プロット1~4
1
旧市街にあるうらぶれたビルの一角、玄関を抜けるとホールがあり、受付がある。しかし、今では誰も座っていない。誰も掃除しないので、歩くたびに、大理石の床に足跡が付く。廃墟になったビルを本庁が安く買い上げたものだ。
ホールを抜けると突き当たりにエレベーターがある。エレベーターのドアは溶接してある。そして、その端に非常階段へのドアがあるが、これだけは真新しい、しぶちんの本庁もここだけには金をかけたらしい、声紋認識装置が付いているのだから、上出来というところか。
私が自分の認識番号を告げると、バチンと音がして、ドアが開いた。しかし、ここまで金をかけたのならば、ドアの開閉くらいは自動にすればいいものを、お陰で分厚い防弾ドアをふうふう言いながら開け閉めしなくてはならない。
非常階段を上りきると、そこは細い廊下になっていて、突き当たりにまたドアがある。昔、窓があったところにはチタンの合金板が埋め込まれて、溶接までされている。無用な侵入者を避けるためだが、少し大袈裟すぎる気もする。足元の非常灯がなければ、この廊下は真っ暗なはずだ。
突き当たりのドアの前には不恰好な出っ張りがついていて、これが眼紋認識装置になっている。両目で眼紋認識装置を覗き込むと、自分の後ろの映像がみえるようになっている。これも余計なことかも知れないが、眼紋を認識するとき、どうしても無防備な格好をしなくてはならないので、その用心のための配慮だ。この事務所もこういったところは気が利いているのだが。
眼紋を認識する時間はほんの一瞬だ。認識装置を覗きこむと同時に事務所のドアのロックが外れるようになっている。無愛想なチタン合金製のノブを回すと、スルリとドアが開いた。
2
部屋に入ると、古めかしい木製のコートかけと、本皮に似せた安物のソファーが置いてある。私はソフト帽とコートをコートかけに掛けて、部屋の奥のデスクの愛用の回転椅子に腰を掛けた。この時代めいたデスクには、今流行の、埋め込み式の3D液晶画面が備え付けられていて、席につくと同時に、情報ネットの端末が自動的に起動するようになっている。
情報ネットの端末画面は、もう、勝手にこのビルに私以外の何者かが近づいていることを検知し、警告モードから自動的に追跡モードに切り替わって、その人物を拡大して捕らえている。このビルのあちこちには、赤外線センサーから、監視カメラ、マイク、などが各所に仕掛けられていて、情報ネットの端末から操作できるようになっている。情報ネットの端末画面に映っているのは私の部下の霞君だった。
霞君はコートの襟を立てて、コートのポケットに両手をつっこんで、フロアを抜けるところだった。ポケットに手をつっこむのは彼女の悪い癖だ。
私は腰のホルスターから、STIのタイタン10mmを抜くと、マガジンを抜き、セイフティを外して、スライドを引っ張って、チャンバーから、10mm弾を一発抜き出し、そいつをデスクの中央に置いた。そして安全の確認のためにもう一度スライドを引っ張った後で、そのまま、向かい側のドアに狙いをつけた。もちろんトリガーガードには指は入れてない。
脇の情報ネットの端末を見ると、眼紋認識装置を覗いている霞君の後ろ姿を監視カメラが捕らえていた。ドアのノブがゆっくりと回り、コートのポケットに右手をつっこんだままの霞君が入ってきた。私は迷わず彼女の頭を狙って、タイタンで狙いをつけた、彼女は腰のホルスターに手を回し、銃を抜こうとしたが、コートのポケットに突っ込んだ手が抜けないで、もがいてつんのめった。
私がもう一度、彼女の頭に狙いをつけると、彼女はポケットからようやく、手が抜けたらしい。そして、やれやれといった顔をしながら、「警部、これからポケットに手を入れるのは止めます。」そういって彼女はきびすを返して、私に背中を向けた。
3
霞君が私の元へ配属になってから、もう半年になるが、まだ、時々、気を抜いて隙を見せるところがある。美しく、聡明で、頭脳明晰な優秀な捜査官ではあるが、銃の扱いに関しては、まだまだというところだ。しかし、こういった少しの隙が、実際の捜査では命取りになることが、まま、ある。まあ、まだ若いし、経験不足なのは否めないところだろうか。
うちの部は、使用する銃器やホルスター類に一切の規制がない、もちろんそれは、私がこの部に配属されたときに、本庁に強く申し入れをした結果、しぶしぶ許されたことなのだが、霞君に好きなものを選べと言ったら、彼女はグロックとクロスドロウホルスターの組み合わせを選んだが、もちろん、私は許可しなかった。
私と同じタイタンを薦めたが、彼女の手にはグリップが大きすぎるので、SIG P226レールドフレームモデルに落ち着いた。特色はあまりないが50メートルで8センチの集弾性能は捨てがたい。弾が上下に散るグロックよりはましだ。ホルスターもクロスドロウではなく、ハイウエストの無難なものに変えさせた。
クロスドロウホルスターは抜きやすいが、接近戦の場合に、敵に銃を奪われやすい。彼女は、最初、上着を跳ね除けて、腰の後ろの高い位置から、銃を抜くのに四苦八苦していたが、ゆっくりと確実と銃を抜くように指導してゆくうちに、腰から銃を抜くことに、すぐに慣れてしまった。
4
霞君が来て、この事務所に腰を落ち着ける前は、私は都内の分署を転々としていた。因果なものだなと当時は思っていたが、それが今にして役に立つこともある。大概の分署には顔見知りがいて、それが捜査の役に立つことが多いし、色々と情報も得られる。
本庁の警部が分署に立ち入るなどということになると、普通なら相当の抵抗があるもので、原始的な意識らしい、この縄張り意識というものは難しいものだが、顔見知りが一人いるだけで、分署に立ち入る時、随分、やりやすくなる。捜査がらみとなると尚更だ。
私のところは独自の機動性を認められてはいるものの、絶対的に人数が少なすぎる。分署の協力がなくては、捜査もままならないのが正直なところだ。機動隊の出動や、SAT’や狙撃部隊にも、独自に、出動を要請するくらいの権限は認められてはいるものの、分署の理解や協力がなくては、速やかに動くことが出来ないものだ。
私は銃口を下に向け、タイタンにマガジンを差し込んで、スライドを引っ張って、マガジンの初弾をチェンバーに送り込んで、セイフティをかけ、それを腰のホルスターに収めた。もちろんホルスターのストラップがスライドとハンマーの間に納まるようにしてホックをとめてだ。そして、そのままマガジンを抜き、そのマガジンにデスクの上の10mm弾を込め、そのマガジンをそのまま銃に装填した。コック&ロックの銃を使う、動的射撃競技の選手が、安全重視のためによく使う手だ。
ことさら、慇懃に銃の取り扱いを守る私を見て、向かいのデスクに座っている霞君は、やれやれといった顔をしている。しかしコック&ロックの銃を取り扱うとなると、猛毒のコブラを扱う、蛇使いのように、慎重でなければ、いつ自分の足を打ち抜くことになるか、分かったものではない。
端末を情報検索に切り替えて、一通り目を通してみたが、目を引くような、めぼしい情報は見あたらなかった。