出会いの日
第一章から三年前のお話になりますが、お付き合い頂ければと思いますm(_ _)m
それと誤字報告ありがとうございます!!!
本当に助かります。
創世歴五五一年。
十五歳になったばかりのルクス・イブ・アイングワットは変わらない日常を送っていた。
物心ついて以来、起きている時間の大半を皇城内の図書館で読書をして過ごす彼を城に勤める者や参内する貴族たちは読書家皇子と呼んだ。
当のルクスはそのように呼ばれていることすら知らない。というか興味がない。彼の関心は常に本に記された知識や描かれた物語に向いているから。
彼は魔術という存在と知識を得てから十年近く独学で実験と検証を続けていた。通常、魔力を用いる技術の鍛錬はどんなに早くても十歳を超えた頃から始める。
それは何故か、単純なことだ。心身が発達途上の状態で魔力欠乏を引き起こすと大きな障害を身体に残してしまうことが多いからである。
魔力量は筋力と同じで鍛錬すればある一定の基準までは伸ばすことができるのだが、彼の魔力量は常人のそれを超えていた。
恵まれた血筋を持ち、飽くなき知識の探究者。
満足がいくまでひたすらに鍛えることのできる努力の才能。
これら全ての要素を兼ね備えた彼は五歳には魔力を鍛え始めた。
結果、二次成長期を前にして彼の魔力量は世界でも五指に入るほどに膨大になっていた。
これはそんな彼が自由気ままな風と出会うことになった時のお話だ。
◆
「殿下! 今日こそは外に出てもらいますよ」
「そうか。そうなるといいな」
「他人事ではなく殿下のことなんですが!?」
アルニア皇国首都であるクラエスタの中央に位置するノルテ城。
城内の図書館にて白を基調とした制服に身を包んだ女性騎士が本を読む少年を説得する姿があった。
説得する騎士の名をアンジーナ・フォン・ぺリス。
子爵位を持つ貴族家の長女であるにも関わらず騎士団に入団し、今年皇国唯一の航空戦力である白鳳騎士団の団長に着任した変わり者の騎士。
そんな彼女の再三の説得に耳を貸さず本を読み進める少年。名をルクス・イブ・アイングワット。
アルニア皇国第三皇子の少年である。
「最後に剣の稽古をしたのがいつか覚えていますか」
「確か…二日ほど前だったか」
「違います! 私が任務に向かう前なので二十日も前のことです!」
「時の流れは早いものだなあ」
「殿下だけの時間が早く過ぎているわけじゃないんですよ! 今朝だってうちの騎士たちが殿下をどのようにこの図書館から出すか作戦会議までしていたのですから」
「…暇なのか騎士団は」
「全然暇じゃないです! 深刻な問題だから会議してるんですよ!」
アンジーナの次第に大きくなる声量に流石のルクスも若干顔を顰めたがそれでも読んでいる本の頁を捲る手は止めない。
諦めた表情を浮かべたアンジーナは大きくため息をついてルクスの正面に腰掛けた。
ここに選民意識の高い木端貴族がいれば騎士が皇子と同席するのかと騒ぎ立てることだろうがルクスとしては立っていられた方が気が散ってしまうのでアンジーナや護衛につく騎士たちへ着席を許している。
「まったく…そういえば殿下は五日後のパーティーにはご参加されるのですよね?」
「父上の生誕祭ですら顔を出さなかった俺だぞ。行くと思うか?」
「お忘れのようですが五日後はグレイ殿下のお誕生日です。ご参加されないと…」
「…間違いなくここに乗り込んできて一週間は連れ回されるな」
アルニア皇国には十一人の皇族がいる。
第九代皇王であるヴォルク・イブ・アイングワット。
その妻である第一皇妃ロゼッタ・イブ・アイングワットと第二皇妃カタリア・イブ・アイングワット。
ロゼッタの子である第一皇子ユリアス・イブ・アイングワット、第二皇子トレシア・イブ・アイングワット、第一皇女イリア・イブ・アイングワット、第二皇女エリニア・イブ・アイングワット。
カタリアの子である第三皇子ルクス・イブ・アイングワット、第三皇女グレイ・イブ・アイングワット、第四皇女フィア・イブ・アイングワット、第五皇女シア・イブ・アイングワット。
これだけ兄弟がいれば多少の不仲はあって然るべきではあるのだが不思議なことにとても仲が良い。
特に第三皇子ルクスはカタリア譲りの童顔のおかげか姉たちには控えめに言ってとても愛されている。
弟が可愛くて仕方がない姉たちにとってルクスが自分を祝ってくれるかはとても重要なことなのだ。
二年ほど前、現在はシャラファス王国の第一王子の正妃として嫁いでいるイリアの生誕祭に参加しなかったことがあったのだが、ルクスとしてはそれが若干トラウマになっている。
彼曰く、「生まれて初めてこんな精神的苦痛を味わった」と。
閑話休題。
「それもそうですが今回のパーティはもう一つ重要なことがあります」
「重要なこと?」
「はい。フィア殿下とシア殿下が初めて社交の場にお立ちになる日でもあります」
「なに…?」
追っていた字列から目を離しアンジーナへ視線を向けた。
予想通りの反応だったからか微笑ましい兄妹愛を目にしたからかにこりと笑った彼女の様子にルクスはじとりと睨んで返す。
「…なんだその顔は」
「いえ。今日初めて殿下と目が合いましたので嬉しく思いまして」
「…悪かったな」
「妹想いな殿下の一面を見れましたのでよしとしましょう。それで殿下は五日後のパーティーには出席されないのですか? 出席されればグレイ殿下はもちろん、フィア殿下やシア殿下もお喜びになるかと」
「…いく」
「そう言ってくださると思いましたので衣装は既にご用意してあります」
「採寸した覚えはないんだが」
「当騎士団には目測が得意な騎士が何人かおりますので」
「怖いわ。今から作らせても間に合わないだろうから助かるけど。一度着用はした方が良いか?」
「そうですね。少し余裕をもったサイズを針子に伝えたと言っていましたが来てみた方がよいかと」
「ならとっとと済ませよう」
見ただけで衣服のサイズを計れることよりも黙って計測していることに恐れを抱きながらルクスは読んでいた本に栞を挟んで立ち上がった。
アンジーナも同様に立ち上がり図書館の扉を開いた。
警備についていた白鳳騎士二名が一礼し後に続く。
俺が住むノルテ城は地下二階から八階までの十階層が存在し、城の四隅を固めるように尖塔が佇んでいる。
図書館があるのは七階なのでメイドや針子の待機する三階まで移動しなければならない。
四階分の階段を降ることが億劫そうなルクスはふと窓から見えた光景に眉を顰め足を止めた。
「どうかされましたか?」
「いや…。あれは何やってるんだ」
ルクスの視線の先には中庭で洗濯物と追いかけっこを繰り広げるメイドたちの姿だった。
しかし、気になったのはそこではない。
シーツの動き方がただ風に煽られているというよりは意思を持っているかの如く空を舞っている。
「ああ、またですか…」
「また?」
「最近使用人たちが洗濯や庭の手入れをしているとどこからともなく風が吹き洗濯物や剪定し集めた枝葉を飛ばしてしまうようなのです」
「ふむ、建物に遮られた気流がおかしくなったとかか?」
「いえ、そうではなさそうなのです。あまりに風が使用人たちを弄ぶように吹くので第三魔術師団の団員に調査を依頼したそうなのですが…風が吹いた後の周辺には魔力反応があったそうです」
「つまり誰かの悪戯ってことか?」
「そういうことになりますね。城内で魔術を使った悪戯をするような人がいるとも思えませんが。まあしばらくすれば収まるでしょうし特別大きな騒ぎにはなっていません。宮廷魔術師たちも調査を続けているので近日中には犯人も捕まることでしょう」
「そうなるといいな」
ゆっくりと再び歩き出したルクスの視線は変わらず窓の外にあり、それは宙を舞う少女に向いていた。
◆
試着と採寸を終えて業務のあるアンジーナと別れたルクスは疲れた表情を隠すことなく図書館へと戻ってきた。
図書館の扉に手をかけようとしたルクスは突然動きを止めた。
護衛の騎士二名は怪訝な表情を浮かべて顔を見合わせた。
「殿下、どうかされましたか?」
「いや…何か感じないか?」
「…いえ」
「そうか。中を一応確認してくれるか?」
「…! はっ」
ルクスの言葉に緊張が場を包んだ。
ここは皇国で一番警備が行き届いた場所。
にも関わらず、皇子は確認してくれと命じた。
つまりこの中に誰かがいる可能性があるかもしれないということ。
皇族や貴族の誰かが図書館内にいるというのなば特別おかしな点はないが今は日も落ちきろうとする時頃。
城内の各庁に上がっている貴族や職員の大半は帰路についている。
そもそも、城内の図書館は皇族以外は完全予約制であるのだが本日来訪を予定している者もいない。
つまりそれが指し示すのは、
「侵入者がいる、ということでしょうか。私は何も感じませんが」
「それは分からない。だが微かに魔力の流れを感じたような気がした」
「…念の為、私が確認して参ります。殿下はこちらでお待ちください」
護衛である白鳳騎士の一人が扉に手をかけて一息に開け放ち、突入する。
程なくして図書館内から突入した騎士が帰ってきた。
「館内の安全確認が無事終わりました。異常はみられません」
「…そうか。すまない、俺の勘違いだったみたいだな」
「これも騎士としての職務ですので。それでは私たちは扉外にいますので何かあればお呼びください」
「ああ。ありがとう」
騎士たちが扉を閉める。
図書館内にはルクスのみ。それはいつも通りの光景。
本以外に目を向けることがない彼の視線は館内を明るく照らす立派なシャンデリアへと向けられている。
そう、大抵の人にはそのように見えている。
その大抵に含まれない彼の目線の先には一人の少女の姿があった。
絹のように細い若竹色の髪、全てを見透かすような知性的な瞳、纏う衣装は天女のように美しく所々に点在するスリットはどこか色気を感じさせる。
しかし、それ以上に注目すべきはその魔力量。一見すれば微弱なそれだが年齢に見合わず発達したルクスの魔力感知はそれが抑えられた偽りの表層であると訴えていた。
だが魔力を抑制するとき特有の圧縮感がほとんど感じられない。
それでも彼は理解していた。この女性は人間離れした自分の魔力量と同等かそれ以上はあるということを。
中空に静止するその女性と彼の目線がぶつかる。
「へぇ…偶然目が合ったのかと思っていたけれどホントに見えてたんだね」
「…見えたくはなかったさ。俺の想像通りなら貴女が見えるということは素質があるってことだろう?」
「普通の人間は喜ぶんだけどね。なんで喜ばないか聞いてもいい?」
「決まってる。魔獣討伐や戦争の最前線に飛ばされるからだよ」
「争いは嫌い?」
「そうだけど厳密には違う。面倒くさいことが嫌いなんだ。俺は本を読んでいられればそれでいいからな」
「…変わってるね、キミ」
「よく言われるよ。精霊さん」
正解と呟いてにこりと笑った女性はゆっくりと降下しふわりルクスの前へと着地した。
彼の瞳を覗き込むように前へ出た彼女は「なぜ私が精霊だと気がついたの?」と問う。
ルクスが彼女の正体を看破した理由はいくつかあった。
中庭での浮遊現象を目にした時、彼の視線は空を舞う洗濯物ではなく追いかけるメイドたちを楽しげに見つめる女性、まさに目の前にいる彼女の姿を見ていたのだ。
メイドも護衛の騎士もアンジーナでさえ彼女を認識していなかった。
第三魔術師団による調査の結果は魔力の残滓がある人為的な現象とのかことで正体自体は不明だった。
それは何かしらの魔術や魔道具で引き起こされたものと考えるのが普通だが、ここは王の住まう城である。
皇国で一番魔術や魔道具対策が施され、警備が行き届いた場所。
そこで魔術での悪戯をする勇気があるのは精々皇族ぐらいなものだ。
しかし、そんなことをする皇族もいないことも事実。
となれば多くの人間が認識できない存在の関与を疑うのもまた自然な流れだ。
そしてルクスの目には実際に宙に浮く彼女の姿が見えていた。
あの時点で精霊であると察していたが彼はそう言わなかった。
そう、面倒ごとになることがわかりきっていたからだ。
精霊を目視できる素質を持つ者は精霊使いや精霊術師と呼ばれあらゆる戦いの現場に向かわされる。
そうなれば読書などとてもできなくなる。
だから黙っていたのだと彼は説明した。
「君、やっぱり面白いね。ちょっと私と契約してみない?」
「謹んで辞退させてもらう」
「なんでよ。先っちょだけでも良いのに……ああ、面倒ごとに巻き込まれるのは嫌なんだったわね」
「理解が早くて助かるよ」
「もっとも、私との契約に耐えられる人間なんてそういないんだけどね」
少し寂しそうに笑って見せた彼女には諦めを感じさせた。
人型の精霊…彼女は上位級か天帝級だろうとルクスは察しをつけていた。
そして今のつぶやきから天帝級だと確信した。
上位級精霊の契約者であれば少ないにしろ大陸に数十人は存在している。
つまり簡単に契約できない等級、天帝級ということだ。
精霊との契約は命の危険を伴う行為である。
契約者の魔力量に見合わない格の精霊と契約すれば契約時に魔力欠乏に陥ればよくて半身不随、最悪死に至る。
だから彼女はそう言ったのだろうと。
「ところで精霊さん、俺は貴女をなんて呼べばいい?」
「そうだねえ、好きに呼んでいいよ」
「ならグリーンさんと」
「さんはいらないよ。それにしてもグリーンって…絶対髪色から取ったでしょう」
「第一印象が綺麗な髪だなって思ったから」
「あらありがとう。キザなこと言えるのね」
「まぁな。あと中庭での悪戯やめてあげてくれないか?」
「うーん、私あのメイドの子たちをからかって遊ぶのが最近のマイブームなの。代わりの遊び相手がいればやめてあげられるんだけどね」
精霊さん改め、グリーンの視線がルクスに突き刺さる。
対してルクスは露骨に嫌そうな顔をして首を振る。
「俺は一日の大半を読書に使わないと死んでしまう病にかかっていて…」
「そんな病気はないから大丈夫でしょ。あ、ならこういうのはどう?」
ポンと手を叩いたグリーンから魔力が迸る。
ルクスが魔術障壁の構えを見せたがその魔力が為した結果を見てすぐに警戒を解いた。
「これは…結界」
「そう。今この図書館内ではどれだけ強大な魔力を使おうが外の存在からは感知されないようになったの」
「…それで何をしようと?」
「本を読むのが好きってことは知識欲はあるんでしょ?」
「もちろんある」
「君がここに来るまで軽く本を見て回ったら最近魔術関連の本を読んだ形跡があった。それに何度もここで魔力を使った実験をしていたことも分かった」
実際ルクスは魔術書や魔術に関する論文を読んだ後、魔術は術式の改良ができないか試すし、論文の内容を検証したりしている。
しかし最後におこなったのは一ヶ月近く前のことで魔力の痕跡など到底感じられないほど微細だった。
精霊とはそんな痕跡ですらも見逃さないものなのかとルクスは内心舌を巻いていた。
「君は人より魔力が多いし頭の回転も早い。相当魔力を扱う者としての適性が高いんだろうね。そんな君が魔術師として、探究者として更なる高みへ至れるように、私が魔法を見せてあげる」
「…っ!!!」
魔術という枠組みを超えた力、魔法。
膨大な魔力、綿密な魔力制御、複雑な術式の全てをもって至れる一つの極地。
精霊術師は精霊に魔力を与えて、精霊の手助けを借りて魔法を放つ。
上位精霊以上の一撃は戦場を文字通り破壊することも戦況を覆すことも可能と言われている。
簡単に見ることなどできるはずがないそれを見せるとグリーンは言ったのだ。
「…本はこれからの人生でも読めるが魔法はそうじゃない、か。分かった。提案を受け入れる」
「そう言ってくれると思った。早速見せてあげてもいいんだけど…」
「問題でもあるのか?」
「うん。今の私は契約していない野良精霊だから大気中の魔力を吸収することで活動してるのは知ってる?」
「いや、初耳だ」
「意外と精霊について知らないんだね」
「記された本も少ない上に大抵のものが同じ内容だからな」
「その辺もまた教えてあげるよ。話を戻すけど大気中の魔力だけで活動はできるけど魔法を行使するほど魔力を使っちゃうとすごく体調が悪くなったりするし最悪消滅しちゃうんだよ。だから…」
「俺に魔力を供給して欲しいと?」
「理解が早くて助かるわ」
先ほどルクスが使ったフレーズをそのまま返してみせたグリーンはニコリと笑って手を差し出した。
自身の手を取るように促す彼女に従ってルクスはその手を握った。
ルクスとしても魔法というものを一度は見てみたい、その為ならば有り余る魔力を渡しても構わない、そう考えての行動だった。
魔法という存在にしか目が向いていない彼は気づけなかった。
接触して魔力供給をするということは今も偽っている本当の魔力量を相手が知ってしまうということに。
「それじゃあ先っちょだけ………え?」
魔力をもらおうと回路を繋げ供給を始めた途端に気の抜けた声を漏らしたのはグリーンだ。
彼から感じられていた魔力量は人間にしては多いな程度のものだった。
しかし、実際にパスを繋げてみるとそれが抑えられたもの、しかも過去数百年の放浪で見たことがないほどの魔力量だったことに気付かされた。
並の精霊など比ではない…もしかしたら自分にすら届くのではないかと思わせるその魔力総量。そして高位の精霊である自分の眼までも偽ってみせた彼の技量に驚嘆した。
「…あ」
出会ってから初めて悪戯が露見した子どものような表情……実に年相応の表情を浮かべた彼は自身の失敗に遅れて気がついた。
大きく瞼を開いて相対する少年を見つめるグリーンと目を逸らしながらも触れ合う手のひらから魔力を送り続けるルクス。
こうして皇子と精霊は邂逅を果たしたのだった。
余談ではあるがこの日ノルテ城から莫大な魔力波が発生し、ちょっとした騒ぎになった。
原因を調査した各魔術師団や魔術研究家は強大な魔力波であったのにも関わらず不可思議にも抑えられた形跡があったと語りその理由が解明できず大いに混乱したという。
「あまりにも芳醇で味わい深い美味しい魔力だったから必要量の数倍も頂いちゃった。そのせいで隠蔽用の結界も壊れちゃったごめんね?」
「…これ騒ぎになるよな。絶対」
誰にもバレないように結界を張っていた精霊と図らずも原因を作ってしまった少年との間でこのようなやり取りがあったことを記しておく。
◆
魔法の行使でちょっとした騒ぎになった翌日以降、グリーンはルクスが読書を始めるとどこからともなく現れて共に時間を過ごすようになった。
最初のうちは遊んでほしいとせがむグリーンだったが、無視され続けたことで次第に諦めてルクスの読む本を一緒に読むようになった。
悠久の時は揺蕩い寿命の概念がない彼女だが人間の記した書物を見る機会には恵まれなかったようで興味深そうに眺めていた。
ルクスの肩に両の手をおいてその首元から顔を出して覗き込むようにして読むため彼女の豊満な二つの塊は当然彼の背中に触れる。
健全で思春期真っ只中の青年なら狼狽えるであろうが生憎ルクスの意識は本の中に囚われている。
故にそのような些事にかまけることはない。
その様子を見たグリーンから「自信無くすなぁ」などという心の声が漏れても彼の耳には届かないのだ。
昼食を取るために本を閉じたルクスは大きく伸びをした。
それに習ってグリーンも大きく伸びてみせる。
「そういえばグリーンの司る属性って何なんだ?」
「あれ、言ってなかったっけ。でも、この間の魔法を見たなら予想はついてるでしょう?」
「まぁな。…指向性を持たせた不可視の砲撃。風属性しか考えられない」
「ご名答。ちょっとだけ格が高めの風精霊が私。どう? 契約したくなった?」
「だからしないって…。精霊使いは便利で有用な国家の駒になるんだよ。そうなれば読書生活なんて送れなくなるって何度も言ってるだろう」
「うっ…私はこんなに求めてるのに…。どうせ他の野良精霊と浮気してるのよ! わーん!」
「…また隠れて恋愛小説読んだな」
「私は恋の物語が一番好きなの。憧れるじゃない」
「精霊もそういうのに憧れるんだな」
「精霊が人と生涯を共にすることを誓うことだってあるからね。そういうルクスはどうなのよ。 一応皇子なら婚約話とかだってあるんじゃないの?」
「兄二人はいるし、一番上の姉も婚約者持ちだよ。でも、俺は色恋に興味ないからな。父上から何か言われるまでは特に考えないさ。まあ強いて言うなら意中の相手はこれ、だな」
読み途中の本を持ち上げてみせた。
本以外に興味はないと言わんばかりの彼の態度に対し精霊の少女は呆れをもって返答とした。
「本、本、本って…。他に大事なものとかないの?」
「難しいことを言うな…。物欲とかはないしユリアス兄上のように武具が好きなんてことは無いし…。あ、妹たちは大事にしてるな」
「へぇ…ちょっと意外かも」
「何もおかしいところないだろ」
「だって君、本が意中の相手なんて平然と答える人間なのよ? 他人に関心なんてなさそうじゃない」
「関心が無いわけじゃないよ。ただ、読書を始めると意識がそちらに集中して周りが見えなくなるだけでな」
「ふーん。でも何で妹だけを指したの? 兄弟を大事にしているでも良くない?」
「俺の認識の問題だな。兄上や姉上たちは総じて俺の事を可愛がる。対して妹たち…フィアとシアは自分より下の兄弟だから可愛がれる…みたいな。最近は来なくなったが昔は図書館まで来ては絵本の読み聞かせをするよう頼まれたり、中庭で遊んであげだものだ」
「そう。いい関係を築いているなのね」
「自慢の妹たちさ」
このような他愛のない雑談を混じえながら二人は日々を過ごした。
グリーンが現れてからというもの読書に打ち込む時間が減ったにも関わらずルクスの表情は明るい。
何度か騎士たちにグリーンとの会話の場面を見られてしまったこともあったが独り言として見て見ぬ振りをされている。
もっとも、ルクス以外にグリーンの存在を感知できる者がいないようなのでそのように扱われるのも自然の摂理だろう。
グリーンとの邂逅から数えて四日後の朝。
いつものように自室で起床したルクスは些細な違和感を覚えた。
毎日感じていたはずの圧迫感。それが雀の涙ほどではあるが弱まったように感じたのだ。
勘違いと断じてしまうのは簡単だが、こと魔力感知において世界でも有数の隠れた実力者であるルクスの感覚は気の所為などではないと告げている。
今までであれば相談できる相手などいなかった。
しかし、今の彼には頼れる野良精霊の少女が付き纏っている。
彼女の意見も聞くべきと考えたルクスは図書館へ入るなり館内を見渡した。
「グリーン?」
いつもならば呼ぶまでもなく飛んでくる彼女の返事は今日に限って無かった。
もしかしたら寝ているのかもしれないなどと場違いにも考えたルクスはそのうちひょっこり顔を出すだろうと読書を始めた。
昼時を過ぎ、夕暮れ時を過ぎ、すっかり月が昇っても図書館には彼一人。
この日グリーンは姿を見せなかったため、ルクスの違和感は解消されることはなかった。
◆
一抹の不安を抱えたまま、第三皇女グレイの生誕記念パーティーがノルテ城で開かれた。
このパーティーにはアルニア皇国中の主だった貴族たちが出席していた。
対帝国戦線として東部貴族を率いるクローム・フォン・クリーク公爵。
爵位の低い家の多い南部を取りまとめるエリューン・フォン・エラルドルフ公爵。
複数の港をもち大陸外との交易を一手に担うフェーラ・フォン・アストレグ公爵。
魔神戦争の際、北部の要だった公爵が討死し、動揺する北部貴族たちを叱咤し戦い抜いたことが評価され子爵位から伯爵位へと任じられた現在の北部貴族の中心たるタリア・フォン・カーペンター辺境伯。
国内の東西南北を担う彼らに加えて各大臣を任される家々や普段は中央に顔を出さない東部貴族たちも軒並み出席していた。
それも当然。
何しろ癒しの皇女と名高いグレイの生誕祭なのだから。
グレイ・フォン・アイングワットは水属性と希少な光属性の魔術適正をもってこの世に生を受けた。
皇族一マイペースで、穏やかで、心優しい性格の彼女は自身の魔術適正は治癒魔術に特化していると気づき、その才を磨いた。
今では週に一回皇都の教会で貧富の差に関わらず治癒活動を行っている。
怪我をした騎士や兵士もその恩恵に与っている。
特に帝国との小競り合いの絶えない東部貴族のほとんどは彼女に自家の騎士や兵を無償で癒やされたという大きすぎる借りがある。
故にこうして足を運んでいるのである。
余談ではあるが、同時刻の城下の方ではグレイ殿下の生誕を祝してと冒険者や民衆の間で何度もジョッキが打ち鳴らされている。
人気な彼女の元には一言祝いの挨拶を交わそうと多くの貴族がひっきりなしに訪れる。
当然その中には打算をもって近づいてくる者もいる。
東部国境を守る将として国境を離れられなかったユリアスやシャラファス王国にいるトレシアとイリアといった彼らに睨みを効かせる存在が不在の今、悪巧みや謀略に絶望的に疎いグレイは貴族達の獲物でもあった。
未だ決まらぬ婚約者の枠に自身の子息を差し込もうと言葉巧みに誘導する彼らだったが、そこに第二皇女であるエリニアが微笑みと共に現れ全ての打算を泡沫へとしていく。
生誕を祝う本音もほどほどに癒しの皇女の伴侶候補へなろうとなんとか会話を続けようとするがそれすらもエリニアが打ち砕く。
そんな静かに白熱する空気とは正反対に落ち着ききった場所が会場の片隅でグラス片手に壁の花となる皇族が一人。
誰あろうルクスである。
姉に挨拶だけして早々に退場する気だったのだが想定以上の出席者がいたことで挨拶の列が途切れない。
曲がりなりにも皇族であるので割って入ることも可能ではあるのだが注目を嫌う彼はその選択を取れない。
故に壁際で持ち込んだ本を読んでいた。
早く堅苦しい典礼服を脱ぎ捨てて図書館へ帰りたいと思う彼の名が呼ばれる。
その鈴の音のような高い声色に心当たりのあった彼は本を閉じて二人の少女を迎える。
「お兄様、こんなところにおられたのですね」
「兄様がいるってお父様が言うからずっと探していたのよ」
「わざわざ探してくれてたのか。ある程度人の波が落ち着いたら俺の方から行こうと思っていたんだけどな」
「そんなに待ってしまわれればきっとパーティが終わってしまいますよ」
「ははっ、違いない」
声をかけてきたのは姿見が瓜二つの少女が二人。
ルクスと同じ銀髪を後頭部で結い大人しげな雰囲気によく似合った淡い青色のフリル付きのドレスに身を包んだ少女と同じく銀の髪を肩口で切り揃えた同じデザインの薄橙色のドレスを着こなす少女。
第四皇女のフィア・イブ・アイングワットと第五皇女のシア・イブ・アイングワットだ。
よく見ればエリニアとグレイのドレスと同じデザインと色合いなことにルクスは気がついた。
そして可愛らしい妹たちの背後には銀髪の女性がにこやかに立っている。
「母上までいらしたんですか…」
「あら。嫌なの?」
「いやいや…。父上のそばにいるものとばかり…」
「さっきまでいたわ。ただ、フィアとシアがあなたを探すと言って聞かないから付いてきたのよ」
「それはそれは…」
まさか第二皇妃であるカタリア・イブ・アイングワットが上座にいる皇王ヴォルクの元を離れてホール後方の隅にまでやってくるとは思わなかった彼は素直に驚いていた。
「それにしても、フィアもシアも可愛らしいドレスだな。よく似合ってるよ」
「お兄様にお褒めいただけて嬉しいです。初めてこういった場に参加するので緊張してましたがおかげで安心しました」
「ああ。今会場内で一番可憐なのは二人だから自信もっていいと思う。姉上たちとお揃いのドレスという案は母上からですか?」
「いいえ。私じゃなくてシアからよ」
「そうなの! エリニア姉様とグレイ姉様とお揃いにしたいって思ってお聞きしたらいいよって言ってくれたの」
「なるほど、俺の妹は天才だったか」
「えへへ、とってもいい考えだって姉様達も褒めてくれたよ」
胸を張るシアと笑みを浮かべるフィア。
それを微笑ましげに見るルクスとカタリア。
皇族が四人も集えば会場の端とはいえ注目を集める。
そんな俺たちを遠巻きに眺める貴族達の間からエリニアとグレイまでもがやってきた。
「ルクスったらこんな端にいたのね。どうせ本でも持ち込んで読んでいたのでしょう?」
「エリニア姉上、ご無沙汰しています」
「…やり直し」
「えっ?」
「姉上じゃないでしょう?」
「…いや、俺も成人を迎えていますので…」
「ルクス」
「………」
やがてエリニアの有無を言わさぬ圧力に負けたルクスがお手上げとばかりに「…エリニアお姉ちゃん」と小声で言った。
それに満足したのかエリニアは抱擁で弟を褒め称える。
「そうよね。いつからかお姉ちゃんと呼んでくれなくなったから私は寂しくて寂しくて…」
「ちょっ…! エリニア姉上! 公衆の面前で異性を抱擁するものでは……!」
「殿方としてではなく愛する家族に対する抱擁なら問題ないでしょう? それに今に始まった事ではないし」
ルクスの必死の抗議を一蹴したエリニアはしばらく抱きしめて満足したのかやがて拘束を解いた。
「久しぶりにルクス成分を摂取できたわ。グレイもしてみたらどう?」
「いいわねぇ。ねぇ私も抱きしめていいかしらぁ?」
「ダメに決まっているでしょう! エリニア姉上もグレイ姉上を巻き込まないでください」
「あらぁ…残念ねぇ。それじゃあ今はやめておいてあげるからあとでお願いするわねぇ」
「いやそういう問題では…」
「お兄様…私たちもあとで…」
「姉様ばっかずるい!」
「いやこれはずるいとかじゃなくて…」
「なら私もたまには母として抱擁を…」
「母上までノってこないでくださいっ!」
女三人寄れば姦しいと言うが、姉二人に妹二人に母一人という最強の布陣では到底姦しいという言葉だけでは表しきれない。
このようなツッコミ不在の中で孤軍奮闘を続ける皇子の姿は外から見れば大変滑稽である。
ひとしきりルクスで遊んで満足した皇族達はやがて会場内に散っていく。
カタリアはエリニアとグレイにフィアとシアを預けて上座へと戻り、同じデザインのドレスを身につけた四人の皇女は会場中央へと向かっていった。
残されたのは燃え尽きたように壁にもたれかかる皇子が一人。
普段ならば行儀が悪いと咎められるところだが、今回ばかりは同情的な視線が貴族達から注がれる。
一部始終を見ていた者たちは今も昔も、アイングワットの一族は女性が強いと再認識したのだった。
これまで毎日投稿を続けていましたが、ストックが少なくなってきたので書き貯めたいと思います。
読者の方から教えて頂いて気づいたのですがランキングにランクインしてたみたいです!
嬉しい気持ちになれました(^^)
次回更新は7月5日になります。