒ではないのかと問いかける。
するとカーペンター辺境伯とセレナは顔を見合わせた。
「恐れながら我が家を他の家々と一緒にしないでいただきたい。我が辺境伯家がルクス殿下に婚約を申し込んだのはこれが初めてではありません」
「なに?」
「宰相閣下や陛下から何も聞いておられないのですね。私は三年前のあの日、ルクス殿下に想いを寄せるに至りました。それからひと月毎に婚約の使者をお送りしておりました。もっとも、良い返事は一度もいただけませんでしたが」
「三年前から…?」
余計に意味がわからない。
三年前の俺など図書館から出ることなく過ごしていたから彼女に会う機会など……いやあった。
たった一度だけ社交の場に出たことが。
「グレイ姉上の誕生パーティー…あの時、俺と話したのか?」
「いえ。辺境伯家とはいえ新参にあたる我が家がルクス殿下に話しかけるなど畏れ多くてできません。ですがわたくしは遠目にお見かけした時、雷に打たれたかと思うほどの衝撃を受けました。…俗に言う一目惚れでした」
少し俯きながら告白したセレナは先ほどよりも頬を赤く染めた。
これが演技の類ならばセレナは大人気の役者になれるだろう。
物語の中では一目見た時から好きでしたなどの文言は腐るほど見かける。
…まさか自分がそれを言われる側になるなど思いにもよらなかった。
通常、貴族の婚約というものは子どもが生まれる前や出生直後に親同士で交わされることが多い。
どれだけ遅くとも十二歳までには婚約者が決まるのが普通だ。
皇族は国の利益に繋がる婚姻…政略結婚のために婚約者を作らない場合もある。
また、レインのように婚約者を亡くしてしまった場合もしばらくは縁談を受けないというのもありがちな話である。
要するに貴族の婚約話に恋愛婚などという夢はほとんどないということだ。
ましてや一目惚れした格上の家、それも皇族へ三年もの間誰とも婚約せずに申し込み続けるなど正気を疑う程度にはありえない。
なんというか…毒気を抜かれたというかここまで好意を隠さずにぶつけてこられるとやりにくい。
そう思っているとセレナが俺の名前を呼ぶ。
「お願いしたいことがございます」
「なんだ?」
「お人払いをお願いいたします」
「人払い? ここにいるのは俺とレイン、セレナにカーペンター辺境伯とカシアンだけだぞ。それでも必要なのか?」
「はい。わたくしとルクス殿下以外全員です」
俺の目を真っ直ぐ見る彼女からは真剣さを感じる。
「何を言っているんだセレナ! そんなこと許されるわけ…」
「いや、許そう」
「殿下っ!?」
「護衛を外すことも俺が許可をした。何があっても辺境伯家に責めはない。カシアン、いいな?」
「はっ。ですが殿下、短時間でお願いします」
「それは話の内容次第だな」
渋々部屋を出るカーペンター辺境伯とカシアン。
最後に残ったレインは複雑そうな表情を浮かべていた。
出たくないと言いたいが言えない…そんな表情だ。
「すぐに終わるから頼む」
「…五分経ったら中に入ってもよろしいでしょうか」
「話によるがなるべく早く呼ぶよ」
「…わかりました」
少し未練がましげにセレナを見てからレインが退室した。
これでこの部屋には俺とセレナの二人っきりだ。
さて……。
(アウリー、プラール)
『なあに』『どうかしたの?』
(一応戦えるように霊体化を解除してくれ)
『…この子が悪魔だと思ってるの?』
(あくまで可能性だ。突然の来訪はセレナの発案ということだが婚約が目的ではない可能性だってある。俺の暗殺とかな。悪魔によっては俺たちが感知できないほど上手く人間に化けれるかもしれない)
『わかった』
俺が音や魔力が外部へ漏れるのを遮断する結界を張るのと同時に背後で二体の精霊が顕現した。
すると大きな変化が起きた。
セレナの目線が俺の後方、アウリーとプラールの方へと向いたのだ。
偶然かとも思ったがセレナが立ち上がって恭しくカーテシーをおこなった。
これには俺も目を見開いた。
「…セレナまさか君は」
「はい。こうしてしっかりとお姿を拝見するのは初めてですが見えています」
「しっかりと…?」
「三年前のあの日、わたくしもいたのです。ルクス殿下がそちらの緑髪の精霊様と契約なさったあの場所に」
「なんだって…!?」
三年前のグレイ姉上の誕生パーティー時に起こった皇女誘拐事件。
表向きは誘拐犯が城外に抜け出す前に騎士たちが発見しフィアとシアを奪還したということになっている。
しかし、実際のところ実行犯である二人の悪魔は皇都の外まで逃れられており捜索の手は及ばなかった。
俺一人を除いて。
あの日、妹たちを救うために俺はアウリーと契約を結んだ。
大いなる力には大いなる重責が伴う。
背負いたくもない責任も家族のためならば喜んで背負ってやる。
そう思って契約する道を選んだ。
それから三年間、俺が風の精霊王であるアウリーと契約していることを知る者は一人もいなかった。
海魔異変の際にスオウの四大仙公にあたる四人には明かしたり、レシュッツ悪魔事変の最中にフィアとシア、リゼルとアンジーナ、そしてレインには露見した。
しかし、どれも今年に入ってのことであり契約してから三年は誰にもバレなかったし噂にもならなかった。
噂にならなかったということはセレナは俺がアウリーと契約した事を誰にも話さなかったことの証左になる。
「大人たちが狼狽える中、遠目に見ていたルクス殿下が静かに会場の外へと出ていくのを見てわたくしは何をするのかが気になってあとを追いました。冷静に誘拐犯の痕跡を辿り、犠牲となった衛兵を悼み、家族のためにと大きな力を受け入れる姿にわたくしはさらに魅入られました」
「…そのことを誰かに話そうとは思わなかったのか?」
「わたくしから見てルクス殿下は覚悟を持って一歩を踏み出しておられるように見えました。その覚悟をどうしてわたくしが踏み躙ることができましょう。それに…」
はにかむように笑ったセレナは言った。
「好きな殿方の知られていない一面をわたくしだけが知っていると思うと嬉しくなりますので…」
「…………」
…不覚にも可愛いと思ってしまった。
フィアやシアに向ける可愛いとは別種のものだとすぐにわかったが、動揺を悟らせまいと俺が努力しているとアウリーとプラールが笑い出した。
俺の後方に控えていた二人はセレナの元に移動した。
「ルクスの負けだよ。貴族社会にこんな純粋な気持ちを真っ直ぐぶつけられる子がいたなんてね」
「私としては娘を選んで欲しいけれど健気な子は応援したくなってしまうのよねぇ」
「…契約精霊なら俺の面倒なしがらみもわかるだろう」
「もちろんわかるけど、精霊はいつの時代も恋する乙女の味方なの!」
「私も昔の自分を思い出したわぁ」
まさかの一対三の構図に早変わり。
あの二人が最近恋愛小説を盛んに読み漁っていた弊害がここで出たか……。
「改めて挨拶するわ。私は風を司る精霊王、アウリー。私の大好きなルクスのことをここまで理解してくれてる子がいて嬉しいわ」
「プラールよぉ。ついこの間まで光の精霊王を任されていたわ。今は娘に王位を譲ったただの精霊。よろしくねぇ。セレナちゃん」
「精霊王…!? しかも二柱も…!!!」
「精霊ではあるけれど私たちは恋する乙女の味方だから友人と思って接してほしいな」
「そういえば私の時は嫉妬していたのにこの子はいいのぉ?」
「私と似ているから許せるね。一目惚れして内面に触れてもっと好きになる、最高にアオハルじゃない」
そして一瞬で仲良くなってしまうのだからもう手のつけようがない。
このあとレインが部屋に戻るまで俺についての話をし始めたので俺は自分自身に防音の結界を張って羞恥に耐え続けたのだった。




