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読書家皇子は精霊に愛される  作者: 月山藍
第三章 禁書探索編
53/103

アルフレド

 アバンダントの街を一日見てまわった俺たちは陽が傾く頃には城へと帰ってきていた。

 皇城で出されるコース料理に匹敵するほど美味しい食事を舌鼓を打ちながら堪能し、妹たちと休んでいると部屋の外で護衛に付いていた騎士の一人が客人の来訪を告げた。

 入室の許可を出すとやってきたのはクロードだった。


「夜分遅くに失礼します……これはこれは。兄妹水入らずのところ申し訳ありません」

「気にしないでいい。それよりこんな時間にどうしたんだ?」

「ルクス殿下のお背中をお流ししようと思いまして。お食事の後にお誘いしようと思っていたのですがお部屋にお戻りになるのが早かったもので。湯浴みはまだお済みではないですよね?」


 そういえば食事のあとはフィアとシアが部屋でのんびりしたいと言っていたから速攻で退出したからな。

 あの速さで出ていけば話しかけるのも難しかっただろう。


「確かにまだだが…。公爵家の嫡子に背中を流させるというのはどうなんだ?」

「臣下として何らおかしいことはないかと。少々込み入った話もありますので」

「ふむ」


 込み入った話、ね。

 わざわざクロードが誘いに来たのもそれが狙いというわけだ。

 防諜面を考えればそういった対策をした部屋で話すだろうから禁書についてのことではないだろう。

 しかし、ここで話せない内容…まあ今考えても変わらないか。


「では共に湯浴みをするとしよう」

「ありがとうございます。それでは私は部屋の外にてお待ちしておりますので」


 そう言ってクロードが退出するとフィアとシアが不満そうにこちらを見つめていた。

 

「…ルクス兄上と一緒に入りたかった」

「昔ならまだしも今はもうダメだ。それにここは皇城じゃないんだから尚更な」

「私たちお兄様とたくさんお話ししたいです」

「わかった。湯浴みのあとで寝るまで話そう。それでもいい?」


 渋々といった感じに頷く可愛いらしい妹たちに苦笑しつつ俺は二人の頭を撫でた。





 そこは桃源郷の片隅に存在する温泉のようだった。

 緑豊かでありながら立ちこめる蒸気の中には様々な色の鮮やかな光源が点在している。

 その中央に位置する二十人は余裕で入れそうな湯殿には俺と一人の青年が無数の果物と共に湯に浸かっている。


「どうです? 我が家が誇る豊穣湯殿テルマエ・アバンの心地のほどは」

「最高の一言に尽きる」


 至高。天上。極致。絶頂。

 他に表すならこの表現しかない、そう思えるほど極楽な空間だ。

 自然の木々と魔道具による色とりどりな照明が視覚を楽しませ、数多の果実の芳しい香りが嗅覚を刺激する。

 身体を湯に投げ出せば日々の疲れや凝り固まった全身がほぐされるかのよう。

 これを極楽と言わずして何が極楽か。


「気に入っていただけたようで何よりです」

「皇城の浴場が素朴に感じられるな」

「浴場だけなら皇城にも勝てるということですね」

「圧勝も圧勝だ。何なら降伏するさ」

「何とも光栄な評価ですね。さて殿下、昔話にお付き合い願えますか?」

「ああ。気分もいいし、いくらでも聞こう」

「ありがとうございます。それでは…」


 軽口を交わし心も身体もほぐされた頃合いでクロードがふっと話し始めた。

 一人の青年と少女の話を。





 今から時を遡ること約九年前。

 大陸各地を巻き込んだ魔人戦争が与えた傷が癒え始めた頃、エラルドルフ公爵領第一都市アバンダント内の庭園には二人の公爵の姿があった。

 エラルドルフ公爵家当主、エリューン・フォン・エラルドルフ。

 アストレグ公爵家当主、フェーラ・フォン・アストレグ。

 アルニア皇国の南部と西部を取りまとめる大貴族が顔を合わせて真剣に話しをしていた。


「エラルドルフ家としては文句の付けようも無い条件だが…本当に良いのかな?」

「ああ、こんな条件は正直どうでもいい。我が家が欲しいのは…」

「私の息子との縁か」

「いかにも。十三歳でありながらエラルドルフ公爵領の領主代理を務め、ここ一年でさらに豊かな領地を作り上げる内政手腕を持ちながら、剣や魔術にも明るい。加えて人当たりも良く好青年ときた。レメアも手放しに称賛していたが俺の息子が他人を絶賛するなど初めてのことだ。縁を繋ぐには十分な理由だろう?」

「確かに息子、アルフレドは私にも妻にもない斬新な発想で領内を豊かにし続けている。私には勿体無いほど優秀な子だ。しかしだ、フェーラ。君の娘に今婚約者をつけるのは…その、いいのか?」


 アストレグ公爵家の長女は八歳でありながら水の魔術を極めている天才。

 未だに魔術的な成長は止まらず、風の魔術も極めるだろうと囁かれている才女だ。

 今後もっと良き縁が生まれるのではないか。大きな利につながる縁、それこそ皇族との婚約ですらあり得るのでは無いかとエリューンは言外に告げる。

 フェーラはそれを笑い飛ばしてみせた。


「エリューンの言いたいことはわかる。確かに我が国の皇族は粒揃いだ。ユリアス殿下は天性の武才をお持ちだし、トレシア殿下は稀代の知恵者だ。まあルクス殿下に関しては大した情報がないが皇族と縁を結べれば我が家は大いに繁栄することだろう」

「それなら…」

「だが、それは貴族としての考えだ。親としては娘の幸せを考えてやりたい。もし、皇族の妃になれば産めや増やせよと数多の有象無象に言われるだろう。そこに女としての幸せがあるとは俺は思えん。娘の幸せを考えるならばアルフレドは実に好ましいと感じた」

「…公爵位を賜る貴族としては失格な考えだね」

「ははっ。そうだろうな」

「私としては共感できる話だったさ。婚約の話、喜んで受けよう」

「感謝する」

「あとは当人達次第だね」

「レインは少々性格に難があるが、アルフレドくんならばどうにかしてくれるだろう」

「随分とアルフレドに詳しいね。さては前々から探っていたな?」

「さて、どうだったかな。はっはっは!」





 会合から一ヶ月後、アストレグ公爵家から長女レインが婚約者としてエラルドルフ公爵家にやってきた。

 婚約の話はもちろんその容姿についても事前に聞いていたアルフレドではあったが、やってきた少女の姿を実際に目にすると言葉を失った。

 肩口で切り揃えられた薄紅色の髪、幼さ特有の可愛さを残しながらも美しいと感じられる顔立ち、そして晴れ渡る森林から差し込む木漏れ日のような深緑の瞳。

 ある種完成された芸術品のようにさえ思えた。


「アストレグ公爵家より参りましたレイン・フォン・アストレグです。よろしくお願い致します」

「………」

「あの、どうかされましたか?」

「ああ! ごめんね。あまりに美しいから見惚れていたんだ」

「そうですか。お褒めいただきありがとうございます」

「改めまして、エラルドルフ公爵家嫡子、アルフレド・フォン・エラルドルフです。こちらこそよろしくね」


 この初対面から数日が経ったある日、公爵領内の執務室には書類に埋もれながら頭をかかえる領主代行の姿があった。

 

「全然笑ってくれない…」


 そう、お茶の席や執務の合間を縫って顔を合わせた婚約者が一度たりとも笑ってくれないのだ。何なら表情すら動かしてくれない。

 今まで領政や剣の稽古と異性を意識している余裕がなかったアルフレドにとってレインは劇薬だった。

 思春期真っ盛りの青年に可憐な少女が婚約者といわれればこれまで抑えてきた色恋への興味が強くなるのも仕方がないだろう。


「なぁどうすれば笑ってくれると思う?」

「知りません」

「僕と喋るのが苦痛なのかな…やっぱり政略結婚に愛は生まれないのか…?」

「お言葉ですが、旦那様と奥様は政略結婚にあたる婚姻でしたが円満な家庭を築いていますよ」

「だとすれば僕と話すのが退屈なのかな…」

「…ここまで若様が弱るとは」


 領主代行の補佐として付いている男性は物憂げに窓から外を眺める青年を珍しいと感じていた。

 アルフレドの補佐となって長い彼だが今までこのように思い悩む姿をみたことはなかった。


「…贈り物でもしてはいかがですか」

「贈り物? でも何を送ればいいのやら」

「花であれ宝飾品であれ女性であれば喜んでくれるかと」

「ふむ…」


 贈り物。

 アルフレドとてその案が今まで浮かばなかったわけではない。

 しかし、何を贈っても彼女の顔が綻ぶとは思えなかったのでしなかったのだ。

 彼女とて公爵家の出身、珍しい花や綺麗な宝飾品など山ほど持っていることだろう。

 ではどうするか…。

 

「…一つやってみるか」

「はい?」

「いや何でもない。それより今日の仕事はこの書類だけだよね?」

「ええ。急ぎで署名を頂かなくてはならないのはそれだけです」

「なら今からレインのところに行ってくるね」


 そう言って椅子から立ち上がり扉の方へ歩き出したアルフレドの前に補佐の男性が立ち塞がる。


「ダメです。せめて終わらせてから…」

「もう終わったよ」

「は? いやあれだけ書類が…」


 執務机に積み上がってるはずの書類に目を向ければ既に署名済みの方へ移動されていた。

 駆け寄って確認すれば全ての書類に確かにアルフレドのサインと公爵家の印が押されていた。

 呆然とする補佐の男性が振り返ったときには領主代行の青年の姿はなかった。


()()()()()()は昔から得意なんだよね」


 足取り軽く廊下を行くアルフレドの声を聞くものはいなかった。



「レイン、勝負をしよう!」

「はい?」


 アルフレドは彼女の部屋に着くなり開口一番そう言い放った。

 当然レインは困惑した。表情は動かなかったが。


「勝負だよ!」

「勝負の内容をお聞きしたいのですが」

「あ、言ってなかったね」


 うっかりうっかりとケラケラ笑うアルフレドを怪訝そうに見つめるレインだったが次の言葉で顔つきが変わった。


「決闘だよ」

「っ!!」

「まあ決闘と言ってもなんちゃってだけどね」

「私とアルフレドさまが、という認識で合っていますか?」

「うん。僕と君との一本勝負。剣も弓も魔術もありの勝負」


 レインは理解ができなかった。

 この青年が何を目的で勝負を挑んできたかがわからなかったのだ。

 親同士が決めたとはいえ婚約者である。

 もし、怪我でもさせれば要らぬ憶測や関係の悪化を生むだろう。

 にも関わらず、彼は勝負を挑んできた。


「目的は何でしょうか」

「レインってさ、このアバンダントに来てから一度も笑っていないよね」

「それとこの勝負に何の関係が…」

「君は魔術以外に興味がないんだろう?」

「!!!」


 アルフレドは考え抜いた末に一つの理由を導き出した。

 彼女についての前情報から何となくそうなのではないかと思っていたこと。八歳で水の魔術を極めるなど正直いって狂っている。普通の子どもであれば多くのことに興味を持って育つところを彼女は魔術に魅入られてしまった。

 結果、魔術以外に興味がない少女が誕生した。

 そんなレインがアバンダントに来てから一度も魔術に触れていないのだ。

 唯一のおもちゃを取り上げられた子どもが好んで笑うことはないだろう。


「気づいてあげるのが遅くて本当にごめん」

「…アルフレドさまが謝ることではないかと」

「だからこの勝負では今まで我慢していた分を思う存分解放してくれて構わないよ」

「………」

「さ、移動しようか。ここにくる前に訓練場を貸し切っておいたから」

「ですが…」


 未だ椅子に座り渋る彼女にアルフレドは手を差し出す。


「いいんだよ、我慢しなくて。不満や願いを打ち明けられてこそ婚約者というものじゃないかな?」

「…はい」


 ぎこちなく伸ばされた華奢な手がアルフレドの手に添えられる。

 訓練場に向けて並び歩き出した二人の姿はとてもお似合いなもので姿を目にした使用人たちは微笑ましげに見守っていた。

 


 アバンダント城内にある屋外訓練場にはエラルドルフ公爵家に仕える多くの家人と騎士たちが集まっていた。

 集まった人々の視線の先では少年少女が相対している。

 

「おい、これ何があったんだ?」

「よくわからんが若様とその婚約者様が立ち合いをするらしい」

「はあ? 痴話喧嘩か何かか?」

「いや、そうじゃないらしい。詳しくは知らないが互いの理解のためとか若様は言ってたって聞いたぞ」

「おいおい…あんな可憐なお嬢様が若様と立ち合いなんて怪我しちまうよ。止めなくていいのかよ」

「俺も隊長に言ったんだがな…」


 騎士たちの声が聞こえたわけではないがアルフレドは苦笑しながら肩をすくめた。


「大事になっちゃってごめんね」

「いえ…ですが本当にやるのですか?」

「うん。むかし僕が目にした女性剣士が言ってたんだ。ぶつからなきゃ伝わらないこともあるってね」

「アルフレドさまはご存知だと思いますが私は魔術の腕に関してはそれなりのものだと自負しています。模擬戦の経験はありますが…その、手加減が苦手です。アルフレドさまやこの家の皆様に被害を出してしまうかと…」


 少し申し訳なさそうに言う彼女を見てアルフレドは笑う。


「周りの被害に関しては心配しなくていいよ。この訓練場の敷地内は結界の魔道具で囲われてるから余程のことがない限り流れ弾が飛んだりはしないから」

「…ですがアルフレドさまに何かあれば……」

「心配してくれるの? ありがとう。でも心配ばかりしてると足元をすくわれるよ」


 それだけ言ってアルフレドは立ち合いの定位置についた。

 魔力を抑えつつ段階的に魔術を行使すれば大きな怪我にはならないだろう。

 多分。

 そう思いながらレインも定位置についた。魔術の研鑽を積めない日々は牢獄のようであった。故に事情はどうであれ魔術が行使できることがレインは嬉しかった。

 僅かに彼女の口角が上がったのを見てアルフレドは腰の剣を抜き放ち、剣の腹を空へと見せつけるように自分の目線と平行に構えた。


「騎士隊長、開始の合図を」

「はっ。これよりアルフレド様とレイン様の立ち合いを開始します。……始めっ!」


 開始と同時に動いたのはレインの方だった。

 魔術師と剣士の立ち合いにおいて距離を詰められることは魔術師の不利となる。熟練の魔術師ほど至近距離での戦闘の対策は講じているがそれでも近づけさせないのが一番。

 開幕早々、数多の水球がアルフレドに向けて殺到する。

 左右に避けようにも逃げ場はない。唯一逃れられるのは上空のみ。

 アルフレドが回避しようと飛び上がったところを速度の速い水球で仕留める。

 多少の衝撃こそあるだろうが、せいぜい濡れ鼠になって地に落ちる程度で済む。

 もっと魔術に触れていたいが怪我はさせられない、レインはそう考えていた。

 言ってしまえばアルフレドを甘く見ていた。


「ふっ!!!」


 アルフレドは避けると言う選択をしなかった。

 彼は彼でよく理解していた。自分がみくびられていることを。

 

「…そんな」


 レインから僅かにそんな声が漏れた。

 対面する青年は開始地点より一歩も動いていない。

 しかし先ほどまでよりもレインの方へ剣が突き出されている。


「魔術を…斬った?」

「斬ったと言うよりは突いた、だけどね」


 にこりと笑う彼とは裏腹にレインの胸中は今起こった事象について分析を続けていた。

 どうやって魔術を物理的に斬るなどということをやってのけたのか。

 彼の魔力量は自分に比べれば圧倒的に少ない。

 それどころかそこらの魔術師にも負けるほど少ないと魔力感知が示している。

 だが、同時にレインの勘が告げている。

 この青年は生半可な魔力量ではないと。


「立ち合いの最中に考え事なんて余裕だね」

「っ!!!」


 瞬きの間にアルフレドはレインへと肉薄していた。

 握られた剣が振るわれるが、保険として設置していた遅延術式の魔術が発動し、氷壁がレインを覆い事なきを得る。


 彼女が改めて距離を取ったのを見届けてからアルフレドは再度笑った。


「大したことはしてないよ。ただ剣に魔力を流してるだけだから」

「…一般的に魔力を剣に流して魔術を斬るというのは大したことに含まれるかと」

「そうなの? 君が言うならそうなのかもしれないな。実際、僕以外にこれができる人を見たことがないからね」


 魔力を剣に流すと聞くと簡単そうに思えるがそんなことはない。

 魔力の力の向きは一方通行。

 上から流せば下に流れるし、左から流せば右へと流れる。

 剣を握る手から魔力を流しても剣先まで流れた後は霧散してしまう。

 アルフレドがやっているのは魔力の流れに指向性を持たせ循環させるという離れ業だ。

 剣先まで流れた魔力が折り返して剣柄へと流れ、再度剣先へと流れるように操作している。

 精密な魔力操作と魔力への深い理解がなければ成し遂げられない技なのだ。


「さっきも言ったけど手加減ばかり考えてると足元を掬うよ」

「…そのようですね。これまで侮っていたことを謝罪します。これよりは」


 アルフレドを囲むように無数の氷柱が出現した。

 辺りが一気に冷え込む。


「本気でいかせていただきます」

「…本気は荷が重いかもな」


 そう言いつつもアルフレドは剣に魔力を込めて迎撃の姿勢をとった。



 立ち合い開始からどれほど時間が経ったか。

 訓練場内には依然として激しく闘う二人の男女の姿があった。


「これでっ!」

「せぁぁぁあっ!」


 水属性第六階位『飛瀑ヴァ・サーファル』が繰り出され、抗いようがないの水の奔流がアルフレドに押し寄せるが、彼が裂帛の気声と共に剣を振り抜くと貫流は真っ二つに裂けて彼の後方へと流れていった。

 それを見届ける間もなくアルフレドが高速詠唱をおこない、風属性第二階位『風刃ヴィント』を複数放つ。

 レインはそれを予想していたかのように水属性第二階位『水泡ブラーゼ』を同じ数撃ち出して相殺する。

 水泡が風刃と衝突し水霧が飛散して虹を描く。


 瞬間、アルフレドはレインに肉薄し剣を振る。

 しかし、それまで空手だったはずのレインの右手には一本の青白い長剣が握られていた。鉄剣を氷剣が迎え打つと同時に金属同士がぶつかるような甲高い音が響き渡る。

 レインは打ち合った衝撃を利用して再度距離を取った。

 それを見てアルフレドは動きを止めた。


「今のは取ったと思ったんだけど…自信無くすなぁ」

「それは私のセリフです。手加減ばかり考えていましたが…私の自惚れだったようです」

「ははっ、嬉しいことを言ってくれる」


 語り合う両者の口角は上がっている。

 この戦いを心から楽しんでいる、周囲で見守る公爵家の者たちにはそう見えた。

 いつまでも続けたいと思う二人であったがそれが叶わぬ願いということも理解している。


「最初から分かってはいたけれど君の魔力は底なしのようだ。…僕の魔力量じゃそろそろ限界だよ」

「…そうですか」

「この勝負が魔力切れで終わるなんて僕は許せない。だから提案を一つ」

「提案?」

「うん。次の一手で最後、君の全力を僕が凌ぎ切れば僕の勝ち。凌げなければ君の勝ちだ」

「…ですがそれでは」


 もしもアルフレドがレインの全力を防げなければアルフレドの負傷は避けられないだろう。

 今まで実力八割で戦っていた奴が何を今更といった感じではあるが、本気となれば話が変わる。


 各属性魔術には威力や難易度によって魔術式が定められた第一から第十二階位までが存在する。これはかつて賢者と呼ばれた人間が定めた典型式魔術と呼ばれ、魔術を習う者なら初めに習う魔術だ。

 といっても、適正を持つ属性の魔術を第五階位まで扱うのがやっとでそれ以上を会得することは難しい。これを魔術界隈では第五の壁と呼ぶ。

 何故なら第六階位から必要になる魔力量が大きく増えるからだ。

 しかし、レインは生まれつき魔力量が多く、その総量はおおよそ人間とは思えないほどであった。

 七歳になる頃には水属性魔術を第十二階位まで習得した。

 その背景には彼女の魔術の師がとんでもない化け物だったことも関係しているのだが今は置いておく。


 第五の壁を越えることができた者は卓越した魔力操作を可能としている。

 特にレインは壁を超えた者の中で上位に君臨できるほど魔力量も魔力操作も優れている。

 レイン自身もそれを自覚しているからこそ恐れているのだ。


「躊躇わずに全力で来て。君が魔術の腕に自信を持つように、僕には君の全力を凌ぐ自信があるんだ」


 そんな彼女の背中を押すように笑みを携えたアルフレドが言う。

 

「君が全力じゃなければこの勝負の意味がない。この立ち合いの目的は君に魔術を使わせる口実を与えるためだけじゃなくて、君がただの公爵令嬢じゃないと我が家の者たちに理解してもらうためなんだ」


 一般的に女性、それも他家に赴いている者がその家で魔術の訓練など許してはもらえない。

 婚約者とはいえ結婚するまでは他家の人間。

 そんな立場で魔術など使えば良からぬ憶測を生むことになり最悪の場合、家同士の戦いにまで発展する。

 エラルドルフ公爵家の者たちは忠実なので当主や領主代理のアルフレドが言えば表向きでは理解してくれるだろう。

 しかし、内心どう思うかなどわからない。


 今後、彼女が誰にも邪魔されることなく、人の目を気にせずに魔術を使えるようにと考え、アルフレドはこの立ち合いを始めたのだ。


「だから、最後まで全力で。ね?」

「…わかりました。ですが、一つ約束してください」

「なにかな」

「絶対に、死なないと」

「もちろん死なないよ。なんていったって僕は君より強いからね」


 ヘラヘラと笑いながら答えた青年とは対照的に少女はムッとした表情を浮かべた。


「いいでしょう。本気でいかせていただきます」

「うん。最後の勝負だ」


 向かい合う二人。固唾を飲んで見守る家人と騎士達。

 目を閉じたレインを中心に膨大な魔力が渦巻き天へと昇る。

 詠唱はない。既に彼女は無詠唱の技術を習得しているから。

 対するアルフレドも視界を閉じて剣へと魔力を流し続けている。

 循環する速度は既に平時の数十倍にも達している。

 剣が青白い光を纏い始めたとき、勢いよく両者の瞼が上がり視線が激突した。


「『湖神の三又槍(ネプトゥヌス・ギヌス)っ!』」


 水属性第十二階位の魔術が放たれた。

 アルフレドは雲よりも高い遙か上空から飛来する一筋の光を見た。

 音を置き去りにして突き進んでくるそれは止まることを知らない蒼い流星のよう。

 アルフレドは軽く膝を曲げて重心を下げ、靴裏を起点に風の魔術を行使した。

 階位にも記されていないただ突風を引き起こすだけの魔術。けれど人程度であれば吹き飛ばせる風。

 上方向への指向性を持った風がアルフレドを空へと運び蒼き星へと向かわせる。

 迫り来る流星と激突する刹那、アルフレドは頭上に構えた剣を振り抜いた。

 極光が迸る。

 咄嗟に手で視界を覆うことで事なきを得たレインが次に見たのは、


「僕の、勝ちだね」


 自分の目の前でVサインをするアルフレドの姿だった。

 


 アルフレドとレインの立ち合いから一ヶ月が経過した。

 あの勝負の後からレインは自由に魔術の鍛錬を行えるようになった。

 それどころかエラルドルフ公爵家お抱えの魔術師たちがこぞって指導を乞い願う姿もあった。

 はじめは戸惑ったレインだったが今では定期的に講習を開いている。

 それ以来、心なしか彼女の表情は明るくなった。

 

「婚約者の魔術への探究心を癒しつつ、うちの魔術師たちを鍛えてもらえる。それにレインも笑ってくれるようになった。いやー、めでたしめでたしだ」

「何を勝手に全て丸く収まったかのように言ってるんですかっ! あの立ち合いでどれだけ被害が出たと思ってるんです!?」


 アルフレドとレインの立ち合いによる被害はそれなりのものだった。

 訓練場の場外に魔術が流れるのを防ぐための対魔術結界が張られる魔道具が四台壊れた。これだけでも皇都の一等地で豪邸を二つは買えるほどの被害である。

 加えてアバンダント城に備えられた対魔術防護装置まで半壊してしまったのだ。数百人の魔術師による第三階位の斉射にも耐えれる結界を張る魔道具も第十二階位の魔術には耐えれなかったようだ。

 補佐である男性がこの被害を聞いてぶちギレるを通り越して唖然としたのも仕方ない。

 

「形あるものはいつか壊れるんだから気にしたら負けだよ。というかそんなに怒ってると血圧上がるよ?」

「誰のせいだと…!」

「魔道具の件は僕から父上に謝罪と報告を出すから。下がって休んでいいよ」

「そうしてください。私は公爵と顔を合わせるのが恐ろしくてたまりませんので」


 疲れ切った顔をした男性が退出した後、アルフレドはにっこりと笑った。


「もっと彼女が笑えるように頑張ろうかな」





 レインがエラルドルフ領に訪れてから二年近くが経過した。

 最近ではレインも一喜一憂するようになっており、アルフレドと話す姿は仲睦まじく、まるで長年連れ添った夫婦のようだというのが家人たちからの印象だ。

 レインが成人すればすぐにでも結婚するだろうというのがもっぱらの噂だ。

 そのレインだが現在はアストレグ領へ帰郷している。

 

 ある日、いつものように書類の山と格闘しているアルフレドの元に一つの報告が届いた。


「魔物の大量発生?」

「はい。ウェスカル伯爵家とトセレン男爵家、それと複数の騎士爵家の連名で陳情が届いております」

「王国との国境沿いだな。だが、ウェスカル伯爵家は軍家、ある程度の規模までなら独力で討伐できそうなものだけど…。規模は?」

「伯爵自ら騎士を率いて既に一度交戦したそうですが、想定以上の数だったこともあり撤退したと。その時の目算では三百体ほどのアンデットの軍勢だったと」

「アンデットの軍勢? アンデットが群れを成して移動しているってことか?」

「はっ。既に二つほどの村が壊滅したと」

「ちっ…、さては自分たちで対応し手柄にしようと考えたな。どうにもできなくなってから陳情とは勝手なものだ」

「ぼやいても仕方ありません。急ぎ対応せねば被害は広がる一方かと」

「わかっている」


 脳内で南部の地図を描く。

 名前があった貴族家から逆算すると最初にアンデットが発生したのはトセレン男爵家の辺りだろう。

 そこからいくつかの騎士爵領土を経由してウェスカル伯爵家が迎え撃ち撤退。

 群れることがなく、移動しないというのがアンデット系の魔物に対する常識だ。その常識が破られているということはただのアンデットではない。おそらくだが指揮官のような立ち位置にある存在がいるはず。

 死人を操るネクロマンサーか、アンデット系の最上位であるリッチーか。

 どちらにしろ放置すれば大きな被害が出る。

 しかし、何者かに統率された集団であれば目的は?

 アンデットの進路上にある場所……。


「…ここか」

「はい?」

「いや、なんでもない。それよりも騎士たちに召集をかけろ。街の鐘も鳴らして衛兵隊も集めておけ」

「はっ」


 報告をもたらした騎士が退出したのを見届けてからアルフレドは執務机に置かれたベルを鳴らした。

 隣室に控える使用人呼ぶためのものだ。

 

「お呼びでしょうか」

「ああ。クロードを呼んで来てくれ」

「かしこまりました」


 時を置かずして幼い少年がやってきた。

 しかし、その態度は堂々としたもので年不相応に落ち着き払っている。


「お呼びでしょうか兄上」

「うん。というかいつも言ってるけどお兄ちゃんと呼びなさい。あと敬語なしで」

「お言葉ですがそれでは兄上の威厳が…」

「兄上?」

「……お兄ちゃんの威厳に関わる」

「可愛い弟に呼ばれて減る威厳なんてその辺に捨てるさ」

「はぁ…」


 アルフレドにとって目の前にいる弟は可愛くてたまらないのだ。

 頭が良くて物分かりも良く、愛嬌のある顔つき。

 それでいて剣や魔術の稽古も怠らない勤勉さ。

 溺愛してしまうのも仕方ないだろう。


「それで要件はなんなの?」

「それなんだけどね……」


 アルフレドは先ほどの報告をクロードに教え、今後の対応についてを説明した。

 クロードは真剣な表情で考え込むように指を口元に運んだ。


「つまり、何らかの意思を持つアンデットの集団をお兄ちゃんが騎士を引き連れて迎え撃つってこと?」

「そういうこと。一度で理解するなんて賢くて偉い五歳児だこと」

「はいはい。でも、お兄ちゃんが出向かなくても騎士たちに任せていいんじゃないの?」

「んー。なんか嫌な予感がするんだよね。だから俺も行く」

「まあお兄ちゃんが行くなら心配はないと思うけど…。僕には何をさせたいの?」

「もし討伐が長引けば俺はそれなりに帰れなくなるから一応エラルドルフ公爵領の領政についての引き継ぎを」

「領政関係は心配しなくても大丈夫だよ。各部署の文官たちもいなくなるわけじゃないし、僕もある程度は理解してるから」

「…やっぱ優秀すぎるわ。俺の弟」

「えっへん」


 少々脱線しつつも二時間にも及ぶ引き継ぎを終えた兄弟の元に先ほど報告を持ってきた騎士が戻ってくる。


「アルフレド様、準備が整いました」

「わかった。クロード、今より領主代行の権利を委譲し臨時領主代行に任命する。これは緊急時による処置であり父上への報告は事後とする。…領民を頼んだよ」

「謹んでお受け致します。委細お任せください、兄上」

「…お兄ちゃんね」


 ケラケラと笑いながらアルフレドは席を立ち支度へと向かった。




 その三十分ほど後、アバンダントの城門前広場にはエラルドルフ家の騎士千五百名と衛兵隊に所属する八百名の住人が整列していた。

 彼らの前に立つのは鎧と深緑色のマントを身につけたアルフレド。

 心配そうに見守る町民たちを安心させるように、笑みを携えた青年は語り始めた。


「これより我らが住まう南部を蹂躙する魔物どもを討伐へ向かう。といっても心配はいらない。俺が全部片付けるから騎士達はゆっくり付いてこい」

「そうはいきません!」

「そうだそうだ! 若様こそ俺たちに任せてゆっくりしていてくださいよ!」

「え、いいの? そうしよっかな」


 わははと笑う騎士達。彼らの心の奥にある恐怖を和らげるアルフレドの話術にクロードは尊敬の念を抱いていた。


「衛兵のみんなには街の治安維持を頼みたい。強面の騎士達がここを離れれば盗みを働く奴もいるかもしれない。そういう奴がいたらタコ殴りにして牢屋にぶち込んでほしい。あ、でもボコボコにしたらちゃんと治療してご飯もあげてね」

「任せてください! ボッコボコにして完璧に治療してやります」

「そのあとでとびきり美味い飯を食わせてやりますぜ!」

「ははっ、頼んだよ!」


 衛兵隊にも笑顔の輪が広がっていく。


「街のみんなには申し訳ないけどしばらく男手を借りるよ。大丈夫、必ずみんなの旦那さんや家族は無事に家へ帰して見せるから! せっかくだから男たちがいない間にへそくりとか隠してないか探してみるといいんじゃないかな」

「あははっ! そりゃあいい! ちょうど欲しいものがあったんだ」

「そうね。あの人、どうせ棚の奥とかに隠してるだろうからこの機会に見つけて没収しちゃおうかしら」

「おいおい…そりゃないぜ」


 情けない声を上げる男たちを広場に集まる全員が笑う。

 いつの間にか憂いた表情をする者はいなくなっていた。


「よし、そろそろ行こうか! 帰ってきたら宴会だっ!」

「「「「「おおぉ!!!!!」」」」」

「出陣だっ!」


 意気揚々と進み出した一団の先頭を行くアルフレドがちらりとクロードを見た。


 ──家を頼んだよ──

 ──任せて、お兄ちゃん──

 

 アルフレドとクロードが顔を合わせたのはこれが最後だった。

 彼はこの討伐戦の最中で命を落としたのだ。





「討伐自体は上手くいったのか?」

「はい。同行した騎士たちの多くが怪我を負いましたが、死者は一人も出ておりませんでした。…兄上以外は」

「…そうか。領民との約束を守ったんだな、君の兄は」

「はい」

「叶うなら、君の兄と話してみたかった」

「兄も本が好きでしたので馬が合ったのではと思います」


 語られたアルフレドという人間はきっと天才かそれに近しい才覚を持っていたのだろう。

 レインに単身勝つことができる力を持ちながら驕らず、見下さず、虐げず。

 理想の貴族像とはアルフレドのことを言うのだろう。

 

「アンデットの討伐で一体何があったんだ?」

「騎士達からの報告によるとアンデットの殲滅自体は短期間で問題なく終わり、帰還しようとした際に突然何者かの襲撃を受けたそうです。何度も爆発が起き、重症を負い動けなくなった騎士達を逃がすために兄上が殿を務めて戦死したと」

「襲撃?」


 公爵家の嫡男、それも千を越える騎士がいるところをわざわざ襲ったのか?

 だとすれば襲撃犯は余程の馬鹿か強者ということになる。


「犯人はわかったのか?」

「…いえ。兄上についての報告を聞いた僕はすぐに現場へ人を送り検分を命じました。ですが、兄の遺体も襲撃犯と思われる者の遺体もありませんでした。あったのはあちこちに大穴が空き木々が薙ぎ倒され荒れ果てた景色のみです」

「ふむ」


 つまり襲撃犯はレインに勝ったアルフレドがそこまで力を出さなければいけない相手だったということ。

 アルフレドが生きていたなら今日までにエラルドルフ領に顔を出していることだろう。

 現場に何も残っていなかったのは互いに消滅したか、アルフレドが負けて襲撃犯が遺体を処理した上で立ち去ったかの二択となる。

 どちらにしろ大きすぎる問題だったはずだ。


「このことを陛下や宰相は知っているのか?」

「…はい。ですが公には魔物討伐の際の戦死となっております。当時は魔人戦争の傷が癒えた頃合いでしたので公爵家の嫡男が暗殺にあったなど公表できる状況にはありませんでしたので」

「そうか」


 確かに公爵家の嫡男が暗殺されたなど公表できるわけがない。

 公表してしまえば南部が大きく揺らぎ下手をすればより大きな乱に繋がりかねない。


「しかしようやく合点が入った。この街に来た時、公爵家の者たちが俺や妹たちよりもレインに強い反応を示していたのは亡くなったアルフレドの元婚約者だったからか」


 前々から不思議だったことでもあった。

 あれだけ才覚に恵まれたレインが誰とも婚約をしていないというのは不思議を通り越して奇妙であった。

 だが、過去に婚約者を亡くしたのであれば理由にも合点がいく。

 仲睦まじかったアルフレドを失ったレインの悲しみは想像できないが、きっとかなりのものだっただろう。

 心の傷とでも言おうか。家族想いなアストレグ公爵であれば傷心の娘に新たな婚約など許すはずもない。


「はい。兄上の葬儀を最後に社交の場ですら彼女を見ることはありませんでした。そんな彼女が何を思ってか再びエラルドルフ領に訪れたのです。配下たちに動揺が走るのも仕方のないことでしょう」

「そう…だ…な……」

「殿下っ!!!」


 相槌を打とうと首を振った瞬間、ぐにゃりと視界が揺らぎ身体が湯へと沈む。

 顔まで湯に浸かる前に誰かが俺を引きづり出してくれたようだ。

 

「殿下! しっかりしてくださいっ! 誰かいるか! 殿下がのぼせられた!!!」


 バタバタと湯殿に駆け込んでくる足音を聞きながら俺の意識は暗転した。


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