02話 街に着いて
「な・ん・で! 交易所の名前が僕の名前なの!? 答えてアンナ!」
僕は母上の使用人だったアンナに食って掛かった。
「す、すみませんエリル様! けれどお母上、フィリアル様たってのご希望でして・・・」
困り顔でアンナが口ごもる。
「ヴィルミアさん! 兄上は止めなかったの?」
もう一人は、兄上の部下だったヴィルミアだ。
屋敷への連絡係を務め、兄上以上に僕の身の回りの世話をしてくれていた。
「レオ様も偉大になるエリル様の名前は広めるべきだとの見解だったかと。ちょっとしたサプライズだともおっしゃっていました。なお、私は主の命に従ったまでで関知しておりません」
淡々と答えるウィルミアに僕は顔を覆った。
時は数刻遡る。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
兄上達と別れ、僕はグレイスに案内されて、話にあった交易所を目指した。
外壁門をくぐると石畳に整然と建物が並び、所狭しと露店が並んでいた。
雰囲気は僕の国と似ていたが、街には街灯が一切なく代わりに不思議な壺が設置してあるなど、不思議な魔道具が散見された。夜には壺から光の弾が浮かび道を照らすらしい。
もう少し露店や行きかう人々を見ていたかったが、兄の言っていた交易所は学園周りの壁沿いにあるらしく、早々に学園へと向かうこととなった。
行けば美味しい朝食が出る。
そんな兄上の話に乗って意気揚々とやってきたが、交易所の屋根に大きく掲げられた看板を見て僕は絶句した。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「ですがエリル様、店に人の名前を付けるのはそこまで問題だとは思いませんが?」
「そうです! そうです!」
ヴィルミアが反論し、アンナも追従する。
「普通の店ならまだしも、領事館としても機能するような場所に僕の名前を付けるなんて! 知ってる人に見られたら国中で笑いものになるよ!」
唯でなくても色々と噂になっているらしいのに、やっていい親馬鹿を通り越している。
「当初の予定にあった装飾やエリル様を褒め称える形容詞は営業に差し支えるのでお止めしました。この活躍、むしろお褒めの言葉をいただきたいほどです」
ヴィルミアから、初案はさらにひどかったと知らされて項垂れる。
暗に妥協しろということだろうか。
「無念です! あれは絶対かっこよかったのに!」
母上の指示とはいえ、アンナは率先してやっていたようだ。
「怒るよアンナ」
アンナの頬をつまみながら口をとがらせる。
「ひぅ~ エリル様、もう手が、手が出ていますぅ~」
口は災いの元だ。
これ以上余計なことを言う前に止めておくのが本人のためだろう。
「見送りの時に居なかったと思ったら、こんなところに来ているなんて・・・」
家でもそうだったけれど、アンナは物事を器用にこなせるのに何かと問題を起こすトラブルメーカーだった。それがどうしてこんなところに・・・
「エリル様、アンナについてはその辺りにしておいて、食卓へ向かいましょう。朝食の準備が出来ております」
いつの間にか食事の準備が整ったらしく、店の奥からスープのいい匂いが漂っていた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「でもなんで二人がここに?」
朝食をとりながら、疑問を口にしてみた。
「交易所と聞いていたけれど、うちの家や軍から人を出すなんて」
大臣や商家ならともかく、僕の家は軍属で商売とは縁遠い。
「フィリアル様からエリル様の学園生活にお供せよと言われまして・・・」
アンナが困惑気味に答える。
「え゛、アンナは学園の寮まで付いてくるの?」
確かに留学の話が出た当初、母上は使用人を僕に付けたいと言っていたが、すべて断って納得してもらったはずだ。
「そうする予定だったのです! でも、学園には一般の人は入ってはいけないみたいでして。恐ろしいことに無理に入ると命を吸われるとか! ふるふる」
アンナが大げさに身を震わせる。
命を吸われるとか本当だろうか?
「そうなんだ・・・それはよかった」
とりあえず、問題を持ち込まずに済みそうで僕は胸を撫で下ろした。
「エリル様、酷いです! 命を吸われるのは絶対嫌ですけど、このまま帰ったらフィリアル様からどんな折檻を受けるか! 考えるだけでも恐ろしいです! ぶるぶる」
僕は頭を抱えて震えるアンナを無視する。
「ヴィルミアはどうして? 兄上がそう簡単に優秀な部下を手放すとは思えないけれど」
兄上の部隊は少数精鋭だ。特にヴィルミアは斥候としても優れ、何事にも欠かすことのできない存在だ。何かと家に顔を出していたが、頻繁に戦場と家を行き来していたと知ったときは驚くばかりだった。
「エリル様の護衛としては最適な場所かと。一応、店長は別に居るので、私が店に居なくとも問題ありません。あと・・・チーチル!」
ヴィルミアが声を上げると、部屋の奥の暗がりから少女が顔を出した。
「ここに」
褐色の肌に赤みがかった目と、セルバウルでは見かけない容姿をしている。
咄嗟にアンナが声を上げる。
「あ! チーチルちゃんだ! 久しぶり! 先週以来だね!」
アンナはここでまともに働いているんだろうか? 心配になった。
「この方がレオ隊長の言っていた最重要人物のエリル様です。よく覚えておくように」
ヴィルミアが僕の紹介をする。何か扱いがおかしいけど。
「覚えた」
僅かばかりの返答をすると、チーチルは話しかける間もなく暗がりに消えた。
「えっと、彼女は?」
「愛想の無い者ですみません。彼女はチーチルと言います。裏を担当し、普段は顔を出しません」
ヴィルミアに愛想がないと言われるとか、よっぽどなのだろう。
「彼女の出身は? セルバウル人には見えなかったけど・・・」
おそらく兄上の部隊員だろうけれど、僕よりも年下に見えた。どこから連れてきたんだろうか?
「チーチルはレオ様の下で働いている魔力持ちです。出身地はよくわかっていません」
魔術師ではなく、魔力持ち。前に兄上から聞いた話を思い出した。
魔術師の国では魔術の力が全てで、たとえ魔力を持っていても魔術を行使できなければ奴隷のような酷い扱いを受ける。兄上は戦争でそんな人々を数多く助け解放したらしいが、その多くは行くあてがなく、魔術師への敵愾心が強いセルバウルにも住むこともできなかったため、兄上の下で働くことになったとか。
ヴィルミアが少し声のトーンを落として耳打ちする。
「エリル様、もしもの時は先のチーチルが学園に侵入して脱出の手引きをします。以後、お見知りおきを」
剣呑ならない話だった。心配性な兄上が言っていたもしもの時の準備だろう。
僕はふと気になったことを口にした。
「彼女、朝食は?」
一瞬ではあったが、見えた顔色はあまり良くなかった。
「チーチルはその生い立ちの影響で、ほとんどの食物を受け付けません。下手な気遣いは酷なことになるのでお気になさならないように」
一体どんなひどい仕打ちをうけたのか、戦時中に部隊に加わったのなら小さな子供だったはずで、もはや絶句するしかなかった。
「・・・・・・」
ヴィルミアも黙った。余計なことを言ったと思ったのだろう。
「チーチルちゃんて全く気配がないんですよ! いつも突然現れてびっくりします! 不思議な子ですよねー」
アンナは相変わらず賑やかだった。
ゴルグレーはセルバウルと和平を結ぶにあたり、最低限ではあるが魔術を使えない人々の権利と安全を保障してくれている。しかし、すべての都市でそれが確実に履行されるわけはなく、まして他国における人の扱いは戦前と一切変わっていないとすら聞く。
人を救う希望、兄上が言った言葉は説得のための詭弁ではないのかもしれない。
僕に何かあったらゴルグレーを滅ぼす。
そんな冗談交じりの話が、本当にならないよう切に願った。