01話 学園への旅路
ガン! ダダン!!
悪路に馬車が揺れる。
セルバウルの国を出てもう半月、ずっと座っているせいで体がおかしくなりそうだ。
唯一の救いは、普段は忙しくてほとんど会えない兄上が同乗していることだ。
「兄上! もう一度、敵国の王子を捕縛した話を聞かせてください」
兄上は数多くの戦場で武功を上げて国に平和をもたらした英雄で、僕の憧れだ。せっかくの機会を逃すまいと、僕は兄上に何度も話をねだる。
「もう何度も話しただろう。あまり公になっていない話で面白いかもしれないが、その王子はこれから行く先に便宜を図ってくれた同盟国のジャン王子で、この話をしたのがバレたらどんな処罰を受けるかわからないからな」
今更になって兄上は話を渋る。最初は意気揚々と話していたのに・・・
「それならいっそのことジャン王子に聞いた方がいいのかな?」
ちょっと兄上を困らせようと無茶を言ってみる。
「ああ! でも、それだと兄上が喋ったことがバレて捕まってしまうから、やっぱり先に兄上から話を聞いておかないと・・・」
悪戯っぽく兄上を見上げる。兄上とジャン王子の関係は親密で、多少の問題は笑って済ませられると兄上の部下達は言っていた。今度本当に聞いてみようかな。
「エリル、母上やサティナの真似みたいなことはするもんじゃないぞ! 魔術師と仲良くするのがお気に召さないからと、日々無理難題を出して。ジャン王子だから大事にならず済んでいるが、向こうの国にはどう受け止めるかわからない輩が山ほどいるからな!」
兄上は少し怒った顔をして僕の心配をしてくれる。
ジャン王子以外に話す気はないし、母上や姉上みたいに強行するつもりもないのだけれど。
ジャン王子は魔術国同盟の元締めとされる大国、ゴルグレーの王子だ。
戦場で出会った兄上のことをひどく気に入ったそうで、和平の仲介を担ってくれた。
僕が物心着いた頃には和平が結ばれ、ジャン王子には何度か遊んでもらった記憶もある。今回の留学は兄上とジャン王子の提案で、ちょっとした問題を抱えていた僕は喜んで行くことを決めた。まあ、僕には末席ながら王位継承権があったため、体のいい人質だと反対する人も多かったけれど。
初めてのことだらけで不安を感じるが、兄上が望む人を救う平和への先駆けとなれることに期待も大きい。まあ、兄上が留学の理由として大臣達に語った「魔術の知識や技術を得ることでゴルグレーに引けを取らない大国になれる」って大見得のせいで少し気が重いけれど。
馬車が山を越えると、先に朝日に輝く白い壁が見えた。
「あれが学園都市ドラグノーツ・・・」
大きな外壁に囲まれた街が、山を背にして平原に広がっている。
山には石造りの建物があって、まるで王城のようだ。
地方都市の一つとはとても思えない。
よく見ようと窓を開けると、冷たい風が吹き込んできだ。
「春が近いとはいっても、まだ風は冷たいな。エリル、無理して風邪をひかないようにな」
兄上が心配そうに声をかけてきた。
「兄上、僕はもう子供じゃないから大丈夫だよ!」
昔はよく体調を崩していたため、何かにつけて風邪を引かないようにと言われる。
「そうは言ってもな。もし何かあったら―――不機嫌な母上を俺が馬車で連れて行くことになる」
「あーそれは大変かも・・・」
ただでなくても母上は僕の留学に反対していて、無理を通したせいでかなりご立腹だ。
もし留学先で体調を崩したなんて知ったら、何としてでも看病しに来るだろう。
半月もの間、不機嫌な母上と馬車に同席して憔悴する兄上の姿が目に浮かぶ。
兄上の苦労に頭が下がる。
「エリル、なぜ頭を下げる?」
「先に謝っておこうかと思って。ご迷惑をおかけします」
これまでも。そしてこれからも。
「何かあること前提か・・・いい度胸だ。その時はこの俺の恐ろしさを垣間見せてやろう」
僕の茶々に兄上は表情を変え、怖いことを言う。
「あー、やっぱり迷惑をかけるのはやめておきます」
つい調子にのっていたけれど、これは藪蛇だ。
兄上はたとえ遊びでも本気を出す性質の人だ。留学先で24時間監視されかねない。
「ただでなくても母上の要求でこんな大勢に付いて来てもらって、これ以上兄上の手を煩わせるのはどうかと思うし」
僕らの馬車以外に荷物と兵士を乗せた馬車が合計3台、周囲を警戒する騎兵を含めたら一小隊に近い人数だ。留学生一人の護衛としては過剰だと思う。
「なに、煩わしいことは無いさ。エリルは人の未来を担う大切な希望だ、これぐらいの護衛がついても問題ないだろう」
しれっと重いことを言ってくれる。
「一応、ゴルグレーの首都に行く野暮用もあってな」
「野暮用?」
兄上の部隊は軍から独立していて自由に行動できるが、そう他国の首都を訪問していいものだろうか?
「ゴルグレーと新しい条約を結ぶことになって、その諸諸について最終確認をしに行く」
「・・・それって大臣の仕事じゃないの?」
軍人が担う仕事だろうか?
「魔術師との交渉に大臣達が怖じ気づいてな。魔術で操られて、とんでもない条約を結ばされるかもしれないとさ」
僕らにとって魔術は全くの未知で恐怖も根強い。
そんな可能性もあるだろう。だとしても―――
「でもなぜ兄上が? もし魔術で操られるようなことになれば、下手な条約を結ばされるよりも恐ろしいことになるのに?」
国の切り札を敵の渦中へ無為に放り込む大臣達に憤慨した。
兄上なら大丈夫という根拠は何もないはずだ。
「なに、俺の部隊が行くと知れば向こうも下手な手出しはしてこないだろう」
確かに兄上達は幾人もの魔術師を殺していて、一部の人々からは怪物と恐れられている。
「無論、準備もしてあるが」
兄上が同行する騎兵を目で示す。
確かに騎兵の幾人かは戦争する勢いの重装備だった。
よく何も言われずに関所を通れたものだ。
「・・・ならいいけど、条約の内容は?」
興味本位で聞いてみた。
「あまり公になっていないが、正式にゴルグレーと交易を行うことになった」
兄が少し楽しそうに答える。
僕はその内容に驚いた。
「魔術師が人の国と交易を?」
「ああ」
兄が楽しげに頷く。
色々と思惑があるのだろうけれど、考えが及ばない。
魔術師にとって人は家畜と同等と言われるほど、魔術師と人の間の溝は深い。
セルバウルは周囲にあった魔術師の国を滅ぼしたこともあって、魔術を使える国だと勘違いされることもあるが、間違いなく人の国だ。
魔力を持った生産物もなく、真っ当に取引をしてもらえるとはとても思えない。
「まあ取り扱うのはごく一部の品物だけだがな」
と、兄上が表情を変える。
「そうそう、交易をするのに各都市に拠点が作られることになってな、ドラグノーツの街には先んじて交易所ができているはずだ。学園の近くでエリルがよく知る人物が働いているから、着いたら寄ると良い」
随分と準備が良いみたいだ、僕が出発するどのくらい前から計画していたんだろうか?
「もし困ったことがあっても行けば大体何とかなるはずだ。もしもの時の備えもある」
兄上は本気なのか、ふざけているのかよく分からないことが多い。
「もしもの時の備えとか兄上はまた大げさことを・・・。それで、よく知ってる人物って?」
誰だろう? 出歩くことをあまり許されなかった僕にとって、面識のある人は限られる。
「秘密だ。行けばわかる」
兄上はちょっとしたサプライズ気取りだ。
「そこまで言って秘密とか、ほとんど秘密になってないよ、兄上」
誰なのかは少し想像がついた。
今回、同行してる兄上の部下達の中に僕のよく知る人物がいなかった。
「でも、まあ、少し安心したかな。やっぱり不安はあったし。学園でいじめられでもしたら、どうしようかなってね」
元敵国で、しかも魔術師の学生とどんな会話をするのか、今でも全く想像がつかない。
突然、兄上がワナワナと震え、
「ああそうだとも、その可能性を考えないわけがない! もし学園でエリルが理不尽な扱いを受けるようなことがあれば・・・」
拳を握りしめて立ち上がった。
「俺がゴルグレーを滅ぼす! 完膚なきまでだ!」
暴言が飛び出した。慌てて止めに入る。
「滅ぼすって! 兄上! それこそ誰かに聞かれたら冗談じゃ済まないよ!」
少なくとも兄上は一軍の指揮官だ。
下手な言動を誰が本気にするかわかったものじゃない。
「なに、同じ話をしたらジャン王子は笑ってくれたさ! むしろ、やれるものならやってみろと挑戦権まで貰っている」
僕は顔を覆った。ジャン王子にそんな話を! しかも、兄は勝つ気満々だ。
確かに前の戦争でセルバウルとゴルグレーは直接剣を交えていない。
しかし、ゴルグレーは大国で、地方都市1つでセルバウルの首都を超える規模だ。
同盟国も大陸中にあって、戦争になったらどうなるか火を見るより明らかだ。
「兄上、さすがにその発言はヤバいからやめてください! 戦ったらどうなるかなんて、兄上が一番よくわかっているはずです!」
実際、戦場に来たジャン王子に対し様々な搦め手を駆使して停戦を画策したのは兄上の方だ。
相手の力をわかっていないはずがない。
「それでもだな! 兄には時としてやらねばならぬことがある!」
ファイティングポーズをとって無駄に兄上のテンションが上がる中、馬車が止まった。ドラグノーツの外壁門に到着したみたいだ。
「もう着いたか・・・」
さっきまでの勢いが一瞬にして霧散し、兄上が名残惜しそうに言葉を吐く。
まだ早朝のためか門の周囲に人気はない。
馬車を降りると、部下の一人が駆け寄ってきた。
「レオ隊長、手続きはもう終えてあります。いつでも入門可能です」
「よし。エリル、部下のグレイスだ。彼を学園での護衛に付ける。街の構造に多少精通させているから、行きたいところがあれば案内してもらえ。とりあえず、先に話した交易所に行けば朝食がでるはずだ」
「兄上は寄って行かれないのですか?」
兄上が付いてこないのは少し意外だった。
「残念だが俺たちはこのまま首都へ向かう。しばらく会えないと思うと寂しいが大切な仕事だ、手を抜くわけにはいかないからな」
真剣な眼差しで街の外壁を見渡している。
兄上がこちらを向く。
「しっかり学んでくるんだぞ、エリル!」
「承知しました兄上! 必ず魔術をモノにしてみせます」
「それでは、行ってきます!」
兄上の激励に応えつつ、僕は足を踏み出した。