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わたしが悪女と罵られることになった理由

作者: あさな

「君を愛することはない」


 見合いの席で、挨拶もなく、開口一番に吐き出された台詞。

 それを聞いてわたしは、わたしは――またか、と正直呆れた。


 君を愛することはない、と初手にかますというのが流行っているのかもしれない。

 最初の見合いから言われてきた。

 その彼は他に愛する女性がいたが、身分差があり大反対されて、勝手するならば家督は弟に譲り貴族籍を剥奪すると脅され、嫌なら両親が認める相手と婚姻することを強要されたのだ。わたしは「両親が認める相手」の条件に見合っていたので、立候補して会うことになった。

 だから、彼の現状をよくよく理解していた。

 わたしとしては、それで問題がなかった。結婚して互いに尊重し合い、歩み寄り、夫婦となっていくという道は大変そうだし、一層割り切った仮面夫婦である方が楽だと判断した。お飾りの妻として、離れでのんびり暮らしたかった。故に、むしろ彼は理想的な相手だった。

 わたしという妻を隠れ蓑にして、彼は愛する人と愛を育めるし、わたしも気楽に自由に人生を謳歌できる。互いの利を叶え、いいパートナーになれる。

 そう思っていたので、しょっぱなから「君を愛することはない」と居丈高に言われて、はぁ? となった。

 あなたは、愛する人と結ばれたいが、貴族をやめる覚悟もなく、だからお飾りの妻を娶ることにしたのだろう。ならばそれを協力してもらえるよう相手と交渉するべきなのに、何故そんな物言いなのか。あれか? ひょっとして、無礼な態度をとり、わたしから断りを入れられたいのか。そうやって見合い相手から悉く拒否されることで、両親も仕方ないと諦めてくれるのを狙っているのか。人の貴重な時間を奪い、無礼を働き不愉快にさせ、自分の望みを叶えようだなんて、随分なめた真似をしてくれるな。ふざけるなよ!!

 気づけばわたしはそう言ってキレ散らかしていた。

 いや、でも普通にキレる案件でしょう。

 わたしは、わたしを侮る人間に寛容になる気はない。

 すると、彼は急におろおろし始めて、弁明を始めようとしたが。


「ち、違うんだ! そうでは」

「違うん『だ』!? わたしとあなたは初対面ですけれど?」

「違うんです」


 彼が言いなおして敬語になったのを確認して、わたしは、ふん、っと鼻で笑ってから、まぁ聞いてやるという風にくいっと顎で合図した。腕と足を組み、椅子の背に寄りかかってふんぞり返りながら。


「けしてあなたを侮るとかそういうつもりではなくて……」

「そういうつもりではないなら、どういうつもりでなのか納得のいく説明を望みます。あなたの物言いからだと、『俺様に愛されて幸せな結婚生活を望んでいるのだろうが、俺様が愛している女は別にいる。お前なんて愛さないからな。自惚れるなよ。愚かな女め』という意味以外に考えられませんが、それ以外にあるなら、ええ、ぜひ」

「……」

「……」

「…………」


 はぁぁぁぁぁぁっとめいいっぱいため息を吐いて、わたしは軽蔑の目を向けた。


「あなたは過ちをおかしました」

「はい」

「それも二つも同時に」

「え」

「理解していないようなので、教えてさしあげますね。まず、先の発言はわたしがあなたの事情を知らずにいるという考えに基づいてなのでしょう。そうであるなら、何も知らず、あなたに愛されると期待しているわたしに冷水を浴びせかけたわけです。人として屑ですね。ですが、それ以前に、どうしてわたしがあなたの事情を知らないと思っているのかということです。見合い相手がどういう人間かぐらい調べる知能もないとあなたはわたしを判断したという、それ自体が大変な侮辱です。ええ、わたしは知っていましたよ。知った上で、それでもこの見合いを引き受けたのです。ですから、あなたはご自身の希望を礼儀正しく説明して協力を求めさえすれば、わたしも協力できることがあったでしょう……ですが、あなたはわたしという人間のすべてを侮り、高圧的な態度をとった」

「……」

「そもそも、何故こんな態度がとれたのか謎です。あなた、自分がいかに恥知らずな望みを抱いているかわかっていないのですか。身分違いの女性を愛した。それはいいでしょう。しかし、貴族をやめてまでその愛に殉じるほどの度胸もない。結果、お飾りの妻を娶り、愛する女を愛人にしようとする。控えめに言って屑ですよね。とはいえ、人間なんて強欲な生き物ですから、自分に都合がいい夢を抱くこともあるでしょう。そういう意味で、あなたの屑な望みを否定はしません。わたしだってそんなに褒められた性格ではないと自覚ありますし。ですから、屑であることはいいんです。ただ、ねぇ、己の望みがどれほど厚かましいかを理解していれば、もう少し殊勝な態度になると思うのですが、あなた、そういうものが一切ないでしょう。自身を客観視できていなさすぎてぞっとしました。……ええ、正直、わたしはね、結婚できない身分の女性を愛人にして、体裁を整えるための妻を貰うなんて、屑な計画を実行できてしまう相手でも、別によかったのですよ。ただ、それがいかに屑かを理解して、協力を求めるくらいの知性がないのは無理ですよ。流石にねぇ。屑か阿呆かせめてどちらかでないと。屑で阿呆なんて救いがないですもの」

「そんな、屑、屑と、連呼しなくても……」

「他に言いかえせないからって、言葉尻をとらえて非難ですか、プライドだけは高いのですねぇ」


 それがとどめになったらしく、彼は俯いて黙り込んだ。 

 わたしは注文していたケーキと紅茶を完食してから席を立った。


 当然だが、この顛末なので、見合いはうまくいかなかった。

 彼の思惑の通りになったことは釈然としないが、仕方ないと思った。

 しかし、何故かその後、彼の両親から大変感謝された。

 なんでもわたしと会った直後、しばらく塞ぎこんでいたと思ったら、「私はいかに甘やかされて生きてきたのか。義務を放棄して権利だけを主張する愚かさに気づきました」と言って、愛する女性との関係を清算し、貴族令嬢との見合いをして、誠実なお付き合いをしているのだとか。


「あなたが息子に説教をしてくださったと聞きました。誰が何を言っても聞かなかったのに……あなたのような方にこそ妻になっていただきたかったですが、あの子は自分では相手にされないと申しまして……たしかに一度はお断りを告げられましたし……ですが、どうしてもお礼だけは申し上げたかったのです。息子を真っ当にしてくださりありがとうございます」


 彼の母親から涙ながらにお礼を言われて悪い気はしなかったが、何故そうなったのかはよくわからなかった。怒りに任せて言いたいことを言ったが、それで改心するとか、もっと周囲の人間が厳しく言ってやれば案外聞き分けたのではないか、本当に甘やかされていたのだなとしか。


 それよりも、わたしが思うのは、言い返したりせず、あのとき黙って「わかりました」と言っていればよかったのではないかということである。

 そうすれば彼は屑のままで、屑な計画を履行して、わたしの望みも叶ったのではないか。

 いくら怒りを感じたからとキレたのは早計だった……と後悔した。次、同じことがあったら今度は冷静に「わかりました」と言おう。まぁ、流石に出会い頭からこんな無礼を言う人間は早々いないから、次はないだろうけれど。

 

 そう思っていた時期が、わたしにもありました。


「君を愛することはない」


 二度目の見合い相手がそう言ったとき、嘘でしょう、と思ったが、すでに経験していたおかげか、一度目よりも幾分冷静に、余裕をもって発言を聞けた。

 彼の事情を知っていたからというのもあったのかもしれない。

 彼は大変モテる。その上女好きで、誰か一人に絞るなんてできないという恋多き男なのだ。とはいえ、貴族としてきちんと結婚して家を繫栄させなければならない。だから、聞き分けのよさそうな令嬢と結婚して、自分は好き勝手しよう、と考えて相手を探している。ただ、モテるあまりに、どんな手を使っても結婚したいという令嬢もいて、過去に従順だと思って婚約したら泥沼になり、相手が死ぬ死なないと大騒ぎになって、なんとか無事に婚約破棄をしたらしい。もうあんな目に遭うのはごめんとばかりに、牽制の先制パンチを放ったのだろう。屑は屑なりに自己防衛しているのだな、とある程度の理解ができた。

 そして、わたしは、もし次があればと決めていた通りに「わかりました」と答えた。すると、


「本当にわかっているのか? 一緒に過ごすうちに絆されるだろうなんて甘い考えを持っているわけじゃないだろうね?」


 念を押してきた。


「それはこちらの台詞です。あなたこそ、きちんとわたしと仮面夫婦としてやっていけるのでしょうね。途中で撤回されたりすると困るのですが」


 若干イラッとしながら返すと、彼は驚いたように眉毛を上げた。

 なんだ、どういう心情だ? とわたしは訝しんだが、


「なら、婚約を前提に、しばらく様子見をしよう」


 そう申し出てきた。

 過去の失敗で、大丈夫とわかるまでは正式な婚約はしたくない……まぁ、そのくらいは付き合うべきか。今決めてと迫れば隠し事でもあり焦っているのかなどと誤解されそうだったので大人しくうなずいた。

 

 だが、これが間違いだった。


 あろうことか、それから彼はわたしと会うことを要求してきたのだ。様子見が、会って、話をしながら、問題ないかを確信するという行為をさすとは思っていなかったので、げんなりした。

 わたしが望んでいるのは仮面夫婦で、結婚しても関わらずに、離れで悠々自適の生活なのだ。彼とて、束縛されずに好き勝手遊んでも文句を言わない、ある程度の身分がある貴族令嬢を求めているはず。なのに、どうして会って話をしなければならないのか。これでは普通に関係性を築こうとする間柄と何も変わらないではないか。


「意味がない」


 だから、わたしは言った。


「これでは、意味がない。わたしたちが求めているのは不干渉な関係のはず。互いを知る必要などないのに、こうも頻繁に会うのは本末転倒でしょう」


 わたしの抗議に、しかし、彼は聞き入れる様子はなくて、むしろそれ以降は会う頻度を上げてきた。厳密には、わたしは求められた約束を全部拒否したので、一方的に押しかけてくることを繰り返した。

 なんなのか。新手の嫌がらせなのか。

 わたしは再び抗議をしたが。


「君を愛してしまったんだ」

「は?」

「君は気取らずに、ありのままの姿を私に見せてくれた。そんな君を愛してしまったんだ」

「わたしが気取らないのは、あなたに好かれようと思っていないからで、あなたが気取っていると感じている令嬢たちこそあなたが好きで一生懸命なわけですが。一生懸命努力している人の努力を認めることもせずに、何の努力もしていないわたしを好きとか、見る目がなさすぎでは?」


 努力が必ず報われるわけではないし、人を好きになるのに理由などなくて、それはとても理不尽なものだとも思う。しかし、である。そもそもわたしたちは互いに愛など求めないと初めから約束し合っていたのである。そうであるのに、手のひらを返された。手のひらを返されては困るとあれほど念を押していたのに。というか、先に念を押してきたのは彼であるのに――意志薄弱すぎでは? 

 第一、わたしが求めているのは、ドライな契約上の関係で、お飾りの妻として悠々自適な生活なのだ。そんな告白されても困るだろうとか思わなかったのだろうか? 自分が愛したといえば愛されると思っているのだろうか? そうであるならあまりにもわたしを馬鹿にしている。

 故に、彼との婚約を断ることにした。

 わたしは、わたしを侮る人間に容赦はしないのである。 


 こうして二度目のお見合いも幕を閉じた……はずだったが、その後、彼のファンという令嬢たちから「彼を振るなんて何様!?」とひどい言いがかりの非難や、彼の憔悴する姿を哀れんだ人々からは悪女だと噂されたりと迷惑をかけられた。

 何故そんなことになるのか。

 好きな相手とうまくいかなかった、などありふれた話であり、彼自身がこれまで散々振ってきた側ではないか。いざ自分が振られたら被害者ぶって、しかもそれを周囲が同情するとか理不尽すぎる。

 しかし、そう主張したところで、わたしの名誉は回復されないばかりか、面白がる者たちからかえって悪評を流されて将来に悪影響が出る。そうなる前に誰かと婚約してしまおうと考えた。

 そうして満を持して迎えた三度目のお見合いが、今、というわけなのだが……。


「えーっと、愛さないのは構いませんが、一つ確認をさせていただいても?」


 三度目ともなれば手慣れたものである。

 無礼な発言も、呆れる程度で受け流して、わたしは言った。

 彼は冷ややかな目を向けてきたが、何も言わないので、わたしの発言を待っているのだろう。一応は聞く耳があるらしい。


「あなたがわたしを愛さないというのは、女性が嫌いだからということで間違いないでしょうか?」


 彼の事情――女嫌い。

 幼い頃から容姿に恵まれていたせいで女性に付き纏われ、ひどいときは飲み物に睡眠薬や媚薬を混ぜられて、襲われそうになったりを繰り返した。自身で望んだわけではないのに、トラブルに巻き込まれ続け、嫌悪を通り越し、憎悪にまで至ったのである。

 本音では誰とも関わらずにいたいのだろう。だが、悲しいかな、婚姻してこそ一人前と見られるのが貴族社会だ。子どもは養子を迎えればいいが婚姻は免れない。そこで嫌々ながらもお飾りの妻を求めている。

 

 わたしはお飾りの妻を求める男性と三度お見合いをしてきたが、みんな求める理由が違っていて、一口に「お飾りの妻」といってもその存在意義は多岐にわたっているのだな、人には様々の悩みがあるものだな、と感慨にふけっていれば、質問の意図を理解できないのか、彼は秀眉を寄せた。

 言葉足らずだったなとわたしは続けた。

 

「女性が嫌いというのと、わたし個人を嫌悪しているというのでは、違いますから。……あなたがこれまでどれほどの女性に会ってきたのかは存じ上げませんが、あなたにとっては『女性』という存在すべてを否定してよいと思える数だったのでしょう。ですが、わたしから言わせてもらえば、わたしは何ら害する行為をしていないのに女性というだけで否定的な態度をとられるのですから屈辱です。全員がそうとは限らないのに短慮だなと思わざるを得ません。もっといえば面白くはありません。ですが、それでもあなたがわたしに向ける冷ややかさが、わたし個人への恨みや怒りではなく、わたしが女性であるから、あなたの過去の経験則からくるあなたを害した女性たちと十把一絡げにしているからと思えば、受け流すぐらいはできると考えました。ええ、けれどそのことはあなたにもきちんと理解をしておいてほしいと思います。つまり、はじめから否定的に見ていれば、些末なことでも揚げ足をとろうするのは往々にしてあります。婚姻生活を送るにあたり、必要あれば夜会への同伴など、関わらなければならないタイミングがありますが、その際に、女性への嫌悪をわたしへの嫌悪に摩り替え、わたし個人への攻撃にされるのは迷惑ですから。その辺の感情の処理はきちんとご自分でなさってくださるのですよね?」


 基本的に結婚後も関わるつもりはないが、お飾りの妻として必要最低限の社交はこなすつもりではいる。義務を放棄しておいしいところだけ貪ろうなんて都合のいい考えはしていない。ただ、面倒くさいし、できればやりたくはない。やりたくないことをこなす上に、彼から八つ当たりまでされては割に合わない。それは契約には含まれないことをきっちりと話をつけておきたかった。


「短慮だって!? 私の苦労も知らないくせに」


 しかし、彼が反応したのはまったく別の部分だった。

 短慮に反応ということは、自分を思慮深いとでも思っているのか。思慮深い人間が初手で「愛するつもりはない」など言うわけがないでしょうが。

 

「あなたの苦労なんて知りませんよ。どうしてわたしがあなたの苦労に寄り添わなければならないのですか。反対にお聞きしますが、初対面から横柄な態度で『愛する気はない』なんてくだらない発言を浴びせてくる人間を、ああこの人は苦労して大変だから優しくしなくちゃなんて考えてもらえると思っているあなたの思考がまともだとでも?」


 自分は被害者という立ち位置でしか話せないほど疲弊している。それほど辛い目に遭ってきた。なんて可哀想なのかしら……などと同情する人もいるのかもしれない。彼は美形だから、美形が悩む姿は同情を寄せやすい。それはつい先日経験したばかりである。彼もまた、そうなのだろう。更には本人自身が、被害者だから優しくされて当然だし、多少傲慢でも許されると思っているし、きっとそれが通用してきたのだろうことは見て取れた。唇から自然と乾いた笑いがもれる。


「それに短慮なのは事実でしょう? あなた、わたしを個人としてまっさらな目で見ることなく、自分を欲望の眼差しで見る鬱陶しい女性たちのうちの一人として接しているじゃないですか。女性という前に、同等の人間として、敬意を持ってはいないでしょう? それとも、きちんと見た上で、わたしに『愛することはない』など言ったのですか。あなたに愛されたいとも思ってもいない初対面のわたしに?」

「それは……」


 三度目の正直、今回こそはと意気込んでは来たけれどじわじわと、この人はないな、と脳裏に浮かびはじめていた言葉がくっきりと明確になった。


「あなた、たしかに女性たちに嫌な目に遭わされてきたのでしょう。でも、それと同じだけ、親切にもされてきたのではないですか。あなたの傍若無人な振る舞いも、過去の出来事を鑑みれば仕方ないと寛容されてきたのでしょう。あなたの傍にはそういう優しい女性たちもいたわけです。そのことにも気づかず、被害者意識ばかりを肥大させて、傲慢になったのですね。わたしはわたしを侮ってくる人間に寛容になるほど優しくはありませんから、わたしと無関係なところで傷ついた心を癒すために嬲られる真似を許容しません。少なくともあなたはわたしにとって害悪です」


 やっぱり、お飾りの妻を求めるなんて者はどれほど正当っぽい理由を並べたところで屑でしかないのだ。わたしはようやくここにきてその事実を実感した。

 屑でもいいと、それで楽ができるなら万々歳ぐらいに思ってきたけれど、屑は屑でしかなくて、たとえ関わりを少なくしたところで、わずかに関わるその時間が不愉快なものであり、それが継続的に未来永劫絶対に続いていくというなら、生活クオリティとして果たしてどうなのか。それならば面倒がらずに真っ当に人との関係を築くか、独り身でいる方が穏やかで幸福に過ごせるのではないか。

 わたしもまた早計だったのかもしれない。


 こうして、このお見合いも終わりを迎えた。


 が。


 一週間後、彼から連絡がきた。

 先日の件を詫びたいとの申し出に、わたしはそんな必要はないと返事をしたが、すると、断れない筋からの仲介を受けてしまい、しぶしぶ会うことになった。


「申し訳ありませんでした」 


 まるで別人のように礼儀正しく謝罪を受けて、わたしは訝しんだ。すると、彼は苦笑いを浮かべる。


「あなたに言われたことを、あれから考えていました。あのように言われたことがなかったので、最初は腹が立ちましたが、冷静になるほど、その通りでした。私は女性をすべて嫌なものと決めつけて、何もされていない人にも失礼な態度を取り、それを自己防衛のためと信じてきたのです。そのくせ、身勝手にも妻を必要とし、私は相手を尊重しないのに、相手には私の望みを聞くようにと、そんな関係を強制しようとしたのです。あなたが怒るのも当然です。本当に申し訳ありませんでした」


 彼はもう一度頭を下げた。

 口調も、態度も、本気で反省しているのが伝わってきたが、それ故に何故? と首を捻るばかりである。

 正直、あのときわたしが告げたのは、一つの見方として事実だとは思うが、だからといって正しいものでもない。彼がわたしを尊重してくれないなら、わたしもあなたを尊重しないというのは、幼稚ともいえる。おそらく、これまで彼を本気で心配してきた人は、その心の傷を思い、無闇に傷口を広げないよう、様子を見ながら、時間を尽くしたりしてきたのではないか。一方のわたしは、彼と今後関わるつもりもないからこそ、デリカシーもなく言いたいことを言った。それでまた彼が傷つき女性への偏見を強めたとして、品のない言い方をすれば、知るかバーカ、くらいの無慈悲さで言い放った。そんな言葉で反省したと言われても戸惑いが大きい。


 ……そういえば、最初のお見合い相手もこんな感じになったとか言っていたわね?


 あの彼とはあれから一度も会っていないが、人が変わったようになったと聞いている。

 あの彼も、そして目の前のこの人も、何故、本当に大切に思ってくれている人の言葉は届かず、わたしのような無責任な人間の言葉に自分を振り返ってしまうのか。

 見る目がないのだろう。

 見る目がなく、愛が何かもわからないから、意味不明なものに囚われてしまうのだ。

 そう思うと、哀れに感じられた。 

 どれだけ愛されても、それを受け取る感性がなければ、必要なものが見えないのだ。


「謝罪は受け入れます」


 わたしは言った。

 この人も、まだこれからがある。今から真っ当な関係を築いていける環境になればよいなぁ、くらいには思ったが。


「ならば、私と改めて交際をしてくださるんですね」

「そうはならないでしょ」


 頭で考えるよりも口が動いた。


「あなたは、今回のことで、女性とも人として接していこうと思ったのですよね? それなら、入り口で躓いたわたしとではなく、真っ新な相手と最初からはじめた方が建設的でしょう」

「いいえ、私はあなたがよいのです」

「いえいえ、わたしよりもあなたに見合う人はいますよ」

「そんなことはありません。あなたほど素晴らしい人はいません」

「いくらでもいます」

「ご謙遜を」


 謙遜でもなんでもない。事実である。たぶんこの人は、頭に血が昇って前後不覚状態なのだ。ある種の覚醒を経験し、そのきっかけをたまたま与えたわたしを、ひよこの刷り込みのように、重要人物と錯誤している。少し冷静になればわかってくるだろうけど時間が必要なのだろう。それはもう日にち薬でしかないから、それよりも問題は現状をどう乗り切るかだ。もう帰ってしまおうか。そして、あとは一切会わなければ……。


「……え、誰、その男。どういうこと?」


 よく通る声がした。

 振り返ると、知った顔があった。――二番目のお見合い相手である。わたしは一瞬で血の気が引いていくのを感じた。


 また、ややこしいのがきた!


 彼からは今も恋文……というより泣き落としのような手紙を送りつけられている。当然無視をしているが、返事がなくても構わないらしく毎日くる。なんなら朝昼晩とくる。


「僕には会ってくれないのに、他の男とは会うなんてひどいじゃないか」


 そして、人聞きの悪いことをいう。


「え、どういうことですか? 彼とはどのようなご関係ですか?」

 

 それを受けて、説明を求められる。


 わたしは何もやましいことはしていないし、そもそもそんな風に追求される関係では誰ともない。なのに、どうしてこんなど修羅場みたいなことになっているのか。

 しかし、黙っているわけにもいかない。

 そうでなくとも目立つ二人である。これ以上、悪目立ちは御免被りたい。


「こちらはあなたの前にお見合いをしてお断りをした方で、こちらは最近お見合いをしてお断りをした方です」

 

 口にしてみれば、まったく、わたし、責められる関係性ではないな、と思う。なにを気弱になっているのか。弱気になる必要などない。


「というわけで、わたしは、帰ります」


 弱気になる必要はないし、責任を感じる必要もない。何故なら、二人ともなんの関係もないのだから。面倒ごとからは逃げるに限る。


 そうして、わたしは店をあとにした。わたしがいなくなれば揉める理由も無くなるだろうし、素晴らしい解決策だと信じた。もしかして追いかけてこられるかも、それは嫌だなぁと思ったが、素早く動いたおかげかそれもなく安堵した。


 だから、知らなかった。


 わたしが逃げたあと、あの二人が、自分こそがわたしの相手に相応しいと言い合いになっていたことなど知らない。それを大勢が見ていて、面白おかしく吹聴されることになるなんて知らない。それを聞いた、彼らに思いを寄せる令嬢たちが徒党を組み、わたしを罵りにくる未来が待ち受けているなんて知るよしもなかった。

読んでくださりありがとうございました。


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