84.休暇前
「休暇♪休暇♪おやすみよ〜、手づかみしちゃうよ食べちゃうよ〜!フフンフフン♪」
「クスっ、シャロン様お上手ですね。初めて聞く曲です」
…あ。
「…出てた?私声に出してた?」
「「バッチリ出ておりました」」
しまった…。おかしいな、頭の中で歌ったはずなんだけど…。
「この数日間殿下がお仕事を詰め込まれていらっしゃるから、お寂しいのですね」
「そっかぁ、だから姫様ご自分を励ますために謎の歌を………」
「…………うん」
あの朝食の席でドレイク行きをお願いしたところ、ウィルの顔色がサッと変わって、なぜか一緒に行くって言い出した。
『シャロンがお世話になった人にはきちんとご挨拶しなきゃね』
とか何とか言って、朝も夜もなく仕事を詰め込んでいる。…体壊さないといいけど。
ライ師匠に会ったらウィルもきっと好きになると思うな。…はっ!好きになったらダメだけど!
「さあシャロン様、今日は休暇前最後の講義ですよ。頑張りましょうね。…数学です」
「ぐっ…!」
こればっかりはもうどうしようもない。一番進みが遅いから、最近はほぼ毎日さんすうだ。
「でも今日は頑張れる!掛け算も合格してみせる!!」
「まぁ!フフフフ、頑張ってくださいませ」
「あ、シャロン見つけた。…何死にそうな顔してんの」
宮殿の講義室からの帰り際、長い廊下でテリーに会う。
「テリー…知ってた?ゼロって…何を掛けてもゼロなんだって」
「………君が知らなかったんだとしたら、それこそ驚愕なんだけど」
「何で掛けるのにゼロになるの!?掛けたものはどこに行くの!?」
「…ああ、うん。どこに行くんだろうね。…魔女には難しい問題だよね」
ああ何ということだ。
あの日…記憶を消したウィルと廃墟で会った日…!知らぬ間に大恥をかいていたなんて…!
「まぁ、そんな事はどうでもよくてさ、明日ドレイクに行くんだって?」
「どうでもいい…?こんな、こんな世界が一変しそうな大事なことが…!!」
「はいはい。それでちょっと……部屋で話そう」
「?」
そう言えば周りには忙しそうに歩き回る制服姿がたくさんある。
男の人も女の人も水色だ。
「…人に聞かれるとマズイから」
……?念話すればいいのに。
「あのねぇ、廊下につっ立って念話する事ほど不自然なことはないでしょ!!」
「…そうか!」
「はぁ〜………。シャロンに必要なのは講義とかじゃないんだよ。脳味噌の使い方とか、そういう根本的な……」
「…なによ」
私の部屋に来るなり、テリーが人払いするように言った。
よほど大切な話のようだ。
「とにかく!いい、しっかり聞いて。わからなかったら逐一質問する!いいね!」
「う、うん」
人型のテリーが人差し指を立てて、教師みたいな立ち姿で喋る。
「君は明日ドレイクに行く。ウィルも一緒に。でもこれはお忍びだ」
「お忍び…?」
「そう、内緒で行くってこと」
内緒?
「どうして内緒なの?ドレイクはフェザントの中でしょ?」
テリーが溜息をつく。
「はぁ…。あのね、ドレイクは王都からすっごく遠いんだ。王都はフェザントの西端、ドレイクは東端、馬車でひと月かかる」
「ひと月!?」
「そう。ウィルの車では行けない。途中で燃料を入れられなくなるから。つまり……」
「つまり……」
「転移して行くことになる」
………?
「んー?え、最初からそのつもりだったんだけど…?」
お猿…じゃない人型のテリーが青筋立ててる。何とも師匠に似てきたな…。
「…シャロン?君はどうでもいいとして、いや、もはやどうにもならない立場なんだけど、ウィルが誰にも知られずに出かけられるわけないでしょ!!」
「…え?」
「ウィルが動くって事は、人がたくさん動くんだ。だけど今回はそうはいかない。だからお忍びだ」
「ウィルは…一人で動けないの?」
「そうだよ。この王太子宮の中だけなんだよ。自由に歩けるのは」
「……!!」
「…君はまだ宮から出ないからね。とにかく、明日のことについて説明する」
ウィルは…自由に歩けない?
ここはウィルの家なのに?
ウィルが呟いた〝羨ましい〟が何を指すのか、その輪郭がぼんやりと見えた瞬間だった。




