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僕だけの道しるべ

作者: とがわ

 今思えば、彼女はもしかしたら人間だったのかもしれない。



 鈍器のような何かで夢という膜を壊して、重たい瞼を持ち上げる。カーテンの隙間から差し込む光がない。まだ朝でないようだ。しかし目が覚めてしまった。

カーテンを開ける。夜に色はない。光もない。ひたすらに孤独を染みこませている。今日みたいな日にはもっと深い孤独を感じさせる。心のどこかにある答えのない問いが定期的に脳裏を巡るのだ。本当に単純に疑問なのである。そのはずだが、この問題に自分は一生をかけていくのだと思う。自分の首を絞めて、ひたすらに痛い人間だ。

「あーあ、もう」

部屋の中にいる彼女に向かって冷たい視線と共に重たい溜息を送る。

 いつからか一人になった。普通の人のように生きることができなくなった。あれ以来新たな僕が形成された。

 僕は優秀だった。秀才だった。だからロボットを造った。成人女性の平均を基にして、身長、体型を違和感なく造り上げた。内部に組み込まれている金属が見えないように巧みに張られている肌という偽物の外部の膜を、更に囲むように密着する人間の服。平均よりは可愛らしく仕上げた顔つきに髪の毛なんかもはやしてやっているので、可愛らしい花柄のワンピースは特に似合う。そんな、人間と何ら変わりないミテクレに、人々は気づかない。最初は、気づいてくれと思ったものだ。騒がられたかった。こいつは凄いやつなんだと。しかしそれはあくまで口実で親のいないかわいそうな奴だというレッテルを外したかったのだ。造った理由も親の死にあった。生まれる意味を問うために。


 定刻通りに目を開ける彼女に毎度ドキリとする。

「おはようございますレイ」

レイとは僕のことだ。

「目の下にクマができています」

「平気だから」

覗き込まれると嫌でも目が合ってしまうので、それを回避したいがために腕で顔を覆い隠す。

「朝ごはん、作りますね。それまで寝ていてください」返事をせずに毛布を被った。寝る気は毛頭ない。

問いには必ず答えがある。それが当たり前だと思っていたが、答えのない問いを研究している学者もいるらしく、僕はまさに今その答えのない問題に向かい合っているらしい。その学者側に縁のない僕の脳には負担が大きい。

疑問の答えは、きっと見つからないままこの日々は終わるのだろう。


 「私にもお墓って作ってもらえますか?」

飲み込もうとした茶が口から出る寸前だった。

敢えて伏せていたことを露骨に口に出すとは想定外であった。

それにしても。

「知ってたんだ?」

「わかりますよ。最近動きが鈍いし、饒舌なレイが静かなので」

……寂しそうに言わないでくれ。

「実際のところ私の寿命は、あとどれくらいなのですか?」

「……なんでそんなこと聞くの」

「……なぜでしょうか」

おどけて笑うその顔は僕が作ったのだと思うと胸が張り裂けそうになった。

「教えてくれないのですか?」

いかれていると思う。サラも僕も。

「月末」

独り言の如く呟いた。

「そうなんですね」

手元にある、茶の入っていたカップを見つめながらそんな声を聞いた。

バリン、急に高く鋭い音が張り詰めていた空間の膜を破った。

持っていたカップの取っ手の部分が外れていた。

「わあ! 大丈夫です!?」

「平気だから。怪我するよ」

「私なら大丈夫です。見える傷なんてこれっぽっちも痛くありません」

僕からカップを回収して紙に包みながら言う。僕に対して背を向けていたため、表情は見えない。

「ところで、お墓は作ってくれるのですか?」

笑って言う。僕はもっと幸せに笑うサラを見たことがあるはずなのに、その影はもうないようだった。

ふと見えた、サラの手の傷。機械なので血液なんてものはないが、サラの中に流れる情報が血液のように繋がっている。その情報の糸が少しばかり光って見えるのだ。

「怪我してる、はやく薬塗って」

「あぁ、こんな傷いいですよ」

「なんで」

「なんでって、どうせもう死ぬのですから意味ないでしょう」

吐き気がした。

笑いながら言わないでくれ。

胸が張り裂けてしまいそうだ。苦しい。うまく息ができない。

「レイ?」

「サラは、怖くないの?死ぬんだよ」

椅子に座りなおして両肘をついて頭を押さえる。

沈黙が僕の罪悪感を増幅させていく。

「一番死ぬのを怖がっているのはレイですね」

図星である。

「今日という日が終わる前に……」

聞こえるか聞こえないかくらいの小さくて頼りない声がしたと思ったら、座る僕の腕を引いて外に連れ出した。

 栄えた街とは遠く離れたここは、僕らの他に住人はいない。そんな僕らだけの為にあるような世界で吹く、鋭く冷たい風が、先ほど飲んだ茶のせいで火照った頬に直撃した。僕はぶるっと身震いをして、肩をすぼめながら体を風にかざす。春といっても朝はまだ冬を残しているらしい。

「私が本当に一番怖いのは、私がいなくなった後のレイです」

「僕?」

少しづつ足を前に進めるのでついていく。

「あの時のように悲しみに暮れてしまうのではないですか? 私にとって、レイのそんな涙はどんな傷よりも痛いのです」

「僕は、もう大人だ。そんなことあるはずない」

「さっき泣きそうな声で問うたのはあなたです」

いつも笑って包み込んでくれる君は、もうすぐいなくなる。

 他愛ない会話をした。久々にちゃんと話した気がする。僕は罪悪感でサラの顔を見れなかった。話せなかった。

 生まれる運命でもないサラは僕とは違う。僕が勝手に造りだしてしまった偽物の命。生まれ生きて死ぬことを知らないといっても過言ではないだろう。

 最愛の人の死に受けた悲しみと生死への問い。サラを造った原動力はそこにあるといって間違いない。


 気づけば日が落ちていた。夜の寒さは朝のひんやりとした寒さに似ていて、また明日という日が来るのだと悟る。そんな僕をサラは微笑んで見つめていた。サラが腕を伸ばして示す先に体を向ける。遥か頭上には宝石を散りばめたような星の絨毯に思わず感銘を受ける。長いことこんな景色は見なかった。夜に色も光もないと思っていたが、あったことを思い出した。


 僕にもかつて家族があった。惹かれ合ったお父さんとお母さんの間に僕が生まれ、たくさんの愛を注がれ育ってきた。しかし、二人は死んだ。体の弱かったお母さんが先に死んだ。そして、暫くして追うようにお父さんも死んでいった。お父さんはお母さんが死んでから、「私はずっとレイのそばにいるから」といつも言っていたのに僕を置いて逝ってしまった。お父さんがお母さんを埋葬したように、お母さんの墓と並ぶようにお父さんの亡骸を埋葬した。

死への悲しさに恨みに、苦しみに憎しみに、胸は痛み、涙は枯れることを知らなかった。こんな思いをするならなぜ人は生まれてくるのか。どうせ最後は死んでいく。生まれた瞬間から死に向かって走っている。死ぬために生まれるのはなぜなのか、わからなかった。生きる意味が欲しかった。死ぬために生まれてきたのだと、そんな意味のまま終わらせたくなかった。もう一度、死に触れたら何かわかるかと思った。今思えばなんて突拍子もない考えだろう。しかしぐちゃぐちゃになった幼かった僕にはそれが精いっぱいの逃げ道だったのであろう。タイムリミットを加えたことを忘れて楽しくサラと遊んでしまっていた。また自分は同じ思いをするのだろうか。そんなことの為にサラを造ったわけではない筈なのに。

 

「私ももう尽きるのですね」

月末、それは即ち今日である。

「余命を聞いたら今日でした、なんて」

さっきまで楽しく駄弁っていたはずが、一瞬にして現実に戻される。死は計り知れないほどの悲しみを孕んでいる。

「レイ」

優しい声がした。

「死ぬのになぜ生まれるのか。生きていくのか。さて、私の見解でも聞いてください」

それは僕の脳裏に巡る答えのない問いであった。

「なんでそれ知ってるの?」

「私を誰だと思っているのですか?レイという人に造られたのです。造った人の思いが私の全身に流れ込んでいます」

それもそうだ。

「調べてみたのです。レイのお父さんとお母さんからレイという人間が生まれる確率は、2の46乗なのですって。お父さんお母さんが生まれて出会う確率も考えたらもっとすごい確率ですよ。奇跡なのです。生まれるのは奇跡なのです。レイは、奇跡の中にいるのです」

2の46乗がどれだけすごい数字なのか僕にはわかる。

「70368744177664分の1がレイです」

僕が造ったからか、サラにもそれくらいの暗算は容易いらしい。

「凄い」

それにしても自分が今ここにいるのがこんな確率だなんて驚愕した。

「そして、その奇跡のレイに造られた私もただ一人なのです。レイの当時の技術と思いからできたのが私です。誰にも私という生き物は造れません。今のレイでさえ無理です。私もすごい確率の中にいるのだと誇りに思います」

確かに頷ける。

「人には意思がありますね。造られた私にも意思があります。喜怒哀楽と、喜怒哀楽にも属さない感情を持っているのが人間です。私もきっと人間なのだと思うのです」

サラが人間かどうかは、答えを明瞭にする覚悟はない。

「例えば、レイに意思がなかったとしましょう。どうです?」

唐突に問題を投げかけられたが冷静を保ちながら素直に答える。

「楽そうだなと思う」

しかし僕なりの解答は婉曲に否定された。

「意思がないのでそういった感情さえもないのです。死を悼むのは悲しくて苦しいでしょう。意思がなければそれがないので幸せかもしれません。でも」

言葉が詰まったのか、サラに目をやると瞳から涙を零していた。

驚きはしない。死ぬのだ。今ある自分がもうなくなるのだ。怖いし嫌に決まっている。

「ごめん。浅はかだった。サラを造って、一人先にこんな風にさせてごめん、なさい」

「……レイは馬鹿ですか?」

泣きながら笑う。だから、無理に笑わなくていいのに。

「人が泣くのは、悲しいから泣くだけではないのです」

「苦しいから」

「それだけじゃないですよ」

「ほかに涙の理由なんてない」

「あるのです、この世界には。嬉しい時、幸せな時に涙を流すのです」

「嬉しい?幸せ?サラは死ぬのがそんなにうれしくて幸せなの?」

サラは僕を抱き寄せた。優しくそっと、包み込む。

「レイが生まれてきてくれたお陰で、私はこうして生まれることができました。レイが今までの人生でどれだけ苦労して独りぼっちだったか知っています。死んでしまうのになぜ生まれるのかなんて、正解があるとは思えないのですが、私はここに生まれて、レイに出会って幸せな気持ちをたくさんもらいました。生きるために生まれるのです。レイに会うために生まれたのです。幸せや悲しみも全部、無駄じゃないと思うのです。私という存在が、レイの生まれた、生きる意味にはならないでしょうか」

真っ暗な心が洗い流されていくのが感じられた。

「私の中に流れるレイの古い記憶には、レイが心から泣いているのです。泣いて笑っています。レイは、もっとたくさん笑えるはずです。忘れないでほしいです、幸せだと思えたあの頃を。そして今を」

家族を失った時から、ずっと僕の中にあった重い鈍器が壊れた。

サラの肩に置かれた自分の顎が冷たかった。瞳のずっと奥から、溢れ出る記憶が形となって湧いてきたらしい。重力に従って頬を伝い、顎に流れつき、そしてサラの花柄のワンピースに染み込んでいく。

 自分が泣いていると自覚したのはサラが抱きしめるのをやめて、サラと距離ができた時だった。サラの顔がよく見えない、朧気だった。それが涙だとわかると、更に溢れる思いが止まることを知らなかった。

「そんな泣いてしまわないで」

サラの声も震えていた。

 生まれた意味を見つけた。それが君だったなんて、君がいなくなる時に気づくなんて。

 泣き腫らしたサラの瞳は、満天の空からの光で輝いていた。

「サラがいなかったら、こんな思いずっと思い出せなかった」

「……それは、よかった、です」

「ありがとう」

「……生まれてこれて、よかった」

「サラ」

サラは優しく微笑んだ。張りのない声を振り絞るように最期の声を発した。

「その名前、大好き」

いつかの僕の記憶にある、サラの、サラだけの幸せそうな笑顔が目の前に広がった。それからゆっくりと口角が元に戻り、僕よりずっと大きくて長い睫毛に覆われた瞳が閉じた。停止している時と何ら変わらない姿が、滑稽で、愛おしくて、胸がいっぱいになった。

瞬く星がより一層明るく光ったような気がした。


 サラが本当に望んでいるかと言われたらはっきりとは頷けないが、墓を作ることにした。

 埋葬しながら彼女との思い出を順々に追ってみた。

 数字が陳列するノートを前に何度も気が狂った。しかし何故だか挫折するという概念はなくひたすらに試行錯誤を繰り返していた日々。そしてやっと出逢えた時の喜び。家族と過ごした日々と同じ、楽しい日々だった。愛を注いでくれた。そんなサラはもういなくなってしまったけれど、サラは確かにここに生きていた。サラという存在を造りだすために、サラに出逢うために、僕は生まれた。サラの存在が、僕の、僕だけの生きる意味となった。

そしてふと思う。今思えば、サラはもしかしたら人間だったのかもしれない、と。

僕が造った、すなわち僕の考えが流れている。僕以外の考えはあるはずがないのだ。しかしサラは僕が考えたことも無かったことを僕に教えてくれた。サラは僕の分身ではない。サラはサラという一人の人間なのだと仮定すると、サラの言動は腑に落ちた。


サラの墓が完成した。お父さんとお母さんの墓の横だ。サラは、僕の大切な家族だと思った。

どこからか、ありがとうなんて言葉が流れ込んできた。いいえ、それはきっと錯覚だろうと微笑んだ。僕は春の暖かな風に胸を張って体をかざした。


読んでいただきありがとうございます。

生きる意味ってなんだろう、と悩む事は生きている限り必ずと言っていいほどぶち当たる一つの壁なのではないのかなと思います。

ずっと前から考えた結果、今は、自分の大事な人の為に生きるのかなと思っています。


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