駅、貴方を探して
本当に大切な者は、失って初めてその価値に気づく。
使い古された陳腐な言葉だ。かつての私だったら、何を言っているのだと、あるいは当たり前だろうと笑った。
けれどもう、私は笑えない。
失った。距離ができた。遠くなった。そうして私は、初めて彼の存在の大きさに気づいた。どれほど彼の存在が私の精神的な支えになっていたか――いいや、少し違う。
どれほど彼が、私の希望に、あるいは原動力になっていたか、私は彼と離れてまざまざと思い知らされた。
好きとか、恋だとか、そういうのではない、と思う。
ただ半身をもがれたような思いで、私は今日という日を生きている。
彼――相田翼とは、保育園からの知り合いだ。年中から私が保育園に入園してから、もう早十年。とはいえ、保育園時代、私と彼との接点はほとんどなかった。
ただ、時折わずかに言葉を交わす程度。視界に映ってはいたが、あえて意識をする相手ではなかった。私も、彼も。
そうして小学校を卒業して、彼との距離が近づいた転機は、二人ともが学童保育に所属したことだろう。彼と私は違う小学校に通い、けれど放課後は決まって学童で過ごした。
子ども全員で四十人ほどの学童保育。同級生十人の中の一人。保育園の頃の二十人に一人に比べれば距離は縮まり、さらに同じ保育園からの顔見知りということもあって、なんとなく彼と話すことが増えた。
繋がりというのは大きかった。時折話題に上る保育園時代の話に、彼だけが強く共感できた。鋭いツッコミを入れることができた。彼との会話は楽しかった。あと、趣味があったというのもあるかもしれない。
彼は料理が好きな男子だった。裁縫も手芸もする。かといって運動ができないわけでもなくて、球技はさほどだったけれど、ボールがなければ彼はクラスで一、二の成績を収めた。特にシャトルランなんかの持久走でその力をいかんなく発揮していた、らしい。あいにく学校が違うから、恥ずかしそうに告げる彼の言葉でしかその成績を知らないけれど。
私と彼は、どこまで行っても不思議な関係だった。気づけば私は彼をライバル視していて、けれど気の置けない関係でもあった。彼相手なら心の中に在る暗い感情を吐き出すことにためらいはなかったし、彼もまた日々の生活で降り積もった苦悩を吐露した。
それはあるいは、一方的に弱みを見せる私への彼なりの気遣いだったかもしれない。彼は器用なのに人間関係にひどく不器用だった。
それが顕著になったのは、小学二年生の途中からだっただろうか。
一時期、彼は荒れた。具体的にどう、と言われても困るけれど、腹の内に何かを抱えていて、彼自身がそれを汚いものだと思っているからか、決して口にしようとはしなかった。そのせいでため込んだ思いに押しつぶされそうになっていた。
彼の弟が生まれたと知ったのは、二年生の秋のことだった。そのせいで「兄」であろうという覚悟を得たのかと考えたけれど、それは少し違う気もした。
分かることは一つ。彼はどこか、私との間に距離を作るようになった。斜に構えて物事を見るようになった。どこか浮いた空気を漂わせる彼は、私の目で見た限りは「異分子」だった。
学童でも、おそらくは学校でも。張り詰めていて、けれどそれを隠そうと奮闘する彼はもどかしくて、何もできない自分が苦しかった。友人と思っているのは自分だけだったのかと、不満に思った。不満を、彼にぶつけてしまったこともあった。
彼は、曖昧に笑ってごまかした。大人になったというより、それは何かを諦めた顔に見えた。笑っているようで、泣いているような顔。これが、愛想笑いというやつだろうか。それは、分厚い仮面で、私は彼を見失いかけていた。
小学三年生の春休みは、一つの大きな変化が待ち受けていた。四年生に上がるのに合わせて、学童に在籍していた同級生が一気に辞めていった。
部活動をするため、高学年になれば一人で留守をしていても大丈夫だろうと親が判断したから。理由はいろいろだけれど、私たちは別れ、そうして同級生は五人になった。
妙な結束感を私たちは持っていた。女二人、男三人。それはあるいは、これ以上仲間が減るのは許さないという、チキンレースだったかもしれない。
みんなで六年まで一緒に居られるといいね――どこか能天気に告げた友人の言葉を聞きながら、私は曖昧に笑った。
彼も、曖昧に笑っていた。
小学五年生の終わり。彼が敬意を向けていたらしい担任の先生が、転勤をほのめかした。四年、五年と担任を受け持ってもらっていたその男の先生は、彼と合致したようだった。
最終日、彼は泣いていたと友人は語った。驚いた。彼の泣き顔なんて、見た覚えがなかった。記憶を探れば、最後は多分保育園年長当たりのことだった。同い年の男子と喧嘩をして静かに泣いていた彼の姿を思い出した。どうして喧嘩をしていたのかは思い出せなかった。
春休みが来て、私たちは小学校生活最後の一年に向かってわずかな緊張と期待を抱いていた。最高学年。その響きは何かこう、心に響くものがあった。修学旅行は楽しみだし、最上級生として学童行事を全力で楽しみたい。何よりも学童メンバーと行く卒所旅行もいい。バザーなどで溜めたお金と、仲間みんなで溜めたバイト代を使った旅行というのが大きい。学童在籍児童の保護者の車の洗浄や庭の草刈り、長期休暇時の昼食づくりなど、五年生時点で多が足りない六年生に混じって行っていた勤労が実を結ぶのだ。最後までみんなで一緒に居られればいいなと、私も強く思った。
六年生の始業式の日。彼は学校と学童を休んだ。やや時季外れのインフルエンザだった。体が弱かった彼はよく熱を出すことがあって、けれどこの時は、彼にとっては肉体的にも精神的にも重い一撃となった。
彼が慕っていた先生は、始業式から三日ほど後に行われた離任式で学校を去った。彼は、恩師の別れに立ち会えなかった。恩師の最後の言葉を聞くこともなく、彼はベッドの上にいた。
彼の気持ちを推し量るなんてことはできない。私には、恩師との別れという経験はない。しいて言うなら、学童を卒所するとき、指導員である女傑にして学童の生き字引のような女性と別れることになるとき、似たような気持になるのかなと思った。でも、距離感が違う。彼と恩師は、そう簡単に会える距離感ではない。
インフルエンザから回復した彼は、どこか飄々とした様子で学童に姿を見せた。彼は笑っていた。でも間違いなく、泣いていた。辛かったと思う。苦しかったと思う。別れの挨拶を交わせなかったことをひどく後悔していたと思う。
ただ私は、いつも通りに彼と接した。それしかできなかった。彼も多分、腫れ物を扱うような対応なんて求めていなかった。彼と私は、ライバルなのだから。
あっという間に、小学校最後の一年間は過ぎていった。
たくさんのことがあった。学校行事、学童行事、普段の生活でさえ、時折ふと小学校生活が、学童生活がまた一日終わろうとしていると思えば身が締まった。
楽しい日々だった。でも楽しいだけじゃなかった。苦しかったこともある。最上級生としての責任に押しつぶされそうになったこともある。暗がりで一人、泣いたこともある。女傑は、そんな私に何を言うわけでもなく、ただ優しい目で見ていた。
子どもたちの成長のために様々な経験をさせることを貴ぶ女傑は、ボスであり王であり庇護する者だった。その懐は心地よくて、けれどずっとその腕の中で守られているわけにはいかなかった。
旅立ちの時は刻一刻と近づいていた。
卒所旅行の日がやって来た。それは三月の中旬、小学校を卒業した翌週だった。
卒所旅行の行き先で、私たちは大いにもめた。というか、誰も絶対にここに行きたいという場所がなくて、議論は進まなかった。ここがいいんじゃない?でも微妙じゃない?じゃあここは?そこもちょっと……そんな感じで進んでいた話し合いは、彼の提案で雪国に決まった。
交通が麻痺するような豪雪地帯。そんな場所に言って何になるという辺鄙な場所を、私たちは卒所旅行の行き先に決めた。
どちらかと言えば、私たちは枯れている子どもだったのだ。派手で目を引く場所を求めているわけではなかった。それよりはこの五人の時間を大事にしたいと思っていて、あまり雪が降らない場所に住んでいたからか、これを機に雪に埋もれるような場所でのんびりする旅行でもいいんじゃないかという話になった。
今思うと爺臭い話だった。
一面銀世界を歩き、私たちは民宿でのんびりと三日間を過ごした。たわいもない思い出話に花を咲かせ、トランプをして、暴露話をして、雪の中ではしゃいで、現実を忘れたように大声で笑った。降りしきる雪が、私たちの心の中にある未来への恐怖を少しだけ薄めてくれた。
夜、私は旅に同行していた女傑が寝てから、友人と男子の部屋へと突撃した。男子三人の部屋。着替えや鞄をひっくり返したように散乱する荷物で採っ散らかった部屋の中、彼の布団周辺はきれいに整っていた。鞄はまるで中身を出した様子もなく、いつ帰ることになっても大丈夫というように荷物がまとめられていた。
大声がうるさい男子と世渡りが上手い秀才タイプの男子は起きていて、何やらこそこそと話をしていた。彼だけは寝ていた。仰向けになって、両手を体の横に着けて気を付けの姿勢で眠っていた。気が詰まりそうな格好だった。
男子二人の方へと友人がふらふらと歩いていくのを見送って、私は何となく彼の枕元に腰を下ろす。あまりなじみのない畳を手で撫でてその感触を確認しながら、私はわずかに上下する彼の胸元を、小さく震えるのどぼとけを見ていた。
なんとなく、持っていたカメラに手を伸ばして、彼の寝顔を写真に収めた。せっかくだから、間違って消してしまわないようにお気に入り登録をしておいた。
寝顔の写真のことで帰りの空港でひと騒動起きたりしたけれど、私と彼との間に大きなトラブルはなく、そうして私たちは小学校と学童を卒業し、同じ中学に進学した。
何と、最後まで学童に残った五人全員が、同じ中学校に進学した。まあ付近三つの小学校の学区をまとめたものが中学の学区で、さらに言えば私立受験を考える人は小学三年生かそこらで学童を止めていくから自然なことではあった。
五人の距離が遠ざからないことに、私はひそかに安堵していた。やっぱり、新しい環境、新しい生活というのは、なじむまでかなりのエネルギーを必要とする。そこに親しいものがいるだけで、精神的な疲労はだいぶ違う。私にとって学童仲間の四人は、特に彼の存在は大きかった。最も、当時はただこれからも一緒だね、なんて能天気に考えていたわけだけれど。
環境が変われば、生活が変わる。人間関係が変わる。時間の使い方が変わる。中学校生活に慣れるうちに、私たちの距離は開いていた。当たり前だ。クラスも部活動も委員会も全てが違う中、私たちの間にほとんど接点はなかった。
友人は学童仲間と同じクラスになっていたらしいけれど、私は誰とも同じクラスにはならなかった。まあ学年で八クラスもあればおかしなことじゃない。
わずかな疎外感と孤独感は、けれど中学でできた新たな友人たちの存在が溶かしてくれた。時折見かけた学童仲間もそれぞれの友人関係を構築していて、寂しいのと同時に、みんなの成長が嬉しくもあった。なんていうと、どこ目線だなんてツッコミが入りそうだけれど。
彼は、相変わらず仮面をかぶっていた。もともとの真面目タイプが功を奏したのか、成績は良かったらしい。離れている私のクラスにまで、時折彼の噂が回って来た。勉強ができて、運動神経もいい。ただし球技は微妙。責任感も強くて、委員長に立候補するような人。ただし落選したけれど。
陸上部で汗を流す彼は、友人たちの輪の中にいた。そのほとんど全員が、私の知らない生徒だった。多分、小学校からの友人なんじゃないだろうか。少しだけ、彼と一緒の小学校生活を送ることができなかったのが残念だった。
バレー部に所属して熱血な先輩に厳しい指導を受けて疲労困憊になる私の意識からは、次第に学童仲間のことは消えていった。それでも、学童で過ごした日々が消えるわけではなかった。
夏季休暇には、学校に内緒で学童でバイトをした。なぜか所属児童が増えていててんてこ舞いだったから、私のバイトはとても有難がられた。もともと卒所生が長期休暇でバイトに入ることはちょくちょくあり、私にとっても自然な選択だった。
部活と、バイトと、友人との外出。私の中学校生活は充実していた。
彼がどこか迷走していると感じたのは、中学一年生の終わりのことだった。進級を前に行われた生徒会役員選挙に、彼の名前があった。正直驚いた。彼はクラス委員などは積極的に行うタイプだけれど、あまり人前に立つことを好むタイプじゃなかった。
何か大きな心境の変化でもあったのかと、壇上に立つ彼のことを他人事のように考えていた。それから、少しだけ愕然とした。一年ほど前の私なら、彼の立場に自分を重ねて、手に汗握って内心で彼にエールを送っていただろう。けれど私は、彼をただたくさんいる同級生の一人くらいに見ていた。
距離が変われば関係が変わる。少しだけさみしくて、けれど仕方のないことだと思った。
選挙が始まる。壇上に並ぶのは、代表応援演説者と立候補者。二人が順に話し、次へと回っていく。彼らの番が来る。応援演説者は、ひどく緊張していた。それはもう噛んだ。つっかえた。こちらがはらはらするほどで、けれど最後までやり通した。
でも、どこか予感があった。多分、彼は落ちるだろうと。中学校の生徒会選挙なんて、大したものじゃない。生徒は特に何も考えずに投票する。例えば友人に、例えば噂を聞いたことがある生徒に、例えば前に生徒会役員経験のある生徒に。
彼が立候補した書記の枠は三つ。そこには、前期に書記をやった一年生が二人と、彼を含めた未経験の三人が立候補していた。そして、応援演説者の失敗。何も考えていないような投票者は、多分彼には投票しない。
彼が壇上に立つ。まっすぐ前に立って、静かに話し出す。止まることなく、噛むことなく、上ずることなく、感情をこめて、マニフェストを語っていく。けれど、私は気づいていた。彼の声音が、身振りが、視線が、全て意図されたものであると。演技であると。それは別に悪いことじゃない。演説なんて演技があって当然だ。演じて説くと書くくらいなのだ。いかに良く見てもらうか、いかに自分を記憶してもらうか、そういう戦いだ。
彼は多分、かなりの時間をかけてこの場に臨んでいた。それはわかった。けれど彼の言葉は、あまり私の心には響かなかった。応援演説者の演説に関する記憶を塗り替えるには、足りない者が多すぎた。
彼は、選挙に落ちた。結果発表の張り紙を前にした彼は、どこか空虚に見えた。
彼が何を考えているのか、私にはもう分かりそうになかった。
中学二年生の終わり。彼は思い出したように再び生徒会選挙に立候補した。半期制の任期だから二年の後期にもチャンスはあったのに、彼はそこで立候補しなかった。けれどその間、彼の名前を聞くことは多くなった。
陸上部の副部長として。野外学習の実行委員の一人として、読書感想文コンクールや絵画コンテストの受賞者として。彼は確実に名前を広めていた。交友関係を大きくしていた。
そして、彼は新たな代表応援演説者と共に二度目の選挙に臨んだ。あろうことか、会長職に。
彼が競り合ったのは、二年後期に会長を務めた女子生徒だった。一年の後期から生徒会役員をしており、既に一年半、三期にわたって役員を務めていた。普通に考えたら、彼女が順当に会長になると思った。けれど、そうはならなかった。
彼は、会長に選ばれた。正直、結果を見て目を疑った。
彼の名前はそれなりに知られていた。同級生であれば、彼が一度は生徒会に立候補したことも記憶の片隅に残っているように思う。学校最大の部活動である陸上部で確実に票を集めていた。けれど勝因はたぶん、些細な期待だった。
三期、さらに一期生徒会長を務めた女子生徒が再び会長になっても、学校は、行事は、さほど変わらない。けれどもし彼が会長になったら、何か少し新しくなるのではないか。そんな期待。
多分、誰もが分かっていた。中学校の生徒会が学校に変革をもたらすことはないと。それでも、少しだけ彼に任せれば新たな風が吹くのではないかと、そんな空気があったのだと思う。それはあるいは、ここ数代、生徒会役員が女子生徒ばかりだったことも理由カモしれなかった。
彼は、全てを計算していたのだろうか。
結果が発表されたその日、私は偶然彼に遭遇した。一年前の選挙発表の日も遭遇したから、何か不思議な縁を感じた。
彼は、私の知っている男子生徒と一緒に歩いていた。平凡な生徒。勉強でも運動でも特に噂を聞くことはなかった。ただ、前期今期共に副会長となった女子生徒の恋人という情報があった。噂だから確証はなかったけれど。
二人は同じクラスだったけれど、少なくとも私は話しているところを見たことがなかった。二人の間にある何とも言えない空気も、関係の希薄さを示しているようだった。
並んで歩く二人は、誰もいない階段裏の暗がりへと向かった。私は、なぜだかついていかないといけない気がして、二人の跡を負った。
『……会長を、アイツに譲ってやってくれないか』
アイツ――前会長のことだろう。続けて言う。彼女はこれまでものすごく頑張って来たんだ。学校生活を通して生徒会役員として活動してきたんだ。落選した時、彼女は泣いていたんだ――強く、語る。
彼は、何も言うことなくその話を聞いていた。私は、今にも飛び出してしまいそうだった。どうして貴方が彼にそんなことを口にする?貴方は部外者でしょう?泣いていた?そんなの当然でしょう?彼だって泣いていたよ。落選の発表受けたその日の帰り道、学童時代に帰りに寄り道していた公園の芝生に座って、嗚咽を噛み殺していたよ。泣いていた?当たり前だよ。むしろそれだけの覚悟を持って、彼も彼女も、選挙に臨んでいたんだ。それを侮辱するな。彼の覚悟を否定するな。謝れ。今すぐ頭を下げろ――
煮えたぎる思いを必死に飲み込む。彼はやっぱり、何も言い返さなかった。
『……考えておいてくれ』
そう告げて、副会長の彼氏は歩き去っていく。見つからないように慌てて物陰に隠れた私の耳に、彼のか細い声が聞こえて来た。
――僕を会長に選んでくれた人のためにも、僕はやらないといけないんだよ。
呼吸が止まった。思い違いに、気づいた。
私は、彼が責任感の強い人だと思っていた。けれど、それでは少しニュアンスが違うと気づいた。彼はたぶん、多くの物を背負い込んでしまう人だった。重荷を背負って、倒れそうになりながら必死に歩いていく。一度背負ったものは捨てず、弱音も吐かず、ただ愛想笑いを浮かべて苦しみを誤魔化す。
それが、彼だった。私の友人、私の親友、私の仲間の在り方だった。
そんな生き方、苦しくない?
その問いを、投げかけることはできなかった。
彼には彼の経験があり、価値観があり、人生がある。私と彼は違う人間で、長い人生の歩き方は違う。ひょっとしたら、彼はその重荷なしには歩いていけない人なのかもしれないとも思った。
生徒会長として、全校生徒の半数以上の期待を背負った彼を、見守ろうと思った。
生徒会役員とクラスとつなぐパイプ役である議員になって、私は議会に参加した。行事などについて企画の説明、議決などを行う場、そこで活動する彼は、けれどやっぱり、どこか無理をしているようだった。
背負い込んだ重荷に、押しつぶされそうになっているように見えた。歯車が軋む音が聞こえた気がした。歪みが、少しずつ大きくなって、彼を動かす仕掛けが壊れてしまうのもそう遠くないことであるような予感がした。
その日は、激しい雨が降っていた。近づいてきた台風による風雨が窓を打ち鳴らす。五月のある日、とあるうわさが静かに私のクラスに届いた。
曰く、隣のクラスで悪臭騒ぎがあった。それは、生徒会長から放たれた物だった。腐ったようなにおいがしていた。
思わず、教室を飛び出していた。扉の外から、隣のクラスに在籍する彼の姿を探した。
ひたり、ひたりと、彼が歩いて来る。水の音。なぜか、彼のスリッパが濡れていた。顔色が悪かった。その目からは光が消え、前を見ているようで、何も見ていなかった。
彼は私に気づくことなく、すぐ横を通って教室に入る。一瞬、教室を見回した彼が浮かべた冷笑が、瞼の裏に焼き付いた。
何があったのかはわからない。けれど、いじめという三文字が私の脳裏を宿った。答えは、わからない。彼が何かをしたのかもしれない。ただ耐えたか、あるいは裏で仕返しを下のかもしれない。ひょっとしたらいじめなんてなかったのかもしれない。
とにかく、その一件以外に彼の周りでおかしな事件が起こることはなかった。
三年も後半になると受験がいよいよ本格的になり、日々は目まぐるしく過ぎていった。
部活を引退した私を待っていたのは勉強の日々。毎日毎日、問題を解き、語句を暗記し、英文を読み、計算をする。クラスメイトの多くも勉強に邁進して、どこか緊張感のある空気が広がっていた。
勉強の日々を送っているのは、学童の仲間たちも同じだった。数学がちんぷんかんぷんだとぼやく友人の悩みに同意を返しながら、私は久しぶりに二人でたわいもない会話をして廊下を歩いた。なぜか二クラスだけ遠い下駄箱の方へと向かうために彼女と別れて歩いた先に、私は彼の姿を捉えた。
「よ!」
肩を叩けば、彼はびくりと体を震わせる。振り返り、驚いたように目を瞠った顔が映る。うん、なんだか久しぶりに昔の距離感に戻った気がする。
「どう?順調」
「まあ、ね」
勉強は、とあえて言うのは野暮な気がして、そして彼も苦笑を浮かべながら肩を竦めた。
「この前の校内模試の順位ってどうだった?大野さんが二位だったんだって」
学年最高、定期テストで五教科500点中合計492点を叩き出した才女が二位だったという情報を得て以来、私の耳に一位の情報は入ってこなかった。なぜだか確信があった。彼が、そのベールに包まれた一位だという予感がした。
「一位だったよ。珍しく英語がよく解けたから」
果たして、彼はさらりとそう告げた。五位だった私が言うのもなんだけど、もう少し喜びを見せればいいのに。まあこの学校はどちらかというと低レベルな学力だから胸を張れないのかもしれない。大野さんに勝っただけでもすごいのに。
「そっか。やっぱり英語がネック?」
「うん、そうだね。内容によっては文章が頭の中を通り抜けていくんだ。誤読もちょくちょくあるし、本番が怖くて仕方がないよ」
なんでもそつなくこなす割に彼は英語が苦手で、明確な弱点が彼に人間味をもたらしていた。どこか吹けば飛ぶような雰囲気を持つ彼も、弱音を告げる際にはただの人、受験に苦悩する中学生だった。
「頑張って。私は英語はできるから。まあ数学が微妙だけど」
「数学か。高校受験の数学って頭の体操って感じだよね。特に補助線を入れる辺りとかさ」
「本当にそうだよ。前提なしに補助線を入れないと解けない問題を出してくるとかすごく意地が悪いと思わない?」
「まあそうだね。でもただ知識の詰め込みよりはましな気がしない?それって要は生徒の自頭を見てるってことじゃない?緊張状態であってもひらめきを得ることができるかどうかって」
「それって、遠回しに私の頭が固いって言ってる?」
ぶんぶんと首を横に振る彼の背中をどついて、私は走り出す。たたらを踏んだ彼に振り返って舌を出し、手を振って走り出す。うん、久しぶりに彼と話した。彼は昔と変わってない。いつも通り、私たちの仲は良好。
今なら、長時間に渡る勉強にも身が入りそうだった。
県内で5、6番目くらいの偏差値の公立高校に合格した。彼は2番目の偏差値の公立高校。まあ、県内1番の学校よりは彼の気風に合っているし、いい判断だと思う。
学童仲間はこれでバラバラ。同じ学校に行く人は誰もいなかった。もとより五人全員の成績が違ったから、何かがないと高校では同じにならいという確信があった。
公立高校普通科が二人、英語科が一人、私立高校が一人、調理師専門学校が一人――唯一の同性だ。
これで、バラバラ。接点はなくなるけれど、私たちの関係が、過去が、仲がなくなるわけじゃない。これからも私たちはいつだって集まれる。別に寮に入ったり遠くに引っ越したりするわけじゃないし、大丈夫。
だから、特に別れの挨拶を交わすことはなかった。そもそも、そんな風に顔を見合わせる機会がなかった。特に彼は、卒業式の日、誰よりも早く、式の後に記念写真を撮る集団から抜けて帰路についた。どこまでも孤独で、我の道を行く彼の背中は、すぐに人ごみの先に消えて見えなくなった。
高校生活が始まった。中学から同じ高校に進学したのは、顔見知りの知り合いくらい。必然的に、私はゼロから友人関係を作った。高校生活は中学以上に忙しくて、あっという間に時が経つ。部活に勉強、委員会、友人付き合い、恋愛、進路、学童でのバイト。恋愛に関しては、私はとんと縁がなかったけれど、友人たちの話は長かった。
過ぎ去っていく時間に、焦燥感ばかりが募っていく。やりたいこと、人生設計、十年後、二十年後にこうありたいという自分像。私は、私の未来を見ることができなかった。
それでも、勉強は続けた。惰性のままに、ただ筆を動かした。張り合いがない日々だった。友人の一部は現役での大学進学をあきらめていて、その空気がグループに浸透してしまっていた。
競い合える友人が欲しかった。切磋琢磨して上に登っていける、そんなライバルを私は求めていた。そんな時、脳裏には決まって彼の姿が浮かんだ。
久々に会いたいと思ってLineを開いても、そこに彼のアドレスはない。どこか頑なに携帯を持たない彼との繋がりはない。いや、ゼロという訳ではない。親同士がつながっているから、連絡を取ろうと思えばとれる。けれど、親を経由して連絡を取るほどのことでもないし、邪推されるのはごめんだった。
彼は今、どうしているだろうか。私と同じように、部活や勉強に忙殺されているのだろうか。中学三年生の夏、女傑が定年退職する最後の歳に学童行事にバイトとして参加して以来、彼は学童のバイトにも入っていない。
トーク一覧には、学童仲間との会話履歴は上部に見える。たわいもない無駄話。けれどそれは、あの頃の気やすい関係が今も私たちをつないでいる証明だった。
部活経由で知り合った相手が、彼と同じ高校に通っていて、彼のことを知っていた。なんでも彼は、高校でも生徒会に所属しているという。正確には、立候補者があまりにも少なくて定員割れして、クジで役員を決めるという段階になって仕方なく手を上げて活動時間などの交渉をしたということだったが。
彼の弱点は体の弱さや球技における不器用さなどに加えて、クジ運の悪さも上げらえる。彼は、彼が絶対に嫌だと思うこと際に外れくじを引く運の持ち主だった。苦笑の中に諦観をにじませながら外れくじを握る彼の哀愁漂う立ち姿を思い出した。
彼は、高校で理科部に入っているという。野球部やサッカー部に匹敵する活動の多い部活らしく、それゆえにクジで外れを引いて役員になってしまう前にしぶしぶ立候補して仕事時間の調整をしたらしい。朝、始業前の生徒会室の管理をすることになったのだとか。
でも、彼は低血圧で朝に弱かった気がするけれど、大丈夫なのだろうか。意外と彼は弱点が多い。以前、駅で電車に飛び込む彼の姿を見た。私と同じ路線を使っていて、私より学校が遠い彼が同じ時間の電車に乗っているということは、彼は高確率で遅刻だった。
まあ、最悪役員がいなくても各委員長が勝手に鍵を開けて活動をするから問題ないという話だった。そんな適当でいいのかと思ったけれど、まあ他校は他校だ。
高校二年生の夏、彼は学童のバイトに入っていた。ちょくちょくバイト先で顔を合わせることがあった。久しぶりに顔を合わせた彼は、精悍な顔つきをしていた。それから、あれだけかたくなに拒否していた携帯電話、というかスマホを持ち始めていた。聞けば、海外研修に応募するのに必須で、今のところ半年で解約予定なのだとか。
まあ、通信料なんかもかかるし、そのあたりは個人の考えか。一女子高生としてはスマホのない生活なんて考えられないけれど。
流れるように夏が過ぎていく。部活が忙しいらしくて、彼はあまりバイトには入らなかった。対して私は、かなり目一杯バイトを入れていた。来年は流石にバイトには入れない。進路はまだ確定はしていなけれど、大学に進学するつもりだった。できれば家を出たいし、お金があるに越したことはない。でも、学費を払えるほどバイト代があるわけでもないから、やっぱり一人暮らしは無理だろうか。
まあ、その時はその時だ。とりあえず今は、勉強しながらコツコツをお金を溜めればいい。
夏が過ぎて、進路の話題が多くなっていく。明確に進学の意志を固めて、私は勉強モードに入った。でも、いまいち勉強に熱が入らなかった。張り合いがなかった。暖簾を殴っているような手ごたえのなさがあった。努力する理由はあって、心も努力しようとしているけれど、空回りしていた。
脳裏に、彼の顔がよぎる。通知表を突きつけ合って戦っていた頃が懐かしかった。そう言えば、小学校最後の通知表勝負では、私が全て二重丸で勝利した。彼は後一つ私に及ばなかった。まあ先生の相性なんかもあるし、あまり比較できるようなものではなかったけれど、あの時間が確かに努力の理由になっていた。
彼に勝つと、そう考えて勉強すればいいということだろうか。そう思いながら電車に乗って家の最寄りの駅に着く。改札に向かって歩く中、ふと見覚えのある背中に気づいた。
改札を出たところで、肩を叩く。
「よ!」
「……おぉ、久しぶり」
若干間が開いたけれど、驚く反応は良かったので及第点を上げよう。久しぶりの彼との再会に、私はおかしなテンションになっていた。
改札から続く遊歩道を歩きながら、たわいもない話をした。ついつい私が自転車を止めている駐輪場を離れて、彼の自転車がある方まで隣り合って歩く。見上げる彼の頭は、私より頭一個半ほど高かった。小学生の頃は同じくらいか、あるいは私の方が背が高かったのに。肩幅もがっしりしているし、声も低い。けれど小学生・中学生の頃よりも日に焼けてないせいかどこか覇気がないように見えた。
それでも、久しぶりに話は弾んだ。昔の話に混じって、進路の話もした。彼は、県内最高レベルの公立大学に進学するつもりらしかった。私はひとまず、進学を考えているとだけ答えた。
彼と勝負をしようと思っていたのに、その差の大きさに愕然とした。わずかな偏差値の違い、あるいは学校の進学への力の入れ方の違いが、ひどく大きな溝となって私と彼をへだてていた。
彼が遠くて、けれど、だからこそもえあがった。
じゃあね、と大きく手を振って私は走り出す。気力が満ちていた。その感覚に覚えがあった。
コートが熱くて、脱いで鞄の紐に縛った。走り出した私は、そのままどこまでも駆けて行けるような気がしていた。
成長するほどに、体感時間が早くなっていく。小学六年生ではあっという間に昨日が終わってしまったと思い、中学生ではあっという間に一年が過ぎてしまったと思い、高校生ではあっという間に三年間が終わってしまおうとしていると思うものだ。
そんな風に女傑は話していた。そして、それは正しかった。
小学六年生以上に、中学三年生以上に、高校三年生という時間はあっという間に過ぎていった。気づけば夏が過ぎ、秋が終わり、冬が来ていた。その間、私は二度駅で彼と出会い、言葉を交わした。それは、私の勉強の原動力になった。彼に勝ちたい。彼に並びたい。そんな思いが確かにあった。
気づけば、高校一年の頃と違って、勉強が苦にならなくなっていた。難しい問題に対峙すると腰が引けるけれど、彼なら楽しそうにパズルを解くみたいに問題にアプローチしていくだろうと思えば、苦手な数学だってそれほど苦にはならなかった。それでも私は文系タイプだったから、進学は文系、それも経済学部に決めた。
法学部か経済学部か経営学部、その三つから経済学部に決めたのは、なんとなく就職に有効だと思ったから。私は別に会社の経営だとか法律だとかに興味はなかった。経理に興味があったわけではないけれど、現代社会で生きていく以上、市場経済や金融など、お金に関する学はあって損はないと思ったのが進路決定の決め手だった。
彼は、春の時点では医学部への進学を考えているという話だった。医者というのは意外と彼に似合っている気がした。患者さんの死を背負い込みすぎて潰れてしまわないかという心配もあったけれど、少し早すぎる懸念だ。
順調に成績は上がっていた。それでも第一希望の公立大学は微妙。十二月、帰って来た模試の判定結果の悪さにくじけそうになりながら、私はホームに入って来た下校生徒がひしめく電車を眺める。
気づけば、彼の姿を探していた。駅で会う日は、タイミングからして同じ電車に乗っている。こうして普段とは違う車両に乗れば、彼に会えるのではないかなんて思いがあった。彼が部活をしていた三年前期まではあまり会えなかったけれど、とっくに部活を引退している今なら会えたって不思議じゃない。今日は少し業後に学校で用事があってやや下校が遅いし、ひょっとしたらタイミングがあうんじゃないかと、そう思った。
集中できなくて英単語帳を閉じ、車内に視線を巡らす。彼の姿を探す。でも、見つからなかった。
次の日も、その次の日も、私は何かと用事を作って下校時刻を遅らせてやや遅い電車に乗っては彼の姿を探した。寒い中、ホームで電車をいくつか見送って、車内に彼の姿を探したこともあった。でも、いなかった。
風邪をひいてしまったのかやや体がだるくて、流石に寒空の下で電車を見送るのはやめた。それでもいつだって、改札へと向かいながら、目を行く人ごみの中に彼の背中を探していた。
スマホを手に取り、画面を開く、トーク記録を遡って、彼との会話を探す。それは、高校二年生の終わりで途絶えたままそれっきり。紆余曲折あって当初の予定とは違う海外研修に参加したという彼は、帰国後すぐにスマホを開こうとして、そこでスマホが起動しなくなったらしい。初めてのスマホということで多くの登録不足が目立ち、アカウントの引継ぎができない者が多かった。
受験も始まるからと、彼はこれを気に再びスマホを持たなくなった。だから、いくら画面眺めていても彼から連絡が来ることはない。そこには、どこか探り探りなたわいもない会話があった。まるで、旧友との距離感をはかりかねているようだった。そういえば彼は、クラスが変わると完全に人間関係を刷新するタイプだった。部活動の友人を除き、基本的にクラスメイトである友人と一緒に過ごし、仲のいい者とは登下校などを共にしていた。
時間が、私と彼の間に溝を作っていた。それを突き付けられて、けれど私はどうすることもできない。
「彼、体調不良で長く学校を休んでいるらしいわね」
その日、夕食の際に母から来た言葉に耳を疑った。彼が長期にわたって学校を休んでいるというのがイメージできなかった。言葉の表現からして、熱があるとかいう類ではないのだろう。だとすると……何だろうか?ずる休み、というのは違う気がする。
「どれくらい休んでいるの?」
「12月の始めらしいわ。受験もあるし心配よね」
ああ、それでは会えるはずがない。彼を探していた時間は全くの無駄だった。だからスマホを持つべきなのだ。でも、仮に彼がスマホを持っていたとしても、私は彼に会おうと連絡を取ることはなかった気がする。
ああ、そうか。私もまた、彼との距離を計りかねていた。いざ顔を合わせれば昔の感覚のままに友人付き合いをできるけれど、スマホの画面越しとなると、なまじ文章の推敲ができるだけに、こんな文章でいいのだろうかと不安になるし、彼の顔を見ていないとどの程度踏み込んでも問題ないかが全く分からない。
心配よね、と繰り返す母の言葉に力ない返事を返しながら、私が考えるのは心配ではなかった。むしろ、彼にとっては不条理な怒りを覚えていた。
私は貴方をライバルだと思っていたのに、貴方は違うの?貴方は、私と進路について語って、頑張らないと、って思わなかった?それとも、重荷だった?余計なものを私は背負わせてしまったの?貴方は何でも背負い込んでしまうから。
スマホを睨む。彼からの返信はない。私はスマホを放り出して、諦めのまま勉強机に向かった。
一月が過ぎ、二月が過ぎる。センター試験と私立、公立大学の前期試験が終わった。滑り止めの私立はそれなりの手ごたえだった。公立は正直国語が怪しい。けれど、自分の成績なんてどうでもよかった。
後期の公立大学の試験を受けない私の大学入試は終わった。後は卒業だけ。だから、私は駅に向かって彼の姿を探した。手すりに体を預けて、フードまでかぶってコートで体を温めながら私は彼が通り掛かるのを待った。
私は、彼の家を知らない。彼との直接の連絡手段を持たない。高校時代の彼の友人を知らない。改めて考えると、私は彼のことを知らなさ過ぎた。仲間だ何だと言いながら、私は彼との距離を作っていたのだろうか。それとも、彼が私と、私たちと距離を作っていたのだろうか。
空を見上げる。花曇りの空。三月の空を覆う雲は、希望に満ち満ちた青色を私に届けてくれることはなかった。
白く染まった息が、風に吹かれて消える。いつまでも、いつまでも、私は彼を待ち続ける。
貴方を探して、私は駅で待っている。
だから、ねぇ――
――会いに来て。
――昔みたいにたくさん話そう。
続く言葉は、ホームに入ってきた電車の音にかき消されて、誰にも届くことはなかった。