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読書家皇子は精霊に愛される  作者: 月山藍
第二章 仙国スオウ編
43/103

三百年越しの想い

 時間はケトゥスから漆黒の背びれが失われた時に遡る。

 プラールと咲がケトゥスの元に向かうのを見届けた幽、樂、彩の三人は凍りついた自身の下半身を氷ごと砕いて再生してみせた雀と黒騎士を囲んでいた。


 既に背びれの破壊は達成しているが確実に事態が収拾される、もしくは好転するまで二人を自由にする気はなかった。

 そこには油断も驕りもない。

 一触即発の空気を纏う三人の仙人の元に一人の馬に乗った男がやってきた。

 赤騎団団長である井伊直秋である。


「仙人の皆様方。そこにおります黒騎士の相手、どうか譲っては頂けませんか」

「何故?」

「先程まで私と死闘を繰り広げていたのですが引っ張られるかのように背を向けて飛び去りました。主の危機に参じるにしても一騎打ちの締まりとしては些か納得しかねます」

「つまりあの黒騎士は自分の獲物と言いたいんだね」

「概ねその通りです」

「わかった。君が一人の武士もののふとして決着をつけるといい」

「ありがとうございます」


 三人の仙人が雀を抑えるように動くと黒騎士は直秋と改めて相対する。


「こちらの言葉がわかるとは思いませんが我々の勝負、次の一撃で終わらせます」


 そう言うと直秋は左足を一歩前へ出して半身の状態で腰を落とした。

 右手を大きく引き、槍先のあたりに左手を置いて支える。

 まるで遠くの獲物に対して槍を射出する狙撃のような体勢は横目に見ていた樂がほうと声を漏らすほど気迫に満ちていた。

 対する黒騎士は直秋と全く同じ動きで同じ体勢をとった。


「その構え…それに今までの槍さばき……やはり貴方は…いえ、言葉で語るのは野暮。これで終わりにしましょう」


 数秒の膠着、そして勝負の時は訪れる。


「しっ…!!!」

「………」


 同時に地を蹴り瞬きの間に両者を隔てる距離が無に帰す。

 この一瞬の間に互いの立ち位置は真逆となり槍を突き出した状態でぴたりと止まっていた。

 必殺の一撃を放った二人の長槍は地面と水平に伸びたまま動きを止めている。

 再び静寂。しかし勝敗は確かに決していた。


「……………」

「……………」


 左頬に薄く傷がついた直秋に対して黒騎士の左脇腹は三日月のように穿たれ体内から現れた黒色の石のようなものが砕かれていた。

 石の破損が原因なのか傷の再生が始まることはなく次第に黒騎士の身体が崩れ始める。


「叶うなら万全の状態の貴殿と矛を交えたいところでした。しかし、貴殿と戦えたこと、この井伊直秋生涯忘れません」


 振りかえって一礼をした勝者は確かに見た。

 塵となり消えてゆく敗者の口が描いた最期の動きを。


─見事─


 先程までそこにいたはずの黒き騎士は黒い石片を残して泡沫のように消えていった。

 

「お手合わせできて光栄でした。初代当主様」


 今度こそ安らかなる眠りにつくことを祈って直秋は深く礼をした。





 赤武者と黒騎士との一騎打ちを見届けた三人の仙人たちは先ほどまでの不死性が失われていることを理解した。

 だからこそ動けなかった。


 同じ年に生まれ、同じ場所で過ごし、同じ少女を守っていた友であり家族。

 ある人にとっては切磋琢磨し合った好敵手ライバル

 ある人にとってはくだらない悪戯を仕掛けてくる悪友。

 そして、ある人にとっては将来を誓い合った大切な伴侶。


 それぞれ思うところのある彼を誰が救うのか。

 否、一人しかいなかった。

 この戦場へ大事な姫のためでもなく、国や自身を慕う民のためでもなく、愛する相手のためにやってきた彼女以外に誰が彼を救えるのか。


「私にやらせて」


 声を上げたのは茶色の髪がよく似合う女性だった。

 岩散幽甲真君がんさんゆうこうしんくんこと、幽は頭に飾られた紫丁香花ライラックの髪止めに触れながら一歩前へ進み出た。

 雀は動こうともしないで彼女を虚ろな目で見つめている。

 

「これだけは絶対に譲れないし譲っちゃいけない。私には雀を救って安らかに眠らせてあげる義務がある。あの日、この髪飾りを貰った時に誓ったから」


 それは在りし日の記憶。

 当時暮らしていた里の裏山には紫丁香花ライラックの群生地があった。

 美しい景色が大好きだった幽はここで雀と将来を誓い合い、その時に贈られたのがこの髪留めだった。

 咲を守り、仲間を守り、互いを守るという破らずの誓い。

 そして互いを愛する者として助け合い支え合うという将来の約定。

 精霊の血を継ぐ二人の約束は通常契約という形なる。だがそこに代償は発生しない。

 だが、あの日の幽は弱者であったことで重い代償を支払った。

 為す術なく大切な人を喪うという別離の代償を。

 

 彼女が未だに心の奥で引きずり自責の念に苛まれていたことを幼馴染である仙人たちは知っている。

 そんな彼女が愛する彼の為に戦うと吠えた。対面してなお、その覚悟は揺るがない。

 ならば。


「…我に反対の言葉などない。救えるのはきっと幽のみであろう」


 かつて様々な悪戯を仕掛けて笑わせようとした彼を思い浮かべながら彩は言った。


「我が終わらせてやりたいと思わぬわけではない。だが、奴はきっとそれを望まぬであろう。奴はお前に心の底から惚れていたのだから。幽、お前の手で終わらせてやってくれ」


 かつて毎日のように共に鍛錬をこなして実力を高め合った好敵手を偲びながら樂は言った。


「ありがと。私に、任せて」


 かつて恋に落ち愛し合い将来を誓った彼を想いながら幽は雀の元へとゆっくり歩き出した。


 自分に近づいてくる彼女に対して先ほどまで機敏に動いていたことはずの雀は動きを止めてただ幽を見つめている。

 五メートル、四メートル、三メートル、二メートル、そして一メートル。

 それでも幽の歩みは止まらない。

 やがて手を伸ばせば触れることのできる距離まで縮まったところで立ち止まった。


「三百年…私は一度も貴方のことを忘れたことはなかったよ。片時も貴方を忘れられる時はなかった。……あの日、私に力があれば貴方を死なせずに済んだかもしれない。そう思って今日まで過ごしてきた」


 右手を伸ばし雀の胸に触れた。

 彼は動かない。

 氷のように冷たく二度と脈打つことのない心臓を感じながら言葉は紡がれる。


「私は…優しくて、意地悪で、いじっぱりで、負けず嫌いで、暖かい貴方が、大好き。この気持ちはきっと一生忘れ去ることはできないし忘れるつもりもない。例え世界から貴方が忘れ去られたとしても、私だけは絶対に忘れない」


 三百年もの間、苦楽を共にした同郷の仲間たちにも話したことのない思い。

 三百年前、しっかりと言葉で伝えることのできなかった想い。

 左手を自分の心臓の前で固く握りしめた彼女の目元に一筋の星が流れる。


「…貴方は、もうこの世に存在してはならないから。死者である貴方がこれ以上辱められるのを私は許せないから。私が…今、眠らせてあげるね」


 優しく愛を囁くように言った幽は雀の胸から右手を離し金剛石ダイヤモンドでできた短剣をその手に造り出した。

 それを固く握り込み幽は抱きつくように雀の胸に飛び込んだ。


「……この髪飾りが 紫丁香花ライラックだった理由。私の好きだった景色を送りたかったって言って渡してくれたけどあの時嘘って分かっていたんだよ? 嬉しかったから聞かなかっただけでね。でも、この街の子が教えてくれたんだ。…まさか雀が花言葉なんて知ってたなんて思わなかったよ」


 それは数ヶ月前のこと。

 いつものように咲にお説教をした後に城下の茶屋で一息ついた時だった。

 咲と仲がよくまだ十数年しか生きていないような少女の言葉だった。

 

  幽さんの紫丁香花ライラック髪飾りは何度見ても美しいですね

  そう?大切な人にもらったものだからずっとつけてるんだ

  もしかして男性ですか!?

  ふふ、どうだろうね

  だとしたら納得です!

  納得?

  はい。紫丁香花ライラックの花言葉には初恋って意味があるんですよ!

  髪飾りを送ったその人はきっと自分の気持ちを込めていたと思うんです


「初恋、ね。私も貴方が初めての恋だったよ。そしてこれが私の返答。知ってた?花言葉以外に石言葉なんてものもあるんだよ。他の国では石に想いを込めて相手に送るなんて文化もあるそうだよ」


 幽の持つ短剣は金剛石でできていた。


金剛石ダイヤモンドの石言葉は変わらぬ愛と永遠の絆。私は貴方への愛を決して、忘れないから。だから…今度こそっ……」


 涙がぽろぽろと流れ落ちる。

 それでも笑って、笑う努力をして幽は雀の目を見つめた。


「おやすみ。私が唯一愛した貴方ひとに、安らかなる眠りを」


 身体を密着させて強く抱きしめる。

 金剛石の短剣は、雀の胸にしっかりと刺さった。

 すると黒騎士の時と同様に身体の崩壊が始まった。

 その時、微動だにしていなかった雀の身体が動いた。

 咄嗟に幽の元に駆け寄ろうとした樂と彩だったがすぐに動きを止めた。


「っ!!!」


 雀の両腕は幽の身体を静かに抱いていた。

 締め殺そうとするでもなく強く抱き返すでもない。

 優しく包み込むような抱擁。

 まるで泣く子どもをあやすように。


「雀っ…」


 溢れる涙は止まることはなかった。

 むしろひどくなった。

 やがて左腕が、左足が、塵となり始めたことで二人の抱擁に終わりがやってくる。

 立つことのできない雀の身体を抱きながら見送る幽の頭に消えゆく青年の右手がおかれた。

 無表情だったはずの青年の顔には何度も見た笑顔があった。

 そして口が動いた。


「あり…とう……愛し………る」


 その声は確かに彼の声だった。


 塵になった彼だったものは夕日の光に照らされながら空高く舞っていった。

 それを近くで見上げる三人の男女と離れたところで眺めていた二人の親子の姿は淋しげながらもとても美しかった。





 国の存亡を賭けた大戦が終結していくのを眺める影が二つ。

 夕焼けに照らされてもなお、暗い漆黒の外套を目深に被る二人の影は京都の街が一望できる北の高台から一部始終を眺めていた。


「忌々しい精霊共め。古くから余計なことしかしないな。邪魔な手足《眷属》を掻い潜り苦労して堕とした鯨もまるで役に立たぬ」

「少々期待はずれでしたね。まぁそれでも無事天樹の破壊とケトゥスの排除には成功しましたし、良しとしましょう」

「…そうだな。だがこの島に我らの門を開くことは叶わなかった。これでは王はお喜びにならないだろう」

「では私たちが鏖殺しに行きますか? 精霊もどきはさておいても現精霊王と先代の精霊王の相手は正直無理ですよ」

「分かっている。我も勇敢と蛮勇を履き違えるような馬鹿ではない。今は退くぞ」

「ええ。では転移門を開……っ!?」


 転移の魔法を使用しようとした人影は用心のために展開していた魔力探知に異常な力を感知した。

 しかし、感知と同時に胴体と左胸の核が切断されていた。


「ばか……な…」

「なんだっ!?」


 塵になる同胞。

 一拍遅れて反応したもう一人は攻撃が飛来した方向を見る。

 そこにいたのは銀髪の若い人間だった。

 傍らには若竹色の髪をなびかせた少女の姿がある。


「今のは魔法……貴様ら何者だッ!!」

「雑魚だな。相変わらず強くない奴ほど危機管理が甘いよなお前ら」

「なっ…! 誰に口を聞いてると思っている人間風情が…!」

「同情するよねほんと。もう種族としての欠点だからこのおバカさんは悪くないよ」

「…そっちも大概辛辣だな」

 

 緊張感のない会話を繰り広げる二人の乱入者に向けて男は魔法を放とうとするが使えなかった。


「何故魔法が使えない!?」

「張られた結界にも気づけない程度か。放っておいてもよかったかもな」

「でも百害あって一利なしってやつでしょ? 早く終わらせよ」

「そうだな」


 大した魔力を感じられなかった青年と少女から突然魔力が溢れ出す。

 その膨大な量と漂う重圧から男は目の前の相手が何者なのかを悟った。


「貴様ッ…! 精霊王か!」

「やっと分かった? せっかくだから滅ぼす前に名乗ってあげる。私は風の精霊王アウリー。短い間だけどよろしく。…ほら、ルクスもかっこよく名乗りなよ」

「必要ない。こいつらと馴れ合うなんて反吐が出る。それにさっきの会話で聞きたかったことは聞けたからな。こんな些事に時間をかけるくらいなら俺は本を読む」

「つれないなー。まぁ他の誰かが気づく前に終わらせよっか」

「ああ」


 そう言って銀髪の青年、ルクスが男に向かって()()()()を放った。

 男は咄嗟に地面を転がり回避を試みるが左腕を消し飛ばされるが気にする暇は無い。

 追い打ちとばかりに不可視の刃が男を襲う。

 攻撃が止んだ時には四肢を失い満身創痍で動くこともできなくなっていた。

 そんな状況でも驚愕が屈辱を上回っていた。


下等生物ニンゲンが…精霊を介せずに精霊魔法を使うなど……ありえぬ…! 」

「実際使えてるだろ」

「ま、精霊魔法を使える初めての人間ではあるだろうね」


 そもそも魔法というのは魔術と比べて膨大な魔力を制御しながら魔術の数百倍は細かな術式を展開しなければならない。

 精霊の使う魔法はただの魔法ではなくあらゆる事象の根源魔法とされその制御は通常とても人間にできるものではない。

 溢れる知識欲を原動力に精霊魔法の術式を徹底的に分解して解明し一部の術式を簡略化することでこれを可能にしたルクスは現状世界でただ一人の精霊魔法使いとなっている。


「さて、一応最後に聞くんだがお前たちの今後の狙い教えてくれるか? 話してくれれば見逃してやるかもしれないぞ」

「あまり我らを舐めるなよ…! 我が消滅したところであの御方は必ずや我らの悲願を達成する。その時には貴様らは為す術なく惨めに死に絶えるであろう…!」

「そうなるといいな」


 核を穿たれ消滅し始めた事の首謀者である()()には見向きもせずにルクスとアウリーは消えゆく敗者に背を向けて歩き出す。


「誰か気づいた様子は?」

「ううん、ないよ。あ、でもプラールは魔封じと隠蔽の結界を張った時に気づいたと思う」

「駆けつけて来なかったなら他の人に話したって訳じゃないだろうしいいさ。早く戻ろう」


 ルクスはアウリーと共に風を纏い天守へと見つからないように飛び去った。

 悪魔の次なる行動への懸念を残して。

幽さんに幸あれ。

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