仙人たちの出迎え
雹彩凍流真君改め、彩さんが護衛に加わった後は特筆することもないまま港湾要塞都市ムズリアにたどり着いた。
ムズリアは西部を統括するアストレグ公爵家の本拠地でもある。
海からの脅威に備える要塞でありながら大都市でもあるこの地は西部で一番栄えている。
ここはアルニア皇国で最も大きな港町でもあるため他大陸や他国からの貿易で常に賑わっていると聞いている。
…さて、そろそろ現実逃避をやめるとしよう。
「…聞かせてください」
「えぇ、なんでも聞いてください」
「なぜ四大仙公のうち、三人がここにいるんですかね?」
ムズリアの迎賓館の一角にて俺は三柱の仙人と顔を合わせていた。
俺の後ろにはレインとアンジーナが控えている。
「援軍要請に応じてこの国に来たのが私達。目的を果たしたあとはすぐに帰国する予定だったんだけど、私たちの姫様が君を安全かつ迅速にお連れするようにと急に主張してね。…私はこういう混乱が起きるからやめた方がいいって言ったんだけど……」
すぐにわかった。
この女性、多分苦労人だ。
「とりあえず自己紹介として名乗ろうか。私は四大仙公の一人、岩散幽甲真君。長いから幽で大丈夫だよ。よろしくね」
短く切り揃った茶色の前髪と花の髪飾りを揺らしながら手を差し出した彼女に応じて卓上で握手交わす。
握った瞬間、岩散幽甲真君改め、幽さんが僅かに目を見開いた気がした。
「彩のことは既知のようだし、あとは我だな。我が名は焔正樂雲真君。貴殿らには樂と呼ぶことを許そう。彩と幽と同じく四大仙公の一角を担っている。よろしく頼む」
燃えたぎる炎のように紅い髪、白い羽織を身につけ、ロングスカートのようなもの…袴というらしい…をまとった青年は腕を組み直した。
威厳のある声とは裏腹にその黄金の瞳にはこちらを値踏みするような視線を感じる。
「アルニア皇国第三皇子、ルクス・イブ・アイングワットです。この度スオウ使節団の全権大使の任を仰せつかっています」
「貴殿が? 随分と若いな」
「生憎、今皇族で国外に出れるのは私しかいませんでしたので」
「そうだったか。貴殿も大変なのだな」
「えぇ、全くです」
「そうそう、私たちは仙人という特殊な立場だけれど 君たちは気にしないでほしい。友人に話しかけるように気軽に接してくれないかな?」
三柱の仙人の顔を見渡すと全員が頷いていたので俺も外行きの態度を崩した。
「…それは助かる。どうにも肩肘張った喋りは疲れる。それで?」
「何かな?」
「さっきユウさんは姫様の案に従ったって言ったけど、それ以外にも理由があるんじゃないのか?」
「…へぇ、聡いね君」
ユウさんの目つきが鋭さを帯びた。
いかに援軍に赴いたあとの出迎えとはいえスオウの保有戦力を考えれば主戦力である四柱の仙人のうち、三柱も出迎えに寄越さないだろう。
「でもその辺の説明は私達からするよりも国主から受けるべきだと思うから回答は保留させてもらうね。それでも良い?」
「ああ、今は聞かないでおく」
「助かるよ」
体裁的にもスオウの国主様から聞く方が良いだろうしアルニア皇国内ではあまりできない話なのだろう。
「長旅のところ悪いけれど、明日の朝にはスオウに向けて出港する予定だけど大丈夫かな?」
「こちらは問題ない。なら今日のところは解散という形で大丈夫か?」
「うん。私たちも国主や姫様に色々報告しなくちゃだから」
「今から手紙を送るのか?」
「あ、違うよ。私たち仙人の使う仙術の中には遠く離れた人と声を交わすものがあるんだ。それを使ってさ」
興味深いな。
仙人のみが扱う仙術の詳細は知らないが、どうやら思った以上に便利なものがあるようだ。
冒険者ギルドが秘匿する遠話の技術とは別の代物らしいので尚更興味を引く。
まぁ俺の場合はアウリーに頼めばできるけどな。
俺は今頃海を満喫しているであろう契約精霊を思い浮かべるのだった。
◆
仙人達と別れた後、俺はレインに誘われてアストレグ公爵家の屋敷に来ていた。
この地を治めるアストレグ公爵家現当主フェーラは今頃皇都で先日の戦いについての事後処理に追われているはずなので不在だ。
「レイン。確か今このアストレグ公爵領を実際に治めてるのは長男だったか?」
「そうですね。長男であるレメア兄上が領内の全権を父から委ねられています」
レメア・フォン・アストレグ。
文武に秀でており政務の手腕も優れていると評判の美少年で次期公爵にふさわしい人物とされている。
先の戦いではその評判を信じて立てた俺の策の決め手となる部分を担ってくれていた。
「俺が会うのは…多分初めてだな」
「殿下は公の場に姿を現さないで有名ですからね」
「…悪かったな。図書館に引きこもってて」
若干棘のある言葉に苦笑いをしていると応接間の扉が開かれた。
「お初にお目にかかります、ルクス皇子殿下。ようこそアストレグ公爵家へ。不在の父に代わり、アストレグ公爵家は殿下を歓迎いたします」
入ってきたのは装飾の抑えられた服に身を包み、赤髪を首元で結んだ青年、レメア・フォン・アストレグだ。
「フェーラ公爵自慢のご子息に会うことができて光栄だ。先の戦争での援軍には大いに助けられた。改めて礼を言わせてくれ」
「私は皇国貴族としての責務を果たしたまでのこと。礼など不要でございます。父ならば国家の危機に動けずして何が貴族か!…などと言うところでしょうね」
「そうだな」
少し話しただけでも優秀な者だとわかる誠実さだな。
さすが天下のアストレグ家と言ったところか。
「スオウでは妹であるレインが殿下を全力で補佐いたしますので何卒よろしくお願いいたします」
「もちろんだ。俺はお飾りのようなものだからな。レイン嬢には大いに助けられることだろう」
「…時に殿下、こうして顔を合わせてお話する折角の機会ですのでいくつかお聞きしてもよろしいですか?」
「あぁ。俺に答えられることなら答えよう」
「ありがとうございます。では先の戦について。なぜあのような策が思いついたのでしょう?」
レメアが言っているのは石兵八陣のことだろう。
確かに戦術学を学ぶことの無い皇族が描く策にしては突飛なものだしな。
「公務もせずに本ばかり読み漁っていたおかげで知識だけはあったからな。そもそも実現可能かどうかは実際に見るまで確信はなかった」
「なるほど。ですが、殿下の知謀であれば他にも策が浮かんでいたのではないですか?」
「確かにいくつか浮かんではいた。だが、一番やって見たかったのはあの策だった。それだけだ」
三大陸全ての歴史から見ても石兵八陣を策として成したのは発案した知恵者と俺だけだろう。
そう、俺は本当にただ兵学書に記された策を実現させたかっただけなのだ。
「ふふっ…あはは!」
「レメア兄上、殿下に失礼ですよ!」
回答を聞いていたレメアは堪えられずといったように声を上げて笑った。
レインが咎めるがレメアの笑いは止まらない。
しばらく笑っていた彼だったが落ち着いたのか和かな笑顔に戻った。
「大変失礼いたしました。あまりにも回答が予想外でしたので」
「気にしていないさ。だがそれほど面白いことか?」
「まさか皇国存亡の危機に実現させたかったという理由であのような策を成してしまう皇子がいらっしゃったとはなと。実にユリアス殿下の弟君らしいと言えますね」
「自慢の兄だからな」
こんなこと本人には絶対に言わないが。
ユリアス兄上は心の底から尊敬できる。
「ではもう一つお聞かせください」
「なんだ?」
先を促しながら喉を潤わせようと紅茶を口に含む。
…さすが公爵家だ、良い茶葉を使って……
「殿下とレインによる婚約についてはどう思いますか」
「ぶっ…! ゲホッ、ゲホッ…」
「あ、兄上!?」
突然の爆弾発言に俺はむせ返り、レインは思わず声を上げた。
「聞けば殿下には婚約者がいないとか」
「…まぁいないが」
「ならば、うちのレインはいかがでしょうか? 容姿も気立てもよく、魔術も人並み以上に使える才女。悪い話ではないと思うのですが?」
「それはそうだな」
「でっ、殿下!?」
レメアが言っていることは間違ってはいない。
街中で聞けば十人中九人は嫁に欲しいと言うだろう。
「それならば是非…」
「だが、そこにレインの意志はないだろう」
貴族社会において、政略結婚は世の常だ。
男尊女卑とまではいかないが、女性の結婚は道具にされることが非常に多い。
皇族である俺はそこは理解しているが、一人の人間である俺はそれが許容できない。
「レメア殿、【アガルタの一夜物語】という大衆小説を知っているか?」
「生憎、娯楽小説は読まないものでして」
「この物語は政略結婚で生まれた貴族の子どもが自由な恋に憧れ、ある夜家から飛び出し、惚れた一般市民の男と紆余曲折ありながらも結婚して幸せな家庭を築くというものだ。俺は政略結婚が嫌いなんだ。だから俺は自分の意志で好きになる、もしくは好きになってくれる相手を望む。例えそれが容姿が整っていなくても、魔術が使えなくてもな」
黙って聞いていたレメアとレインだったが、レメアは突然立ち上がり、臣下の礼をとった。
「殿下のお考えも知らず、大変失礼なことを言いました。申し訳ございません。しかし、このレメア、ルクス殿下のお考えに強い感銘を受けました」
「謝罪するようなことでもないさ。これは公の場でもない。あくまで談笑の範疇だ」
「寛大なご処置に感謝します」
「それにレイン嬢には婚約者がいると聞いたことがあるが?」
そう言うと和やかな雰囲気が一変した。
気まずい空気が流れてしまってから何か地雷を踏んだのだと気づいた。
「…そう、ですね。確かにレインには婚約者がいました。しかし」
「彼は亡くなりました。ですので私には婚約者はいません」
はっきりと言うレインの顔は人形のように無表情だった。
「すまない。失言だった」
「いえ、あまり知られていないお話しですのでお気になさらないでください。……それよりも兄上」
「な、なんだい?」
「何故今ルクス殿下に婚約の話をしたのですか?」
「僕としても妹には良い縁を結びたくて……」
「なるほど、兄上ではなく父上が言い出したのですね。あとで抗議の手紙を送っておきます」
アストレグ兄妹の会話のあと気まずい空気は霧散し元通りになっていた。
その後は軽い雑談のみを交わして解散となった。
こうして俺の初めての貴族家訪問は幕を閉じた。
◆
ルクスとレインの乗る馬車がアストレグ家の屋敷を離れていくのを見送ったレメアは深く息を吐き出した。
「やれやれ。レインに聞いていた以上のお方だ」
皇族相手に無礼な発言をところどころに混ぜながら話してみたものの反応はほとんどない。
父上からもあまり身分差を気にしない変わったお方だと伺っていたがそれ以上に不思議な人だと感じた。
唯一強く反応したのは政略結婚の話の時のみか。
「底が知れない。今まで表に出てこなかったことすら驚きだ」
人柄も頭脳も恐らく自分よりも優れていることを確信しレメアは内心舌を巻く。
執務室に戻ろうと立ち上がったレメアの元に見送りに出ていた側近が帰ってくる。
「若様」
「殿下はお帰りになられたかい?」
「はい。帰られたのですが…」
「何か問題でも?」
「いえ、皇子殿下から若様にお渡しして欲しいとこちらを預かりまして」
「僕に?」
レメアは不思議そうに渡された手紙を開封し中を確認する。
そこには少ない文字が書かれていた。
「…ははっ。本当に恐ろしい人だな」
やや引き攣った笑みを浮かべながらレメアは執務室へと戻っていった。
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