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百人の一般人よりも一人のオタク

 神聖かまってちゃんの新アルバム「団地テーゼ」が海外の一部で評価されているらしい。もっともネットの噂でみただけだ。

 

 神聖かまってちゃんも、フィッシュマンズのようになるのかな、と私は思った。フィッシュマンズは、日本のマイナーなバンドだが、海外の音楽オタクの間では有名になっていて、高く評価されている。いわゆる「玄人受け」というやつだ。

 

 フィッシュマンズが海外でどうして評価されたのか気になって、以前にネットで検索した。するとあるブロガーが、調査結果をあげていて、興味深かった。以下はそのurlだ。

 

 フィッシュマンズはどのように海外で人気になったか(前編)

 https://www.zippu21.com/how_fishmans_get_popular_overseas_1/

 フィッシュマンズはどのように海外で人気になったか(後編)

 https://www.zippu21.com/how_fishmans_get_popular_overseas_2/

 

 上記のブログによると、海外の熱心な日本音楽オタクの一人が、フィッシュマンズを広めたらしい。音楽専門の掲示板があり、そこで布教活動をしたそうだ。

 

 私はこのブログを読んで(なるほど、やっぱりなあ)と思った。

 

 以前から私が感じているのは、結局のところ、『情熱が強い方が勝つ』という事だ。色々な障壁を乗り越えて、情熱が強い方が最後には勝つ。

 

 私は一般人のぼんやりした意見というのを全く真に受けていない。全部聞き流している。彼らは根底的に風見鶏的に生きているのであり、主体的な情熱も決断もなく、世の中の風潮に流されて生きている。


 彼らが話しているのは、実際には彼らの意見でも主張でもない。ただその方が生きやすいという、そうする為に彼らが絶えず自分自身を洗脳しているその結果が、彼らの「意見」として表出されているに過ぎない。

 

 例えば、「アニメ」といえば一昔前には嘲笑の的だった。(アニメを見ているやつはオタクで気持ち悪い)というのが一般的だった。私は中学生の時にエヴァンゲリオンのサントラをMDで聴いていて「お前、気持ち悪いな」と言われた事がある。

 

 だが、風潮は変わった。アニメは一般化した。アニメをみていると言っても、もう誰も「気持ち悪い」とは言わない。

 

 どうしてそうなったかと言えば、単純に、一般人よりもオタクの情熱が強かったからだ。「気持ちの悪い」オタクの方が、作品についてマニアックに語ったり、声優についてどうのこうの、作画がどうのこうのという、作品にのめりこむ情熱が強かったからだ。一般の人は、それほどまでに何かにのめりこんで、強く語るという事ができない。

 

 この集団的情熱が強かったからこそ、日本のアニメやサブカルは海を渡って成功した。オタクの情熱は海外にも伝わった。結局のところ、気持ち悪かろうがなんだろうが、情熱が強い方が勝つのだ。

 

 アニメが一般化した今から振り返ると、「アニメは気持ち悪い」と言っていた一般の意見は果たしてなんだったのだろうか。


 別になんという事もない。彼らは、アニメが一般化していない時は「気持ち悪い」と言い、一般化すれば「アニメ面白いよね」と言う。それだけだ。

 

 フィッシュマンズという日本でもマイナーなバンドが、海外の音楽オタクで評価されているのは何故なのか。私はそれが気にかかったが、そこには一人の「オタク」がいた、と知って、妙に納得した。

 

 あらゆる事は個人に端を発して、少数派に伝わり、多数者へと伝染していく。最初は個人の情熱がある。


 フィッシュマンズに関してはたまたま、海外に日本の音楽が好きなオタクがいて、彼が熱心に布教したから、その価値が認められた。…とはいえ、そのオタクが、自らの情熱を呼び覚まされる為には、そもそもフィッシュマンズの音楽という一つの情熱が先行する必要があった。

 

 悪い例かもしれないが、ヒトラーの側近にシュペーアという建築家がいた。私はシュペーアの回想録を読んだが、なかなかに面白かった。

 

 私の理解では、シュペーアという人物は極めて穏当な常識的人物だ。それに対してヒトラーは狂気的な(誤った)情熱を持った人物だ。

 

 常識的で穏当な人物が、狂気を抱いた人間にどうして屈してしまったのか? 猟奇的で奇怪な事件などをみると、人はそう考えるのかもしれない。

 

 しかし答えは逆であり、彼が穏当で常識的だからこそ、彼にはない狂気に屈してしまうのだ。狂気に対抗するのは狂気以外にありえない。普通人の常識というのは、それが強烈な信念や論理によって支えられていない限り、あっさりと狂人の情熱に敗北するのである。

 

 ※

 タイトルに話を戻すと、私は「百人の一般人よりも一人のオタクの方が強い」と思っている。

 

 それはフィッシュマンズの布教の例でも明らかではないかと思う。

 

 ジャニーズやAKBといった、多数者に受け入れられていたものも、一旦瓦解すると案外脆く、その反対に、極めてマイナーなものでも、一部の狂信的な人たちに支えられているものは意外に根強く残ったりする。

 

 それというのは、そのファンの質、要するにそのファンのオタク度、情熱の大小が関係しているからだろう。


 もちろん、情熱だけでは単なるエネルギーに過ぎないので、それが、例えば、「何故フィッシュマンズは良いのか?」という事を論理的に語りうる、というような、そうしたアウトプットが必要となってくる。情熱は論理とか形式に変化して、他の人と共有されなければならない。

 

 そうしたわけで私は「オタクの方が一般人よりも強い」と思っている。とはいえ、かつてのオタクももはや多数派になってしまった。オタクが面白かった部分の大半はすでに終わってしまっている。

 

 そういうわけで、今現在にあえてオタクであろうとするなら、オタクが一般化した社会に対する「アンチ・オタクとしてオタク」という存在が面白いのではないか、と私は思う。そういう意味では私は断然、オタク派である。



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― 新着の感想 ―
「アンチ・オタクとしてオタク」。 とても面白い着想だなーって思いました。 問わず語りで恐縮ですが、私が目指している方向性も いわば「アンチ・クリスチャンとしてクリスチャン」。 こういうものなのかもし…
 興味深く読ませていただきました。  残念ながら、経済的には百人の一般客が一回映画館に行ったほうが、一人のオタクが十回行くより儲かるのですよ。いや、百回行けば同じだけど、一般客が2回行くかとなったら…
アンチ・オタクとしてのオタク──テンプレや異世界恋愛主流の中で純文学を書く! みたいなことでしょうか? でもやっぱり異世界恋愛が強いよ(¯―¯٥)
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