72.家出
「なんだい、ただの家出娘か。ったく人騒がせだねぇ」
威勢のいい女の人は、名前をライラというらしい。
町では鍛冶屋のライで通っているという事で、ライと呼べということだった。
チャキチャキの職人さんだ。
「家出ってのはね、子どものやる事だよ。大人の真似事がしたい駄々っ子が、親に心配かけて終わるだけの遊びだね」
ライさんの鍛冶屋で、なぜかビールを注がれている。
「ホラ飲みな。大人なんだろ?ぐいっとやりな!」
「ぐ、ぐいっと……」
実はわたくしシャロン、散々大人を自称してきたが、お酒を飲んだことがない。…マズそう。
「なんだ、やっぱり子どもじゃないか。子どもは家に帰ってママゴトでもしてりゃいいんだ」
むむむ…。せっかく大人の姿になったのに、なんか負けた気がする……。
「どりゃー!!ゴクゴクっっ……うぇぇぇぇ」
マズい!マズすぎる!!これなら毒消し薬の方がマシだ!!
「あっはっはっは!!あんた馬鹿だろ!!」
……ここでもそれか。
「で?何で家出なんかしたわけ?あんた良いとこのお嬢だろ?」
イイトコノオジョー…?
「いえ、シャロンです。最近シャロン・クレスト…マクベルクになりました」
ライさんが目を大きく見開く。
「シャロン?本物の?」
「…?偽物がいたんですか?」
「……ははあ。まいったねこりゃ」
ライさんが手を額にあてて溜息をついている。
「あのー…ライさんは一人で鍛冶屋を?」
「あ、ああ、まあね。元は旦那がやってた店なんだ」
元は…?
「旦那さんは……」
「死んだよ、8年前に。出会った頃からすでに病気でね。ここいらは見ての通り医者なんていやしないだろ?あっけなかったもんさ」
出会った頃から病気…。
「あ、そろそろ時間だね」
ライさんが時計を見る。それとほぼ同時に店の扉が開いた。
「ただいまー。あれ?母さん、お客さん?」
「お帰りショーン。そうだよ、お客さんだ。上にオヤツ用意してあるから、手洗って食べな!」
「やった!それじゃあ失礼します」
行儀よくペコリと頭を下げた男の子の背を見送る。
「ライさん、今の男の子って…」
小さいけれど、賢そうな男の子…。
「ああ、息子のショーンさ。…忘れ形見ってヤツだね」
「忘れ形見…?」
「そうさ。あの子が産まれたのは、旦那が死んだ後だったからね」
「ええっ!?」
忘れ形見…って言うんだ。じゃあ私も…忘れ形見?
「…ライさん、ショーン君を産むの…怖くなかったの?…嫌だって、思わなかった?」
ライさんが私をじっと見つめる。
「怖かったよ。怖かった。あの頃私もまだ若くてね。一人で育てられるのか、まともに親なんてできるのか悩んださ。でも…あの子は旦那が生きてた証だろ?旦那がやり残したことを、きっとあの子に託したんじゃないかと思ってね」
やり残したことを、託す……。
「…託された人間は、どう生きればいいのかな。何をやったら…いいんだろ」
ボソッと呟くと、ライさんが豪快に笑う。
「あはは!若者は自分の人生を目一杯楽しんだらいいんだよ。で、人生に少し足りなかったものは、あんたがまた未来に託せばいいんだ」
「私が…未来に託す」
「そうさ。人生は短いんだ。私らに出来ることなんてせいぜい一つか二つだよ。一つだけでも…覚悟を持ってやればそれでいいんじゃないか?」
「…ライさんがショーン君を育ててるように?」
「そうそう。シャロン、ホラ飲みな!」
「うっ…にっが」
「はいはい大人の仲間入り〜!田舎の安酒で悪いけどね!」
田舎……。
「あっ!!しまった!ライさん、ここってどこですか!?」
完全に忘れてた。私ほんとに家出してるんだった!のんびりお酒飲んでる場合じゃない!!
「ここかい?ここは知っての通り、フェザントとクレインの国境さ。東の湖の先がクレイン…泳いで帰るのはオススメしないね」
国境………!!
いや、ちょっと待て。
「え、帰る?どこに?」
「はー?あんた結婚が嫌で国に帰ろうとしてんだろ?見た事すら無いけど、うちの王子ってダメンズ?」
だめんず…?
「ウィルがだめんずだと私は国に帰るの?」
「…は?」
「…私はクレインには帰らないから、多分ウィルはだめんずじゃない。…私が多分だめんず」
「…なんか…おもしろそうじゃないか!!ちょっと話してみな!!」




