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ハズレ職業『商人』になったけどやってみたらレベルアップも早いし結構イイ装備できるしお金儲かるしモテるしでイイ事尽くめでした

作者: 英 慈尊

 まるで酒場と兵士の詰め所を一緒くたにし、混沌という名の隠し味を加えたかのような……。

 それが生まれて初めて冒険者ギルドへ足を踏み入れた、メリア・リセパの抱きし感想であった。


 とにもかくにも、人が多い。

 右を向けば戦士がいるし、左を向けば武闘家がいる。

 それだけではなく、故国には存在しない魔法使い、僧侶、盗賊とおぼしき冒険者たちまで大勢いるのだ。

 唯一よく分からないのが隅の一角で、豪奢な丁度で飾られたそこでは、煽情(せんじょう)的な衣装に身を包んだ女たちが羊皮紙を手に入れ替わり立ち替わりしていた。

 ともあれ、ここにはきら星のごとく冒険者たちが存在している。重要なのはその一点だ。


(ここならば……きっと!)


 その想いを胸に抱き、受付の方へとおもむく。


「ヤシモの冒険者ギルドへようこそ! 新規のご登録ですか?」


 慣れた口調でそう問いかける受付嬢に対し、しかし、メリアは首を横に振った。

 メリアも冒険神ラベトラの洗礼を受け『戦士』の職業(ロール)を得ており、そのレベルは10の大台に達している。

 だから受付嬢が勘違いするのも無理からぬことであるのだが、あいにくとメリアの目的は別にあった。


「いや、依頼をしに来た」


 そう言うと同時に、背嚢(はいのう)から取り出した大袋をカウンターの上へ無造作に放る。

 聡明なる父が有事に備え、蓄財してきたありったけの金がこの中には収まっているのだ。

 それがカウンターへ落ちる重々しい音は、ギルドに集う冒険者たちの注目を集めるに十分なものであった。


「この中で、最もレベルが高い者を雇いたい!」


 間髪を入れずに、ありったけの声量でそう宣言する。

 果たして、釣れる魚は大きいか否か……?

 そしてその者が授かった職業(ロール)は、五つの内いずれに属するか……?

 表には出さずとも内心緊張していたメリアであるが、反応を見せたのは冒険者でなく隅の一角に集っている女たちであった。


 あらためて見ると、まことに奇妙な出で立ちの女たちである。

 ほとんど下着と変わらないような装束に、ウサギを模しているのだろう頭飾りと尻飾り――と言うべきか――を装着しているのだ。

 その誰もが整った見目と見事な体つきをしているのだから、これは同性のメリアでも顔を赤らめてしまう。


「――僕を雇いたいって?」


 その女たちの中心部……彼女らに隠れて死角となっている所から、よく通る男の声が響いた。

 女たちが心得たように左右へ別れたことで、その人物の姿があらわとなる。


 これまでの人生で見たこともないくらい豪奢なソファーでワインをくゆらせていたその人物は、三十代前半とおぼしき男であった。

 細身の……一見しては戦う人間に見えない人物である。

 しかし、素肌の上から異国風のベストを身にまとったその出で立ちは、細枝に鉄線を巻き付けたかのごとき引き締まった肉体を強調していた。

 精悍(せいかん)と呼ぶには多少のうさん臭さを含む顔立ちであり、頭に巻かれた帯状の布からはそこかしこから墨をそのまま落としたような黒髪が覗いている。

 総じて奇妙な……五つの職業(ロール)いずれに属するか判別できぬ男なのであった。


 だが、冒険者にとって見た目の印象などは大した問題ではない。

 メリアはカウンターに置いた袋を掴み直し、ずんずんと彼の前へ歩み寄った。


「あなたが、ここで最もレベルの高い者なのか?」


「まあ、そういう事になるね。

 ――ヨルデンだ。よろしく」


「メリアだ。

 ――早速で申し訳ないが、ステータスを拝見しても?」


「もちろん。

 君みたいなかわいい子に見られるとなると、少し緊張するね」


 大仰な身振りと共に繰り出される世辞へは取り合わず、精神を集中する。


 ――ステータス。


 冒険神ラベトラの洗礼を受けた者同士が、精神を集中する事で認識できる情報群のことだ。

 全体的な練度を表すレベルを筆頭に力や素早さなどが数字として表され、体調によって多少の増減はあるものの、これを知ればその実力は一目瞭然となる。

 対象となる者が拒めばそれを知ることはかなわないが、冒険者同士ではあいさつ代わりとしてこれを見せるという話は本当であったらしい。


 そしてメリアの脳裏に、ヨルデンのステータスが浮かび上がった。


「――レベル30!?

 だが、この職業(ロール)は……『商人』だと!?」


 二つの事実に、思わず驚きの声を漏らす。

 驚いた理由の一つ目は、予想を上回るその高レベルだ。


 ――レベル30。


 それはヨルデンなるこの冒険者が、世界でもトップクラスの実力者であることを意味していた。

 一般的には冒険者人生の全てを捧げて達せられるのがレベル10程度であり、十代でその域に達しているメリアなどは天稟(てんぴん)の才があると言われてきたものである。


 つまりこの男は、天稟の才ある者すら遥か上回る実力者……!

 その証拠に、羅列されたステータスのいずれもがメリアに倍以上の差を付けていた。

 これはつまり、何の武具も身につけていないこの状態でも完全装備のメリアを圧倒できるということである。


 まさしく探し求めて来た逸材に間違いないのだが、素直にそれを首肯できない。

 その原因は、驚いた理由の二つ目にあった。


「『商人』だと!?

 冒険神ラベトラから授かれる職業(ロール)は、『戦士』『武闘家』『魔術師』『僧侶』『盗賊』のうち、いずれかのはずだぞ!?」


 そうなのである。

 職業(ロール)……俗に天職などとも呼ばれるこの項目は、レベルに次いで重要視されていた。

 その理由はただ一つ。職業(ロール)こそは、その者に与えられた冒険者としての職能を表しているからだ。


 『戦士』であればいかなる重装備をしようとも羽根のように重さを感じず……。

 『武闘家』ならば、その拳で岩をも砕く……。

 『魔術師』は様々な魔術を操ることができ……。

 『僧侶』は神に代わって奇跡を行使する……。

 そして『盗賊』ならば、魔物の目をかいくぐり、邪悪な罠を解除することができた。


 ギルドに所属する冒険者らは、長短あるこれら五つの職業(ロール)を組み合わせてパーティを結成し冒険に挑むという……。

 そう、五つだ。

 ……『商人』などという職業(ロール)は、聞いたことがない。


「ところが、そうじゃなかったというわけだ。

 あいにくと、僕以外のお仲間へお目にかかったことはないがね」


 肩をすくめながらおどけたようにそう言うヨルデンの姿からは、いかにも言われ慣れているという雰囲気が感じられた。


「まあ、『商人』という名称から分かる通り、僕は『戦士』『武闘家』ほど戦えるわけじゃないし、魔術も使えず罠を解除できるわけでもない。

 それでも高レベル冒険者のはしくれとして、ワイバーンごときに遅れは取らないつもりだよ?

 ――リセパ王国のお姫様?」


「な……!?」


 ウィンクと共に放たれた言葉は軽い口調であったが、メリアを瞠目させるには十分であった。

 それも当然のことであろう。


「馬鹿な……!?

 私はまだ、依頼内容も自分が何者であるかも話していないのだぞ!?」


 そう、メリアはまだ己のことに関して何も口に出してはいない。

 ステータスを探られれば名前は明らかなものとなるが、ヨルデンにその様子はなかったし自分もそれを許容した覚えはなかった。


「……はっ!?

 もしやそれが、『商人』の能力なのか!?」


「半分当たりで、半分ハズレだ。

 まず、僕は職業(ロール)の力で様々なものを鑑定することができる。

 それこそ、君の靴底からこぼれた土やマントに付着した種子がどの地方のものかまでね。

 当然ながら、身に着けた装備品の能力も推し量れる。

 ……年代物の魔剣だ。極上とはいかないが、優秀な職人が仕上げたものを魔法で強化している。

 リセパの山岳地帯でそんな装備を使っているとなれば、以前小耳に挟んだ王女様を置いて他にいないだろう。

 何しろ、その……なんだ……」


「村と見まがうばかりの小国だからか?」


「……どうもありがとう。

 そして、今報告が入ったんだが――」


 ヨルデンが目くばせすると、控えていた女の一人が羊皮紙を手に歩み出る。

 受け取ったそれをひらひらとさせながら、ヨルデンは話を続けた。


「そちら方面に向けてワイバーンらしき影が飛翔しているのを、何人かの旅人や冒険者が目撃している。

 噂によれば、君は才能に恵まれほぼ単独で母国周辺の魔物退治をしているそうだね?

 大したものだが、年齢から考えてもまだワイバーン級の魔物を相手取るのは難しいだろう。

 それで、有事に備え貯めこんでいた金を国庫から引き出しここへやって来た……合ってるかな?」


「全て、ご明察の通りだ。

 ――それで、どうなのだ? 引き受けて頂けるか!?」


「うーん……君、ちょっとあれを受け取って来て」


 女の一人が歩み出て来て、両手を差し出す。

 意図に気づいたメリアが貨幣袋を渡すと、女はそれをしずしずとヨルデンへ差し出した。


「うん……まあそうだろうと思ってたけど、銀貨や銅貨ばかりずいぶんと集めたもんだね?」


 貨幣袋の中身をあらためるヨルデンの言葉に、メリアはただ赤面するのみである。


「……足りないだろうか?」


「いや、いいさ。これで受けよう。本格の冒険者というのは、心意気で仕事をするものだからね。

 ――ただし、食費なんかの必要経費はそちら持ちだ。いいね?」


「――感謝する!」


 冗談めかしてそう口にするヨルデンに対し、メリアはただ頭を下げることでしか感謝を表せなかった。


「ま、引き受けたからには安心したまえ。

 ――僕は契約主義者だからね」


 奇妙な職業(ロール)を授かった男は、絶対の自信を感じさせる顔でそう言ったものである。




--




 軽量かつ魔術に対する耐性を付与してくれるグリンチウム製の鎧を身にまとい……。

 左腕にはゆらゆらとたゆたう水をそのまま円形盾として切り取ったかのような逸品、『水面(みなも)の盾』を装着している……。

 兜として装備しているのは『バトルサークレット』であり、これは頼りない見た目に反する硬度と装着者に剛力を与えることで知られていた。

 武器は鍔に荒鷲の意匠を施した細身の直剣であり、銘は知らぬが業物であること疑う余地もない。

 そして、後ろ腰には何に使うものなのか……いずれも大ぶりの宝玉を備え見事な細工がなされた短杖(ワンド)を何本も差し込んでいる。


「大したものだな……いずれも、私では永久に手が届くまい」


 王家伝来の魔剣を除けば、ごく一般的な鋼の装備しか身に着けていないメリアが口を尖らせてしまったのは、無理もないことであろう。


「とはいえ、『商人』という職業(ロール)の響きからは似つかわしくない重装備だ。

 『戦士』なればともかく、御身でそれらを使いこなすことができるのか?」


 ――依頼を引き受けてから一刻ほどギルドを離れ。


 完全装備で再び姿を現したヨルデンに、ぶしつけと承知しつつもそう尋ねる。

 無論、レベル30の高ステータスを誇るヨルデンだ。ただ着て動くだけならば、何の支障もあるはずがない。

 とはいえ、武具の真価を発揮するとなればまた話が違ってくる。

 あらゆる武具を身にまといその威力をいかんなく発揮するのは、唯一『戦士』にのみ存在する能力なのだ。


「その質問に対する答えは、問題ない、だ。

 さすがに『戦士』には劣るけど、『商人』の装備レパートリーもなかなかのもんだ。

 この装備なら、十分にその力が引き出せるのさ」


「……そういうものか」


 軽い口調で答えるヨルデンに、本職の『戦士』としては少々気落ちした返事をしてしまう。


「そういうものさ。

 僕もね。駆け出しの頃は鋼の装備に身を包む『戦士』たちが大層うらやましかったもんだよ?

 何しろ、こちらは鎖かたびらや青銅の剣でがんばるしかなかったんだからね!」


「この鎧が、うらやましかったのか?」


 身にまとった鋼の装備を、思わず見回してしまうメリアだ。

 冒険神ラベトラの洗礼を受けた日に父から贈られた装備一式は、もうところどころが痛んで補修の痕もそこかしこに見える。

 だが、自分より遥か上の位階に達している人間からの言葉はそれを少しだけ誇らしく思わせてくれた。


「まあ、君は若く才能がある。

 魔物を倒し腕を磨いて金を貯めていけば、いつかこういう……いやもっといい装備が身に着けられるはずだ。

 その時は、ぜひ僕の商会に声をかけて頂きたいね」


「……人をおだてるのも、『商人』の能力なのか?」


「どうかな? 君がおだてに弱いだけじゃない?

 ――さて、それじゃ出発しよう! 時間というものは、どんな大金よりも価値があるのだから」


 例の女たち――今の言葉から考えて商会の構成員なのだろう――に見送られながら、ヨルデンはギルドの入口へと向かっていく。


「……そんなに弱いのかな」


 小さくそう呟いた後、メリアも後へ続いたのである。




--




 ヤシモを出てからワイバーンのすみかと思わしき地帯までの道程は、驚くほどに順調なものであった。

 それもこれも、全てはヨルデンの力によるものである。


 ――剣を抜けば見切れぬほどの速さで連撃を放ち。


 ――複数を相手にしたならば、携えた短杖(ワンド)から雷や炎を放ってひとまとめに打ち払う。


 迎撃というよりは枝払いでもしてるかのような気安さで魔物を屠ってくれるおかげで、二人の歩みは予想していた数倍もの早さを発揮できたのであった。


 この道中で驚かされたのは、倒した魔物から生み出される魔石の数が普段より何割か増していたことである。

 魔物の体内に存在する魔力が結晶化することで生み出される魔石は、無くてはならぬ資源だ。

 ごく簡単な加工を施すだけで光源として利用できる他、様々な用途に用いられる。

 魔物を倒してこれを得るのは、冒険者にとって最も代表的な糧を得る方法であろう。


「そう、これが『商人』最大の能力だ」


 野営の際、ヨルデンはこう語ったものである。


「魔物から得られる魔石や素材の量と質が、他の職業(ロール)より何割か多くなる。

 それはレベルアップに関しても同じで、新人時代にとんとん拍子でレベルを上げる様は同期たちを唖然とさせたものだよ。

 まあ、つまり何事においても効率がいいんだな」


「他者より少ない投資で、最大の利益を得るというわけだ?」


「そう! 実に……『商人』らしいだろ?」


 ――全てにおいて効率を重んじる。


 その信条は道中において最も危険な魔物である、リビングアーマーが徘徊する地帯においても発揮された。

 がらんどうの鎧が切れ味鋭い長剣を携えたこのアンデットは、メリアと比べてもほぼ互角の剣技を身に着けている。

 しかも、魔術に対する耐性を持ち、回復能力を持つヒールスライムまで従えているのだ。

 果たしてヨルデンはこやつらをいかに処するのかと、メリアは内心期待したものであるが……。


「ああ、リビングアーマーの相手はしないよ。

 本職の『魔術師』ならともかく、短杖(ロッド)の力じゃ一発で倒せないしすぐ仲間を呼ぶからね。

 そういう手合いは、無視するのが一番」


 ……ヨルデンの判断は実に肩透かしなものであった。

 だが、それを実現するために取った手段は再びメリアを驚愕させたのである。


「忍び歩きの加護……!? 『盗賊』でもないのに使えるのか!?」


 ヨルデンのみならず、メリアの足音や金属鎧のこすれる音すらも消え去り……。

 さらには、自分たちの発する生命力そのものさえも薄れたかのような感覚にメリアは驚きの声を放った。


「もちろん、本職のそれには劣るけどね。

 自分より格下の相手ならよほど接近しない限りバレやしないさ。

 ――この一帯は、これで敵を無視して行こう」


 その言葉通り、その後は一切接敵することはなく……。

 二人は時たま、ヒールスライムとたわむれるリビングアーマーの姿を観察したりしながら危険地帯をあっさり踏破したのであった。




--




 リセパの山岳地帯はといえば、本来ならば種々様々な魔物や動植物が存在する生命に満ち溢れた地域である。

 それがどことなく薄れて感じられているのは、錯覚ではあるまい。

 ワイバーンという圧倒的強者が外来したことにより、従来の生物が狩られ、あるいはいずこかに避難してしまっているのだ。


「……明らかに獣の気配が少ない。

 早くワイバーンを討伐しなければ、被害はいずれ我が国の民にも――って何をしておられるのだ?」


 緊迫しながら決意表明をするメリアが、気の抜けた声を上げてしまったのも無理からぬことであろう。

 なんと、ヨルデンは近くに落ちていた人間大ほどもある巨大なフンを木の枝でつついていたのだ。


「うおっぷ! これはたまらん!」


「いや、それはそうであろう……」


 あまりの臭気に鼻を押さえているヨルデンに、がっくりと肩を落としながらそう告げる。

 この男は、これから強力な敵に挑むという状況で何をしているのだろうか?


「いやなに、臭いもたまらんのだがね。

 ――僕の鑑定能力によれば、このフンはワイバーンを消化してひり出されたものだ」


「――は?」


 メリアが驚いたのと、暴風が吹き荒れるような羽ばたきの音が周囲に響いたのは同時のことである。


「ワイバーンほどの魔物を捕食するとなると、候補は一つしかない。

 ……やれやれ。どうやら、僕らが発った後に新たな目撃情報がギルドに寄せられたのだろうさ」


「まさか……」


 遅ればせながらメリアも到達した推測の答え合わせをするかのように、羽ばたき音の主が上空へ姿を現す。


 コウモリのそれを思わせる巨大な翼は天を突くように広げられ……。


 黒曜石のごとき光沢を備えた全身の鱗はらんらんと不吉な輝きを放つ……。


 全身のシルエットは爬虫類を巨大にしたかのようだが、ある種の威厳すら感じられるその威容は地上に存在するいかなる生物とも隔絶していた……。


 ――ドラゴン。


 最大最強の魔物が、上空から二人を睥睨(へいげい)していた。

 そ口腔からちりちりと、火花が溢れ出す。


「下がりたまえ!」


 とっさに盾を構えたメリアの前に、驚くほどの素早さでヨルデンが回り込む。

 ドラゴンが燃えさかるような火炎を放つのと、ヨルデンが構えた水面の盾から濃密な霧が溢れ出すのとは同時のことであった。


「――ッ! さすがに相殺はできないな!」


 全身のそこかしこをぶすぶすと焦がしながら、ヨルデンが悪態をつく。

 だが、ヨルデンだからその程度で済んだのだ。

 メリアがこれを受けていたら、黒焦げとなっていたに違いない。


「いいね!? 手出し無用だ!」


 返事も聞かず、ヨルデンが腰の剣を引き抜く。

 そして戦いが始まった。




--




 ドラゴンと『商人』。両者がぶつかり合い始めてから、どれほどの時間が過ぎたか……。

 半刻か、あるいは一刻ほども経ったように思えるが、実のところ百数える程度の時間しか流れていないやもしれぬ。

 一つ確かなのは、時の流れすら錯覚させるほどに両者の戦いは濃密であり、紙一重のものだったということだ。

 ――そう、ヨルデンは紙一重のところで迫りくる死を避け続けていた。


 恐るべき爪を牙を時にかわし、時に受け流す。

 しかし、それも完全にはいかずグリンチウム製の鎧はすでに大破したと言っていい有様であった。

 何より脅威なのは、やはり攻撃に織り交ぜて放たれる火炎であろう。

 ヨルデンはこれを水面の盾で軽減していたが、度重なる火傷は確実に彼の動きを鈍らせていた。

 そしてついに、彼は剣を杖のようにしながら膝を付いたのである。


「ふ……ふふ……」


 良き冒険者は、苦難の時にこそ笑うという。

 ならば、自嘲気味に笑った彼は今、最大級の苦難に晒されていると見て間違いない。


「まったく……こういう時に僕は、自分が『商人』なんだと実感するよ……」


 そこまで言うと、最後の気力を振り絞って再び立ち上がる。

 メリアはただ、そんな彼を離れて見ているしかない自分が歯がゆかった。

 しかし、己が参戦すれば足を引っぱる結果にしかならないのは明らかなのだ。


「もし僕が同レベルの『戦士』や『武闘家』だったなら、防戦一方と言わず痛撃の一つ二つは浴びせただろう。

 それか、『魔術師』だったら牽制にもならない短杖(ロッド)を持ち歩かずに済んだかな。

 『僧侶』と『盗賊』だった場合は――まあ、それは置いておこう」


 そこまで言うと、ヨルデンは剣を投げ捨てた。


 ――勝負を捨てたか!?


 メリアのみならず、人語を解さぬドラゴンにさえそうと思える行為である。

 だが、ヨルデンは不敵に笑いながら腰元を漁った。


「しかし、それでも僕はお前を倒すことができる。

 ああいや――僕たちは、か」


 取り出したのは……小袋だ。

 そしてヨルデンは、その中身を空中へ高々と放り投げたのである。


「……金貨? いや、白金貨か?」


 きらびやかな輝きを発するそれらは、メリアが生まれてこのかた目にしたことのない貨幣であった。

 とはいえ、知識としてその存在は知っている。

 大ぶりにして希少な金属をふんだんに用いたそれは、通常の商取引では使われぬ最高価値の貨幣であるに違いない。


「そう、これこそは『商人』最大の奥義。

 そしてそれは、卒倒しそうになるくらいの大金を用いることで発動するのさ」


 次の瞬間、世界が――歪んだ。

 錯覚ではない。

 現実として、この辺り一帯の空間がたわみ、きしみ、ここならぬ他のどこかと繋がっているのである。

 そしてそれを引き起こしているのはヨルデンに他ならず、その証拠として彼が放り投げた無数の白金貨はきらびやかな輝きと共にその存在を消失させていた。


「――いきなり呼び出されて何と戦うのかと思ったが、おいヨルデン! ずいぶん気張った獲物じゃねえか!」


 背後から響いたそのがなり声に、驚き思わず振り向く。

 そこに居たのは――冒険者だ。

 何気ないたたずまいから発される武威(ぶい)といい、身にまとった装備といい、ステータスを確認するまでもなく、自分はおろかヨルデンすら凌駕するほどの『戦士』であることがうかがえる。


「竜狩りは久しぶりですねえ」


「へへ、オイラ竜と戦うのは初めてだぜ!」


「ゆめゆめ、油断なさらぬよう。私も神々に代わって全力で加護をほどこしましょう……」


「アタシには全員初対面なんだけど、みんなヨルデンの知り合いか?

 本っ当に顔が広いんだねえ~!」


 しかも、現れた冒険者は一人二人ではない。


 ――『魔術師』。


 ――『武闘家』。


 ――『僧侶』。


 ――『盗賊』。


 種族も職業(ロール)もバラバラな……しかし、いずれも高レベルであることをうかがわせる冒険者たちが、突如としてメリアの背後に馳せ参じていたのだ。


「やあ……みんな、久しぶり!

 早速で悪いんだけど、もらった代金分の仕事を果たしてもらえるかな?」


 こちらを見やりながらそう語るヨルデンに対し、ドラゴンがまたしても燃え盛る火炎を吐き出そうとしたが……。


「いけませんねえ……まだ我々が挨拶しているところですよ?」


 それを阻んだのは、『魔術師』である。

 何気なくかざした彼の手から輝きすら感じられる氷雪の嵐が撃ち放たれ、吐き出された火炎を相殺したのだ。


「ぬわーーーーーーーーーーっ!?」


 ……当然ながら巨大な水蒸気爆発が発生し、ヨルデンはこちらへと吹き飛ばされることになったが。


「あいたた。もっと優しく助けられないのかい!?」


「油断する方が悪いでしょう?」


「すぐに治癒の奇跡を授けます」


 その言葉と共に『僧侶』らしき女性が手を組むと、瞬く間に祈りは完了し奇跡が発現する。

 そしてそれは、ヨルデンが負っていた無数の傷を最初から無かったかのように消し去った。


「いやー、相変わらず見事なお手際! ついでに水虫も治してくれない?」


「神から授かった奇跡は、そのようなことに使うものではありません……」


 軽口を叩くヨルデンに、『僧侶』が冷たい返事を返す。


「……水虫があるのか?」


「だから冒険の時以外はサンダルで通してる」


 メリアのツッコミに、悲しみを抱えた中年男はしれっとそう答えた。


「ま、冒険者の職業病だわな」


「オイラ、おっさん達が不潔なだけだと思うな……」


 鉄塊のごとき戦斧と大盾を構えた『戦士』と共に、『武闘家』の少年が前へと進み出る。


「まずはアタシがかく乱するから、あんたたちはその後に続きな!」


 そう言い放った『盗賊』の少女がステップを刻むと、その姿が二重にも三重にも重なって見え始めた。


「それじゃあみんな――よろしく頼んだよ」


 そしてヨルデンの言葉が、更なる戦いの火蓋を切ったのである。




--




 その後に繰り広げられたのは、


 ――伝説の戦い。


 ……と言うしかない光景であった。


 分身が見えるほどの速度で動き回る『盗賊』がドラゴンをかく乱し、それによって生じた隙を見逃さず『武闘家』が必殺の一撃を叩き込む。

 怒り狂い爪と尾を振るうドラゴンであるが、全ての攻撃を一身に受けたのが『戦士』だ。

 装備の重量を感じさせぬ見事な盾捌きは、恐るべき猛撃を時に払い、時に受け止め、そのことごとくを無効化せしめたのである。

 しかも、彼らの力は『僧侶』の奇跡によって更に高められているのだ。


 痛みと自身の攻撃が通じぬ困惑にうめくドラゴンであるが、冒険者たちの本命は他にあった。

 『魔術師』が深い瞑想と共に構築している魔術は、一撃でドラゴンを仕留める威力があるに違いない。


「……これが最後の手段。

 僕は事前に契約していた相手を、一時的に援軍として呼び出すことができる」


「……ならば、最初からそうすれば良かったのではないか?」


 もはや自分にできることはないと決め込んだのだろう……。

 見物に徹するヨルデンへ、メリアは当然の質問をした。


「さっきぶん投げた白金貨の量を見ただろう?

 ハッキリ言って、僕は自分の身を切り刻んだような気分だね」


「まあ……確かに」


 いかにメリアが姫君といえど、生国たるリセパ王国は村と見まがわれるほどの超極小規模国家だ。

 白金貨を見たのも先ほどが初めてであるし、あれがどれほどの額に相当するか見当もつかぬ。

 とはいえ、仮にリセパ王国を金子(きんす)で購入できるのだとしたら百や二百は買えるのではあるまいか?


「ん……ちょっと待てよ」


 そこでメリアは、ある事実に気づく。

 否、最初から気づいておくべきであったのだが、脳がそれを本能的に拒絶していたのかもしれない。


「当然、今の出費は経費として計上させてもらうよ。

 最初に言っただろう? 必要経費はそちら持ちだって。

 そしてこれも最初に言ったが――僕は契約主義者だ」


 ついに『魔術師』の術が完成し、超極小規模の災害と呼ぶべき猛吹雪がドラゴンの全身を包み込む。

 だが、その断末魔よりメリアの上げた悲鳴の方が大きかったに違いない。




--




 ――後日。


「……どうしても、この格好で働かなければならないのか?」


「どうしても、その格好で働いてもらわなくちゃならないね。

 僕も商会を経営する身だ。どうしたって書類仕事は多い。

 となれば、退屈な業務の中でうるおいが欲しくなるじゃないか」


 ヤシモの冒険者ギルドに設けられたヨルデン専用区画とも言える一角で、例の『バニースーツ』なる煽情的な衣装を身にまとったメリアの姿があった。

 何故、彼女がこのようにハレンチ極まりない衣装に着替えているのか?

 その理由は言うまでもなく、今回の依頼によって生じた負債の穴埋めである。


 あの後、近辺に襲来した強大な魔物――実際にはワイバーンでなくドラゴンと戦うことになったが――を討伐し凱旋した二人を、父王を始めとした国民は歓喜の声で出迎えたものだ。

 そして英雄をもてなさんとする彼らへ、ヨルデンは非情なる借用書を差し出したのである。

 歓喜の声は、絶望の声に変わった。

 悲嘆にくれる父王に対し、ヨルデンのした提案こそがメリアを自分の下で働かせるというものであったのだ。

 父王は一も二もなく、それに飛びついた。


「うう……これも借金を返すためならば仕方がないか。

 とはいえ、絶対に変なことはしないからな!」


「あー……君は二つ勘違いをしている」


 豪奢なソファーでくつろぎ、ワイン片手に羊皮紙を眺めていたヨルデンがそう告げる。


「一つ目、僕は君みたいなおぼこい娘に興味はない。ま、愛玩動物みたいには思ってるけどね。かわいいよ、その姿。

 二つ目、こんな通常業務を百年やったって借金は返せない」


「で、では! 母国周辺で魔物退治に明け暮れた方がまだマシなのではないか!?」


「結局完済できないのなら、やらない方がまだマシよりもう少しマシさ。

 ……母国の守りが心配なら安心したまえ。僕が手配した彼らは、レベルも君と同等だし積んできた経験はそれ以上だ。

 彼らも喜んでいたよ? 根無し草生活に嫌気が差してどこぞの田舎にでも定住したがってたからね」


「……では一体、どうすればいいのだ?」


「そりゃあ、冒険者だもの。冒険して稼ぐしかないね。

 ――君には今後、僕の助手として働いてもらうつもりだ。

 とはいえ、年がら年中冒険者として活動しているわけじゃないから、平時は秘書見習いとして彼女らと共に働いてもらうわけだよ」


「うう……」


 周囲を見回せば、同じくバニースーツ姿の美女たちがニコニコと新入りを見つめていた。

 種族も年齢もバラバラな彼女たちであるが、皆自分と同じような境遇なのだろうか?


「さあ、分かったらお仕事開始だ!

 ……ま、安心したまえ。ああは言ったが、ここヤシモの冒険者ギルドは大陸でも屈指の繁盛ぶりだ。

 いずれ、何かの儲け話が転がり込んでくるに違いないよ」


 ヨルデンがそう言いながら、ワインで喉を潤したその時である。


「邪魔をするぜ! ヨルデンのやつはいるか!?

 ちょいと力を借りたい事態になってなあ!」


 ギルドの入口から、聞き覚えのあるがなり声が響き渡ったのだ。

 見やれば、そこに立っていたのはかの日に援軍として馳せ参じた『戦士』ではないか。


「――ほらね?」


 冒険者にして『商人』たる男は、不敵な笑みを浮かべてみせた。

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