芽吹きの日
間章はこれにて終了となります!
次回からは第四章に突入しますm(_ _)m
アルニア皇国の首都クラエスタから南へと向かう二人の魔人は談笑しながら飛行していた。
それなりに上等な衣服を着た魔人たちは傍から見れば貴族にしか見えない。
その手には大きな麻袋が見受けられる。
「人間の国の王族を拉致すると聞いた時はどうなるかと思ったが所詮は下等生物。簡単な任務だったな」
「こんなにあっさり城に侵入して目標を連れされるのならば事前の調査も準備もいらなかったであろうな」
「違いない。見たところ│パーティー会場《あの場》に俺たちとまともに戦える人間は王の横にいた黒鎧の騎士と薄紅色の髪をした若い女ぐらいだった。あの程度なら街ごと鏖殺することもできた」
「仕方あるまい。あの御方のご命令は暗躍による人間勢力の弱体化。下等生物とはいえ奴らは数だけは多い。故に実力者や厄介になりそうな者を徐々に排除することで来たる侵略戦争を短期で終わらせるのがあの御方のお考えなのだろう」
「それは別にいいんだよ。魔王様のご命令なら俺も異論はないさ。だが、あの偉そうな腐れ外道の命令で動いてる今の状況が気に食わねぇ」
「それも仕方のないことだ。魔王様が奴を先遣に命じた以上、我らの上官にあたる。組織とはそういうものだ」
「ならなんだ? フルカスの旦那は不満はねぇのか?」
「……個人的な不満は当然ある。いかに人間が我ら悪魔に劣る種族であるとはいえひ弱な女子どもを連れ去って実験体にするなどあまりにも悪辣。魔王様のご命令がなければ我が騎士道に基づいて首を斬り落としている。それはお主とて同じことだろうデカラビア。」
「当たり前だぜ。今もあの腐れ外道…ヴィネアの野郎を叩きのめしてぇ」
互いの上司の不満を言う二人の魔人は馬車の数倍早い速度で飛行していた。
時速で換算するならば八十キロを超える速度だ。
痕跡は残さないよう慎重に動いた彼らは追手が来ることなど当然考えていない。
そもそもこの高速移動に追いつける人間などいないだろう。
人間を下等生物と呼び見下すデカラビアはもちろん、悪魔の中では人間への差別意識が薄いフルカスでさえ油断していた。
この油断が二人の魔人にとっての分岐路となった。
二人の魔人の後方から突如として不可視の刃が襲いかかった。
後方に一切の注意を払っていなかった魔人たちには迎撃も回避も不可能。
デカラビアは右腕を切断され背中に深々と傷を負い、フルカスは左腕を失った。
これにより二人がそれぞれ手にしていた麻袋の袋口が解け、中に入れられていた双子の皇女が空中へと投げ出される。
あわや落下と思われた二人の身体は空中で制止。引き寄せられるように北側へと移動した。
この間にデカラビアとフルカスは散開し振り向きざまに自分たちに手傷を負わせた追撃者へと爆炎魔法を放つ。
これに対して追撃者は覚えたての風魔法で迎撃する。
爆発と共に豪炎が炸裂したことで焔が視界を遮る。
徐々に晴れる炎煙の中には変わらず人影が一つ。
「…てめぇ何者だ」
顎を突き出し見下すような態度を取りながらも油断なく人影を見つめるデカラビアの問いに追撃者である銀髪の青年は答える。
「アルニア皇国第三皇子ルクス・イブ・アイングワット」
「はっ。引きこもり皇子が城を出て一人で俺らに追いついて腕を斬り飛ばす? 嘘をつくなら大概に……」
「待てデカラビア!」
鼻で笑い一歩分前に出ようとしたデカラビアをフルカスが止めるが遅かった。
半歩分ルクスに近づいたデカラビアの整った鼻先が文字通り消失する。
制止の声がなければ間違いなく真っ二つになっていたことだろう。
「なっ…!?」
「…アウリー。魔人は俺の手で討つと言っただろ」
「ごめんね。でも、好きな子の悪口言う奴って痛い目に合わせたくならない?」
「痛いというか死ぬだろ……」
風が吹き誰もいなかったはずの銀髪皇子の隣に一人の少女が現れる。
これに目を剥いて驚いたのはフルカスだ。
自分の対峙する相手がいわゆる化け物であると理解した。
「……精霊。それも天帝…いやこの魔力は。っ!? まさか……!!!」
「悪魔の癖に察しがいいね。折角だし名乗らせてもらおうかしら」
風に合わせて舞う少女は恭しく一礼し告げる。
「精霊六王が一柱、風の精霊王アウリー。短い間だけどよろしく」
「風を司る精霊の王が何故ここに…!?」
「前言撤回、察し悪いね君。精霊が人間に力を貸す状況を考えれば理解できるでしょう」
そう言ってアウリーはルクスの両肩に手をおいた。
「彼の契約精霊。それが今私がここにいる理由。わかった?」
「ばかなっ!? 帝国の皇子以外に精霊の王と契約者がいただと…? そんな情報どこからも……」
「契約成立は今さっきなんだから誰も知らないよ。ルクスには悪いけど私は君たちには少しだけ感謝してるんだ。ありがとう、彼との契約のきっかけをくれて」
アウリーはこの騒動を起こした悪魔たちに感謝していた。
彼の魔力を味わった時からどうしても彼の傍で彼の力になりたいと考えていた。
胃袋を掴まれて結婚までいくというのは人間社会ではよく聞く話だ。
アウリーの場合は彼の魔力があまりにも芳醇だったため魅入られた。
どうにか契約し定期的に味わおうとしたが彼はそれを認めなかった。
面倒なことに巻き込まれたくないと言った彼の意思を尊重しつつあわよくばと狙っていたアウリー。
十年ほどかけて説得しようと画策していた矢先に今回の出来事が起きた。
彼が気にかける妹が連れ去られ、悪魔によって殺されてしまった兵士たちがいたので表には出さなかったが、思わぬチャンスが転がってきたと喜びたい気持ちがなかったといえば嘘になる。
故に感謝。
しかし、それも一瞬のことで彼女は既に蹴散らす敵として見ている。
「いかに精霊の王とはいえ契約者を殺せば大した事はできないはず。ならば我らの勝利は揺るがぬ」
「そうだ! てめぇみたいなヒョロい下等生物なんざすぐに殺してやらぁ!」
言い終わるのよりも早くデカラビアは爆炎魔法を行使する。
ルクスの周りを囲むように浮かんだ魔法陣の数は三十二。
デカラビアは魔界でも屈指の爆炎魔法の使い手である。
物言いが荒々しいため勘違いされがちだが近接で殴り合わせるよりも中距離で魔法を撃たせる方がめっぽう強い。
彼がただ威勢のいいことを言うだけの男では無いことはこの炎系統上位魔法の多重発動が物語っていた。
同時に放たれた炎弾がルクスへと殺到する。
対してルクスは何もしなかった。
一発だけで大きな村を焼き尽くせる魔法が一人へと殺到した。
それだけでは終わらない。
爆発で生じた黒煙に紛れながらフルカスが爆心地となったルクスの元へ突き進む。
その手には一本の長剣が握られていた。
「しっ…!!」
フルカスの斬撃は寸分違わずルクスのいた位置で振り抜かれた。
デカラビアとて自分の魔法だけで精霊王に護られし人間を殺せるとは思っていなかった。
狙ったのは契約者であるルクスの魔力を削ることだった。
莫大な破壊力を秘めた爆炎魔法の乱れ撃ちをおこなえば必ず迎撃ないし防御に魔力を使う。
いかに魔力の多い人間とはいえ三十二もの爆炎魔法を防げば確実に魔力を枯渇させる。
枯渇しなかったとしても多大な魔力消費によって満足な防御はおこなえない。
そこを熟練の騎士であるフルカスが神速の一撃で首を刎ねるという必勝の連携であった。
先に先制攻撃を受けてなおこの作戦を咄嗟に実行できる胆力と連携力は流石という他ない。
だが、
「…おいおい」
「そんなばかな…!」
煙が晴れたそこには銀髪の皇子が先ほどと変わらぬ姿で立っていた。
フルカスの剣はルクスの首元数センチの位置で静止している。
いや、静止させられている。
よく見れば不可視の膜のようなものが剣と触れせめぎ合っている。
「大方、爆炎魔法の多重発動で俺の魔力を削り煙に紛れて近づいたもう一人が弱体化した俺の魔力障壁ごと叩き斬るつもりだったんだろう? 確かに精霊術師と戦闘する時は契約者である術師の魔力を消耗させて討ち取るのがセオリーだ」
一騎当千の精霊術師と戦う際、敵対する指揮官はいかに敵精霊術師の魔力を効率よく削り、討ち取るのかという手腕が問われる。
大抵の指揮官は弓隊や魔術師部隊の一斉射を浴びせ続けるという作戦を取る。
稀にひたすら兵を魔術師へ突っ込ませて乱戦に持ち込んで討ち取るといった脳筋人海戦術を採用する将もいるが今は置いておく。
今回二人の魔人がとった作戦も前者にあたる。
実際、殆どの精霊術師は最初の爆炎魔法で消し炭になっただろう。
しかし、世界で一人しかいない例外中の例外が彼であった。
「ルクスをそこら辺にいる凡庸な人間だと思った? そんな訳ないでしょ。精霊王と契約できる人間を殺すには手数も魔力も足りてないよ」
「化け物め…っ」
「おいおい。魔人に言われる筋合いはないぞ。…さて、夜明けまでには城に戻らないと不在がバレるからな。……俺の妹を攫った報いを受けてもらおう」
「デカラビアっ!! 最終手段だ! ゆけっ!」
「…ちぃっ!!!」
フルカスが叫び、ルクスへと突撃していく中で大きく舌打ちをしたデカラビアは彼らに背を向けてこの場からの離脱を試みた。
デカラビアもフルカスもこの短時間で理解した。
目の前にいる青年が下等生物という枠組みから既に逸脱していることに。
今のフルカスたちの状況は複数あった想定にもないものだった。
目的であった皇女の拉致は確実に上手くいくと考えてはいたが、逃走の段階で追手がかかる可能性は僅かに考えていた。
だからこそ、人間が追って来れないであろう空を逃走ルートに選んだ。
仮に何らかの手段で空を飛ぶことのできる人間が追ってきたとしても振り切れるだろうし、最悪処理してしまえば良いと。
しかし、実際にはあらゆる想定を凌駕した事態になっている。
自分たちよりも高速で飛行し、魔力感知さえも掻い潜って先制攻撃で拉致したはずの人間を取り返された。
軽くない傷を負わされた上に排除しようにも勝ち筋すらない。
ならばどうするか。
前提として二人の悪魔は魔界からの先遣隊である。
人間たちの住まう現世の情勢を調べ、誰にも気づかれずに実力者を消して回るのが役目。
今回も来たる侵略戦争で確実に邪魔になるであろう優れた治癒魔術使いである皇女グレイを排除するために動いた。
だが今の彼らにとって、目標であった癒しの力を持つ皇女などどうでもいい。
今最も優先しなければならないのは風の精霊王と契約し、悪魔である自分たちと戦えるだけでなく打倒しえる青年の存在を何としても仕える主へ知らせること。
故に、爆炎魔法の応用で高速飛行が可能なデカラビアが伝令として離脱を試み、その時間を稼ぐために全距離に対応できるフルカスが残った。
この判断は人を侮る悪魔ということを鑑みれば実に合理的であり賢い選択といえる。
しかし、奇襲で手足を落とされ優先目標であった癒しの力を持ったと思われる皇女をかの青年に奪還された時点で二人の悪魔は逃走を図るべきだった。
何故ならば既に彼らは囚われているのだから。
「ぐごっ!? なんだこらぁ!?」
「結界…! 一体いつ…!?」
離脱のために飛行したデカラビアは数十メートル進んだところで突然不可視の障害物に阻まれ顔面を打ち付けた。
ぶつかった衝撃で一瞬可視化されたのは銀髪の皇子を中心に展開されている球体型の結界だった。
「……心配性だなぁと思っていたけど本当に悪魔が人間に背を向けて逃げようとするなんてね」
「魔人が殺さずにわざわざ妹たちを拉致しようとした時点で背後に何か思惑があるのは分かっていたからな。奴らに上位存在がいれば俺とアウリーのことを報告するために逃げようとする、例え相手が人間であろうとな」
「ここまでルクスの手のひらの上だとあれらが憐れに思えてくるよ…」
ルクスは先制攻撃を与えてデカラビアたちの動きを制したあと静かに結界を巡らせていた。
緻密な魔力操作によって魔力の機微に敏感な悪魔ですら気づけなかった。
あくまで保険として張った結界ではあったがしっかり役に立っている。
「…デカラビア」
「わかってらぁ!」
先手を打たれ離脱できなかったデカラビアは魔法陣を無数に展開し始める。
フルカスも剣を下段で構え腰を落とす。
この状況を切り抜けるには死力を尽くして銀髪の皇子を殺すしかないのだ。
「…下等生物に名乗る名なんざ持ってねぇがテメェは違ぇ。強者には最低限の礼を尽くすのが俺の流儀だ。 ……魔界序列六十三位、デカラビア」
「魔界序列五十位、フルカス」
創世以来、初めての悪魔の名乗りを聞いた人間となったルクスは沈黙と共に自身の魔力を高め、アウリーは主の指示に応えるために意識を集中させる。
二人の悪魔はこの戦いは一瞬で決着するという予感があった。
魔界では少数の武人肌である彼らはそれでも戦いへと臨む。
「うらぁぁぁ!!!!」
刹那の静寂を経て、瞬間的に強風が吹いた。
それを合図にデカラビアは爆炎魔法による弾幕を放つ。
迫り来る爆撃の嵐とルクスの魔力障壁がぶつかり合う。
ずんざくような轟音が鳴り響き黒煙が結界内を埋め尽くすがルクスの意識は既に別のものを捉えている。
「せあぁぁぁぁぁっ!!!」
今度は甲高い金属音が無数に反響した。
フルカスによる剣撃の嵐。
それも先程よりも速く、その勢いは雷すらも超えている。
「あの悪魔騎士やるね。捕らえるために使った結界を足場にして飛んでは斬り飛んでは斬りを繰り返してる。しかも……」
「ああ。全て同じ箇所を斬りつけている。この勢いならいずれ破られるな」
ルクスの魔力障壁を一撃必殺的に突破することは不可能だと先の攻防で理解したフルカスは結界を足場にルクスの周囲を跳ね回り障壁の一点を連続で斬り続けた。
この機転は敵ながら素晴らしいとルクスは心の中で賞賛した。
「一枚目はな」
同時に破砕音が全員の耳朶を打つ。
デカラビアとフルカスは好機とばかりに全力の爆炎魔法と飛ぶ剣撃をルクスへと放った。
迎撃は間に合わない。
二人の悪魔は内心で勝ちを確信した。
しかし、すぐにそれが浅はかであったと理解すした。
無防備なルクスへと殺到した暴威の痕跡はみられない。
「どういうことだっ!? 魔力障壁はフルカスの旦那が破ってた。にも関わらずてめぇは生きている。それどころか傷一つねぇだと…?」
「……確かに儂の剣は魔力障壁を破った。破った瞬間に展開し直したならば魔力の動きでわかるがそれがなかった。……信じられん。予め破った魔力障壁の下に別の魔力障壁を展開してあったのか」
「当然だろう? こっちは魔人戦争の文献はあらかた読んでるんだ。災厄の象徴としてこの大陸に刻み込まれたお前たち相手に慢心するほど俺は驕ってない。最初から火、水、風、土の基本四属性の耐性を付与した五重の障壁を展開していた。正直、魔人は魔法が主体と思っていたよ。まあ今の俺には斬撃や打撃といった物理的な耐性を付与することができないから一枚目の障壁を突破されたんだが」
「四属性の耐性持ちの障壁だと…!? しかも魔力障壁の多重展開だァ!?!? んなこと人間ができる訳がねぇ!!! そもそも魔力障壁ってのは自分の魔力を身に纏わせて予め防護魔法を待機状態にしておくことで相手の魔法の着弾と同時に自動的に防護魔法が展開されるって代物だ。防護魔法に一属性の強い耐性を仕込むのはできなくねぇが四属性の耐性を一緒に練り込むなんざ聞いたことがねぇ!!! 仮にできたとしても他の魔法と干渉し合うか魔力が枯渇するはずだ。そんな状態で多重展開なんてすりゃあ魔力暴走を引き起こすはずだろうがっ!!!」
「無限に等しい時間を生きる悪魔ともあろうものが勉強不足だな。確かに魔力障壁に複数の耐性を与えることは難しい。だが付与魔術なら話は別だ。冒険者にはよくある話だが敵の攻撃を受ける盾役には付与魔術師が付与魔術をかけてやるのが定石だ。その際、かけられた付与魔術は盾役の魔力障壁には干渉しない。この時、付与魔術師は盾役本人に付与魔術をかけてるように思われがちだが厳密には違う。付与されてる対象は盾役の纏う魔力だ であって人物当人にではない。ある人物の魔力に纏わせるのが付与魔術なら形として出来上がっている魔力障壁にだって纏う魔力があるんだから付与できるだろう?」
デカラビアもフルカスも押し黙ってしまう。
魔界でも名が知れた爆炎魔法の使い手のデカラビアですらできない芸当をルクスが平気な顔でしているのだ。
魔力の運用理論に疎いフルカスが黙ったのはその卓越した技術に。
魔力を扱うことに関しては悪魔の方が何倍も上手いし効率も良い。
研究された年月の違いではあるが人間と悪魔との大きな差であった。
今日までは。
魔力に関する研究を無数におこなっている魔界の住人の一人として、デカラビアは敗北した。
それはもう完膚なきまでに。
「…化け物が」
「何を言うかと思えば。悪魔の方が化け物に決まってるだろ」
漏れ出た感想は実に率直で正しかった。
事実、魔力で関していえばルクスは間違いなく化け物という分類になるだろう。
「ルクス、あの子たち…」
「分かってる。もう終わらせる」
アウリーが浮遊させている妹たちがもぞもぞと動き出してしまった。
二人の妹に与えた恐怖以上の絶望を味わってもらおうと咄嗟の思いつきで始めた復讐であったが思いのほか興じすぎたと目を閉じ反省した。
そして開幕の奇襲以降、一度の魔術も魔法も使用しなかった銀髪の皇子の周囲に無数の魔法陣で構成された巨大な魔法陣が展開された。
「…なんだその魔法は…? お前は……なんなんだ…!?」
「…この重圧。まるで…!」
二人の悪魔たちは驚愕と強大な魔力圧からその場に縫いつけれたように動けなくなっていた。
その間にも魔法陣はさらに増え続け、直径が七メートルほどになったところで拡大が停止した。
目を開いた銀髪の皇子の瞳は空色から若竹色へと変化していた。
それは傍らに寄り添う精霊と同じ色であった。
「わあ、ルクスの目の色私と同じになってるよ」
「え、なんでだ」
「私との契約が調伏契約だからっていうのも大きいけど、それ以上に私たちの相性がかなり良いからかな。相性が良い契約者と精霊は魔力供給を無駄なくできるし魔法も完璧に使いこなせるようになるんだよ。感応が高まれば高まるほど契約者に精霊の力が強く流れることになり結果、頭髪や瞳の色が契約精霊と同じ色へと変化する。まあここ数百年聞いたこと無かったけどね」
精霊との契約には大きく分けて四つの形式が存在する。
難易度の低い順に仮契約、対等契約、血縁契約、調伏契約。
通常、契約する際に精霊へどの契約方式が良いか契約者が選択し提案するものなのだが、ルクスはどの契約を結ぶかなど一切考えていなかった。
アウリーとしても特に深く考えずに対等契約を結ぼうとしていた。
しかし、ここで思わぬ誤算があった。
契約者となるルクスの魔力量がアウリーを上回っていたのだ。
人間である契約者が精霊の保有魔力を超えるなど滅多にない。
あるとしてもそれは微精霊相手の契約に限った話しであって公には知られていないのだが、契約時に契約者の保有魔力が精霊の保有魔力を超えていた場合、契約形態は調伏契約となる。
精霊の在り方というのは多種多様であるものの総じて人間に対して好意的。
人間から契約を願うことよりも精霊の方から申し出ることの方が多いのだ。
ゆえに、自分たちよりも魔力の少ない人間とも対等の契約を結んでいる。
契約形態は魔力の多い方に選択権があるのでルクスとアウリーの場合はルクスに選択権があった。
そして彼は特に何も考えずに契約をおこなったため、契約者有利の調伏契約が結ばれた。
そんな最上位精霊すら上回るほどの魔力をひた隠し、隠蔽を施し続ける彼は常に体内で生成される魔力の圧縮をおこなっている。
その結果、彼の体内の魔力回路は常人よりも太く広いものになっている。
一般的な太さが小指ならルクスの魔力回路は太腿並に成長している。
当然、精霊へ魔力を送る効率も良くなるが、精霊側の魔力もルクスへと少なからず流れ込む。
「つまり今のルクスは精霊の力を手に入れたようなものなの!」
「…目の色ちゃんと元に戻るよな」
「私から流れた精霊の力をきっちり使い果たせばね。だから過剰なほどにやらないとだよ」
「了解」
そう言うとルクスはさらに二つの魔法陣を展開。いずれにも莫大な魔力が込められている。
デカラビアは魔方陣に描かれている術式を読み解こうとするが普通の魔法ではないとすぐに理解した。
恐らくは精霊由来の魔法。
術式の最適化と改良の痕跡があることから威力は精霊魔法のそれを超えることだろう。
「俺らをここで消し去るつもりだろうが受肉して現世に顕現してる俺たちは依代の肉体が消滅しても幽霊体を消すことはできねぇはずだ。俺ら悪魔は永久不滅、無限の時を生きるようにできてるからな」
「…多少│幽霊体が害されたとしても数年もあれば眠りから覚めるだろう。我ら悪魔を真に殺すことはできぬのだ」
「今回はしてやられたがお前の存在だけは確実に魔界に知らしめる。来たる人間界侵略における最大の障壁だとな! 最後に勝つのは俺ら悪魔だッ!」
勝ち誇ったような負け惜しみを口にする悪魔に対してルクスはただ笑った。
彼らしからぬ大笑だった。
隣に寄り添うアウリーも同情するかのような表情を浮かべながらも笑っていた。
「何がおかしいんだッ!!!」
「いや、なに……ははっ。あまりにも悪魔って生き物が滑稽だったから……ふふっ…」
「てめぇっ…!!!!」
「幽霊体を殺されたらどうなるかって考えたことあるか?」
「は?」
ぽかんとするデカラビアと対称的にフルカスはまさかと呟いた。
「幽霊体を殺す? できるわけがねぇ! そんな事今まで一度も聞いたこと……」
「さっき言ってたじゃないか。多少幽霊体が害されようともって。受肉した身体を失った時、少なからず幽霊体に損傷があるんだろ? もし、無いならとっとと自害するなりして魔界へ逃げ帰って報告するはずだ。だが、それをしなかった。考えられるのは幽霊体が傷ついて癒えるまでの期間が年単位だからでその間行動不能となって俺に関する報告ができなくなることを嫌った。今は為す術が無くなったから苦肉の策として肉体の消滅を選択した。そうだろ?」
「…だとしてもっ!!! 幽霊体を直接攻撃することはできねぇ! つまりお前は幽霊体を…」
「殺せるよ」
幽霊体を信じて喚くように否定するデカラビア。
返された言葉は可能であるという宣言。
全てを悟ったようにふっと笑った悪魔の騎士はルクスへと改めて向き合った。
「永き我が生涯に幕を引く時が来たようだ。最期くらいは己の信じた騎士道に基づいて華々しく散るとしよう。お付き合い頂けますかな、ルクス殿」
「…ああ。もう一度、名を聞いておこう。魔界の騎士」
一瞬瞠目した悪魔の騎士は小さく感謝をと呟いてから腰を落として愛剣を構えた。
「偉大なる魔王ルシファール陛下が騎士、フルカス。我が生きた八百五十四年の重みを受けて頂こう」
「大事な妹たちの命の重みを以て受けて立つ。俺が、お前を滅ぼす」
「…感謝を。デカラビア、お主も備えよ。我らの最期の忠誠を魔王陛下へ捧げるぞ」
「俺は生き残る…。生きて必ずコイツを殺してやるんだッ!」
「そうか。では参ろうか」
フルカスの姿が消え、デカラビアの爆炎魔法が迸る。
過去数百年で最も鋭く速い斬撃であったし、優れた破壊力を秘めた魔法であった。
そんな中で彼らは見た。
若草色に煌めく星の息吹を。
夜の闇を打ち払う開闢の奇跡を。
「美しい」
漏れ出た言葉と共に二人の悪魔は現世より姿を消した。
◇
アルニア皇国の首都である皇都クラエスタ。
その中心に位置するノルテ城で開催された第三皇女生誕パーティの最中に発生した第四、第五皇女の失踪事件は登城していた貴族たちに少なくない衝撃を与えた。
姿が見えなくなる直前の暗転から何者かに誘拐されたのではないか、暗殺されてしまったのではないかといった様々な憶測が飛び交った。
仮に何者かによる犯行であれば厳重な警備の皇城に忍び込み皇族を害せるほどの実力者となるため次は我が身ではないかと怯える貴族もいた。
不安な一夜を明けた彼らは翌朝集められた。
登城していた貴族が一通り揃ったのを確認した後、宰相オーキスから告げられたのは以下の通りであった。
調査の結果、昨夜発生した一連の事件は第三者による誘拐事件であったこと。
攫われた第四、第五皇女は外傷なく皇城内で無事助け出されたこと。
誘拐犯である二人組は相当な手練であり警備の衛兵二名が犠牲になったこと。
そして今後も調査を続けていくことを告げた。
この報告に多くの貴族たちが安堵する中、鋭い視点を持つ数人の貴族は宰相が意図的に二人の皇女を取り戻すまでの過程や何故攫うに至ったかを隠していることに気がついた。
宰相とてそれに気づいている。
しかし、宰相もよく分からないのだ。
不確定な話は場を混乱させるだけと考えあえて伏せていた。
そもそも、今回の救出に関して宰相も騎士団も国でさえ何もできなかった。
それなのにかの皇子が精鋭である衛兵二名を容易く殺せる手練たちと単身戦闘して勝利、挙句の果てには無傷で二人の皇女を助け出してきたなど到底語れるわけがない。
早朝、不眠で捜索を指示する宰相の元へ二人の皇女を抱え静かに訪れた皇子は言った。
二人の侵入者から妹たちを取り返してきた。見ての通り外傷はないが精神的なところは分からないので医師を呼んで欲しいと。
詳しい経緯を聞こうとしたが、かの皇子は賊は処分したからとりあえず安全だ、眠いのであとにしてくれと言い、二人の皇女をソファに寝かせてから自分の部屋へと向かっていった。
そう、詳しい話はまだ誰も知らないのである。
皇子を見送ってすぐに知らせを受けて飛んできた皇王と第二皇妃は二人の皇女の穏やかな寝顔を見て大層安堵していた。
宰相がかの皇子が連れ帰ってきたと伝えると皇王は怪訝そうな顔をした。
対照的に第二皇妃は納得した表情を浮かべていた。
皇王が理由を聞くと第二皇妃はこう言った。
「あの子は誰よりも優しくて妹想いなお兄ちゃんですから」
それを聞いた皇王は違いないと呟き二人の娘の頭を撫でた。
◆
皇女誘拐事件から数日後、多くの貴族たちが自領への帰路へ付いた。
屈強な騎士に護衛される馬車に乗るのは一組の親子。
何かと忙しくしていた父親とやっと落ち着いて話せるタイミングができたと思い娘は意を決した。
「お父様」
「なんだい?」
「一つお願いがございます」
「おや珍しい。いいよ、言ってごらん」
「婚約申し入れたい方が、できました」
「…なんだって?」
父親は驚愕のあまり手元にあったグラスを落としかけた。
「皇都に来る前は婚約などしたくないとあれほど言っていたのに…? どういう風の吹き回しだい?」
「遠くからお見かけしただけなのですが、あの御方の家族への愛情、凛々しいお顔、卓越した魔力制御。私はあの御方のことが頭から離れません! 婚約まで行かずとも一度で良いのでお話をしたいのです!」
「…驚いた、本気で言ってるみたいだね。滅多にない可愛い娘のお願いだ、私も一肌脱ごうじゃないか。どこの家の子息なんだい?」
「…皇子殿下です」
「え?」
「ルクス皇子殿下です」
頭を抱えた父親と熱に浮かされたような目をした娘を乗せた馬車は北へと進んで行った。
もし少しでも「面白い」「続きが気になる」と思っていただけたら、
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