39.約束
人間の医師はすごい。
あんなに痛かった頭も、燃えるように熱かった体も嘘のように元に戻り、私に日常が……戻って来ない。
「ちょっとちょっと、どうしてウィルくんは中に入れるのに、私が結界の外なんですか?この、私が!!」
「シャロン、知ってる人?」
「どうでしたかね。長く生きてると物忘れが激しくて」
「はいはいはいはい、そこ。何度も説明しましたよ!私はシャロンがまだ豆粒だった頃から必死に育て上げた、えら〜い師匠です!そしてクレインの国防大臣で首相補佐官で外務副大臣のグレゴリー・マクベルクですよ!」
「…だって」
「いえ、私が知ってるグレゴリー・マクベルクは、美少女人形のコレクションを何よりも大事にしている変態です」
「シャロンが全部壊したでしょう!!」
とにかく騒がしい師匠は、私の件とは全く別の用事でフェザントに来たらしい。
というか師匠がそんなに仕事を掛け持ちしているとは知らなかった。いつも邸にいて美少女人形を愛でていた気がするんだけど。
「まぁ冗談はさておき、ウィルくん、真面目な話があります」
「…なんでしょうか」
「車はどこで手に入りますか?」
「お引き取り願ってもよろしいでしょうか」
「嘘です。ここにいる間に例の話がまとまりました。お時間頂いても?」
「…わかりました。すぐに行きます。ディノ、グレゴリー殿を執務室に案内して」
「はっ!」
あーあ、ウィルは多分師匠に目をつけられた。
かわいそうに……と、少しばかり同情の目でウィルの背中を見ていたらクルッと顔がこちらを向く。
「シャロン、君はもうしばらく休むように」
「えっ!!私もう動ける…」
「だめ。自分で気づかないだけで、体はまだ休みを欲しがってるよ」
「えっ?どうしてわかるの?」
「わかるよ。食事…残してるでしょう」
「!」
行儀が悪いとは思ってるけど、実はその通りだ。
おいしいはずのウィルの家の料理が喉を通らない。
「シャロンに食欲が無いなんて異常事態だよ」
「…そうなのかな。でも私静かにするの苦手だから、魔法が届く範囲の掃除くらい……」
ウィルがふうっと溜息をつく。
「……じゃあこうしよう。シャロンが今日一日ベッドで過ごせたら、王都で一番のレストランに連れて行ってあげる。フェザントだけじゃなくて、世界中の料理が並ぶよ」
せ、世界中の料理ですと…!?
「もしかして…透き通る魚の料理も…!?」
「透き通る…あぁ、なるほど。そうだね、出すように伝える」
「ほんと!?子どもの頃読んだんだ!透き通る魚を食べる国があるって!!楽しみ〜!!」
「ふふ、どう?一日ちゃんとベッドで過ごせそう?」
「もちろん!よく考えたら難しい本読めばすぐ寝られるんだった!」
ウィルが目じりを下げる。
「じゃあシャロン、約束だ」
そう言って右手の小指を差し出してくる。
「約束…?」
「そうだよ。透き通る魚の国の文化だよ。ほら、シャロンも指を出して」
言われるままに右手の小指を差し出す。
「はい、約束」
ウィルがそう言いながら私の小指と自分の小指を絡めた瞬間……
私の心臓に、ものすごい熱さでもって何かが刻まれた。
パッと小指が離れる。
ウィルの顔を見上げる。
「ウィル……今何か感じた?」
「そう…だね。何だろう、何か温かいものが流れてくるような……」
温かいもの?熱いものじゃなくて?
「痛くなかった?このあたりギュッとならなかった?」
私は心臓のあたりで拳を握る。
「…いや?大丈夫だよ」
「そっか…それならいいの」
何も無いならそれでいい。
もう一度ウィルを見上げる。
「ウィル、師匠のところに行って!…あの人一人にするとロクなことにならないから」
ウィルが笑いながら言う。
「そうだね、シャロン以上に強烈な人みたいだし」
「…どういう意味よ?」
「ははは!じゃあ行くね。約束…守ってね?」
そう言ってウィルは扉を出て行った。
「約束……」
小指をじっと見つめる。
絶対に何かが起きた。
感じたあの熱さは普通では無い。
魔法…よりも呪いに近いような…。
やるしかないか…。
大きく体全体で溜息をつく。
私は一緒に修行にやって来た鞄を引きずりながら、彼との約束通り、ベッドの上にドンッと座った。




