00話 プロローグ
雪に包まれた屋敷の中で、赤子の泣き声が響き渡る。
「姫様! お生まれになりましたよ!」
侍女が慌ただしく走回る中、乳母が赤子を取り上げて歓喜の声を上げた。
皆が喜び勇み、赤子に目を向け―――不可解な出来事に一様に目を見張る。
「これは・・・」
やがてそれが何かを察し、誰もが口をつぐんだ。
明るい雰囲気は一転し、屋敷は重苦しい空気に包まれていった。
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同日、雪原にて
「騎士長殿! どうか砦にお戻りを!! ここではいつ襲撃を受けてもおかしくありません!」
重装備の兵士が小さな雪塁で指揮を執る男に追いすがる。
「副官、危険は承知の上だ!」
騎士長と呼ばれた男は聞く耳を持たない。
「物資の搬入を急げ! 敵の動きが速い、護衛は警戒を怠るな」
声を張り上げて道を行く荷馬車に指示を飛ばす。
少し吹雪いているとはいえ、視界は良好で遠方までよく見える。
と、地鳴りのような音か向かってくる。
見張り兵士が声をあげた。
「敵襲! 敵襲だ!」
荷馬車の周囲に兵士たちが集まり武器を構える。
音の主は瞬く間に近づき、雪を巻き上げて走る敵騎兵の姿が露わになった。
「足の速い軽騎兵だ! 数は20・・・いや、もっといるぞ!」
それ見たことかと副官が青い顔をする。
目前に迫った敵騎兵だったが、距離を保ったまま荷馬車の周辺を回り襲ってこない。
様子を伺っているようだ。
騎士長が指示を飛ばす。
「手順通りだ! 弓兵、1号矢で馬を狙え!」
指示に従い弓兵たちが矢を準備する。そして、
「撃て!」
掛け声と共に無数の矢が放たれ、敵騎兵に降り注いだ。が、
カン!
甲高い音と共に矢は見えない壁に弾かれ地に落ちた。
「魔術障壁だ!」
「馬にまで障壁があるぞ!」
兵士たちが叫ぶ。
矢を弾いた敵騎兵たちは止まり、獲物を見つけた狼の如く獰猛な笑みを浮かべた。
「魔術が来るぞ!!!」
誰ともなく兵士が叫んだ。
同時に敵騎兵が懐から取り出した杖を振りかざした。
杖の先から火球や雷撃が現れ、音をたてて兵士たちに降り注ぐ。
雷撃が雪を穿ち、火球が荷馬車を燃やし、吹き飛ばされた兵士が宙を舞う。
攻撃が止まり濛々《もうもう》と煙が上がる中、雪塁は半壊し兵士の多くが地に伏していた。
敵騎兵が戦果を確認すべく距離を詰めてくる。
この世界では魔術が全てであり、魔術の使えない人は死ぬか奴隷となる以外に道はなかった。
―――これまでは。
目前に敵騎兵が迫った瞬間、騎士長が跳ね上がるように立ち上がり大声をあげた。
「2号矢、構え!」
周囲の兵士達も即座に立ち上がり、背負っていた機械弓を構えた。
振りまかれた破壊に対し、負傷者は僅かだ。
すでに装填された金属製の矢が敵を捉える。
迫る敵騎兵も臆せず杖を構えた。
「魔術師を撃てぇ!!!」
風切り音が唸る。
敵騎兵も杖を振りかぶり魔術を放とうとしたその時、
ドス!
鈍い音が響き、敵騎兵は目を見開いた。
魔術障壁が機能せず、その体には金属製の矢が深々と突き刺さっていた。
「な、はっ・・・」
敵騎兵は短く言葉を吐いて、馬上から崩れ落ちた。
2号矢で敵騎兵の半数以上が脱落したが、矢を避けた残りが崩れた雪塁に殺到した。
「来るぞ! 抜刀!!」
至近距離で魔術を食らった兵士が次々と吹き飛ぶ。
激を飛ばしていた騎士長にも敵騎兵が殺到し、剣を構える騎士長の額に冷たい汗が流れ落ちる。
騎士長を突き殺さんと氷でできた槍を掲げた敵騎兵が迫った瞬間、乗っていた馬が雪面に深く沈み込んだ。
落とし穴だ。
騎士長は間髪入れず、馬から投げ出された敵騎兵を切り捨て絶命させた。
他方でも罠に足をとられた敵騎兵が兵士に制圧され、逃げ出した残党も矢で射抜かれて殲滅された。
運よく死者こそ出なかったものの、激しい攻撃に数多くの負傷者が発生していてた。
「初めから2号矢で攻撃していれば、ここまで負傷者を出さずに済んだのではないですか?」
火傷と打撲を負った副官が恨めしそうに意見する。
2号矢は最近開発された特殊な金属でできた矢で、魔術師の持つ障壁を貫ける新兵器であった。
まだ製造数も少なく、撃ち出すのに特殊な機械弓の使用が必須であったが。
「奴らも馬鹿じゃない」
騎士長は雪に転がる敵の死体を指し示す。
「敵の幾人かは矢の貫通を警戒した厚手の皮鎧だ、離れていたら2号矢でも殺せていなかっただろう。敵も状況を把握しつつある、今後もこう上手くいくとは限らない」
「しかし、警戒していたのに結局突撃して全滅するとは愚かしい」
副官は後先考えない敵の行動に、理解できないと頭を振る。
「物資の略奪を命令されていたのだろう。魔術師にとって上の命令は絶対だ」
魔術師の世界では魔術の強さが全てで、下位の者は命も軽い。
こんな場末の戦場に送られる時点で使い捨てのようなものだ。
「これまでと違って装備が良い、興味本位だった侵攻に本腰を入れてきたということだろう」
「このような僻地に、魔術師が兵と物資を注ぎ込むと?」
ここは魔術師から逃れてきた人々が辿り着いた地の果てで、魔術を使うために必要な魔力が希薄な土地であった。魔力が無い以上、魔術師にとって価値は無いはずだ。
「防寒具にしても、雪山用に準備をしたと思われる重装備だ。下っ端の装備がこれほど整っているということは、上は相当本気だろう。いつものように村をいくつか襲っただけでは止まるまい」
昔は防寒も魔術便りで、雪山を登るのに碌な防寒具を持っていなかったことを思うと、随分な変わりようだった。
「厳しい戦いになりそうですな・・・」
副官のため息が風音に消える。
村人の殆どは避難できているとはいえ、冬場に家を焼かれるのは辛い。
と、再び馬の駆ける音が響いてきた。
道沿いに自軍の旗を掲げた伝令が向かってくる。
「騎士長! 将軍より火急の知らせです!」
顔色が悪い、悪い知らせのようだ。
「まさか他のルートで侵攻をうけたのか!?」
この場所が最前線だと考えていた騎士長の顔が引きつる。
「いえ、敵の侵攻ではありません。至急、帰還せよとのみ!」
伝令は簡潔に命令を伝えた。
「ここにきて戻れだと? 馬鹿を言うな! 国の存亡にかかわる一大事だぞ!!」
あんまりな内容に騎士長は激昂する。
魔術の使用を妨げる環境と天然の防壁に守られているとはいえ、安易に侵攻を許せばどれほどの被害が出ることか。
特に今回の侵攻これまで動きが違い、下手に防衛線を下げることは許されなかった。
「国家の一大事だとだけ」
伝令は命令を繰り返すばかりだ。
騎士長は戦場を放棄するほどの大事に想像がつかず頭を振る。
「せめて1日融通できないか?」
折角の策を無為にはしたくないと時間を乞うも・・・
「この身を切り捨てていただければ。明日に次の伝来がまいりましょう」
仕事に命を懸ける伝令は、この戦時に正しく、職務に忠実であった。
騎士長は頭を抱えるも、
「・・・わかった、帰還しよう。副官! 兵を撤退させる、狼煙を上げろ」
傍に控えていた副官に帰還の意思を伝えた。
「ここまで準備して撤退ですか・・・狼煙の種類は?」
副官も無念という顔をしつつ問い返す。
吹っ切れたのか騎士長が悪戯に微笑む。
「赤だ」
ここが戦場でなければ年相応の青年に見えたことだろう。
「赤!? それだと指揮官が死亡したことに!!」
副官が取り乱す。
「死亡ではない、戦闘不能だ。速やかに砦を放棄して、この防衛線から後退する。運よく敵の斥候を殲滅した直後だ。そうすぐに後続は出てこないだろう」
騎士長は表情を消し、次の思案を始める。
「士気に影響が出るかと・・・」
副官は嫌そうだ。
「訓練だと思え。私が死んだからと言って、そう簡単に瓦解してもらっては困る。今なら敵の脅威は少ない、撤退の指揮を任せる」
「・・・承知しました」
副官も渋々覚悟を決め、狼煙の準備を始める。
「これが最善だろう。私抜きで無謀な籠城戦をやるなど、とてもじゃないが気が持たないからな」
騎士長は眼下の砦を名残惜しそうに眺める。
「2号矢以外の物資は残しても構わない。勿体ないからと砦を空にはするな。あと、山側の支柱を必ず抜いて強度を確認するようにしろ、下手に残ると事だ」
騎士長は少し考え副官に追加の指示を出した。
「水が届くまで少し時間がかかる。残って見張る部隊には欲張らずに堰を切るよう厳命しておけ。間違ってもこの谷を五体満足で越えさせるわけにはいかないからな」
やがて空に赤い狼煙が上がる。
「指揮官が戦闘不能だ! 撤退する!」
砦から騒然とする兵士たちの叫び声が上がった。
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数刻後、騎士長は馬を乗り継いで屋敷へと帰還した。
暗闇の中、案内された部屋に困惑しつつ、扉を開けて中に入る。
部屋の中央で立ち尽くす人物に声を掛ける。
「将軍・・・いや、父上。ただ今戻りました。魔術師の侵攻の最中に戦線を放棄して帰還せよなど、一体何が起こったのですか? しかも、こんな所への呼び出しとは・・・」
真新しい玩具が転がる子供部屋への呼び出しに騎士長は苦言を呈する。
「まさか身重のお母上に何か大事が? それとも魔術師どもの侵攻に合わせて大臣が裏切りでも?」
「彼女は無事だ、今は別室に控えてもらっている。裏切り者も居ない。ただ・・・あれを」
将軍は短く告げ、部屋の奥を示す。
ゆりかごが一つ。
そこには生まれて間もない赤子がすやすやと寝ていた。
「ああ、すでにお生まれになったのですね」
騎士長は一瞬喜ぶも、
「・・・まさか、我が子可愛さに戦場から呼び戻したと?」
目を細め、鋭い視線を将軍に向ける。
「そ、そう殺意を向けるな! そんな馬鹿げた内容で呼び出すはずがなかろう!」
将軍は即座に否定する。
彼とてこの国の要職であった。戦局が分からないわけがない。
剣呑ならない雰囲気に赤子が泣き出した。
再び、騎士長が赤子に目を向け―――驚愕する。
「まさかこの子は!?」
騎士長は将軍に向き直る。
将軍は頷く。あってはならないはずの事態に。
母親は王城を出た身だとはいえ、赤子は王家の血を引いている。
このことが公になれば、おそらく内乱になるだろう。
今、ここで国を二分するのは滅びることと同義だった。
そのまま将軍は黙した。
騎士長は考える。
この問題を解決する手段は簡単だ。
たとえ王族でも起こりうる、全く怪しまれない方法だ。
ただ、今それが為されていない時点ですでに手遅れろう。
しかも、自身からそれを義母の子に提案することは不可能だ。
騎士長は毒を飲まざるをえない状況に苦い様相を呈する。
彼にとって困難は常であった。
今更1つや2つ増えたところで変わりはない。
そう考えを改め、赤子を見ていると新たな可能性が芽吹くのを感じ取った。
やがて顔色を変え将軍へと向きなおる。
「承知しました父上、微力ながらお力添えさせていただきます」
「おお、助けてくれるか!」
手を貸してもらえるとわかり将軍は破顔した。
「父上、少し先の話になりますが良い案があります。この子にはしばらく不自由を強いることになりますが、人の在り様を変える大きな可能性としてやってみる価値はあるかと」
騎士長は再びゆりかごの赤子に顔を向ける。
将軍もそれに続く。
神か悪魔の悪戯か、賽は投げられた。