18.お元気で
「大変…申し訳ございませんでした」
僕は今、目の前で猿に土下座されている。
ここは僕の邸の僕の部屋。
許された者しか入ることができない僕だけの空間。
ここに…2人+1匹で帰って来たはずだった。
そう、土下座されているだけなら訓練された猿だなと感心するだけで済んだだろう。
だがこの猿…いや…彼…は、喋ってる。
あの高い鳴き声よりはやや柔らかい、幼い子どものような声で。
「窓辺で本読んでたら気持ち良くなっちゃって。どうやら昼寝しちゃったみたいなんだよね。ほら僕夜行性だし。気づいたら猫に咥えられて、誘拐される途中だったってわけ」
「ってわけ、じゃないでしょう!!」
ペシリッッ!!
「ったー!何すんのさ!」
「何すんのさ!じゃないの!私がどれだけ心配したと思ってるのよ!ウィルにも迷惑かけて…。ウィル、本当にうちのお猿が申し訳ございませんでした。あんたも心の底から謝りなさい!」
「…なんだよ。だいたい猫が入り込むような邸の警備体制が…ブツブツ」
パシーンッッ!!
「ったー!わかったよ!ええと、公爵閣下におかれましては、私のような取るに足らない猿を助ける為に御足労いただきました事、誠に感謝の念に耐えません。しかしながらこの小さき猿の身、御恩をお返しするには甚だ微弱な存在でございます。つきましては…うちの飼い主が閣下の恩に報いる用意があるとの事。後の事は…この者に何なりとお申し付け下さい」
「は?テリーそれ何の呪文?」
そして恐らくこの猿は……主人よりも賢い。
「二人とも、もういいから、とりあえず一度落ち着こう。僕もこの短時間であまりにも大量の情報が頭に入って来て、正直いっぱいいっぱいだから」
いっぱいいっぱいどころの話じゃない。何度も頭の中の接続回路が途切れかけた。
しばらく黙りこくっているシャロンとテリーを観察していると、どうやら二人が目を見合わせて何事かを伝えあっている。もしかするとこの二人は、声を出さずとも会話ができるのかもしれない。
シャロンが近づいてくる。
「ウィル…私の正体…気づいちゃったよね?」
これは…答えが一つしか無いパターンの質問だ。こう答える以外に回答があるなら教えて欲しい。
「…そうだね」
「そうだよね…。ごめんなさい、私のせいで。…怖かった?」
怖かったか…。そうだな、不思議と恐怖はなかったな。
「怖くは…なかったよ」
むしろ…楽しかった。
薄く紫がかる瞳が揺れる。
「ウィル…私この国に来て、あなた以外に名前を呼ばれた事なかったの。あなたと…ディノね。誰とも関わらないつもりだったから。悲しい事もあったけど、楽しい事もたくさんあった。…ありがとうございました」
どうしてこのタイミングでそんな言葉を?
まるで…別れの時のような…
「たくさん混乱させてごめんなさい。いらない記憶は…私が持っていくから。あなたはあなたの日常に戻って」
紫の瞳に涙の膜が張る。
ああ、なるほど。なぜテリーが僕の前で話してみせたのか、ようやく理解できたよ。
最初から…消すつもりだったんだ。僕の記憶を。
君はそれでいいの?
僕が君を忘れても、それで構わない?
そんなに…君にとっては通りすがりのような人間だった?
悔しいな…。まだ名乗ってもいないのに。
君はいつまで、僕のこと、覚えていてくれるのかな…。
「ウィル…お元気で」
誰かの額が、僕の額に触れた…ような夢を見た。




