51話 禁忌(2) told by サラーサ
引き続きサラーサ視点です。
廊下を進むと目的の部屋はすぐに見つけられた。
「これは・・・酷いわね」
カーペットに横たえられた衛兵は浅い呼吸を繰り返し今にも死にそうだ。
取りあえず止血は出来ているようだけれど、無造作に焼き塞がれた胸の刺し傷は見るのも痛々しい状態だ。
よく見るとカーペットを含め床一面には複雑な魔法陣が書きなぐってある。おそらく治癒魔術が不得意だと言う彼女が精いっぱい努力した後みたいだ。少し気になったが、ゆっくりしている時間はない。早々に机の上に置かれていた私の宝石箱を見つけ、中から取りだした魔薬を腕に突き刺した。
異物が体に入ってくる感覚に悪寒と軽い眩暈が襲いかかってくる。もう慣れてしまったが、学園に来てから一体何本の魔薬を使っただろうか・・・・
予備に魔薬をもうひとつを取り出すと、箱から魔薬は無くなってしまった。もう少しあったと思うけれど、彼女が使ったのだろうか?
いつもなら魔薬を注入した痕を治癒魔術で消していたけれど、今はそんなことをしている猶予はない。魔力の充填を確認して、急いで衛兵の治療を始める。
「ヒーリング」
治癒魔術は体に流れる魔力からその構造を把握し、修復する術式になる。壊れた細胞を魔力の記憶する形に直し、失った物を再構築する。目視できる怪我は比較的簡単に済むけれど、体内に関しては人体の構造に理解がないと困難を極める。という私も大雑把な所までしか理解できていないのだけれど、幸いなことに肺以外の臓器は傷ついていないようだ。
焼けただれた皮膚を治療し、肺が癒着しないように注意しつつ傷口を引っ付け、血液の複製を促していく。本当であれば肺に溜った血を抜くべきなんだろうけれど、私の力では難しい。
浅かった呼吸が落ち着き、傷の回復と共に衛兵の顔色がよくなり始めた。危機的な状況は避けられたみたいだ。
ふと床を見ると、割れた魔薬の容器が転がっていた。描かれた円の中にあって、魔法陣への魔力供給に使用されたみたいだ。よく見ると幾重にも魔力を精製する魔法陣が書かれている。よほど彼女は魔薬が嫌いらしい。
そう思いかけて、ふと彼女が1日中魔術を使い続けられるような大量の魔力を持った学生だったことを思い出す。こんな魔薬なんかに頼らなくても、少し呼吸を整えるだけで同程度の魔力が補充されるはずだ。一体彼女は何を考えてこんな魔法陣を描いたのだろうか?
そう思って魔法陣を見つめ直そうとしたところ、音もなく扉が開いた。
「どうじゃ?」
僅かな間をおいて彼女が顔を出した。
「心臓に悪いわ、ノックぐらいしてよ!」
カナミか他の襲撃犯が来たのかと思って、思わず息を止めていた。
「ふむ、治療は順調そうじゃの、流石優等生様じゃ!」
「私なんかのどこがよ」
彼女もまた私より上のSランクだ。私に多少優れたところがあったとしても、嫌味にしか聞こえない。
と、彼女に続いて扉から血まみれの衛兵が入ってきた。酷いありさまだが、歩けるということは思いのほか傷は深くないのかもしれない。
「他にも生きてる衛兵がいたのね! 早く治療を――――」
そう言いかけてその様子が明らかにおかしいことに気づいた。開ききった瞳孔に青白い肌、胸に開いた穴からは反対側が見えてすらいる。
「その人から離れて! もう手遅れだわ!」
文献でしか知らないとはいえ、生気を感じさせないその様相はまさにアンデットだ!
「アイスラ――――って、何をしているの!!」
魔術で攻撃しようとした私の前に彼女が立ちふさがった。
「待つのじゃ! 折角丁度良いのを見つけて連れて来たのじゃ、壊されてはたまらぬ」
「連れて来た? 一体何を言ってるの!? アンデットはその存在だけで周囲を汚染する可能性があるのよ!」
人型の魔物は知能が高くなる傾向があるから忌避されるが、それ以上にアンデットは周囲の魔力を汚染し、新たなアンデットを生む恐れがあるとされている。未だに原理は解明されきっていないが、汚染された魔力は魂を蝕み、死んでいない人間をも肉を貪る怪物と変じさせるらしい。
「これは味方・・・・とわ言わぬが、我にも汝にも危害を加えぬ存在じゃ」
「そんな保証がどこにあるっていうのよ!」
人を襲わないアンデットが居るなんて聞いたことがない。
「それより急がぬと不味い、汝よ、今すぐ着ている服を早く脱ぐのじゃ!」
「着ている服を? なぜ???」
唐突な話に困惑する。
「準備を終えたら教えてやる。我はこやつの服を剥ぐから汝は・・・・はよ足の治療をしてから服を脱ぐのじゃ。間違っても服を破いたり、それ以上汚すでないぞ」
足の治療と言われて、カナミに斬られた足を止血もせずに放置していたことを思い出した。恐る恐る目を向けた先には、氷が溶けて目を背けたくなる勢いで血が流れ出している足があった。
一瞬意識が遠のく。
「汝・・・・サラーサといったかの、今気を失われると困るのじゃ」
ペチペチと顔を叩く手に故郷の弟たちにされた悪戯が重なり、何とも言えない微睡みに沈みそうになる。
「アンデットになってしまうぞ」
「ふんぬぅ!!」
彼女の言葉を聞いて根性で目を見開く。アンデットになるほど不名誉で親不孝なことはない。
すぐさま懐から予備に取った魔薬を取出し腕に突き刺す。間隔を置かずに使用するのは良くないらしいが、そんな余裕もない。いつもより強く感じる悪寒に不安が増す。魂が汚染されると言うのはこういう感覚なのかもしれない。
注入を確認してから足の傷に治癒魔術をかける。傍らでは彼女が、私と背格好の似た衛兵のアンデットから衣服を剥ぎ取り破り捨てていた。私も服を脱ごうとして、ふと過った疑問を口にした。
「この服を脱いだ後に私が着る服は?」
衛兵の着ていた服は既に原形をとどめていない。
「下着があれば十分じゃろ。これが終わったら、こやつに汝の服を着せるのじゃ」
「ちょっと待ってよ! それじゃ私痴女みたいになるじゃない!!」
私の抗議を無視して、彼女は宝石箱から握り拳大の石を取り出した。あれは私が竜騎兵の詰所から回収した封印石だ。セルバウルの新兵器に使う材料だと聞かされていたけれど・・・・
何をするのかと私が見つめる前で、彼女は躊躇することなくそれをアンデットの胸の穴に押し込んだ。1つでは飽き足らず、宝石箱から封印石を取り出しては次々とアンデットの胸へと詰めていく。
突然のことに一瞬言葉を失ったが、あまりに凄惨な光景にすぐさま止めに入る。
「止めてメイ!」
アンデットになったとはいえ元は国を守っていた衛兵だ、死者の冒涜も甚だしい。
「こんなこと、とてもじゃないけど許されることじゃないわ!」
過去の事件は事故でそんなことをする子じゃないってエリルからは聞いていたけれど、この様子だと命の大切さを理解しない禁忌、死霊魔術師そのものだと言わざるを得ない。
彼女を止めようとしてその手を掴んだ。次の瞬間、何処からともなく取り出された杖が私の喉元に突き付けられていた。
「死にたいのならそう言うがよい、服を着せ替える手間が省ける」
底冷えするような声にふざけている様子は一切ない。
「うぅっ、わかったわよ・・・・」
今、人の道を彼女に説いたところで、この危機を脱せられなければ意味はない。ましてや姿を消すことができる彼女がこんなところで苦心しているのは、私やエリルのためなのかもしれない。そう考え、諦めて服を脱ぐことにした。
やがて作業が終わり、私の服を着せられたアンデットはフードを被ると私にそっくりな様相となった。その姿に心を痛める私の横で、彼女はアンデットに向けて呪文を唱え始めた。
―魂亡き人型よ、我が命に従い使命を果たせ―
彼女の詠唱が終わると、棒立ちだったアンデットは人間のような素振りをして部屋を見渡し、転がっていた鉄棒を拾い上げて部屋から出て行った。
「一人で行かせて良いの?」
「かまわぬ。放っておいてもおおよそ役目を果たしてくれるはずじゃ。あとは――――」
そう言って彼女が私の方を向いた瞬間、彼女の右肩が炸裂して鮮血を撒き散らした。
「なっ!?」
ついに追っ手が来たのかと思い慌てて扉の方を見るが、誰かが入ってくる気配はない。
「ちぃ、エリルの奴めしくじりおったのじゃ」
滝のように血が流れ出しているのも関わらず顔色一つ変えない彼女に恐怖を覚えるも、傷が傷だけに慌てて彼女の元に駆け寄る。
「一体何が起きたっていうのよ!?」
治療をするために裂いた服の下を見て絶句する。肩の肉が裂けて骨まで見えている。すぐさま治癒魔術を使って出血を抑えるが、魔力が足りず殆ど治療することができない。
「身代わりという秘術じゃ。なに、痛みはない」
聞いたことのない術だが今はそんなことを気にしている場合じゃない。
「馬鹿じゃないの! さっき痛みがなくても放置したら腐り落ちるって言ったのは貴方でしょ!」
彼女に保身という言葉は無いのだろうか、怪我の度合いに対してあまりの無頓着な様子に頭を抱えたくなる。
「もう十分じゃサラーサ。準備はできたのじゃ、急ぎホールへ向かおうぞ」
「準備って、そんな体で動いたら貴方死ぬわよ!」
私を躱して部屋から出ていく彼女を追いかける。どこにそんな体力があるのかと思うほどしっかりとした足取りで廊下を進んでいく。
「片腕が取れかけてるあなたと魔力が枯渇寸前の私が行ったところで、エリルの邪魔にしかならないわ!」
「既に奴はホールにおらぬ。向こうに着いたら汝には外に助けを呼びに行ってもらうぞ」
確かにホールの方から戦う音は聞こえてこない。嫌な予感が頭をよぎるが、自信たっぷりな彼女の言葉に促されて廊下を進む。
「でも出口にはトラップが・・・・」
「先のアンデットが魔術の起点を破壊する手筈じゃ。それで出口のトラップは解除されるはずじゃ」
なんとなくわかっていたが、彼女はアンデットを操れることを隠す気もないらしい。
「そんなに簡単にいくの?」
「そのための準備ぞ。起点を攻撃したらおそらく奴が対処に向かうであろう、なので我らはここに隠れてやり過ごすのじゃ」 その作戦はとても確からしいように思えた。
「汝はトラップが作動しないのを確認してから外に出よ」
「あなたはどうするの?」
「無論、我はエリルの支援に――――」
そう口にして胸を張った彼女が、一瞬にして白く染まって崩れ落ちた。
「またなの!? 一体どうなってるのよ!!」
抱き起そうとその体に触れると、氷のように冷たくなっていた。これが身代わりの効果だというなら、何が起こったのかは想像に難くないが・・・・
胸に手を当てると微かだが心音が聞こえる。
「早く温めないと!」
冷撃を受けた場合は治癒魔術をかける前に温めないといけない。多少冷たい程度なら抱きしめる程度でいいのだけれど、この冷たさでは無理だ。火の魔術が得意だったらよかったのだけど、生憎不得意なので何かを火種にする必要がある。
咄嗟に周りを見渡してみるも火種にできそうなものはない。彼女の制服が目についたが、これは耐火性だ。・・・・と、自身の着ている下着が火種として使えることに思い至った。
すぐさま下着を破り魔術で着火するために構えたところで、それは唐突に私の胸元へと転がり落ちた。
真っ直ぐにそれと目が合う。口と目を見開いた彼女の首と――――
折角の囮が台無しになってしまう。そう思ったがもう限界だった。
心が叫ぶままに口を開く。
そうして息を吐き出そうとした瞬間、背後から伸びた無数の手が私の口を塞いだ。
次回はようやくエリルの視点へ