公爵との約束
俺が長湯でのぼせて倒れたことはかなり大きな騒ぎになった。
理由はどうであれ、いきなり皇子が倒れればそりゃあ大騒ぎにもなる。
俺の記憶は曖昧なのでここからは聞いた話になるがまず、クロードと浴場の外で護衛に立っていた騎士たちの手で俺は助け出された。
その後、俺を冷水で冷やすなどの処置をしているうちに事態を聞きつけたエラルドルフ公爵が慌ててやってきたそうだ。
俺が倒れるまでの顛末を聞くとクロードを烈火の如く叱りつけたらしい。
要約すると「もっと別の場所で話せ!」になる。
城内が慌ただしくなったことでレインまでが俺の介抱に現れて色んな意味で騒がしくなり、収拾がつかなくなったそうだ。
症状が落ち着いて目を覚ました俺は真っ先にフィアとシアに叱られ、レインやアンジーナにも苦言を呈される始末。
散々な目にあったと言えるだろう。
「ルクス殿下、出発の準備が整いました」
「分かった」
呼びに来たリゼルと共にアバンダント城の門前に移動し馬車に乗る。
俺が倒れてから体調を回復させるまでの間にエラルドルフ公爵とクロードが担当していた調査が完了したのだ。
エラルドルフ公爵が調べた結果、レシュッツを本拠地として活動している商会は二つ見つかった。
まずガレリア商会。
魔人戦争時代に南部から北部までの補給に尽力し勢力を拡大した商会だが、近年では売り上げが大きく落ち込んでいるらしい。
もう一つがナプト商会。
こちらはここ数年ほとで大きくなった新興の商会で物件売買から金貸しまで手広くやっているそうだ。
クロードが調査を担当した南部貴族の中で強い野心を持つ者についてだがリストアップされた中には聞き覚えのある名前があった。
ウェスカル伯爵家。
七年前に単身で魔物発生の初期対応にあたって失敗し撤退したという家だ。
本来、魔物の発生を確認した領主は自身で対応する前に周辺地域で最も高い爵位を持つ貴族への報告義務がある。南部の場合はエラルドルフ公爵家への報告が必須となる。発生の報を受け取った公爵家は全域に情報を共有し、皇都へ報告。対応にあたった家が討伐不可能となった時は最も爵位の高い家が対応し、それでも厳しければ騎士団の派遣を皇都へ要請する。これが魔物発生時の対応として決められているものだ。
しかし、当時のウェスカル伯爵家は手柄欲しさに報告を後に回して討伐を試みた。そして予想以上の規模に撤退を余儀なくされて遅れてエラルドルフ公爵家に報告をした。
結果、複数の村や集落が犠牲となった。
全てが終わった後に父上から領地の縮小と多額の賠償を命じられて落ちぶれたと聞いていたが、未だ野心は持ち合わせているらしい。
現時点では二つの商会もウェスカル伯爵家も今回の禁書をめぐる問題に関わっているという証拠も事実もない。
実際にレシュッツにいって調べるほかないのだ。
「ルクス殿下、本当にご自身で向かわれるのですか?」
「ああ。一応、国内旅行中だからな。ずっと公爵家に世話になってるわけにはいかないし、例の方も進めないと宰相に叱られる」
馬車の窓越しにエラルドルフ公爵が心配そうに見つめるが俺としても行かないわけにはいかない。
実際は宰相に叱られるなどあり得ないが、俺としては何としても禁書を読みたい。監察局が先に禁書を確保した場合、俺が読む暇なくシャラファス王国に返還されることだろう。それではわざわざ図書館を出た意味がない。
「それに、妹たちにもっと色んな景色を見せたいし思い出を作ってやりたいからな」
「昔から変わりませんな。相変わらずシスコンなようで安心いたします」
「…おい、悪意を感じたぞ」
俺はシスコンなわけじゃない。ただ兄として妹たちのことが大事で心配なだけだ。
「ルクス殿下、そろそろ」
「ああ」
リゼルが再度声をかけてきた。
そろそろ出ないと夕暮れまでにレシュッツに辿り着けなくなる。
俺だけならまだしもフィアやシアもいる以上、野宿だけは避けないとだからな。
「ルクス殿下」
「なんだ? まだ何か…」
「…私の息子、アルフレドの話はクロードから聞いたとおりです。アルフレドは常に飄々としながらも私よりも優秀で、賢く、強かった。奴は自身の命と引き換えに騎士達を無事に家に帰すという民との約束を守りました。これは貴族の使命、高位の貴族であればあるほど大いなる責任を担うという教えに基づいた判断だったのだと私は思います。ですがその責任も命がなければ果たせません。我ら貴族の至上に立たれる陛下をはじめとする皇族の皆様にはもっと大きな責任があるのかもしれません。それでも、どうかご自身の命を第一にお考えください」
過去に長男を亡くしたエラルドルフ公爵の言葉には重みがあり多くの感情が渦巻いていることが感じられた。
もしかすると公爵は俺にアルフレドの姿を投影したのかもしれない。
「公爵、俺も一つ約束をしよう。これから先にどんなことがあろうとフィアやシアはもちろん、レインや騎士達を含めた全員で無事に皇都へ帰還すると」
「…このエリューン、確かに聞き届けました。殿下たち御一行の無事の帰りをお持ちしております」
「といっても俺たちは旅行に行くだけだがな」
「そうでしたな。…いってらっしゃいませ」
「ああ、いってくる」
俺たちはアバンダントの街に別れを告げて次なる目的地、セノーラ伯爵領レシュッツへ出発した。
◇
エラルドルフ公爵領とセノーラ伯爵領は森を一つ挟んでお隣同士。
街道に沿って馬車を走らせれば一日とかからずに到着する。
皇都からアバンダントまでの十数日に比べればあっという間だ。
昨日俺への説教もとい抗議のために遅くまで起きていたからか隣に座るフィアとシアは出発してからまもなく船を漕ぐように眠ってしまった。今では俺の両肩に体重を預けて熟睡している。
正面に座るレインはそれを微笑ましそうに眺めていた。
「お二人とも安心して眠ってますね」
「ここは警備が万全な皇城じゃないからもしもの時のために意識はあって欲しいんだけどな」
「それはそうですが、今回に至っては殿下が心配をかけたのが原因では?」
「…返す言葉もない」
不本意とはいえ俺が夜更かしの元凶になってしまったことは事実だ。だからこそフィアとシアを起こすこともできずにいる。
「昨夜は随分とお話が弾んだのですね」
「まぁな。男同士積もる話が…」
「私のことを、お聞きになったのでしょう?」
レインはいつも通りの表情にみえたがその瞳だけは感情を押し殺すように冷めた目をしていた。
「何故そう思う?」
「あの子…いえ、クロード様は賢いお方です。ただ人に聞かれたくない話ならば防音の魔道具を使うことでしょう。ですが魔道具は大気に漂う魔力を利用するものが多い。つまり魔力の動きに聡い者には不自然に感じられてしまいます」
レインが言うことは正しい。
遮音や防音の魔道具は基本的に所持者の魔力でオンとオフを切り替える。この際に防音の効果を施す結界には大気中の魔力が利用される。
俺やレインのように魔力感知がある程度のレベルを超えているとそこで魔道具が使われていると分かってしまうのだ。
「私の感知が及ばぬ場所などアバンダント城にはありませんでした。それを理解しているからこそ彼は私が近づけない殿下の湯浴みの時を密談に選んだのでしょう。私をそこまで意識した立ち回りをすれば流石に気づいてしまいますが、それすらも計算通りなのかもしれませんね」
ふっと力なく笑ったレインは少し遠い目で馬車の外を流れる景色を見た。
「クロード様はあの頃から変わっていない……そこが彼に似てもいるのですがね」
「…アルフレドを愛していたんだな」
「違いますよ、ルクス殿下。私は愛することも、愛されることも知らなかった人形です。亡くなったと、失ったと知らされるまで彼の気持ちに気づけなかった」
俺の位置からは車窓から外を眺めるレインの顔色は伺えない。
しかし、その声はどこか濡れているようだった。
「レイン、君は…」
俺が言葉を言い終わる前に馬車が停車した。
周囲を固める騎士たちも馬を止めている。
レインが外を見る窓とは逆の窓から近い騎士に声をかける。
「何事だ?」
「はっ、先行していた斥候部隊からこの先で魔物に襲われている一団がいると通達があったため進行を停止しました」
「こんな街道のど真ん中で? わかった。護衛から人数を出して構わない。人命優先で助け出せ」
「はっ。既にリゼル様が数名の騎士と向かわれております」
道中が暇で仕方なかったのだろう。
戦闘狂のリゼルのことだ、むしろこれまで大人しくしてたのか意外なくらいだったので驚きはない。
停車してからすぐにリゼルは帰ってきた。
「終わったのか?」
「はい。魔物は一匹残らず掃討して参りました」
「暇は紛れたか?」
「ははっ、この程度では暇つぶしにもなりませんでしたよ」
「そうだろうな」
伯爵領内とはいえ公爵領からほど近い街道で自然発生する魔物など精々D級といったところ。
その程度の相手ではリゼルどころか黒鳳騎士の誰もが暇つぶしにもならないと言うだろうな。
「襲われてた者は無事か?」
「はい。護衛に付いていた冒険者も含めて全員怪我はありません」
「ならいい」
「救助した商隊の代表者がお礼を申し上げたいと言っているのですがどうされますか?」
「待て、商隊? 助けたのはどこかの商隊だったのか?」
「はい。偶然にも我々が目指すレシュッツに本拠をおく商会のようです」
まさかのこれから調べる予定だった二つの商会のどちらかを助けたようだ。
商人とは打算と損得勘定で動く者たち。
そんな彼らの本拠に赴いて直接探りを入れるというのは相手が何も知らなかった時に尋ねた側に何かあると暗に教えることになり、目的に気づかれてしまう恐れがあった。
どう上手く探りを入れるかと悩んでいたところに自然に話す機会が訪れたのは幸運というほかない。
「わかった。ここに通してくれ」
「はい。それでは呼んで参ります」
少し待っていると騎士たちに連れられた三人組の冒険者と上等な服を着ている茶髭の男性が少し驚きながらやってきた。
冒険者たちの目線は俺たちの乗る馬車の周りを固めている黒鳳騎士と白鳳騎士に向いているようだ。
「…おいおい。どんだけ騎士がいるんだ、これ」
「こんなに騎士を連れて来れる人なんて偉い貴族様しかいないよ」
「……惜しい。偉い人ではあるけど貴族の上に立つ人みたい」
何やらコソコソ話しているが気にしないでおこう。
妙な動きでも見せればリゼルが黙っていないだろうしな。
俺は肩で寝息をたてるフィアとシアの頭をそれぞれの手で支えながら立ち上がり、起こさぬように優しくお互いに寄りかからせてから馬車を出た。
後ろにレインも付いてくる。
それを見て商人であろう男性が地に膝をついた。
「この度は危ないところをお助けいただきありがとうございました。第三皇子ルクス殿下」
おや? 俺はまだこの商人に名乗っていないし、リゼルたち騎士が護衛対象の情報を漏らすとは思えない。
馬車にも皇族とわかる印はないはずだ。
「これは失礼いたしました。私はメッドラン・ガレリアと申します。この先のレシュッツにて商会の会頭を勤めております。以後、お見知り置きを」
「既に知っているようだが、ルクス・イブ・アイングワットだ。ところでなぜ俺が第三皇子のルクスだとわかった?」
「状況から推察させて頂いただけにございます。アルニア皇国の武威の象徴である黒鳳騎士とグリフォンに跨り空を駆ける麗しき白鳳騎士。両騎士団が護衛につく対象など皇族の方々に限られております。そして男性の皇族は四人。皇王陛下はお年を召していらっしゃるので除外、ユリアス殿下は東部国境の主将、トレシア殿下はシャラファス王国へ留学中。となればここにいらっしゃる皇族の方はルクス殿下以外に考えられません。」
正直驚いた。
確かに現状で男性の皇族の中で自由に動けるのは俺くらいなものだ。
しかし、それには複数の確実な情報を持っていなければならない。
伊達に商人ではないということだろうか。
「頭の回転が速いな」
「殿下にお褒めいただけますとは恐れ入ります」
にこやかな笑みを携えて一礼するメッドラン。
しかし、その瞳は油断なく俺を見据えている。
やはり切れ者の香りがする。
「いくつか聞きたいことがある」
「私に答えられることであれば何なりと」
「この街道はエラルドルフ公爵領とセノーラ伯爵家を繋ぐものだ。そんな場所でもよく魔物に襲われるのか?」
「何度もこの道を使っていますがこれまで一度も襲われたことはありませんでした」
「ふむ」
となると本当にたまたま襲われていてそこに偶然俺たちが通りかかった。
…出来過ぎな状況と疑ってしまうのは仕方ないだろう。
「あ、あの!」
「ん?」
声のする方に視線を向ければおずおずと手を挙げている冒険者がいた。
俺の会話を遮ったと判断した騎士たちが一斉に剣に手をかけるがそれを制する。
「いい。好きに喋ることを許す」
「あ、ありがたき幸せにございます!」
「無理に敬わなくていい。普通に話していい」
「へ、へい。俺はランゴと言います。後ろの二人と『鋼鉄の槌』っていうパーティを組んでる冒険者です。その、さっきの話なんですがちょいと気になることがありました」
「気になること?」
「へい。魔獣に襲われる少し前に馬車に何かが飛んできやした。一瞬香ったあの匂いは間違いなく冒険者が使う魔物寄せの匂い袋のものでした」
魔物寄せの匂い袋とはその名の通り、魔物が好むニオイのするものを詰め込んだもので主に魔物の誘い出しに使われている。
「それが事実なら何者かが襲われるように仕向けてということになるな。心当たりは?」
「ありすぎてわかりませんな」
「だろうな」
利益を追い求める商人が恨まれないわけがない。
さて、どうするべきか。
俺としては俺に近づくための自作自演を疑わないわけにはいかないのだが、狙われているとするならばここに置いていって死なれると寝覚めが悪い。
レシュッツまで同行し、禁書について探るのも一手ではある。
俺が密かに悩んでいるとメッドランが再びにこやかな笑顔を浮かべた。
「聞くところによればルクス殿下は珍しい書物に目がないとのこと。我が商会には魔人戦争時にヨルキドより回収された稀覯本が何冊かございます。私が無事にレシュッツに帰ることができればお見せできるのですが…」
「よし、共に行こう」
「…殿下」
リゼルの呆れたような声が聞こえたが関係ない。
だって魔人戦争で焼失しなかった稀覯本だぞ!?
かつての魔人戦争で大陸の書物の大半を出版していた文化の国ヨルキドは国土の八割が戦禍に見舞われ甚大な被害共に滅亡した。
この時、絵画や書物、彫刻などの多くが失われた。
そんな世界に二つとない本を読めるのならば俺は火の中だろうが海の中であろうがこの男を送り届けてみせる。
こうして俺たちはガレリア商会会頭メッドランと鋼鉄の槌の面々と共にレシュッツへと到着した。
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