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プロローグ

 恋に落ちると、一日中同じ人のことを考えてしまうそうだ。

 そういう意味で俺は『究極生命体』という物に恋をしたらしい。


 まず俺こと三原みつはらカラスが死んだ日のことについて話そう。何の変哲もない朝のことだ。一般的な家庭に生まれ落ち、のらりくらりと17年生き延びてきた俺が同じような朝にまどろんでいると、これまたいつものように母が俺の部屋にずかずかと入ってきた。ここまではいつも通りのことであり、やはり「さっさと起きなさい!」と怒鳴ってねぼすけな俺を叩き起こすのだろう。しかしこの日は決定的にいつもと違っていた。母は俺の顔を見るなりこう言った。


「さっさと究極生命体!」


 あっけに取られる俺をよそに、母は何事もなかったように出て行った。今、何か奇妙なことを言われたなかったか。頭を悩ませながらスマホを確認するとただ一文、「おい、究極生命体か?」とラインが送られてきていた。きっと友達の誰かだと思うのだが、名前が「究極生命体」と表示されていて判別できない。


 リビングに向かうと家族はすでにくつろいでいた。薄ぼんやりとした頭でテーブルにつく。二ヶ月前に買ったばかりの大型テレビの中では、コメンテーターが「究極生命体!究極生命体!」と連呼していた。その異様な光景に家族は気にもとめていない。


 これで何も思わない俺も大概だが、寝起きで思考力が低下していたのだ。うつらうつらとした頭で、きっと夢の続きでも見ているのだろうと考えていた。


 しかし父親が読んでいる新聞を何気なく覗き込んだ瞬間に、背中に氷水をかけられたようにはっとした。


 その新聞は端から端までびっしりと『究極生命体』という文字で埋め尽くされていたのだ。まるで呪文のように。全身に鳥肌が立ち、かつてないほど心臓が脈打ち始める。いたずらにしては度が過ぎてる。平然としている家族が不気味に思え、すぐさま着替えてバッグをひっつかむと、ほとんど逃げるように家を飛び出した。


 学校に到着し一限目の授業が始まるまでの間、俺はずっと家でのできごとに頭を悩ませていた。家族の悪ふざけなのかそれとも俺の頭がどうかしちまったのか。そして始礼のチャイムがなり、冗談を言わない厳格な歴史教師が教室にやってきて黒板にチョークを走らせた時、思わず悲鳴を上げてしまった。教師は黒板にこう書いたのだ。


『究極生命体とは』


 今わかった、どうかしたのは俺の頭なのだ。


 なんとかその日の授業を乗り切った俺だったが、精神はすっかり参ってしまっていた。他の学生の会話は全て『究極生命体』としか聞こえなかったし、現実逃避的にイヤホンをすると、ウォークマンの中のボーカルは「究極生命体!」としか言わなかった。だから一日中トイレにこもって過ごした。


 学校からの帰り道、今朝のことで家に帰るのがはばかられたので、ふらふらとした足取りで近所の商店街に向かった。何をするでもなくさまよっていると、ひいきにしているお店の前におせっかいなおばちゃんが立っているのが見えた。

 今日の過酷な体験ですっかり心細くなり、無意識の内に仲間を求めていた俺はおばちゃんに飛びつき、今日のことを洗いざらいぶちまけた。俺が涙ながらに訴えている最中ずっと温かい目でうなずくものだから、5分もする頃には俺の中の焦燥というものはすっかりなくなっていた。

 これがおばちゃんの包容力というものか。


 そしておばちゃんは俺の顔を心配そうに覗き込み、こう言った。


「究極生命体はいかが〜」

「あんたもか!?」


 そして半狂乱になった俺は道路に飛び出し、大型トラックにはねられて死んだ。最後に俺の目が見たものは、ナンバープレートに『究極生命体』という文字がでかでかと書かれていたことだった。




 そして気がつくと見渡す限りの白い空間に立っていて、立派なひげをたくわえた老人が開口一番にこう言った。


「究極生命体に興味はないかね?」

「……あんたが原因か」

「ほっほっほ、鋭い子は好きじゃて」


 さすがに俺もバカではない。これほど露骨に究極生命体という言葉を口にする奴が現れたら因果関係くらいは見抜ける。納得はしていないが、理解はした。


「それで一体全体『究極生命体』ってなんなんだよ!」

「あらゆる生命体の頂点に立つ存在のことじゃよ。と言われてもピンとこないだろうから、イチから説明しよう……」


 老人は自分のことを神様と名乗った。次に俺が暮らしていた世界とは異なる世界があること、その世界が危機に脅かされていること、その危機を解決するために『究極生命体』という存在が必要だということを話した。


「だから俺が『究極生命体』とやらに興味を持つように仕組んだんだな。そういえばそんな心理効果があったな……」

「サブリミナル効果のことじゃの」

「それそれ。……で、俺が大人しくその異世界とやらに行くとでも?」

「行くのじゃ。それ以外に選択肢などない」


 全てが決定事項であるかのような口ぶりの老人に反感を抱き、俺は食ってかかるように言った。


「だいたいあんたに神様だって言われて信用できると思うか?」

「というと?」

「だからみすぼらしいあんたの言葉を鵜呑みにする大間抜け野郎がいるのかって言ってんの!」


 思わず荒い口調で言い切ったあと、「しまった」と思った。恐る恐る顔をうかがうが、「ほっほっほ」と見下ろすように笑っている老人を見て申し訳ないという気持ちなど吹っ飛んでしまった。そうして吐き捨てるようにして言った。


「そもそもその話が本当だとして――――」不機嫌に口にした俺を見て老人がにやりとした。そんなことを気にも留めず続ける。


「「俺に世界なんて救えるとは思えないけどな」」


 異口同音。老人が俺の言葉をなぞるように、全く同じタイミングで一字一句同じことを言った。先読み、つまり俺の思考を読んだのか。


「ほっほっほ」

「……それで神だと信じるわけではないからな」

「その通りじゃ! かわいい我が子の考えを読み取ることなど神でなくともたやすいことじゃからな」

「俺はあなたの子供じゃありませんから!」


 あなたに育てられた覚えはありませんから!と、心の中で反抗期の息子のようなことを叫ぶ。そして「俺に世界が救えるかどうか」という問いに対する解答を貰ってないことに気がついた。


「それで俺の疑問には答えてくれないのか?」

「そうじゃった!」

「やっぱり神様にしては抜けてるんだよなあ」

「しのごのうるさいのう。ほれ、右目をつぶってみぃ」

「はあ、ウインクすればいいんだな……。って何だこりゃあ!?」


 言われた通りにすると突然、眼前に半透明の板が現れた。


「な、なんだこれは……」

「そのメニューの中を見てみぃ」

「うわ、ほとんどクエスチョンマークで埋め尽くされているじゃないか」

「あほう、一番下を見てみんか」


 言われた通り画面を下にスクロールしてクエスチョンマークの森を抜けると、最下奥に一つだけ文字で表示された項目が現れた。


「……『究極生命体』?」

「そうじゃ。お主はそいつを目指すのじゃ」


 灰色になっているその項目に触れると、ぽんと間抜けな音を立てて画面が切り替わった。


 ― ― ― ―

【究極生命体】 ★★★★★


【戦闘能力】Aランク

【内包魔力】Aランク

【神秘性】未知数


 必要アイテム:スケアクロウの魂

 ― ― ― ―


 Aランクが高いのかどうかは比較対象がないので判然としない。星の数はいわゆるレア度のことであろうか。ページ内の位置的におそらく最上級の能力なのであろうが、一番下の必要アイテムという欄が、そうそう簡単に取得できないのだろうということを思わせた。


「……『スケアクロウの魂』って?」

「お主が究極生命体になるのに必要なアイテムのことじゃよ」

「そうじゃなくてどういうアイテムかって聞いてるんだけど……」

「それは知らん!」

「神様のくせに知らないのかよ……」

「うむ。だがきっとこの世界のどこかにあるはずだ。辛抱強く探し続けていけばきっといつかは見つかるはすじゃ」


 俺の嫌味に、老人はごまかすように表情を明るくした。


「どうじゃ、わくわくするじゃろ? 人間という生き物は大きな目標があるとやる気が出ると聞いておるぞ!」

「いやぁ、オンラインゲームなんかを始めてみた時にトッププレイヤーの装備を見るとやる気がなくなってしまうたちなんだよなあ」

「なんでじゃ!」

「アキレスのなんちゃらじゃないけどさ、俺がいくら頑張ってもトッププレイヤーには絶対に追いつけないわけだろ? 俺が時間を費やすだけ相手も先に進むんだから」

「気難しいやつじゃのう……」


「そもそもこれは異世界においてのゴールなんだろ? もっと序盤で使えるようなお手軽な奴とかがないとさぁ」

「それなら心配は無用じゃ。お前さんの行い次第で多種多様な能力が手に入るはずだ。能力の種類は限りなく、その総数神であるこのわし自身も全ては把握しきれていないほどじゃ」

「だから神様が知らないとかあるのかよ……」


 再び“口撃”すると老人はさっきと同じようにわざとらしく顔を明るくした。


「そうでなくても『究極生命体』じゃぞ!? わくわくするじゃろ? じゃろ?」


 実際わくわくしていた。神が俺の脳みそをいじったのかもしれないが、究極生命体という単語を聞くとなぜか胸が熱くなり、そもそも不思議と元の世界に未練がちっともなかった。


 思わずにやりとしてうなずく俺を見て、老人は満足そうにした。それからぱちりと指を鳴らすと黄色い光が生まれ、たちまち光の門を形作った。老人に促されて足を進める。光の門はみたいな頼りない輪郭でゆらゆらと揺れている。大型機械の駆動音みたいな物も聞こえ、近づくと耳鳴りがより一層ひどくなった。門をくぐる直前でふと思い立つことがあり、足を止めた。


「どうかしたかの?」


 ひどい雑音に負けじと、俺は大声で怒鳴るように言った。


「そういえば俺はあんたの催眠でトラックにひかれたわけなんだから、あんたに殺されたようなもんだよな」


 すると老人はぽかんとした。そんなこと考えてもいなかったという顔だ。俺は思わず噴き出してしまった。


「人の命を軽んじているその感覚。間違いない! あんたは神様だ!」


 神の姿を視界の隅に捉えながら、俺は光の門に身を投げだした。

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