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ユーラシア大陸の何処か、肌に刺さるような寒空の下に一人の男がその華奢な体ではあまりにも過酷な重作業をしていた。
「全く重いなぁ…」そう呟くと橋へ続く舗装された一本道に横たわる瓦礫を退けるため僕は再び手を動かし始めた。僕は25歳の独身男性で職業はコンビニのアルバイトだった。
『だった。』というのはそれは最早この世界では社会が人々に付与する地位や価値など何もないのだからあまりにも愚かな言葉なのだ。
しかし例えばこの僕しか居ない世界で僕はどのように判断され価値付けされるのだろうか、そもそも価値というのが複数の他者による介在でそれを意味を成すなら誰も居ない世界ではそれは価値付けられるまでもなく無価値なのではないだろうか。
そんな事を延々と考えている内にはようやっとの思いで最後の瓦礫が片付け終わった頃にはとうに日は沈みかけていた。
「今日はここで野宿だな」そう呟くとバックから一式を取り出し始めた。
僕は電駆動式二輪車に添えつけた携帯式核融合発電機からケーブルを伸ばして電気ランタンとクッキングヒーターのスイッチを入れた。すぐさまに水を入れて鍋にレトルトをぶち込んでヒーターの温度を最大にまで設定する。今日はカレーだ。
なんとも便利な時代になったもんだ。僕が暮らしてた時代に野外で電気式の道具を使うならバカ高いリン酸リチウム式のバッテリーなんかを買う必要があっただろうに。
「こんな半永久的な電源が廃墟にいくらでも落ちてるんだもんなぁ…」独り呟いた僕は感心のあまり溜息をついた。そうなのだ、この類のハイテクマシンが住居群に入ればいくらでもあった。それなのに人類は僕を残して誰一人と消えてしまった。一体なぜだか訳が分からない、そんな思いにひとしきり思いふける中で僕は暖をとることを忘れていた。急いで取り掛かる。どんなに人間が進化しようとも野宿における焚火は明かり暖かさと二面をカバーするのはやはり他には代え難いものであった。そうして出来上がった舗装された道の上で独り焚火を囲むこの様相はなんだか文明を全否定するようであまりにも滑稽な姿だった。
「多分、滑稽なんて思うのは僕が最後なんだろうな」いやそんなこと思ってしまうのはもしかして… いや辞めだ、そんな場合じゃない。
「まずは現在地を確認しないとだな」僕はいつもこうだった、1コア1スレッドの様な単純な脳みそしか持ち合わせず小さいころから何かをしながら平行して他のことを考えるというのは苦手だった。考えに耽ると手が止まってしまう。
これは年を重ねるにつれて『変に考え始めるのを止める』という対処法を身に付けて行ったが、どうしたもんか難しい事を考えるとそれが追いつかずに動きが鈍くなる癖があった。
「北極星があそこだから…おそらく緯度37か」片腕に持ち合わせし十字の棒切れを下すと共にすぐさまアスファルトの上に地図を広げる。
「ユーラシアである事とこの乾燥した気候からしておそらく中国の北のほうかなぁ」想定されるポイントに赤ペンでバツ印をつけると昨日までいたポイントを黒ペンで二重線を横に引いた。
「順調順調」抑揚のない声で呟くと道具をバックに押し込み、その勢いで手帳と一冊の本を取り出した。ふと鍋をみると既に水は沸騰していた。あつあつのレトルトのカレーを米にぶっかけて頬張ると膝の上で手帳を広げた。
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年:不明(恐らく2300年頃か) 4/7 夜
ここはとても寒いし、怖い。
怖いと思うのは僕がまだ壊れていない証拠、だと思うことにしている。
どうやら旧中華人民連邦国の都市の近郊にいるようだ。
今日も僕以外の人は見つからなかったし、他の生き物も見つからない。
謎に対する進展はなかったが、自律型歩行戦車に出くわさなかったことは幸運だ。
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なぜだかわからないが僕はこの世界がなぜ僕だけになってしまったのか知り、その全てをここに記す義務があるように思えた。
しかし、これはこの僕以外は読むことがない。なにも意味がないことでしかない。
書き続けてはいるが書く度に虚しさを感じていた。
そんな思いを上書きするようにカレーを口に放り込んだ。その余りにも強引な食事は虚しさを助長するだけだった。そうして食事を終えた僕は手帳にペンを挟み直して傍らに置いた。
そんな時、ふと口が勝手に動いた。
「眠い…」それはさっきまで重作業をしていた僕にとって至極当たり前の結果であった。用意していた寝袋に入り込んで目を瞑ったがなかなか寝付けない。これは僕の冷凍睡眠による後遺症だった。どんなに体を疲れさせて体が脳に肉体疲労の信号を送っても、信号を受け取った脳は冷凍睡眠時に得てしまった睡眠耐性により眠気がやってきてもなかなか眠れないという最悪の副作用だ。僕は大したもんじゃないだろうと高を括って処置の際にその旨を書かれた同意書にサインをしたが実際のところ相当苦しかった。そんな中でようやっとのことで眠りにつけそうになったところでそれはやってきた。
僕が眠気の中で夜空を飛翔物が青白い尾を描きながら落下していたのを目尻に捉えると、一面を数秒間真昼のように照らした。あまりの異常事態に飛び上がった僕は目を凝らしてみてみると、その飛翔物は数キロ先にある都市群へと落ちて行ったようであった。誰も居ないという単調な日々が続く中で起きたこの異常事態に興奮を抑えられなかった僕は散乱している道具一式をバッグに詰め込むと電駆動式二輪車をアクセルいっぱいに踏み込んだ。